それから3 フィオナとライラック
「フィオナお嬢様」
「お嬢様はもうやめてって言ったでしょう? 私はもう、ただのフィオナだから」
はじまりの国で再建された建物の一つの一部屋で、フィオナは歳を重ねた侍女に机上からその顔を上げた。
大陸の地図に、大量の本と資料に埋もれながら、それでもその顔は見たことがないほどに明るい。
「覚えることが多すぎて、時間も目も手も足りなくて、寝なくていい身体が欲しいくらいだわ」
「初音様から、あまりこん詰めさせ過ぎないように、ライラック様と見張っていて欲しいと言われているんです。なので、適度にして頂かないと私たちが怒られてしまいます」
【はじまりの国】にライラックと共に滞在する場を用意してもらえたフィオナは、秘密裏に歳を重ねた侍女に声を掛け、手配した獣人の護衛の元自らの元に呼び寄せていた。
後継者であるフィオナの兄を、件の騒ぎの最中で失ったギルベルト伯爵夫妻は、フィオナの目撃情報を手がかりにその身柄を取り戻そうと当初強い抵抗を示した。
とは言え、フィオナ本人の意志や、初音たち獣人側との交渉にたかだか貴族の小娘1人で立場を悪くしたくなかった王族や貴族側の目論見。
何より、そんな注目される立場に置かれた令嬢を長らく冷遇していた事実が公になる前にギルベルト伯爵夫妻が諦めた。と言うのが近かった。
「現存していて、ある程度力を持っていて、話しのわかりそうな貴族の一覧です。あと、私が知り得る範囲の噂や人柄、実情なども書いておきました。鵜呑みにして頂くにはいささか不安がありますが、何もないよりは参考にして頂けると思います」
「承知しました。初音様方にお届けしておきます」
「……本当にありがとう。こんな所まで、ついてきてくれて」
そう言って笑うフィオナに、歳を重ねた侍女はそっと微笑んで頭を下げる。
「フィオナの仕事は終わったか?」
「……ライラック様」
どこから見ても美しい美丈夫。
フィオナの書斎を出て扉を閉めた所で声を掛けられたその姿を見る。
フィオナが恋して、フィオナに恋したオウギワシの獣人。獣人と言っても、その姿は人と全く変わらないけれど。
「そろそろ休憩にして頂きたいので、どうぞフィオナ様のお側にいてあげて下さい。フィオナ様のお手を止められるのは、ライラック様だけですから」
「そうか」
そう言って、すれ違いそうになったその足をライラックは止める。
「フィオナの、側に、……私が側にいられなかった間も、変わらずずっといてくれて、ありがとう」
「え……?」
突然の物言いに、歳を重ねた侍女は思わずとその顔を上げた。
「フィオナはいつも、あなたのことを話していた。私の本当の両親は実は違う人かも知れないけれど、唯一の家族だと、いつも思っている人がいると」
「……もったいないお言葉です」
使用人の立場では何もできず、屋敷の者の目を盗んでその震える肩を慰めるだけしか出来ない、歳を無駄に重ねただけの不甲斐ない自分。
「フィオナ様のお心を救ったのは、ライラック様、あなたです。あなたと出逢われて、フィオナ様は生き返ったようでした。ずっと、お礼が言いたかったのです。フィオナ様を、大切にして下さり心から感謝を申し上げます」
「こちらこそ、フィオナのそばにいてくれて、感謝する」
そう言ってフィオナのいる部屋に姿を消すライラックと、その扉の隙間から、花が咲くように笑みこぼれるフィオナの姿を見て、歳を重ねた侍女は静かにその場を後にする。
フィオナはその容姿に加えて、その《《出来》》が幼いながらに段違いだった。フィオナの兄の出来が悪いわけではない。むしろよく出来た方だし、努力もできる未来ある子どもだった。
けれど、フィオナは明らかに出来が良すぎた。
ギルベルト伯爵夫妻もそれには気づいていた。けれど、どんなにフィオナの出来がよくても、女であるフィオナへの根本的な考えは変わらなかった。
けれどフィオナが男児であれば良かったのにと、場を憚らず、フィオナの兄を前に当てつけるように、よく平気でそう口にもしていた。
そんなフィオナに、フィオナの兄の憎悪が向くのは簡単な話。
フィオナの心が兄によって壊されたのなら、フィオナの兄の心はギルベルト伯爵夫妻が壊したも同然だった。
何かがほんの少しずつでも違っていたら、兄妹の違う未来があったのかも知れないと、今更どうしたって遅い後悔が胸を覆う。
フィオナから届いた手紙に書かれていた、年若い護衛の名前を思い出して、歳を重ねた侍女は1人息を吐いた。
ローブの2人組に危険を犯してでも会いに行くと聞かなかったフィオナに、秘密裏に付き添った歳若い護衛にも、その声はかかっていた。
フィオナなりの恩義を感じてのことだとは気づいたが、歳若い護衛はその話しに迷いを見せたものの、遂に首を縦には振らなかった。
それが分不相応にもフィオナに心を寄せていたせいであるのか、そんなフィオナの心を占めたライラックに嫉妬を募らせた果てにその存在を明るみにしたことへの贖罪か。
はたまた、守れると思ったフィオナを、いざとなれば満足に守ることもできなかった自責の念なのか。
そのどれもか、全部かは歳を重ねた侍女にはわからなかったけれど、自身の持ち得る全てを投げ打ってでも誰かを守ると言う行為は、当事者になるとずっと難しいことだと身に染みる。
だからこそ、そんな相手と巡り逢えた2人の明るい未来を、歳を重ねた侍女はそっと願って高く青い空を見上げたーー。




