陸魚の魔導器その1
トルーデン山南西部に、ユベル高原と呼ばれる場所がある。ユベルの谷とグリント街道双方を見下ろすことができるこの場所は戦略的にもかなり重要な場所であり、その重要性に気付いたガルミキュラ王によって砦が築かれる事になった。
イシュメア帝国がアスタルテ王国に攻め込んだとき、それに合わせるようにガルミキュラ王国もイシュメア帝国に対して侵攻を開始。しかしこの動きをよんでいた帝国は、初戦でガルミキュラ軍を撃破すると、そのまま西部ハーノインにまで攻め込んだのである。
しかし帝国の猛攻もそこまで。帝国は西ハーノインにまで攻め込んだものの、ユベル高原に築かれた砦は落とすことは出来ず、結果的に二方向から攻められる事になったのだ。またガルミキュラ軍自体が帝国の戦い方に対応した事と、突如中部ハーノインが独立を果たした事も大きかった。これらの要素が重なり、帝国は戦線を後退せざるを得なくなったのである。
その後ガルミキュラは戦線をグリント街道の辺りにまで押し返すが、それ以上攻め込むことはせず防衛線の維持に徹した。対して帝国の防衛線は更に北、バロック砦の辺りである。ガルミキュラの目的はあくまで帝国の力を削ぐことにある。リスクを犯して攻め込む意味はなかったのである。
大陸南部がそのような戦いを繰り広げていた時、北部では帝国とアスタルテの戦いが起こっていた。亜人国家アスタルテ。身体能力に優れる種族が多い反面、技術力や戦術面では帝国に大きく後れをとっていた。そんな事情もあってかアスタルテは帝国と正面から戦う事はせず、森林地帯の多い地形を利用してゲリラ戦に徹して戦っていた。
「首尾はどうだ?」
「まあまあだな、食料を運んでいたからついでに奪ってきた。ここいらの樹木にヒト族の食える実を付ける植物はない。こうやって戦うのが安全で確実だろう」
耳長族の男と獣耳の男の二人組である。二人の得物は弓、服装に統一性はないが、共にアスタルテの正規兵である。
「帝国が攻めてくることを見越して、何年も前から樹木の植え替えを行ってたんだろ? 凄えよな」
「ディアン王子か。同盟国に留学して近代戦を学ぶと同時に、色々戦略を練っていたらしいな。立派な方だよ」
アスタルテは遅れた国である。ただでさえ新技術を敬遠する傾向が強く、また鎖国をしていた事によって他国の情報も入ってこなくなった。そんな中、魔族の男が国王を務める新国家の誕生は渡りに船だったと言える。国王は息子であるディランを留学させ、他国の軍事、技術色んなことを学ばせた。今アスタルテが行っているゲリラ戦法もディランの発案である。
「けど王子は、帝国には一度に百人の兵士を殺してしまえるような兵器もあると言っていた。今はよくてもそれが使われたりしたら……」
「魔導器か……、心配するな。集団で行動していれば一度に沢山殺されてしまう事もあるだろうが、ゲリラ戦を続けていればそうはならないだろう。魔導器による攻撃を受けたら速やかに拠点に帰還して内容を報告する。そういう手筈になっている」
多勢で行動していればまとめて殺されるリスクも上がる。だが、ゲリラ戦のように少数で行動していれば、その被害も最小限に抑えられる。対策というには心許ないが、そうやって対処するより他に手がないのもまた事実。
「帝国は強大だが無敵という訳じゃない。こうやって地道な戦いを続けていればいずれ何とかなる。ずっと南の方では同盟国も応戦してくれているようだしな」
あらゆる面で帝国に劣っている事は癪だが背に腹は代えられない。配られたカードで戦うより他に手はないのだ。
その時、不意に耳長族の男が耳と視線をとある一点に向けた。
「どうした? 何かあったのか?」
「いや、今そこで何か動いたような……」
しかし獣耳の男は笑って応える。
「ここは森だぞ。色んな動物がいるし動くやつもいるだろう」
「それは分かるんだが、何かこう異様に大きかったような……」
「こんな森でか? 見間違いじゃないのか?」
「そうかもしれない。だが違うなら違うという確信がほしい」
そう言うと耳長族の男は立ち上がって、何かが見えたという場所に近寄っていく。
「何かあったか?」
「……いや、何も見当たらないな」
視覚と聴覚を駆使して辺りを探るが、耳長族の男は何も見つけられない。
「きっと熊か何かがいたんだろう。気にするな」
「……そうだな」
「今日のところはゆっくり休んで明日に備えようぜ。情報の共有も難しいから独自の判断で動かなければいけない事もあるってのがゲリラ戦の辛いところだな」
言いながら獣耳の男が倒木に腰を下ろす。耳長族ほどではないが、獣人族も耳はいい。そんな彼がふと違和感を抱く。
相方の歩く音がしない。何をしているのかと視線を彼の方に戻が、そこには誰もいない。去る音も寄る音も立てずに彼は忽然と姿を消したのである。
「な……何だ? どこに行ったリュート、からかっているのか?」
たまたま木の裏に隠れて見えないだけかもしれない。獣耳の男は立ち上がり、先程まで相方がいた場所に駆け寄った。だがそこから周囲を見回しても、やはり相方の姿はない。
「何が起こったんだ? 何処行っちまったんだよ……」
ここは樹木以外何もない森の中。そんな場所で一体どうしたら姿を消せるというのか。
動揺した獣耳の男が後ずさる。その時ふと、視界の隅で動くものを見て、反射的に向き直った。
あまりにも物理法則に反したその動き。大地から体の一部のみを覗かせて流れるように移動するそれが、文字通り大地の中を泳いでいるのだと理解するまで、そう時間はかからなかった。
「な……なんだコイツは……っ!」
黒くのっぺりとしたドーム状の体に、ヒレのような三角巾。……いや、それが泳ぐに適した体を持つのであれば、ヒレそのものなのかもしれない。
こいつの正体は分からないが、一つだけ確かなことがある。彼の相棒であった耳長族の男を殺ったのはコイツなのだと。
獣耳の男は素早く弓を構え、狙いを謎の生物に向ける。必ず仇をとってやるぞと弦を引き絞り、矢尻の先を敵に向けたまま。
だが果たして、捕捉されていたのはどちらの方だったのか。男の行動を嘲るようにそれは潜伏し、視界から姿を消した。このようなことは狩りでも戦争でも経験したことはない。
獣耳の男はすぐに構えを解き、腰から短剣を抜いた。自由に姿を隠す相手に、弓は不利という判断だった。
その判断はある意味的確であり、またこの上なく無意味な行動であったといえる。次の瞬間に獣耳の男が目にしたもの、それは男の体より大きく開かれた巨大な口。これほどの巨体を前に、弓も短剣も意味はない。あえて正解があったとするなら、それは戦いを放棄して逃げ出す以外になかったのだ。
(これが魔導器……、王子が警戒する訳だ。こんなものを使われたらマトモな戦いになんてなる訳がない)
己の死を目の前にして獣耳の男が思った事、それは恐怖ではなく、そんな諦めにも似た感情であった。




