96話◆チワワ痴話げんか
本来のゲームでの、悪役令嬢のシャルロット姉様がヒロインであるアカネちゃんを苛めるといったイベントが、今のこの世界では全く無い。
むしろ姉様は、間の抜けたヒロインのアカネちゃんを何かと気に掛けてあげてる様子。
何なら出来の悪い妹をフォローしてあげてるお姉さんみたいだ。
魔王様も人間として我が家で働いてらっしゃるし、ゲームとしてはバグがひど過ぎて、ストーリーも破綻しているのかも知れない。
なんだけど、この流れは何だかアフォンデル伯爵令嬢が姉様の代理で悪役令嬢やってるみたいな感じだよな。
だもんで人を使って僕を苛めたりするの?
て事は悪役令嬢に苛められる僕がヒロイン枠?
いや、そんなの冗談じゃねぇって話だよ。
既に好感度マックスの変態どもを連れて僕が魔王退治に行くとか、あり得ないんだよね。
魔王様、今は寮の僕の部屋で雑務に勤しんでいるしな。
てなワケで、僕は黙って苛められるつもりはサラサラありませんよ?やられたら、やり返します。
でも暴力は駄目なんでしょ?
まぁレベルカンストの僕が本気でボコったら、一般の人さまなんか、サクッと死んじゃうだろうしな。
それに今の僕はちょっと優秀なだけの、ただのお子様だ。
だから報復は暴力以外で。
「先輩、僕にぶつかった拍子に落ちましたよ。」
僕の声に反応し、僕に体当たりをかました上級生が「あ?」と振り返った。
振り返って僕を見た上級生は、確認するように自身の腰に手を当て、慌てたように腰回りを何度も撫で回す。
「ほら、これ先輩のベルトですよね。」
僕はベルトを垂らして上級生に見せる。
僕は上級生がぶつかってきた刹那、ヤツのベルトを素早く簡単に抜き取った。
「かっ、返せ!!」
上級生男子が、僕が手にしたベルト目掛けて突進してきたので、当たり前のようにヒョイと避ける。
ついでに、避けつつヤツのズボンの前ボタンもむしり取ってやった。
「先輩、僕にぶつかり掛けた拍子に落ちましたよ。
ズボン。」
ベルトと前ボタンを無くしたズボンは、ストンと奴の足元に落ちた。
多くの野次馬の居る前で、愚かなパイセンはパンツ丸見え状態になった。
「先輩、意外と可愛い下着履いてるんですねぇ。
薄紫色のペイズリー柄のトランクスですか。」
トランクスもペイズリー柄も、コッチの世界に存在してんだな。
薄紫色に緑で色合いはちょっと毒々しいんだけど。
「おっ…!覚えてろよ!!!」
ズボンをたくし上げた上級生は、いかにもな捨て台詞を吐いてその場から逃げ去ろうとした。
だから僕はヤツのベルトを鞭のようにしならせて、猛獣使いのようにバチィっと床を叩いてヤツの足を止めた。
て言うか、なぜか野次馬もみんなピタリと動きを止める。
「ええ、覚えててあげますよ。
先輩の顔も名前も今日の醜態も可愛いパンツの柄も忘れません。
先輩が卒業後に貴族として働くようになり、家庭を持つようになっても今日の事は忘れませんよ。
僕がローズウッド候爵家当主になった後も、ちゃんと覚えていてあげますからね。」
萎縮したかのように固まった上級生にツカツカと歩み寄り、美少年たらしめる最高の笑顔でニッコリと微笑んで「はい、どうぞ」と上級生の手にベルトを渡した。
せっかく渡してあげたのに、上級生はプルプル震えて手からベルトを落とした。
震え過ぎて握力が無いみたいだ。
「わ、わ、わ、わ、忘れて下さいッッッ!」
ジョバッとせきを切ったみたいに涙を溢れさせ、ペイズリーパイセンは逃げ去るようにその場を去って行った。
「えー???」
何の騒ぎかと集まっていた野次馬も、少しずつ後ずさるように僕から距離を取っていく。
しかも僕から目を逸らして目線を合わせようとしない。
なぜ……
「アヴニール…かなり目立っていたぞ。
って言うか…かなり怖かった。」
「えー?僕、そんな目立つような事した?
怖かったって、こんなにも可愛い僕が?」
ウォルフが、暴れ馬をなだめるように僕の肩をポンポンと叩いた。
魔法も暴力も使わず平和的に円満解決したつもりだったのだけど。
ウォルフの話だと、僕はこの件で有名になるだろうから今後イチャモン付けてくるヤツは居ないかも知れないとの事。
いちいち相手するのも面倒臭いから、それは助かる。
それに…デュマスの目が、どこまで光っているのか分からない。
デュマスの組織の仲間、あるいは組織とは無関係でも息の掛かった手下みたいなのが居るかも。
今の僕の情報がデュマスに渡るのはともかく、人を使って僕にチョッカイを掛けたマル君の姉さんの事のが心配だ。
僕と友達になる事をマル君に強要して子どもに暴力を振るうような男が、マル君から僕を引き離すような行為を姉がしていると知ったら…。
彼女にも暴力を振るったりしないかと。
「あんた、なに考えてんの!?
なんで、あんなヤツと仲良くなったりするのよ!
へりくだって、みっともないったら、ありゃしない!」
アフォンデル伯爵令嬢エリザは、人目の無い学舎の裏庭の一画に呼び出した弟のマルセリーニョに激しく詰め寄った。
「あ、姉上…ごめんなさい…」
マルセリーニョは「オレも嫌だった」や「仕方なく」といった言葉を口に出来なかった。
アヴニールが思ったと同じように、どこかでデュマスに関係する誰かに見張られているかもと考えたら、デュマスに対し否定の言葉を口にするのが恐ろしかった。
「反抗的」だと、抵抗の意思を無くすまでまた暴力を振るわれるのではないかと。
「あんたも嫌っていたじゃないの!ローズウッドの事!
あんたが家庭教師をクビにしたのだって、そいつが何かやらかして処刑されたのだって、全部ローズウッドのせいでしょ!
なのに周りはアフォンデル伯爵家が悪いみたいに言うし!
何もかも全部ローズウッドが悪いのに!」
「そ、そうかも知れないけど……。」
「何だって急に、こんな不甲斐ない男になったのかしら!
はぁーっ…アレね、あんたの新しい従者とやらが、出来が悪くて、ちゃんとあんたの世話をしないから、こんな事になるんだわ。早くクビにしなさい。」
マルセリーニョは「ぐっ」と声を詰まらせた。
デュマスをクビに…そう出来たら、どんなに良いか…。
デュマスに「クビだ」と言う事にとてつもなく恐怖を感じるのもあるが、言った所で無駄な気がする。
デュマスはマルセリーニョに「親族一同、私たちの家畜」と言った。
それが本当ならばデュマスには仲間が居て、アフォンデル伯爵家の皆がそいつらに逆らえなくて言いなりになっている状況にあるかも知れない。
それを姉のエリザだけが気付いてない可能性がある。
「デュマスは……いい従者だからクビにはしない。」
「はぁ?あんたの口からいい従者だなんて言葉が出るなんて。何なの?気味が悪いんだけど。
いいわ、言いにくいのなら私が直接言ってやるわよ、クビだって。」
エリザがそう言った瞬間マルセリーニョの頭の中に、エリザが自分と同じ暴力を受ける姿が静止画のように浮かんだ。
想像した光景に、背筋がゾワッと凍り付く。
「駄目だ!絶対に駄目だ!姉上!!!」
「な、何なの…?一体どうしたのよ」
マルセリーニョはエリザにしがみつくように訴えた。
不遜な態度が常の弟の必死な姿に、さすがにエリザもたじろぐ。
チャイムが鳴り、そこで二人は別れたが
マルセリーニョは、自分が危惧した事は正しかったのだと、学舎から帰った後に知る事となった。
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「マルセリーニョ様、ローズウッド候爵家のアヴニール様とご友人になられたそうで。
おめでとうございます。」
寮に帰ったマルセリーニョをパチパチと拍手をしながら笑顔で迎え入れたデュマスに、マルセリーニョは「ありがとうございます」と一言礼を述べ頭を下げた。
━━オレがアヴニールと友人になったのは今朝の事なのに、もう知っている…。
やっぱり学舎内にもデュマスの仲間が居るんだ━━
ならば、姉のした事もデュマスは知っている可能性が高い。
なるべく表情を出さないようにと気を張るマルセリーニョの手の平に嫌な汗が滲む。
「ああ…そうそう、エリザ様の事ですが…。」
「あっ!姉上は関係無い!…です!
アヴニール君とは友達を続けます!だから…!」
デュマスの口から姉の名が出た事に焦ったマルセリーニョが慌てて顔を上げた。
青ざめた表情のマルセリーニョを見たデュマスは腕を組み、満足げにうんうんと笑顔で頷く。
「そんなに心配しなくても、エリザ様を殴ったり傷付けたりは致しませんよ。
あの方には、まだ今のままで居て欲しいのです。」
「まだ…?今のまま…?」
「ええ、高飛車で、まだ男を知らない貴族令嬢。
それだけで価値のある報奨となる場合もあるので。」
「!あ…!あっ…姉上をっ…!?」
幼いマルセリーニョにはデュマスの言わんとする事の意味全てを把握しきれなかったが、それがとても嫌悪すべき事だとだけ理解した。
それを阻止する為には、まず自身がデュマスに従順であり続ける事。
デュマスの目が何処にあるか分からない以上、その姿勢は学舎に居ても続けなければならない。
そうやって欺きながら誰かに助けを……求めなければ。
でも…誰にどうやって……
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「………てワケで、僕はマル君と友達になったんだ。」
僕は寮に帰ってから、ルイに今日あった事を話した。
ルイは黙って話を聞き「そうか」と静かに頷く。
マル君と友達になった事で、僕にもデュマスの「目」が付く可能性が高い。
学舎などでマル君と居る内はそれに気付かないフリをするつもりだが、寮の自室は別だ。
候爵家の時期当主として、ガードが堅いのは不自然ではない。
なので部屋の外側には僕の優秀な従者が張った、「人間」が張れる程度でありつつ割と強い結界を張ってある。
「生徒会の雑務があったから、今日はマル君と一緒に帰らなかったけど…。
アホンダラ令嬢の事もあるし心配なんだよね。」
一応イワンの一部を忍ばせてはあるんだけど、と補足はするものの、マル君やアホ令嬢の生命が脅かされない限り、イワンは自発的に行動する事はない。
「ブタの心配より自分の心配をしろ。
便宜上、奴をデュマスと呼んでいるが奴はデュマスではない。
デュマスを殺しデュマスに成りすました正体不明の殺人者だ。
それに奴の使っている邪法は、女にも子どもにもなれる。」
とうとうルイまでマル君の事をブタと呼ぶように…。
いや、それより…邪法を使っての変身って、そこまで有効なんだ。
「顔の皮を貼るだけで性別や体型、見た目全てを変化させられるって事?」
「そうだ。
だから、もし奴らの目的がローズウッド候爵家嫡男と入れ替わる事ならば、狙われるのはアヴニールの生命という事だ。」
そう口にした途端、ブワッと魔王様の怒気を孕む濃ゆい魔力が部屋に充満した。
ヤバかった!良かったよー部屋の内側には魔王様印の超強力なバリア張って貰っていて!
こんな殺意みたいなのが部屋の外にダダ漏れしていたら、学園が急遽厳戒態勢に入る事案だよ。
お城から軍隊が来るって!
「僕が生命を狙われるなんて想像でキレないでよ。
…嬉しいけどさ…。」
表情は少し不貞腐れたっぽく見せたが、内心デレっとしてしまった。
照れるよなー!嬉しいけど!でも恥ずかしいから言えないけど!
ああ、聞こえてしまいましたか僕の心の声!モロバレっすか!
恥ずかしいのでルイまでデレないで下さい!
赤くなった顔を隠すように互いに目を合わせないように違う方向に目線を向ける。
僕はルイから顔を背けたまま、場を仕切り直すように咳払いをした。
「コホッ…とは言っても、僕は絶対倒されない自信があるしね。
それに、あちらが僕を優秀なだけの子どもとして見てるならば、僕に成りすますよりは懐柔して利用した方が使い道あるって思われる気がするんだけど。」
「であってもだ。
散々利用した先、解放されるワケが無いだろう。
生命は奪われなくとも、洗脳されるという可能性もある。
お前は人類にしては破格の強さを持っているが、精神的な攻撃には年齢相応に脆く弱い。」
年齢相応って…10歳そこそこだと言ってんのか?
僕、前前世も合わせたら30歳越えちまってんですが。
精神年齢お子ちゃまって言われちまってんの?
精神的に隙だらけだと言われてんの?
中身はえー歳こいたアラサー喪女なのに。
うっ駄目だ…
心当たりがあり過ぎて、反論の余地が無い。
不注意で拾った尻ユニコンジェノの石に呪われテンション爆上がりになり、ルイに解呪のキスをさせたし…
自分で作ったハニワの微弱な呪いに掛かって、ルイの前でいらん事べらべら喋ったし…
先日だってブチ切れてデュマスを殺しに行こうとしましたわ!
その節は大変お世話になりまして!
つか人類では最強かも知れない僕がブチ切れたり、ラリったりしたら、何とか出来る人が魔王のルイしか居ないなんて!
ヤベー奴だ、僕!
「そ…そうだね…隙は見せないようにするよ。
身体的にも精神的にも。」
ルイの顔を直視出来ない…。
思い出したら色々と恥ずかしい…
初めてキスをされた事とか…翼の内側で強く抱き締められた事とか………よりも
今は、そんな結果に至らせた自分の不甲斐なさが恥ずかしい…。ああもう…マジですんません…。
「ああ、そうしてくれ。
特に、シャルロットの事で精神的に病むのはな。
嫉妬した私までが…平常心を保って居られなくなる。」
甘い声音を出しつつ明らかに不機嫌な顔をしたルイが、明後日の方を向いていた僕の顔を、顎先を掴んで強引にルイの方に向かせようとする。
気恥ずかしさもあるが、姉様とルイを天秤に掛けられたような気がしてムッとした僕は、頑なにルイの方を向くのに抵抗してしまう。
そのため、僕の顎先を掴んで強引に引っ張るルイの指が僕の下唇をムニョンと引っ張る格好となった。
僕は今、かなりみっともない顔でルイに反抗している。
ルイも後には引けなくなったのか、僕の下唇から指を離せなくなっている。
「アヴニール…ちょっと、コッチ向け。」
「ヤダ。
今の僕、ヒョットコみたいな変な顔になってる。」
「ヒョットコとはなんだ?
それより…私の言った事に納得していないだろう。
一回コッチ向け。」
「ヤダ!姉様とルイは別なんだもん!
ルイと比べようが無い……ぁ」
頑なにルイの方に顔を向けない僕に業を煮やしたルイは、僕の背に腕を回して僕の身体ごと自分の胸に受け入れるように抱き寄せた。
な、な、なんで!?
この間から魔王様の距離感、バグってない!?




