第一章 汝の指先が示す真実
汝は知るや、嘘で塗り固められた事件の裏に潜む、たった一つの真実を。
深夜の王立鑑識院。冷たい石造りの地下室に、甘い薔薇の香りと、ツンとした薬品の匂いが立ち込めている。
私の目の前の検体台にあるのは、一輪の黒い薔薇。そして、王立薬学会の権威でありカルディナ伯爵家の後ろ盾でもあった、オズワルド子爵の無惨な遺体だった。
「……死因は毒物投与。現場からはカルディナ伯爵家の刻印が入った小瓶が押収された。世間がお前を『毒殺魔』と叫び、絞首台へ送ろうとしている理由はこれだな、エレノア・カルディナ」
背後から低く重厚な声が響き、大きな影が私の視界を覆い尽くす。
静かに振り向くと、そこに立っていたのは「冷酷な裁定者」の異名を持つ最高裁判事、ルシアン・ヴァルハイト公爵だった。
夜を溶かし込んだような漆黒の髪に、鋭く冴えわたる氷のような青い瞳。皇帝の影として幾多の不祥事を裁き、一度彼の前に引きずり出されれば、どんな悪人も嘘を吐き通せないと言われる危険な男。
私は手にしていたピンセットと硝子管を、カチャリと小さな音を立てて作業台に置いた。
「裁判官閣下。現場に残されたあの小瓶と刻印を見て、憲兵も義妹も、誰もが私を犯人だと笑いました。……ですが、あなた様もあの愚かな群衆と同じお考えですか?」
「私を試す気か、女」
カツン、カツンと革靴の音を鳴らしてルシアン様が歩み寄ってくる。
逃げる隙すら与えない圧倒的な圧迫感。彼は私の目の前に立ち止まると、黒革の手袋を嵌めた指先で、私の顎をすくい上げた。
「っ……」
息が触れ合うほどの至近距離。あまりの近さに胸が跳ね上がる。彼の氷の瞳に、怯えを隠して強がる私の眼差しがはっきりと映り込んでいた。
「私が見ているのは、誰でも捏造できる刻印などという曖昧な証拠ではない。遺体のまぶたの裏に残された微小な出血点と、お前がその細い指で暴き出そうとしている『真実』だ」
息が止まる。
……見抜かれている。
私は幼い頃から伯爵家の落ちこぼれとして虐げられ、手柄も居場所も義理の妹に奪われ続けてきた。華やかな魔法適性を持たない私は、家族から疎まれる存在だったからだ。
けれど、私には知識と観察眼があった。微小な痕跡から事象の裏にある科学的因果関係――ロジックを導き出す「絶対的な鑑識眼」が。
「……気付いていらしたのですね。子爵の死因は毒ではありません。首筋の裏に走る、目立たない一筋のうっ血痕……麻痺薬を塗った極細の針による窒息死です。現場に落とされていた我が家の毒薬瓶は、最初から私に罪をなすりつけるための偽装工作に過ぎません」
「そうだ。現場にいた憲兵どもは誰一人としてそれに気づかず、お前を連行することだけに躍起になっていたがな」
ルシアン様の薄い唇が、歪な笑みを刻む。
彼の長くて冷たい指先が、顎から滑り落ち、私の首筋――動脈の打つ場所へとそっと撫で下ろされた。革越しだというのに、彼の体温が痺れるような熱となって肌を駆け抜ける。
「お前のその明晰な頭脳と、恐怖に竦みながらも真実を追い求める美しい瞳。……気に入った」
「……え?」
「これより、この事件の捜査権はすべて私が接収する。そしてエレノア、お前を『容疑者』としてではなく、私の『専属捜査官』――そして公爵夫人として拘束する」
「な……公爵夫人、ですか!? 私は囚われの身のはずです!」
「私の傍に置くための口実だ。お前のような異彩を、あの愚かな伯爵家や憲兵どもに押し潰させるわけにはいかない」
ルシアン様は強引に私を引き寄せると、耳元で低く囁いた。甘く重い吐息が耳朶をくすぐり、背筋にぞくぞくと妖しい痺れが走る。
「逃げることは許さん。断れば、お前は明日には私の手で絞首台へ送られることになる。……だが、私の腕の中で真実を解き明かすと言うなら、世界中のいかなる敵からもお前を守り抜いてやろう」
それは、冷酷な裁定者が提示した、あまりにも危険で甘い「脅迫」という名の求婚だった。
「汝、その罪の解を語れ。お前の暴く真実だけが、私の心を揺さぶるのだから」
こうして、毒殺魔の濡れ衣を着せられた天才鑑識令嬢と、氷の微笑を浮かべる冷酷な最高裁判事による、宮廷の謎と愛を解き明かす危険な捜査が始まったのだった。




