11 けっしょう、束ねて激突
「……開いてる」
赤い瓦屋根の寂れた平屋。柵に立てつけられている看板には『進入禁止』。
道中、「『夜警』がたむろしている」と梶に伝えられた集会所周辺を避け、ユユとアキは旧製糸場に向かった。まだ日が姿を見せるには早いため、『夜警』の出現時間が終わったと決めつけるべきではないという判断。
ここに来るまで郷民は一人も見かけず、数名逃げ出したという旅行客の姿もない。
全員が全員、疲労もいとわず村の境を越えていったのか、失敗に終わったのかを想像すると、逆に怖いくらいだった。
そして遭遇しなかったといえば、行方不明者三人も同様。
それもユユの身震いを引き起こす原因の一つだ。──当然、運よく監視をすり抜けられたと喜ぶ気にはなれない。
「ここが開きっぱなしだってことは、」
「ミツキさんにケイさんがいるってことだ」
──あと、鼎も。力がこもり、肩が自然と上がっていくのを、アキとの短いやり取りと深呼吸で落ち着かせる。
入口を封じていた鎖は外され、南京錠は地面の上。両手でシャベルを握り直したユユの鼻の先を半開きの扉からかび臭い風が掠めていく。
扉の隙間から見える暗がりは、集会所で最初に『夜警』が現れたときと同じ威圧感を放っている。
神域の保たれる範囲にしか偽物は現れない。この旧製糸場に集まっているだろう三人をくぐり抜け、織代を破壊することがユユたちの目標だ。外で『夜警』をくぐり抜け、織代を破壊して回ったときとは違い、敵の心臓部へと飛び込んでいくことになるが、
「行こ」
「行こう」
カンマ数秒先んじたユユがまず一勝とべっと舌を出し、見上げた先には、呆れ──ではなく何やら思案げなアキの顔があった。
「……甘蔗さ、先行するか?」
え、とも、う、ともつかない声がユユの喉からする。考えていなかったのだ。
ここから先は個人戦と打ち立てたのだから、「当然ユユの後からついてきてもらうけど、もしかして怖気づいてますー?」と煽りたい気持ちもある。あれだけ言った以上、自分がまず気合いのほどを証明せねばというのも。
だが、とユユは扉の隙間にちらりと目をやる。
──別に、なんでもかんでも張り合いにいく意味とかないし。あとでまた、そう、本番のときに「任せてなんかやらない」ってとこ見せたらいいだけ。
「……じゃーんけーん!」
「待て待て待て、っほい!」
不意打ちで振りかぶられた拳に慌てながらも荷物を持ち替えて応じるアキは、自分ではどう捉えていたとしてもさすがの反射神経だ。
彼が咄嗟に繰り出したパーは、残念ながら勝利を掴みとれはしなかったが。
「──いや、俺だって悩んだからな? だから本人の意見も聞いたわけで」
「えー先輩やさしー。ブシドー。刀振り回してるだけある」
「軽くバカにしてるだろそれ」
「してないしてない」とユユが返すと、前方からこれ見よがしなため息が聞こえてくる。実際、してはないのだけれど。
どっちかというと、「頼られたくないって言ってるわりにそーいうの、ブレブレじゃん」だ。詰めが甘いというか、何ならちょっと損だとユユは思う。絶対に言わないけれど。
高い天井付近の小窓から届く光は細く、床までは届かない。暗闇に慣れてきた狭い視界で一面に並ぶのは棚、そして籠。工業に詳しくはないが、工場と聞いて思い浮かぶ光景とはまず程遠い。
旧態依然とした手作業のなごりを感じるこの場所は、きっと近代化や機械化の波が訪れる前に閉鎖したか、最後までそれらを受け入れなかったのだろう。かつての景色にユユが想像を馳せていると、ふと目の前の金髪が揺れ、三白眼が覗いた。
「なあ、やけに広くないか、ここ」
「……調べたり警戒したりで、ユユたちがゆっくり進んでたからじゃ?」
「いや、念のために歩幅で距離を測ってたんだ。ぱっと見で大体二十五メートル、プールくらいの長さだったじゃんか。そういうので使った時間差し引いても、もう端に着いてないとおかしい。それに、待ち伏せも何もないとくると」
「怪しすぎる」
しらっと言ってのけるアキへ突っ込みたいのを抑え、ユユはその結論を引き継ぐ。納得の考察だとユユが考えていると、目と鼻の先を歩いていたアキが不意打ち気味に立ち止まり、
「んわ」
「ここで行き止まりかよ」
固い背中でユユの鼻がべしゃりと潰される寸前、急ブレーキ。
いくつか扉のない仕切りでできた区画を過ぎ、アキの背中越しに見えたのは何の変哲もない壁。アキが予想した行き止まりであり、つまりは探索しつくしてしまったことになる。織代も『白瀬』も、行方不明の三人も見つからないまま。
「怪しすぎ、のもっと上。……三人分隠れられるような、隠し部屋がある?」
「横幅は外からの見た目と合ってる。どっちかっつうと地下が匂う」
ユユの予想にアキが具体性を帯びさせ、二人して顔を見合わせた。
「階段、なかったですよね」
「なかったな」
確かめたところで結果は同じ。揃って渋い顔になる。
慎重に見て回っても四、五分。この狭い空間のどこに地下への道が隠されていたというのだろう。今から改めて探し直すか、梶の証言から時間が経っていることも踏まえて別の場所を当たるか。
迷いから目線を下にやったところで、ユユは靴紐がほどけかけていることに気づいた。
シャベルを床に置く。紐を結びなおすべくしゃがみこみ、壁に手をつこうとした、その指が触れたのはただ何もない空間で。
「ぁれ、な──っ!?」
あると思っていた支えをなくし、驚愕の顔を残してべしゃりとユユが斜めに潰れる。先に屈んでおいたのが不幸中の幸いだったが、痛いものは痛い。
石畳に打ち付けた腰と肘をさすりつつ、ちょいちょいと靴紐を直してユユは涙目で立ち上がる。目の前で起きた悲劇に一言もなかった薄情者へと逆恨みをぶつけようとして、
「先輩も、ちょっと声くらいかけてくれても……いな、い?」
ユユは確かに振り向いたはずだった。しかし、眼前にそびえるのは壁ばかり。
今しがた、そちら側からユユは倒れたはずだというのに。
「わけわかんな……っ」
説明不可能としか思えない事象に混乱して、咄嗟に壁へと突き出した手が、生暖かく弾力のある何かを掴んだ。「なになになにきもっ」いよいよ真っ白になる頭で、とにかくユユは思いっきり自分の腕を引っ込め、
「キモいはないだろ!」
ユユの腕に捕まり、ぬるりと壁の中から出現したのはアキの怒り顔だった。上半身、片足に続いて腰と、アキは水面から浮上するかのごとく壁をシームレスに通り抜けたあとで、思考の追い付いていないユユの顔を見た瞬間、我に返ったのかぽかんと口を開けた。
言い返したのは律儀さというより条件反射だったらしい。どうでもいいが。
「壁、あったよな?」
「あった」
「通り抜けたか?」
「抜けました」
「──。もう『そういうこと』にしよう。深く考えない」
「……あ、とりあえず隠し部屋、到着ってこと?」
「あぁ。そうだ。そうだわ」と最初は実感なさげに、段々とアキの頷きが深くなる。疑問は放置するしかないとして、何はともあれ辿り着けたのだ。
気を取り直してユユは周囲を確認しようとしたが、間近にいるアキはともかく暗くて他は何も見えない。窓もない中、頭上に点々とついた古びた電灯が瞬いているが、それだけだ。光源確保のためユユはスマートフォンのライトをつけ、床から徐々に上へとずらしていったところ、しかし早々に一点で止まった。
「……変なの」
床からの光の反射で浮かび上がったのは、皿を縦に置いたような白い楕円体。
奥まで照らすと、それが等間隔にぽつぽつと、されど延々と、果てが見えないほどに遠くまで並んでいることが分かる。
軽く周りも照らしてみたが、コードやパイプなどといった工場らしいものは一つもない。ただ丸いだけの、超最先端の機械というには無理がありそうなそれらをユユは不思議に思う。人ひとりすっぽり収まりそうな物体に一歩、近づいてみて、
「待て」
「え?」
「なんかが、臭ってる」
アキが声を殺してユユを引き留め、臭いの核を捉えようと顎を上げる。アキに倣い、すん、とユユも息を深く吸い込んでみる。埃っぽく湿った空気の中、わずかにスーパーの生鮮食品コーナーで嗅ぐような──生臭い匂いがした。
アキの手元で金具がこすれる音がする。鯉口を切ったのだ。言われたままに立ち尽くすユユを背後に、彼は摺り足で白い楕円体との距離を詰めていく。
その背中を見つめるユユの脳裏を、昔見たトラウマものの映画のワンシーンがよぎる。
「なんかの卵、だったりして。……あ」
「鳥肌立つからやめろよ……うげ、糸引いてるな。腐ってんのか? ──っ」
冗談めかして口にした直後、ユユはもっと可能性の高いものがあることに気づいた。
卵じゃない。──ここは、製糸場だ。
「繭」
何かに衝撃を受けて固まっていたアキと声が重なる。
アキが見下ろしているのは、その胸元くらいの高さまである物体のうちの一つ。上部に密度の薄い綿毛が頼りなく渦巻いている、おおよそ作り途中だろうと推定されるもので。
「中はあんま見んなよ」と顔をひきつらせたアキの忠告に、ユユは一も二もなく頷いた。
◆
「……今度から、着る服の産地がどこかも確認しなきゃな」
現実逃避に近いアキの一言を最後に、ユユたちはそれについての言及をやめ、先へ進むことにした。某映画みたく中から化け物が飛び足してくる不安もあったが、「それはないと思う」とアキが断言したのだ。
実際、ユユもそのあとすぐに床で横倒しになった繭を見てしまったのだが。
こぼれた内容物から立ち上る臭いは形容しがたいどころではなく、原形をとどめていない──言い換えればそれがかつてどんな姿をしていたのか一目でわかるくらいにはパーツが一部残っていて、ユユはちょっと隅っこで吐いたあと、それが明らかに生きていないことを痛感した。
多少の枝分かれのある隠し通路を無言で探索しつつ、二人は奥へと歩みを進める。もはや測らずとも分かるレベルで、歩いた距離は外から見えた分を優に超えていた。どの部屋にも繭が点々と無造作に置いてあり、だだっ広いこの空間全てがその保管所なのだろうと推測できる。
ユユたちは万が一にもそれらにぶつからないよう、常に気を配らなくてはいけなかった。なにせ、もし倒してしまえば大惨事だ。
そうして事故現場から遠ざかり、吐き気を催す悪臭が薄れてきたころ。
ぴちゃり、と遠くの方でかすかに水の音がした。
雨漏りではない。
それは何かが水たまりを踏みしめた証で、聞こえてきたのはユユたちが歩いてきた方向だ。
「……きた」
「五十メートルってとこか」
足を止め、背後の暗闇を睨むアキ。足を肩幅に開き、重心を落として備える彼からユユはゆっくり距離を取っていく。いや、決して逃げ腰になっているとかではなく。
──『夜警』と同じく、操られている者にも視力はないと景のメモには記されていた。かわりに聴覚は鋭く、いくら静かに行動したところで見つからない保証はないと。
だからユユたちは考え方を変えた。これまで何度不意打ちにあったと思うのか。警戒される前提、居場所がバレたのなら今度はこちらから先制するのみだ。
問題は来るのが誰か、もしくは何か。
『信じない・期待しない』と約束を互いに交わしたが、適材適所というものもある。まずはアキが構えているが、場合によっては初手からユユにお鉢が回ってくることもありうると、ユユも当面のメインウェポンとなったシャベルといくつかの攻撃手段を両手に握りしめ──。
天井の電灯、三つ分先。朧げにちらつく淡黄色の下に、人影が入り込んだ。
すぐさまユユはこれでもかと目を凝らす。
細い手足。服装は光を反射している。白だ。その上に一房二房と垂れて揺れる、闇に溶けるような長いながい、黒髪。
「先輩っ、『白瀬』──!」
「最初っから大元登場か!」
ユユが発した警告に先んじて、前方へ何かが飛び抜けていく。カビ臭い大気に風穴を開け、ぐんぐんと『白瀬』へと迫るそれは、古い秤の分銅をありったけ詰め込んだ直径・ユユの小さな頭ほどの麻袋。
ロープの先にくくりつけて作った、即席フレイルだ。
投擲直後、一気に吐き出した空気を肺に取り込みながらアキが驚きで浮足立った声を上げた、それすらも置き去りにして。
スタンガンを鼎に投げつけたときの、へっぴり腰上等なユユのフォームとは雲泥の差で放たれた凶弾は、『白瀬』の黒で塗りつぶしたひし形の目も、頭の上の月桂冠のような翅も、口からはみ出した触覚もまとめて──ぐしゃりと、無残に押しつぶした。
投じた瞬間に手ごたえを感じたはずのアキも、見ているだけの間に全てが終わったユユも、固唾をのんでそれを見守る。
鈍器が直撃した首は真反対にぽっきりいったようで、ユユの立ち位置からは180度逸らされた顎だけが見える。傷口から血が吹き出すことはなかった。「あれは死体だ」と鼎が断定していたのを思い出す。
自分たちで計画し、為したことだが、惨状の中でそれは不幸中の幸いだった。人と融合した異様な風体をした『白瀬』の、ちょうど「化け物」を構成する要素が全て今ので吹き飛んでいたからだ。
おおよそ生命維持に必要な器官を根こそぎ破壊された『白瀬』は数秒間立ち尽くしたあと、その全身が緩慢な動作で十五度、三十度と後ろに傾いていく。
倒れてと、ユユは強く念じた。
六十度に差し掛かったあたりだ。異変が生じたのは。
「止まっ……た」
呆然と呟く、ユユの目の前で。チッと舌打ちしながら即席フレイルのロープを手放すアキの眼前で。
『白瀬』は不安定な体勢のまま、倒れることなくとどまった──否、支えられたのだ。
壊れかけのスポットライトに照らされ、『白瀬』の周囲の繭から伸びてきた銀糸が滝のようにきらめく。何本も何十本も、寄り集まったそれらは編み合わさり、まるで手のようになって、『白瀬』を再び立ち上がらせるためその背を押す。
ぼき、ぼきと砕けた骨を無理に戻す音が響く。持ち上げられた頭が定位置に収まる。皮を貫いて飛び出た小骨や、剥がれてぶらさがったままの筋肉の役割を補うべく、糸がコルセットのように何重にも首に巻き付いていく。
再誕。
口の触覚は片方が欠損し、長く垂れ下がった前髪と頭部の翅──冠状に被さっているのではなく一本一本が頭部から突き出て輪になっていたらしい──は方々にねじれ、広がり、ばらばらになっているが。
黒瞳は変わらず開かれている。それでも、『白瀬』は悠然と、何事もなかったかのように立っていた。
これはもう、次善の策がどうとかいう話ではない。
奇跡の御業だのと呼ばれそうな異常を目の当たりにし、ユユの頭が弾き出したのはその結論だけで、
「甘蔗、おい! 行くぞ!」
「っわ、かってる……!」
硬直するユユの腕がアキに掴まれる。強引に引き寄せられ、前につんのめる寸前でユユは我に返る。
まだ何も終わっていない。逃げの一手、とは違う。本体への攻撃が意味をなさないなら、邪魔される前に奥へ侵入し、その拠り所を壊すしかない。
ユユは自分を引っ張って走り出したアキの脇腹を肘で小突き──両手がふさがっているから不可抗力──正気とやる気をアピール。「ぅぐ」と軽い呻きとともに腕が離れたところで、ユユは左腕に抱えておいた、工業用オイルのジョッキをひっくり返して背後の床にぶちまけた。
「持ってくるの、重たかったんだから!」
最後の一滴まで注ぎつくし、ジョッキをえいっと投げ捨てる。物理的な解放感と精神的な高揚。狙い通りに通路は大量のオイルで埋め尽くされ、これで少なくとも一体はしばらく追ってこれないだろう。
それはすなわち自分たちの退路を断つことにも繋がってしまうが、もはや確保しておく必要もない。
「追ってきてない! けどっ、なんで今ので倒れないの!?」
「分かるかよ! ここが特殊だからかもしれねえし、あちこち乗り移れんだったら本体が別にいるのかもしんねえ」
背後を確認していたユユへとアキが振り返り、放置せざるをえない無理解に顔を歪める、その奥で動いた暗闇。
アキが曲がろうとしている角の先だ。彼には見えていない。待ち構える、濃淡を有さない深淵と、それを縁取る白い──歯。
「しゃがんで!」
「あ? ──ってぇ!」
催促するが早いが、斜め前を走るアキの脛にユユは蹴りを入れる。『約束』を優先した結果だからしかたない。
生憎、ユユの足は硬すぎる筋肉に弾き返されただけだったが、警告は功を奏した。瞬時に身を半分ほど屈めたアキの頭上、何もない空白地帯を強かに噛み砕いたのは、白髪の化け物。
「本郷!」
「避けんなってェ」
曲がり角で食パンならぬ、ぶつかりざまに人を食べようとした不届き千万の化け物は残念そうにこぼした。かと思えば、つま先の痛みをぴょんぴょん跳ねて紛らわせていたユユへとその視線が向く。
何してるんだと言いたげな半眼は、一瞬だけ普段の面持ちを感じさせた。しかし一瞬でその面影は掻き消え、やはり違うということをユユに突きつける。
三日月状に細められた白眼に映るのは享楽、闘争心、そして──気のせいではないだろう。ユユを視界に捉えたまま決して外さない、絡みつくような執着。
いつ、他の二人が物音を聞きつけてやってくるか定かではない。
──ここで「先に行って」は、きっと禁句だ。言いたくもないし。
「ユユはこのあたりと、右探すから。先輩は左行って」
「……いいのか、一人で」
「『約束』!」
ユユはむぐっと口をへの字に曲げ、小指を立ててアキに突きつける。アキは束の間面食らうと、腰にくくりつけた刀に手を添え、いつにもまして人殺しじみた険しい形相で頷いた。緊張しているのかもしれない。
だからユユは、べーっと舌を出し、大仰に手のひらを振ってみせた。ふざけたのだから笑えばいいのに、アキはため息を吐き、
「──無茶すんなよ!」
駆け出していったその背が見えなくなる。ユユはもしもに備えていたが、その間、『鼎』は立ち止まったまま。二人きりになってから、『鼎』はようやく口を開いた。
「オマエ、このオレに一人で立ち向かう気か? 割り振りが逆だろう。カワイソウに」
「ううん、これで合ってる。ユユが、あなたの相手はユユがするって言ったの」
その挑発をユユは切り捨てる。これは自分で言いだしたこと。
適材適所だ。だって、ユユなら──、
「あなた相手だって絶対に遠慮なんかしない」
『鼎』の灰色の瞳に宿るそれよりもっともっと好戦的に、ユユは迷いなく啖呵を切った。
◆
「──まず、ミツキさんが来たら超ラッキー。運動神経が悪いわけじゃないと思うんだが、あの人の無精っぷりとヒョロさはガチだ。本人が前に『スタンガンなしの甘蔗くんとならいい勝負できるよ』っつってた」
「武器なしのユユ、ただの十七歳の超絶かわいくてか弱い女の子なんですけど」
「あぁ。同じかそれ以下。可愛かねぇけど」
なんて情けない成人男性だろう、とユユは思った。
敵に回った可能性の高い三人それぞれの脅威度を話し合おうという中、まずやり玉に挙げられて下げられていった最弱頭脳担当の誇らしげな顔が、ユユの脳裏をかすめた。
「多分、武器も扱ったことないんじゃねえかな。と、次にケイさん。こっちは警戒必須。体力はそんなにだが、動きは早いし場数も踏んでる。ナイフは果物切んのがバカみたいに上手かったくらい、んで何より手札の数が多い」
打って変わって難しい顔をするアキ。そういえば景はやたらと刃物の取り扱いが上手かったと、ユユはあのレンタル教会で垣間見た記憶を掘り起こす。
結城姉弟もそうだが、現代日本のどこでそんなナイフ術を身につける機会があったのか、本当に不思議だ。それはさておき、「手札っていうのは、武器だけじゃなくて?」とユユは首を傾げる。
「違う。あの人はその場にあるもの何でも使うし、力なんかにはまず頼らない。慣れてる分、俺らが下手に細工したところで見破られるか、利用し返されると思う」
景のメモには、『偽物』にもその記憶や知識は引き継がれるようだとあった。それが確かなら、アキの渋い表情にも納得だ。
そして最後に、
「トウテツ、本名は分かんない。ないって言ってた。前に事務所でも言ったけど、何でも食べれちゃう。空気も鉄も……人間だって、一呑みだった」
かわってユユが語る鼎の危険性は、それまでと一線を画している。
普段はひねくれ者の無精者を装っているが、あれは『神』を名乗り人を食らってきた、正真正銘この世界の頂点捕食者の一端。鮮烈すぎたその食事をユユはかつて目にし──そしてアキは、見たことがない。
「刀一本じゃ厳ぃか。甘蔗、何でもってのは、」
「ユユがやるから心配しなくていーですよ」
「どんだけデカくても……今、なんつった?」
唖然とするアキに、「だからユユがやるって」とユユはこともなげに繰り返す。ついでにダメ押しのごとく語気を強め、
「ちょうどいい機会だもん、前から一回ぼこぼこにしようと思ってたし」
「ちょくちょくバイオレンスが混じるお前らの関係なんなの? いや、そんだけやる気あるならいいけど」
アキは釈然としないながらも押し切られた様子。ユユとしては散々裏切られて混乱させられて、そっちも同じ経験をしてみろと言いたいところだ。ちょっと強いからってユユの信用を得かかっておいて、あっさり負けて無駄に情緒を乱してきたツケも払わせなくてはいけない。八つ当たりともいう。
そういうわけで、鼎の対戦相手はユユに決まり。脅威度ランキング最下位は置いておくとして、すると必然的に──。
「じゃ、俺はケイさん対策考えるしかねえか」
「あーしょうがないなあ。ぜんっぜん期待なんかしてないけど、だってユユさすがに全員一気に来たら大変だもん、ちゃんと役割分担が──あれ、今なんて?」
「俺がやるって」
立場を逆転させてのリフレイン。目を見張ったまま微動だにしないユユの視線に、しっしっと手を振って跳ねのけるアキ。
てっきり、自らすすんで名乗り出ることは難しいかとユユは思っていたのだが。
「……成長?」
「うっせ。やってみるだけだかんな」
噛み合いはいまだ悪い。けれどどうにか自分自身に折り合いをつけようと腐心する、チームワーク未満の軽い作戦会議を経て。
望みどおり、ユユはその存在と対峙したのだ。
鼎の力は十分に分かっている。だが、今に限っては、
「目が見えないならその食べる力、ちょっと使い道減っちゃうでしょ!」
ノズルからジェットのような音を立てて、高圧の気体と微細な粒子が狭い出口から高速で噴き出す。
『人に向かって噴射しないでください』という缶の注意書きには「人じゃないから」と無視を決め込み、ユユは対鼎用の一手目、殺虫スプレーを『鼎』の顔面めがけて放射した。
「──っぶ」
中の『鼎』はともかく、鼎の身体能力は並程度。擬態を優先したからだろう。音が聞こえた直後に飛び退いても、噴射される速度には追いつかない。
微細な粒子が咄嗟に目を瞑った『鼎』の顔面にまとわりつく。
──思った通りだ。食べられるより先に当ててしまえば効果はある。
きっと何で攻撃されたのかも不明な状況。ガスをこれ以上吸い込まないためには誰であろうが息を止め、しばしその場に立ち止まることを強制される。
その隙に、ユユは駆けだした。アキのための足止めなんかで終わる気はさらさらない。
──織代。織代おりしろ。それだけ見つけたら、見つけられたら、終われる。
ライトで照らす余裕がないのがネック。たまたま足に当たってくれたりしないかと無茶を願いたくなる。
つまり、十二分に距離を稼ぐのは思っていたよりも難しく、
「──おい、顔に傷ついたらどうしてくれんだ?」
「っ、はや」
つい驚きがこぼれたが、先んじて左右に設置していたラジオから流れる音声がユユの呟き声をかき消してくれたはずだ。耳当ての影響で正確な位置は把握できないが、声の聞こえからしてもさほど離れておらず、ピンチは遠ざかってはくれない。
「オマエらが散々に破壊してくれた『オレ』はもう衆目にはさらせねェしよ、本当にこの器を次代にしなきゃいけなくなったってのに。……なんだ、やたらうるせェな」
結局、時間稼ぎが精いっぱいで完全な無力化はできる気がしない。スタンガンがあれば話は違ったかもしれないが。考えてきた攻撃的な手段のほとんどは結局、対『白瀬』用に限られた。
左からは本日の天気予報。右からは民放で『本日のお言葉』。景の助言でできた騒がしい暗闇をユユは急いで駆け抜ける。
左の狭い小部屋、何もなし。右、天井が崩れて通行止め。繭、常にぶつかりそうで危ない。
「もう、どこ……っ、あ」
碁盤の目状になった通路を右に進み続けて、何時間も酷使しつくしたふくらはぎが攣ってきた頃、ユユの足が止まった。
この先は小部屋が二、三つ横に並んでいるだけ。行き止まりだ。
最後にT字路を曲がってから、ここしばらくは一本道続きだった。戻れば鉢合わせは必須。だが、
「今止まっちゃったら、意味ない」
荒い息を吐き出し、呆然と立ち尽くしそうになる己をユユは叱咤する。
幸いにも繭が安置されていない小部屋に駆け込み、手の中のまだずっしりと重いスプレー缶とシャベルを床に置く。
「えっ、しょ!」
ドミノみたく倒壊した棚を上からどかし、うんうん唸りながら扉の近くに移動させる。内開きの扉の開閉を妨げる単純な質量の重しに加え、板を組み合わせてつっかえ棒的配置。
汗をかいたそばから冷やされて、暑いんだか寒いんだか分からない。なんとか簡易的なバリケードを作りあげたあとで、ユユは一度座り込んで息を整えにかかった。
『鼎』が来る前に、迎え撃てるようすべての準備を整えておかなければいけない。
『鼎』がどのくらい元の性格を有しているかは分からない。先ほどの声は『白瀬』の目線からの言葉に聞こえた。けれど、全て差し引いてもなお残る、絶対的かつ嫌な確信。
──あれが鼎を模倣しているのなら、少しでもその記憶を引き継いでいるのなら。間違いなくユユに着いてくる。
「……ねえ、どうせ見てるんでしょ?」と、ユユの自室程度の広さしかない小部屋の隅を蠢く黒い影──小蜘蛛に向かって試すように言う。
その直後だった。
みしりと木製の扉が軋む。外から力を入れて押し開けようとした気配。
来た、とバリケードの突破後必ず死角になる位置に潜んだユユは、スプレーを『鼎』の顔がくる高さに構える。
一瞬の空白ののち、圧し負けた木材が悲鳴をあげて崩壊していく。板材や土くれやら飛び散った物が目に入らないようユユはぎゅっと瞼を限界まで下げる。
息を止め、考えていたプラン通りに陰から飛び出した。ノズルに乗せた親指に力を込める。
「もっかい、当たって──ッ、え」
ユユは驚きに目を見張る。狙いすましたはずの霧状の薬品はただ何もない、誰もいない空間に散布された。
そこで気づいた。崩壊の起きた方向が、違う。
バリケードは崩れていない。もうもうと舞い上がる土煙と四方から返る轟音に惑わされ、発生源を取り違えた。『鼎』が壊したのは扉ではなく──、
「不味ィ」
スプレーを構えたまま固まるユユの頬に、ぱらぱらと破片が横殴りに降りかかる。つまり何かがその向きに大きな力を加えたということで。
隣室に面した壁を食らって穴をあけた『鼎』が、ユユに飛びかかる。
大きく開いた口、野生じみた獰猛さを感じる伸びきった手足。全てがスローモーションに感じられる刹那、半年前までならそれにひれ伏していただろうユユの生存本能は、辛うじてその働きを止めずにすんだ。
走馬灯が流れかけたところでキャンセルし、シャベルを両手で持ち直して体の前へ。食い止めるよりも弾き返す──イメージ。全部あくまでイメージ。なぜならぶっつけ本番だから。
──押し付けちゃダメ、噛ませちゃダメ。
鋼が打ち鳴らされるような音を立てて、鉄製のシャベルと『鼎』の歯が激突。当たり判定が広くて助かったというのがユユの第一の本音。ただ、頭の中でも言語化している暇はない。
「ほら、これもマズいやつ! 口の中切れちゃうからっ、さっさと離れて!」
軸足に重心を移動。遠心力をフルに活用して『鼎』を押しのけにかかる。容易に噛める大きさではないブレードの向こうに、苦さか渋さでしかめっ面の顔。
拮抗は一瞬。物量に押し負けて背中から倒れ込む最中、顎を反らし、ぺっと漆喰のなれの果てを吐き出したその口が、
「あーん」
あぐあぐと空中で何かを咀嚼した。
何をするつもりかとユユは目を細めてその動きを注視していた。だから、瞼を閉じてはいない。
いない。なのにどうして、
「なんで、真っ暗に」
狼狽が声にそのまま出る。
真夜中に部屋の電気を消してカーテンを閉めて、布団の中にもぐったってこうはならない。四方八方首を回しても、何度瞬きをしても目をこすっても、ユユの目に映るものは闇だけ。
世界が見えない。分からない。本能もなすすべをなくす根源的な恐怖に、ユユはただ手の中にある確かな冷たさに縋りつく。足元すら不確かに思えて一歩も動けない中、
「ひ」
吐息が首筋にかかるほどの距離で、答えが告げられた。
「──オレが食っちまったから。オマエにはもう光は届かねエ。オマエの目ン中に入るのは残り、闇だけだ」
軽く肩を押される。反射的にユユは身を引き、杖がわりに床についたシャベルの刃先が滑って手から離れる。
「あ」支えを失った身体はバランスを崩し、咄嗟に受け身をとったが床に倒れるのは避けられない。
「んぐっ」
仰向けになった腹の上に明確な重み。柔らかい質感。乗っかられた、と悟ったところで時すでに遅し。
ふいに耳周りを覆っていた耳当てが取り去られ、冷気がユユの耳を直接刺した。
これ以上ない詰みの感覚がひたひたと足音を立てて忍び寄る。
「っ」降って湧いたくすぐったさにユユは息を詰めた。首元や顔、露出している部分に降りてきた、柔らかく羽毛に近い感触。毛束のような何かがユユの上半身を覆い、滑らかに滑り落ちる。
冷えた空気の中では息の熱さが際立つ。その近さから、顔を覗き込まれているのかと見当がついた。それなら鬱陶しいけれど髪の方がまだましで、仮にすべて糸なら入念すぎて勘弁してほしい。
ユユはもう、文字通り手も足も出ないのだから。
「次は何を食われたい? 酸素を失い窒息死。熱を奪われ凍死。音も触覚もなくした状態で発狂まで何時間耐えられるか。世界新記録でも目指すか、なァんてな」
「……もう真似しなくていいでしょ、分かってるんだから。アイツはもっと隙だらけで弱いもん。全然似てない、ニセモノ」
「そう喧嘩腰になんなよ。オマエに一個、聞きてェことがあったんだ」
『鼎』の並べ立てる末路はどれもぞっとせず、けれど怯えを見せれば格好の餌になると分かっているから握った拳の中だけに隠し通す。当然のごとく話は通じないが、ため息を吐く気にもならない。
その程度にはユユと化け物の付き合いも長くなっていた。偽物と断じた以上、どこまでいってもユユにとって『鼎』は別種の化け物だが。
食べられるのか、操られるのか。
自らの体と力を使われ、ユユを追い詰めたことを鼎はどう思うのだろう。
「ざまァねえ」と軽快に嘲笑うのか、それとも案外────いや、ユユの考えすぎに違いない。
そんな無意味な思考のあとで、聞きたいことってなんだろうという疑問がようやく湧いてくる。何かを聞く必要などあるのかとユユが思っていると、『鼎』が微笑んだのか、軽い吐息とともに顔の付近の髪が揺れて、
「『神様、神様。三年四組の学級神様、お渡りください』」
「──」
それは、問いかけでもあざけりでもない、いうなれば呪文だった。
幼さの中に落ち着きと知的さを宿した声色。『鼎』でも鼎でもない、在りし日の声で、『鼎』は唱えた。
どくん。
その声に、拍動が止まったかと錯覚するほどの思考の空白が生まれる。
何も映さないユユの目が大きく、まん丸に見開かれていく。一瞬だけ脳内を満たした虚無は、現実に追いつかれるやいなや跡形もなく霧散。
遅れて押し寄せた衝撃が、ユユの心臓を痛烈に跳ね上げた。
「甘蔗ユユ。まさか、忘れたわけじゃないだろうな?」
元の口調に戻り、改めて問いを発した『鼎』に、ユユは茫然と聞き返す。
「なん、で。知ってるの」と。




