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第11話 俺の飯バフ

異変に気づいたのは、健太だった。


「湊、大変だ。リリの最新のレビュー見たか」


 昼飯時の食堂。健太がまたスマホを突きつけてくる。最近、こいつは毎日リリのアップデートを俺に報告してくるようになった。俺が「リリの眷属」に入信したと思っているらしい。入信どころか、教祖の正体を知っている人間はたぶん自分だけだが。


「……見てない。どうした」


「ヤバいんだよ。リリの辛口がここ一週間でさらにキレを増してる。特にこれ、昨日アップされたやつ」


 再生された動画は、表参道の新しいフレンチレストランのレビューだった。


 リリのアバターが画面に映る。ボイチェン越しの冷たい低音。


『——前菜のテリーヌですが、ゼラチンの濃度が高すぎます。この弾力は食感ではなく抵抗です。食材に対する冒涜と申し上げておきましょう。評価:星ゼロ。以上です。次の料理を待つ間に、本日読了した論文のほうが味わい深かったことを付記しておきます』


「怖い」


「それだけじゃない。メインの肉料理」


『——火入れについてお話しする前に、一つだけ確認させてください。このシェフは、肉を焼いたことがありますか? 私が最近いただいた家庭料理の焼き具合と比較いたしますと——いえ、比較すること自体が後者への侮辱になりますので、やめておきましょう。評価:星マイナス』


「星マイナスって、リリ史上初だぞ。初の負の数値。しかも『最近いただいた家庭料理』って何だよ。リリが家庭料理食ってるの? 誰の?」


 ——俺のだよ。


「リリの眷属、大騒ぎでさ。『家庭料理発言の意味を考える会』ってスレッドが立ってる。このフレンチに使われてた肉の火入れが、リリの知り合いの家庭料理以下だって宣言されたわけだ。コメント欄、地獄になってる」


 見せてもらったコメント欄。


『リリに家庭料理を食わせてる人間がいる事実が一番怖い(褒め言葉)』

『この「比較すること自体が侮辱」発言、重すぎ。神料理人への信仰が深まっている』

『リリの舌がさらに肥えたせいで、今まで星一だった店が星ゼロに格下げされてる。飲食業界への二次被害じゃん』


 ……つまり、こういうことか。


 俺の飯を毎日食べることで鈴音の舌がさらに肥え、そのせいで既存のレストランに対する評価基準が底上げされ、結果として星ゼロどころか星マイナスにまで辛辣さがエスカレートしている。


「なあ健太」


「ん?」


「——仮にだけど。もしリリに毎日飯を作ってる人間がいたとしたら、そいつ、飲食業界の敵だよな」


「間違いなくテロリストだよ。鬼舌のリリの舌を日々鍛え上げてるようなもんだろ? 飲食業界からしたら、核兵器のチューニングしてるのと同じだ」


 核兵器の喩えはどうかと思うが、伝わらなくもない。


「でもさ」と健太は続けた。「俺はちょっと羨ましいけどな。あの完璧な舌を持ったリリが、たった一人の人間の家庭料理にだけ負けるってことだろ? その料理人——何者なんだろうな」


 カツカレーを頬張りながら、遠い目をしている健太。


 俺は黙って味噌汁を啜った。


 ◇


 その夜の食卓。


 今日はクリームシチューにした。ルーは使わない。バターと小麦粉でホワイトソースを一から作る。牛乳を三回に分けて加え、ダマにならないように泡立て器で丁寧に混ぜる。


 鈴音はクリームシチューの匂いで今日のメニューを当てた。もはや毎日恒例の「匂いテスト」になっている。正解率は百パーセントだ。


 食べている間、いつもの微細な反応を観察する。左手の小指が跳ねる。瞬きが減る。そして——今日は新しい反応があった。


 スプーンを口に運んだあと、わずかに目を閉じる時間が長くなった。二秒ほど。それは味覚を全開にして確認に入っている時間だ。


 ——知っている、とは言えない。


 だが、この女が明日の配信でどこかのシチューを食べたとき、俺のシチューを基準にして「これは私の知るシチューではございません」と斬り捨てる光景が——目に浮かぶ。


 飲食業のみなさん、すみません。


 ◇


「……みなとさん」


「ん」


「……このシチュー、ルーを使っていませんね」


「うん」


「……ホワイトソースの小麦粉の糊化が均一です。牛乳を少なくとも三回に分けて加えている」


「よくわかるな」


「……あと、隠し味に白味噌が入っています」


 ——マジか。


 白味噌はティースプーン半分だけ加えた隠し味だ。コクを出すためのほんの一工夫。これを指摘されたのは人生初だ。実家の親父でも言ったことがない。


「……すごいな、鈴音の舌」


「……」


 彼女はスプーンを持ったまま止まった。何かを言おうとして——言えない。いつもの、言葉が出てこない顔。


「……みなとさんの料理が、すごいんです」


 小さな声。消え入りそうな、けれど——確かな声。


 ——お前、配信じゃ語彙力の怪物のくせに。


 目の前の俺には、その一言がやっとか。


 不公平だ。


 でも——その一言のほうが、星一千万よりも、ずっと重い。


 洗い物をする手が、少しだけ止まった。

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