18:配られた手札
「これは……、予想以上に酷いな……」
王の執務室。
そこで一人、財務関係の資料を見ていたカインは思わず呟いた。
かつて歴代の財務大臣達が、関係各所の不興を買いながら切り盛りしていた、この王国の財政。
ヒロト達によるこの十年によって、それはもう見るも無残な数値へと変貌を遂げていた。
(平時なら五十年は持つはずだった蓄えが、まさか十年で全部無くなっている上に、借金までしているとは……)
かつての財務大臣ゴールがこれを見たら、彼はいったいどんな反応をするだろうか?
毎年の収支は元々ギリギリだったので、気を抜けばすぐに赤字になるというのはまだわかる。
しかしそんな中で必死に積み上げてきた蓄えが丸ごとなくなるとは。
(王領内の生産活動が全部止まってる。必要な物資は本当に全て他から買っているのか)
これが虚偽の資料であってほしいと思ったカイン。
しかしこういう部分に関してだけはしっかり仕事をしていたらしく、何に金を使ったのかが細かく書かれていた。
現実から目を背けるわけにもいかない。
(普段の生活費が俺の八十倍か……。)
”王が貴族や平民に舐められたら、この国は崩壊する”と言われて、カインは内心でビビりながら金を使っていたものだが、彼らにはそんな遠慮は無かったようだ。
カインの生活費だって、結構な金額だったはずなのだが……。
ヒロトにせよアシェリアにせよ、あるいは他の妻達にせよ、一度覚えた贅沢は止めることも抑えることも出来なかったらしい。
「……王都民手当? なんだこれは?」
項目を一つずつ確認していったカインは、見慣れない単語を見つけた。
(そういえば……。ヒロトは王都にいる平民達全員に、生活費を支給していたんだったな)
これがそれかと納得したカイン。
どうやら、ヒロトはこれで民衆の心を引きつけようとしていたらしい。
そりゃあ砂糖菓子を与えれば喜ばれはするのだろうが、それで健康を維持することはまず不可能だ。
カエルを水に入れて熱すると、カエルは逃げずに茹でられてしまうらしいが、ここまで甘やかされてしまえば、魔王が目の前にいても自分は大丈夫だと考えるのも不思議は無いかもしれない。
(……いや、やっぱり無いな)
ヒロトが元の世界から持ち込んだのが、実際には”民主主義”ではなく”民主主義モドキ”だったことをカイン達は知らない。
しかし今のこの世界ではまだ採用できないシステムだという判断は、決して間違ってはいなかった。
別にカインがここにいなくとも、ヒロトの王政はもう限界だったわけだ。
積み上がった借金の金額からすると、こんな政策をこれ以上続けることは出来ない。
ヒロト派の貴族達ならば神輿としてまだ利用し続けたのかもしれないが、しかし教皇達は用済みになった男を放置してはおかないだろう。
彼には勇者の力があるとはいえ、それは聖剣抜きでは使えない。
寝ている間にでも聖剣を奪ってしまえば終わりだ。
(……待てよ?)
カインは資料をめくる手を止めた。
教会にとってヒロトの利用価値が無くなる時期が近づいていたということは、彼らは当然、次の神輿候補を検討していたはずだ。
大義名分の作りやすさから考えると――。
(地方貴族の中に、教会とつながっている奴がいるかもしれないな)
カイン派を名乗る前は反国王ヒロト派と呼ばれていた彼らである。
ヒロトを引きずり降ろした後で一番使いやすいのは間違いないし、カインだってそう判断したからこそ彼らをここまで連れてきたのだ。
(……今のうちに、他も確認しておくか)
借金まみれの財政に嫌気がさしたカインは、蔵書が置いてある図書室へと向かった。
★
(誰もいないのか……)
無人の図書室。
十年前はこの場所に司書が一人常駐していた。
彼女はあの時ギロチンで首を刎ねられてしまったが、どうやらそれ以降は誰も雇われていないらしい。
これでは図書室というよりも書庫という方が適切か。
人は発展と衰退を繰り返しながら、しかし緩やかに成長していく。
成功しかしない人間などいないし、失敗しかしない人間もいない。
過去から何を学ぶか。
何を学ぼうとするか。
カインにはこの誰もいない図書室が、王都の人々の姿勢をそのまま示しているように思えた。
自分の足跡が残るほどに埃被った通路を進む。
足跡を辿られると困るので、軽く地面や本棚を掃除した。
部屋を掃除する国王。
こんなところを誰かに見られたら、舐められるのは確実だ。
(あいつらも苦労してたんだな……)
かつて十代で即位したカイン。
最後は教皇にそそのかされたヒロト達に引きずり降ろされてしまったとはいえ、当時はそれなりに国が回っていた。
それが誰のおかげによるものか、今ならばよくわかる。
カインを救出しようとして死んだ者達、そして王やこの国の名を叫んでギロチンの刃を受けた者達。
この国のために腐心していた彼らを忠臣と呼ぶのは、むしろ彼らに対する侮辱なのかもしれない。
『確かにまだ未熟なところはあれど、歴史上稀に見る善王ではありませんか!』
財務大臣ゴールの言葉が脳裏に蘇る。
彼らはきっとわかっていたのだろう。
まともに教育も受けていない標準的な人間というものが、善意の脅迫を受けなければどうなるのかを。
宗教という、一番手っ取り早い教育が果たしてきた役目を軽視すればどうなるのかを。
カインは自分自身が善人だと思ったことは一度もない。
いたずら好きな子供だったし、王族としての教養にも全く興味は無かった。
本来のカインには威厳も品格も無い。
だがそれでも尚、彼らの目には善性に映ったのだ。
汚れきった世界を知って、そして腐った人間達を見て大人になった彼らには。
愚を極めたような多数と、そんな世界を必死に否定しようとする少数。
それがこの世界の歴史だったのかもしれない。
だとすれば彼らは王や国に対する忠義では無く、もしかすると自分自身の信念で行動していたのではないだろうか?
人間はこんなに愚かではないと、世界はもっと美しいはずなのだと、それを証明したかったのではないだろうか?
(今となっては全て手遅れか……)
善と有能に敗北が無いわけではないし、悪と無能に勝利が無いわけでもない。
彼らは死に、そして自分達は敗北した。
……それが現実だ。
並んだ棚を探し、カインは探していた本を見つけた。
”この本は盗作です”というタイトルの本だ。
もちろんこれはそういう題名をつけたというだけで、中身は完全なオリジナルである。
中身を読めばその題名になった理由はわかるし、後書きでもわざわざ説明がしてあるのだが、本気でこれを盗作だと思った人々から非難が殺到したそうだ。
当時は”殆どの本はタイトルしか読まれていないのではないか”とか、”単にオブジェとして買われているのではないか”という議論を巻き起こしたらしい。
カインはその本を開き、栞代わりに挟まれていた薄い金属プレートを取り出した。
そしてかつての人々がそうしたのと同じように、本を読むこと無く棚に戻した。
これでもうここでの用事は終わりだ。
十年振りの来訪者は、過去の記憶が並べられた部屋を後にした。
その足で地下の宝物庫へと向かう。
人に見つからないように、しかし見つかった時は怪しまれないように堂々と。
★
売れる物は全て売りつくして空になった部屋。
宝物の無い宝物庫を訪れたカインは、その遠慮のなさに少々戸惑いながらも、先程図書室で手に入れたプレートを持って目的の場所への”入口”を探した。
(……ここか)
魔法が付加されたプレートが仄かに光る。
その地面にプレートを触れてみると、床の石がゆっくりと動き、さらなる地下へと続く隠し階段が姿を現した。
代々、国王にだけ存在が引き継がれてきた隠し部屋。
カインは階段を降りた先にあったその部屋へと足を踏み入れた。
石で囲まれた空間の中にあったのは、周囲と同じ材質で作られた台座と、その上に乗せられた一冊の本だった。
魔法による保護でもされているのか、紙がやけに真新しい。
(秘密守りの一族……。やはりそうか)
国王が変わる際、先代からの申し送り事項は基本的に口伝によって行われる。
しかし中にはカインの時のように先代の急逝によりそれが不十分であったり、あるいは国王にすら迂闊に知らせるわけにはいかない情報もあったりする。
それらを含めて、申し送り事項を完全に網羅する役目を果たすのがこの本だ。
歴代の王達が、その時代で重要と思われる情報を書き込んで、後世の王に残す。
まさに赤い瞳の一族の集大成と言っていいだろう。
黒一色の装丁の本には、カインが求めていたものを含め、まだ知らない情報が幾つも書き込まれていた。
歴史の裏側では勇者や魔王、それに教皇や貴族達が王族を引きずり降ろそうと画策したことが何度もあったらしいが、しかし全て察知して防ぎきったそうだ。
我が先祖ながら大したものだと舌を巻く。
今代の教皇グレゴリーをも容易く手玉に取れそうな人間が、何人もいるではないか。
赤い瞳の一族としての自分が、いかに凡庸であるかを思い知らされた。
玉座を失った王など、自分が初めてではないだろうか?
(まあいいさ。無い物ねだりしてもどうにもならん)
配られた手札で戦うしかない。
そんなことを考えながら、カインは隠し部屋を後にした。




