10 鉄臭い手がかり
「うーん、どうやっても繭から引き剥がせないな。そっちの収穫はあったかい?」
「いンや。片っ端から破ってみたがどいつもこいつもグズグズだ。一回くるまれたら終いだと思った方がいいな」
『白瀬』に取り込まれた異空間の中、夢を絞られ利用し尽くされた村人の遺体──精神だけのものをそう呼べるかは別として──の意識を取り戻せるか。ダメ元だが、先ほどから君月と鼎は実験に動いていた。
しかし収穫はゼロ。液状化した体と繭を分離させようとすれば、粘性を帯びた糸が強固に阻んでくる。すでに出来上がった繭に穴を開けてみれば、中は黄色と赤褐色のスープ。
下手に傾けるとこぼれてきそうだったので、さすがに君月も「いいか、そっと壁に立てかけておくんだ。絶対触るんじゃない」と口を出した。
「お前の力で繭の部分だけ食べるっていうのは?」
「言ったろ、ここじゃ力は使えねェ。できるもんならまず眠りこけてたオマエを食ってる」
「減らず口が多いな。できないくせに」
一向に変わらない相性の悪さを存分に発揮し、八方塞がりの責を押し付け合う。それくらいしか気晴らしがないのだ。
繭だらけで気が滅入る住宅から出て地べたに座り込み、できることといえば空を見上げることだけ。そんな、あまりにも君月好みではない結論が脳裏をかすめた矢先、空が揺れた。
「なん、だ?」
「あ?」
腰を下ろし、手のひらをつけた地面に揺らぎはない。瓦が落ちてきたりも。ただ、体の芯か脳かがじかに揺れたような深い錯覚があった。
膝を立たせ、君月が起き上がろうとしたとき、まるでピンぼけしたように視界の解像度が粗くなった。現実ではありえない現象に、にわかに緊張が走る。
数メートル先、蜃気楼に近いノイズの向こうから現れたのは、顔を反対側に向けて横たわる、癖のない黒髪の──、
「景!?」
頭から足の先に至るまでのモノトーンが、遠くから見ると地平線に黒い線を一本引いたかのよう。そんな感想を抱く暇もなく、君月は走りだしていた。
地面を蹴り、距離が近づくごとにその身じろぎ一つしない姿は次第に大きくなり、冷静でいられなくなる。君月が名前を呼んでも起きないなど、あり得ないことだ。
駆け寄って君月は地面に膝をつく。景の肩を掴み、仰向けにする。目は開いていない。頬と腕に流血の跡。切り傷。
現状を視認するやいなや、その口元に耳を近づける。ややあって、か細い空気の流れを感じた。
息をしている。
そう吉報を認識すると、君月はどっと肺の底から大きく息を吐いた。
「黒髪のか。生きてるんだな?」
「あぁ。なかなか派手に立ち回ってきたみたいだけど」
急ぐことなく堂々と歩いてきた鼎に答えつつ、君月は無事を確認出来て気の緩んだまま、ぼんやりとその痕跡が見られる顔を眺める。
髪を止めていたピンがずれ落ち、長めの前髪が瞼にかかっていた。君月が軽く手で払うと、葉の屑や土埃も一緒に舞い、ひときわ大きい頬のそれ以外の細かい切り傷にも目がいくようになる。
この場所は夢の中も同然らしいのに、現実で作った傷が引き継がれるのは道理に合ってないのではないか。
その痛々しい有り様に思うところはあるが、口にするのはあくまでねぎらいに留めるべきだろうと、君月は首を振って感傷を拭い去る。
ふと、彼の寝顔を見るのは子どもの頃ぶりだと思った。相談所を作る前のことだ。
「なんならここ数年、ちゃんと寝てるところ見た記憶がないな……」
「なァ、何ぼうっとしてんだ」
「いやちょっと、福利厚生の再検討をね」
「んなことしてる場合か。寝たら、」
「繭にされるんじゃないか早く言え!」
背後で「だァから言った」などと不服そうに物申している鼎をほっぽり、どうすれば起き上がらせられるのかと再び活発に動き出した頭で思考を巡らせる。肩を揺さぶる、声をかけるくらいで効くものだろうか。
咄嗟に思い浮かんだのは──「物理でなんとかすればいいじゃない」と空っぽな頭で優雅に微笑む友人の顔。
「ごめん、後でなんか奢るから!」
罪悪感に針が揺れたのは一瞬だった。君月は折り曲げた中指を親指の腹で抑え、勢いよく射出。
爪が額を弾く鈍い音が響き、景の色白な肌に真っ赤な虫刺されにも見える跡が生まれる。端正な顔が歪むと同時、瞼の下からこぼれそうに見開かれた瞳が見え、
「はッ──!?」
「よっし成功だ! おはよう!」
「…………なにが、どういう」
景は薄く何度も目を瞬かせ、混乱に襲われているようだが、痛みに悶えている様子はなく、単にデコピンで脳を揺さぶられる衝撃で目覚めたと見て間違いない。自分の腕をつねって試した甲斐があったと、ぐっと拳を握り締めて君月は満足げな顔をする。
その様子を傍観していた鼎に「……置いてけぼりにしてやんなよ。カワイソウだ」と指摘されたところで、自画自賛はひとまず中断。
改めて見れば、景は体を起こすのでもなく、茫然と君月に視線をやった状態のままだ。君月は「ふむ」と顎に手を当て、
「まだ完全には目覚めてないのか。僕もそうだったしね、状況が飲み込めないのも仕方ない。ここは『白瀬』の体内だ。夢の中みたいなもので、僕らは意識だけの存在らしい。後ろのこいつは精神性に変わりはないが裏切ってはなかったから安心しなよ。寝たらまずいが、今のところ差し迫った危機はない。時間制限はあるし僕らで現状を改善する手立てもないけどね。とにかく、君もここに来たってことはまあ奮闘したんだろ、お疲れ──っと、景?」
ぺらぺらと講釈を垂れる君月の口を止めたのは、頬に触れた物体。
景の手だ。
伸ばされた腕から指の先に至るまで力は込められておらず、彼の意識が朦朧としていることは虚ろな表情からも読み取れる。その手は君月の頬の表面を掠める程度で、手袋越しに体温が伝わってくることはおろか、目を瞑れば何が触れているのかすら分からないだろう。
エイリアンとのふれあいみたいだと失礼な感想を君月は抱いた。
「……本当に動くんですね」
そんな中、君月本人も知らずしてぴくりと左の瞼が動いていたことを、景だけが見てとって可笑しそうに微笑んだ。
「動く? 何の確認だ、それ」
「──。いえ、間違えました。忘れてください。できれば全て」
「よく分かんないけど、まだだいぶ錯乱してるのかな」
不可解そうに首を捻った君月の確認に、遅まきながら我に返ったらしい景が一瞬のうちに引っ込めた手で顔を覆う。
絞り出すような、後悔やら何やらが如実に染み出た珍しい声にますます君月はわけが分からなくなったが、彼が言うんならまあいいかと思いひとまず忘れることにする。ついでに首の角度を斜めにしたまま、
「じゃ、さっきの説明だけどもう一回いる?」
「大丈夫です。おおむね把握できましたので」
なににせよ景は元の調子を取り戻したようで、上体を起こしながら普段通りの飲み込みの早さを発揮した。
自身で視界を遮ってくる髪の束を手に持ち、さっと梳かしながら片側をピンで留める。ネクタイを締めなおし、景が乱れていた襟元を整えるのを見守っていたとき、その襟の向こうの首筋に何か見えた気がした。──赤と、赤紫色の斑点のような。
「……痛くないかい?」
「え」
「その、おでこだよ」
「あぁ。……はい、微塵も。ここは夢の中みたいなもの、でしたか?」
「うん。恐らくね」
なるべく表情を見られないように君月は先んじて立ち上がりながら、平静を装って聞いた。戸惑いの中に焦りを隠した景の言葉に確信を得て、音を立てずに息を吐く。無意識に袖を捲ってしまわないよう、ひそかに袖口のボタンを留める。
『白瀬』を殺す理由がまた一つ増えた、それだけだ。
そんな君月をよそに、「やり返してやれ」などと遠巻きに挑発する鼎を景は鉄壁の微笑で「滅相もない」と受け流していた。身を起こし、滑らかに全身の埃を払うと改めて君月に目をやる。
「これからどうされるおつもりで? 手立てがないといっても、諦めているわけではないんでしょう」
「もちろん。分かってるじゃないか。あくまで今のところは、だ」
「──なら、俺が耳にしたこともそのお役に立てるかと」
その踏み込み方はやけに意欲的で、背後に佇み常に一歩引いた見方をする彼にしては意外にも思えたが、君月はつつくのは控えておいた。
◆
この集合住宅然とした建物の中には、物言わぬ死体を内包した繭がいくつも転がっている。そう景に説明したうえで、君月たちは椅子を外に持ち出して話すことにした。
もちろん誰が言い出したかは言うまでもない。ここ数分──数十分かはたまた数時間かは不明だが──動き回っても足が疲れることはなかったのだが、気分の問題だ。
君月らは木でできたスツールを地面に直置きしたあと、その三角形の一角で、景が鼎に疑わしそうな視線を向けていることに気づいた。警戒心からか、その腕は緩く組まれている。
「……貴方はどうしてこの場所に? 郷民の一人に話を聞きましたが、貴方と『白瀬』がこのゲームを始めたと口にしていましたよ。時間内に俺たちを全員取り込むか、こちらがその力を削ぐか──当たりの織代を残らず引けるかという」
当然だが、鼎からすれば再演じみた疑念だろう。当事者は「あァー」と煩わしそうにうなると、
「間違っちゃァいないしそれをけしかけたのはオレだが、前提が抜けてるな。オレが動かなきゃマズい状況だったろう? 時間切れを防いだんだよ」
「僕が翻訳しよう、『膠着状態が厳しかったのは自分も同じ。自分が狙われていたのは分かってたから単独行動もしたけど、一匹じゃ敵わないから手伝ってほしかった』ってさ。それを肝心要の僕らに伝える前にまず自分が沈んだもんだから、こっちは大層混乱させられたわけだ。──一応、この場では協力せざるをえないと見て間違いないよ。メリットは共通してる。警戒は最低限でいい」
「なるほど。承知しました」
その懸念を君月がおざなりに払拭すると、景は即座に矛を収めた。もともと、君月が軽口を飛ばしているところから見て察してはいたのだろう。私見の多い意訳に不機嫌そうな鼎を気にするのは二の次だ。
前提となる認識を整えたうえで、「では、君月さんと分かれてからのことですね」と景は言葉を継ぎ、
「診療所での合流は問題なく。その後、アキたちと二手に分かれて織代を捜索していた際、君月さんの姿を装った『白瀬』と遭遇しました。やはり推測されていた通りでしたね」
「ああ、案の定だ。それで、誰かしら操られたとき用のチェックリストは試したかい」
「はい、とはいえほぼ効果はありませんでしたが。一応はあらかた検証した結果もアキに送信済みです」
「なら十分」
「チェックリストってなァ。オマエら、常日頃からそんなこと想定して生きてんのか?」
呆れたように半眼でまじまじと見てくる鼎に、「当たり前だろ?」と君月が誇示するのではなく、ひたすらに怪訝そうな顔を向ける。
景との間で取り決めた約束事──もう一人への共有は記憶の容量不足を解決できなかったため諦めた──は、相談所の設立当初から思考実験や実践を重ねて作り上げてきたメソッドでありフレームワークだ。
備えあれば患いなしどころか、備えなければ死あるのみといった場面も多々あった。何事でも常日頃から想定できなければ、命がいくつあっても足りなかっただろう。
そんな経緯はどこ吹く風とばかりに鼎は目を明後日の方へ逸らし、
「生まれついての弱者ってのァ大変だ」
「好きに言っておけばいいさ。ともかく、引き継ぎができてるんなら問題ない。それより、その流れだと、君が聞いたことっていうのは『白瀬』の発言か」
自身の偽物への感慨はさして示さず流して、君月が肝心のくだりへ水を向けると、景は「まさに」と頷いた。
「意識を飛ばされる寸前、直接『白瀬』と話しまして。あれは俺や君月さん、恐らくは本郷さんの肉体を操り、儀式を行わせるつもりのようです」
「儀式ね、今回のはどういうやつだったっけ?」
「選ばれた次の『白瀬』が、先代『白瀬』様の織った反物で舞を踊る、だとか」
「へえ、踊るんだ? ネクスト『白瀬』様」
「ハン。ふざけろ」
気の抜けるやり取りを挟みつつ、景の得た収穫は確かに有益だった。なにせ、君月は『白瀬』の目的すら分からないままに意識を刈り取られたのだ。
その動向を掴める手がかりはわずかであってもありがたい。
「言いそびれましたが、指示通りに俺の方で織代は一つ壊しました。アキたちが上手くやってくれれば、あるいは残りも」
「そうか。よくやってくれた。……ただ、彼らに頼りきりってのはよくない流れだね」
「同感です」
「君から見ても、具合はまずそう?」
君月の質問に景は目を伏せ、唇を引き結んで少しの間、考えていた。何よりもその沈黙が雄弁に語っていたが、君月は彼の言葉を待つことにする。
ほどなくして視線を戻した景は、眉間に浅く皴を作りながら慎重に口を開き、
「今頃、俺の送ったメッセージが届いているでしょう。効き目があるかはさておき精神安定剤も渡しておきましたし、たとえ誰が敵に回ろうとも落ち着いて対処を、とは書きましたが……アキの発作が起きる条件は満たしているかと」
アキの抱えている、「信じられたくない」という悩み──病弊は昔馴染みである景も知るところだ。平時はのらりくらりとしたサボり癖に留まっているが、稀にそのトラウマは顔を出す。別々で作業を行うことはあったが、あの姉がいない状況かつ君月と景の二人ともが安否不明となるとさすがに未知の領域であり、楽観視はできない。何も知らないユユと折り合いが合わなそうなのも、はたしてどう転ぶか。
総じて、 「だよなあ」と君月も苦い顔になる。
「となると、」
「うん。ここから出ることを最優先に考えよう」
のんびり留まっている場合ではない。そう結論が合致し、頷きあったところで水を差す者が、
「──黒髪野郎も来たことだし、もう一度言ってやろうか? そいつは不可能だ」
鼎がぴしゃりと断定した。用心の高さを表すように足を組み、淡々と続ける。
「誰かがここを抜け出した、んな事例があったら今頃『白瀬』は生きちゃいない。腹ン中食い破られて助かると思うか? ヤツが現実で拘束や封の一つもせず、ただオレをここに取り込んだ。それ自体、ここが誰も出られねエ鉄壁の胃袋って証拠なんだよ」
「なるほど。……つまり、まだ何にも試してないのか」
「まず何から調べましょうか? 先ほど伺った建物の中以外で、まだ確認していないところは」
「──。おい、話聞いてたか」
忠告されようが、まるで暖簾に腕押し。さっくりと脱出方法を会議しはじめた二人に、鼎が割って入る。
しかし、理解が追い付いていないのははたしてどちらか。そう言わんとするように、君月は持ち上げた鼻先に不敵な、あるいはふてぶてしい笑みを乗せ、
「あいにくと、常日頃からいろんな不可能と付き合わざるを得なかった身でね。これで新たな対処法が確立できれば、次に似たような事象が起きたときにも繋げられる。お得だろ?」
──現状を切り抜けられるかすら分かっていないのに、お得も何もあるか、とでも思っているのだろう。
神宿を少し歩けば見る側も見られる側もいくらでも観測できる類の、頭の故障した人間に対する眼差しを向けてきた鼎は、君月をまじまじと眺めたあと、「そうだなァ」とだけ呟いて口を閉ざした。
肩をすくめてそれを歓迎し、君月は思考の海に戻る。確かに探索済みなのはこの周辺の棟だけだが、範囲を広げ、この夢の中を探し回ったとして何を見つければいいのか。
生き残りがいるのであれば出てきてもおかしくないほどには騒がしくした自覚もある。まずもって、その点は諦めるべきだろう。
「この場所は名仙村を模している。取り込んだ人間の見た景色を抽出するらしい。繭は彼らの成れの果て、だからあれだけはこの世界独自のもので──」
そう頭の整理と情報共有がてら、特に視線を動かすことはなく君月が口にする。世界の外観はあくまでも妄想の被造物であり、現実とは似て異なるもの──だが、そうでないものがあったとすれば?
たとえば、室内の繭を見たときの景のリアクションは平易なものだった。
「景! もしかしてだけどあの繭、どこかで見かけてたりしないか」
「は、……いいえ。正確には外側の繭ではなく、中のご遺体に見覚えが」
問われたことで、その瞬間はとりとめなく過ぎ去った思考に改めて思い至ったというふうに景は一度黙り込み、
「確かに。あの独特な……溶け方は、現実で俺の破壊した織代──神域の維持のための人柱と瓜二つでした」
「やっぱりね、それでリアクションが薄かったんだ」
「言われてみれば、そうかもしれません」
顔を上げての返答とともに向けられた、何百回と刻まれた跡をなぞるだけの微笑は、待ちわびていたものへのそれだ。
それを当然のものとして受け取ったうえで、得られた手掛かりをもとに再び仮説の確認に戻ろうとする君月だったが、「そういえば一つ、確認したいことが」と引き止める声があった。景の様子はいやに気もそぞろで、君月は否応なく注意を引かれ、
「一度だけ、対峙した『白瀬』の殻を破って、本物の君月さんが戻ったように見えました。……あのときのことは、覚えていますか」
「まさか、今からここを出る目途を立てようってところだよ? 覚えがあるわけ、待て」
記憶にないと切って捨てようとしたその一瞬、胸が詰まる感覚。
伸ばした手のひらの指の隙間から、景の真剣に引き結ばれた口元と、その瞳にのった複雑な感情のゆらぎが垣間見える。
「それはいつのことだ? 『本物の僕』は、何か言ってたかい」
「────。この傷が、できたときです。貴方は血相を変えて……『やめろ』と」
手袋で血を拭きとったのだろうか。黒いかさぶたに覆われた一文字の切り傷と盛り上がった瘢痕、頬に残るそれらを指さして、景は足早に語った。
夢が、じわじわと実体を持ち質感を帯びてくる。
双方向に重くなった沈黙を破り、出し抜けに鼎がくつくつと喉を鳴らす。
「不思議なこともあるもんだ。オマエの寝言と一致してらァ」
「うるさいな。……じゃ、その傷は、」
「ナイフを奪われ、『白瀬』と揉みあいになり、そのときに。手痛い失敗でした」
「そう、か?」
所詮は夢だと流していた記憶のつじつまが──合った、のだろうか。君月はどこか違和感を覚えつつも、景が意味のない嘘をつくわけもないと思い割り切ることにした。
なぜか乾いて口内に張り付いていた舌をひとまずは動かし、君月は言葉を継ぐ。
「覚えはある、かもしれない。一時的にでも意識が戻ったんだとしたら、考えるべきは……その事象が起きた原因だ。僕は、自分が無意識に奇跡を起こせるだなんて毛頭信じちゃいない。必ず理由があるはず」
実感が伴わないながらも口を動かすうちに、鼓膜を通して聞く自分の言葉に促され、熱を奪われた金属のように思考が固まっていく。
正しい形に。
「──今初めて、お前がここにいてよかったって思ったよ」
「そりゃ……どォも?」
足を浮かせて組み、膝の上に肘を置いて頬杖をつく鼎に君月は視線を送る。
心当たりがないのだろう。鼎は片眉を上げ、何か面倒事を指示されるのではと警戒を帯びた目つきだ。
もう少し嫌な顔をさせてもよかったが、残念ながら混じり気のない本音だという懐柔の意図を込めて君月は白々しく笑いかけ、
「お前、肉食だろ。サメみたく、人の血を嗅ぎ分けられるよな?」
「フン、比較対象が違ェ。獣風情じゃ、嗅ぎつけたところでどこのどいつのかまでは分かりゃしねェだろう」
「つまりできると。じゃ、僕が目覚めたとき、何か匂いがしなかったかい?」
サメと比べられたことに機嫌を損ねる鼎の主張を強引にまとめ、君月は「可能だ」と判断して本題に持ち込む。
怪訝そうにしながらも、大人しく従うそぶりを見せる鼎は薄く目を伏せ、再び君月を見上げると、はっきりと頷いた。
「……あァ。確かにオマエが目覚めたあの瞬間、コイツの血の匂いがしたな」
コイツ、と無遠慮に指をさされたのは景だ。「俺ですか」と、一拍遅れて反応が上がる。ついで君月が何か言おうとするのを遮り、鼎は「もう一つ」と空めがけて二本目の指を立て、
「ついさっき、黒髪野郎が最初にここに落ちてきたときには、まさに酸化しはじめたくらいの鉄臭ェ匂いがそりゃァプンプンしてたが……今のオマエらからはしねエ。いいか? オマエら、どっちともだ」
血の匂いがしない。
確かめるように再度スンと鼻を鳴らしたうえで、鼎はそう言い切った。
「どちら、も」
眉をひそめて考え込む景を横に、君月はその念を押しつつ含みをもたせた言い方が、推量の材料を差し出しているからだと悟る。『生まれついての弱者の思考』と断じるからには、それを試しているのだと。鼎とて確信を持ったのは、君月に条件の有無を問われてからだろうに。
──何を一足先に、結論へ到達した気になっているのか。
お門違いもいいところだと、無言で立ち、君月は大股で鼎に歩み寄る。「おン?」と真上を向く鼎に対し、君月は大上段から手を差し出す。
「僕を傷つけられないのは、この場でも契約が生きてるからだったよな?」
「なァに言いだすかと思えば。そうだぜ、無念でしょうがねエことにな」
「なら、喜ぶといい。──トウテツ。お前との契約を一部解除する」
目を見開かれたのは数秒。ややあって、鼎は口を三日月の形に引き上げた。
◆
「お二方とも、昨日ぶりですね。その後、いかがでしたか? ここに辿り着くまで、なかなか大変だったと推測できますが」
「インタビューのつもりなら空気が読めてないな。まずはそっくりそのまま、経緯と道中をアンタが話してからじゃねえの? 記者さ──」
「梶です」
「梶さんよ」
即席隠れ家への梶の突然の来訪から、最初の衝撃は過ぎ去れど状況は動いていない。
両手を挙げて敵意のなさをアピールする梶だったが、当人でない『鼎』に景からのメールなどと、見知った相手こそ怖いのが今のユユたちの置かれた状況だ。縛り上げて目も口もぐるぐる巻きにしないと、ユユなんかは特に安心できない。そう、シャベルを振り上げた腕が疲労を訴えはじめても下ろす気配を見せないユユだったが、
「まず、そちらのお嬢さん……甘蔗さんでしたか? 非常に私の頭をへこませたがっているようなので、説得していただけないでしょうか。これではおちおち話すこともできません」
「甘蔗、ストップ。……偽本郷が境界線っぽいとこで止まったのはガチなんだ。『白瀬』が部下を送り込めるんならとっくに、それももっと効果のあるヤツを寄越してんだろ」
念のためか、後半はユユの耳元に口を寄せての内緒話。アキの声に耳を傾けながらもユユは可愛い顔を仏頂面にし、じぃっと梶を睨み続けていたが、硬い沈黙の末、
「……。……分かった。けど、もし何かあったらユユは先輩見捨ててさっさと逃げますから」
「おう、よろしく」
軽く手を挙げてアキが応じる。きっと側から見たら妙な掛け合いののち、ユユはひとまず武器を下ろした。
『もしかしたら』と『万が一』をどこまでも警戒し、敵味方問わず究極の不信ぶりを発揮するユユの癖は、場合に応じて良い方にも悪い方にも転がると、一応は自覚している。今回は、その瑕疵はないアキに軍配が上がったようだった。
「……では、私からご説明しても?」
「どーぞ」
「どぞっ」
「集会所において軟禁を受けたのは、おそらく同じかと思います。そのあと、次代の『白瀬』様が選ばれたと聞かされ、また再びあのホールへと集められ、その方がお見えになられて……驚きました。お話ししたことがあるヒトだったので」
「本郷っすね。俺らと同行してた」
「やっぱり。一度ご縁があった身ですし、首を動かせる範囲であなた方を探したのですが、見つからず。そんな何やらビッグニュース、大物ゲストとの接触の予感に私がこっそりと湧き立っていたとき、『白瀬』様が倒れたんです」
「倒れた!?」
ビッグニュースを聞かされたのはどちらか、とんでもない証言にユユとアキが揃って目を見張る。
すぐさま梶がバツの悪そうに目を細め、「すみません、癖で誇張表現が。倒れたというより揺らいだ、傾いた程度です」とけろりとした態度は崩さず訂正を飛ばしたが、どちらにせよだ。
『白瀬』に明らかな不調がみられた。それはもしかせずとも、織代を壊したユユたちの功績を表すものに感じられ、
「それって今から何分、何時間くらい前ですか!? どんなふうに体調悪そうだったとか、もっと詳しく!」
「そうですね、一度目は一時間ほど前でしょうか。二度目はその二十分後くらいに、直接見れはしませんでしたが、襖の向こうから郷民の方々がひどく動揺されているのが聞こえたので、恐らくは」
「ちょい待て記者さん。二度目つったか?」
「景さん、二か所目壊してくれたんだ……!」
それは紛れもなく、ここ一時間で一番明るいニュースだった。
グッと拳を握りしめて肘を引くアキと、手を顔の前で打ち合わせるユユという両者の反応に、梶は観察するように視線を注いでいたが、不意に「あ」とこぼすと不思議そうに首を捻る。
「そういえば私、本郷さんの髪色がご老人みたく、まっさらに変わっていたのが不思議で。あれが要するに継承の証なのでしょうか?」
「あ、だと思います。そう。正解すぎ」
「お前、いざってときに逃げられるポジ確保しときたいんだよな。話しこんでないで扉の近く張っとけ」
『自前です』とは当然言えないユユの下手な誤魔化しを遮り、アキがしっしっと手で払う。厄介払いされた感しかなかったが、反論のしようがなかったのでユユはすごすごと言われた通りにした。
「で、もしかしてあれか? アンタは神サマが倒れて……揺れて? 信者がバタバタしてる間に」
「ご明察。逃げだしました。私だけでなく、取り込まれずにいたもう何人かも」
もちろんすぐに捕まった人もいましたが、数で勝りました。
そう端的に飛び入り参加の説明責任を果たした梶は、「では、スピーカーを交代してもらって」と言いかけたところで、残念そうに口元を軽くへの字にした。
目の前とドアの横、二人の微妙な顔を見て、それが不可能だと察したのだ。
「ごめん。俺らは行かなくちゃなんない」
「お時間ですか、残念です。集会所はおすすめしませんよ?」
「それって最初に言ってた、」
「ええ。あそこにはおぞましい傀儡が。私たちのこともあり警戒が最高潮に高まっていますよ、というのも一つですが──もし人をお探しなら、その方たちは旧製糸場にいるのではないかと」
開口一番に出された話題に立ち返り、梶が口にしたのは寝耳に水な一言。
単なる推測か、それとも根拠があるのか。顎をしゃくったアキが続きを促すと、
「最初、隠れ潜むなら廃棄された区画に向かうべきだと思いました。ですがもう少しで辿り着くというとき、遠目でしたが施錠されていた扉の中に入っていく人影を見たんです。背の高い男性と、半分だけ髪を明るく染めた男性の二人でした」
「ほんと分っかりやすいな!」
確かすぎる目撃証言に、アキが喜び半分驚き半分の声を上げた。疑う余地がない。
あの妙ちきりんな髪色に感謝──と、ユユの緩みかけた意識にストップがかかり、首がぐぐっと傾く。梶の発言には、単純に二人の行方不明者の居場所を把握できた以上の意味がある気がして、
「なんか知らないが、一つに集まってんならラッキーだ。そこと『夜警』のいる中心近くも避けよう」
「待って先輩、分かった。──偽物たちが一か所に集まってる。織代が破壊されたらもうそこには近づけなくなるんだから、」
「残った最後の一つが工場にあるかもしんねえ!」
「ユユのセリフ!」
大人げない所業にユユの非難が飛ぶが、アキは無視した。びしっと伸ばした指を曲げて揺らし、降って湧いた希望に落ち着かなさそうだ。
──もしかしたら、怖いのかもしれない。活路が見えたことが。無駄な抵抗がそう呼べなくなるほどお膳立てされて、それでも失敗することが。
しかしユユが何か声をかけようとしたとき、それを阻止したのは他でもないアキだった。
「……何かあったら、即見捨てるんだよな?」
「まじで遠慮なく。それで、あとはユユ一人で頑張る!」
「気合いはいいけど不安しかねえ」
可愛く拳を固めるユユの頼れなさが、いい方向に作用したらしい。いいのだが、なんとも嬉しくなかった。
目的地と目標、ついでにやる気も固めた面々に、「あの」と梶が遠慮がちでもなく水を差す。
「一つ、いいですか? ここの名産は絹織物、今も変わらず外に運び出されています。工場が閉鎖し、人が生産に関わらなくなっても尚」
「『白瀬』の力、だったか? ……あぁ、それは確かに、やべえか」
「ええ。『鶴の恩返し』なんていうのは期待しない方がいいでしょう。閉鎖された製糸場はもはや人の領域ではなく、そこで一体、神は何をしているのか──いい情報が手に入りましたら、名刺の番号までご連絡を」
最後に商魂か記者魂だかを発揮し、梶は薄く微笑んだ。美しいのにたくましい女性である。逃げてきたという割には、ぴっちりと縛られた髪やメイクに乱れもほぼ見られず、大変な職業なのだろうとユユはひそかに慄いた。
いろいろと準備万端に整えた荷物を二人が持ったところで、先ほどまでユユが座っていた木箱に腰を下ろしている梶に、アキが尋ねる。
「アンタは逃げねえの? 別にここが安全だって、俺らも保証できるわけじゃないんだけど」
「先輩が言う……? それ」
「ごっほ、えほっ」
「残りますよ。火事場に行く気はありませんが、祭り──襲名の儀式は見届けたいので。一応、これも案件なんです。提出した原稿が尻切れ蜻蛉では、クライアントにどやされます」
世知辛い理由を告げたあと、梶は「もう時間もないでしょう」とユユたちを外に出るよう促した。ユユはお辞儀し、
「色々っ、教えてくれてありがとうございました」
「アンタも気を付けて」
「はい。──また会いましょ」
開いた南京錠のぶら下がる扉が閉まる寸前、アーモンド形の目が会釈のかたちに細められていた。




