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第十四話

「よーし。それでは特訓を開始するっ!」


 学校地下にある、物宮研究部の研究室。その一角にて。

 何も無い、だだっ広い真っ白な部屋で、西加は意気揚々と宣言した。

 目の前には総真、冷夏、アルトリーナの三人が立ち並んでいる。中でも総真は傍目に分かるほど張り切り、脚を曲げたり腕を回したりと準備運動を行っていた。

 一度深呼吸をしてから、総真は白衣を揺らす幼女へと確認の言葉を投げ掛ける。


「明後日のクララとの勝負に向けた特訓か。そりゃ俺だってそうするつもりだったけどよ。まさか博士から提案されるなんてな、ちょっと意外だったぜ」

「む、そうか? これでも私はトーレン・ライドに誇りを持っているのだぞ。当然、負けるよりは勝って欲しいに決まっている。まして相手が、お主がずっと勝ちたいと願ってきたあの根腐れ女となれば尚更だっ!」

「おーおー、凄いやる気だことで。こりゃ俺も、百二十パーセントの力で臨まなきゃあならないな」

「……というか、むしろ私は貴方のほうが意外ですよ」


 家に居て良いと言ったのに、何故かまた猛暑の中付いて来た冷夏が口を挟む。


「貴方があの『クララ・ミッシェルハート』と戦おうとする理由は聞きました。相当な想いを抱いている事も、まあ何となく理解できます。私にとっては心底どーでも良い事ですけどね」

「そりゃまあお前には関係ないからなぁ」

「何故かむかつきますね、その言い方は。とにかく、そんな数年にも渡ってネチネチと恨みと募らせてきた貴方が、跳び上がって天井に頭をぶつけてそのまま脳震盪を起こして着地に失敗し足の骨を折る位に張り切っていない事の方が、私にとっては意外ですよ」

「俺は両足義足だから、骨無いけどな」

「……別に忘れていた訳ではありません。ただの比喩です」

「ほんとに~?」


 普段のお返しとばかりに嫌味ったらしく言い、冷夏の顔を覗き込む。

 拳が飛んできた。咄嗟にスウェーして避ける総真だが、死角から飛んできたスタンガンの電撃は避けられない。


「アババババババ!」

「馬鹿ですね。私とて何時までも、昔のままでは無いんですよ」


 巧妙な二段攻撃に打ちのめされ、総真は煙を上げながら冷たい床に横たわる。

 心配そうに、アルトリーナがその身体を揺すった。途切れ途切れの呻きが口から漏れる。


「あ、が、が。俺が死んだら、墓はきゃっきゃうふふする女の子達の見渡せる、美しい丘の上に造ってくれ……」

「しっかりして下さい、総真様。この街にそんな都合の良い場所はありません」

「突っ込むべきはそこでは無いと思いますけど……」


 呆れる冷夏を余所に何とか立ち上がり、総真は調子を確かめようと首を回した。

 幸と言うべきか、或いは流石に配慮してくれたのか。これからの特訓に支障をきたすようなダメージは無いようだ。

 ごほん、と可愛らしく咳をして、西加が場を仕切り直す。本当にむせて、言葉が始まるまでには時間が掛かったが。


「けほっ、けほっ。ん、んん、さて諸君! 時間もない事だし、そろそろ特訓を始めるぞ! 今回の特訓のデータを元にして、トーレン・ライドの調整を完璧に仕上げなければならないからなっ!」

「トップ・スリーの調整か。明後日までに本当に終わるのか? 博士」

「心配要らん。先日の丹羽鹿野比呂との戦いでも、時間制限こそあれど問題なく使えただろう? 後は細部を詰めて時間制限を取っ払うだけだ。天才のこの私に掛かれば一日あれば充分だとも」

「そりゃ心強い。トップ・スリーの制限が無くなれば、トーレン・ライドの全機能が使えるってことだからな。明後日の決闘、全力も出せずに負けましたーってのだけは勘弁だからよ」

「む? 何だ、総真は負ける気なのか?」

「まさか。当然、勝つ気だよ。けどよ、正直な話、絶対勝つとも言えないんだ。相手が恐ろしく強いってのは良く分かってる。今回の丹羽との戦いで尚更強く痛感した。あれより強いってんだから、トップ・スリーが万全に使えてもぶっちゃけ勝機は薄いだろうさ」

「しかし零では無い。そうだろう?」

「ああ。これまでずっと、あいつに勝とうと努力して来た。あいつの戦い方や弱点も良く知ってる。むしろ何の知識も無かった丹羽より、マシかもしれねぇな」


 世界一の時流者に挑む無謀さを、総真はこの世の誰より理解している。

 何せこの数年間、ずっと考えてきたことなのだ。無茶だと知って、無謀だと知って、それでもひたすらに目指して来た。

 だから、同時にこうも理解している。『どんなに勝ち目が薄くとも、勝てないとは限らない』と。


「元から此処まで来れたのも、奇跡みたいなもんだ。博士と出会うって奇跡が起きて、トーレン・ライドが完成するって奇跡が起きて。そのタイミングで、あいつと出会い勝負が出来るって奇跡まで起きた。ならもう一度くらい、奇跡が起きたっておかしかないさ」

「……随分情けない話ですね。奇跡なんかに縋って勝って、嬉しいんですか?」

「嬉しいさ。そりゃ、奇跡とか運じゃなく、自分の実力だけで勝てりゃあもっと嬉しいだろうけどよ。でも、良いんだ」


 にやりと、悪ガキのように笑って。


「重要なのはあいつの、クララの鼻を明かしてやるって事だ。あのムカつく顔面を一発ぶっ飛ばして、地に這い蹲るあいつに『どーした時流者様、随分無様な姿だなぁ!?』って煽ってやれれば、それで俺は満足なのさ」

「趣味が悪いですね。ガキにも程がありますよ」

「うっせー、先に煽ってきたのはあっちの方だ。それにまぁ、勝てるに越した事は無いが。別に命懸けの勝負って訳でもないしな、最悪負けてもまた挑めば良い。何度でも、しつこくしつこく、な」

「ストーカーみたいですね。女性にしつこく纏わり付く男……警察に通報するべきか、それとも現行犯で今すぐ処刑するべきか」

「お前にそんな権力は無いだろ。後ストーカーじゃない、格好良く『挑戦者』と呼んでくれ」

「ポーズを決めた所で格好良くはありませんよ。元が微妙な上に、実際は弱者で負け犬ですからね」

「ぐうっ、減らず口を。だけど事実だから何も言い返せない……!」


 悔しい、でもっ……と身体をビクンビクンさせる此方に、冷夏が冷たい目を向けてくる。

 本気の侮蔑の視線にちょっと焦り、助けを求めアルトリーナに抱き着いた。ふよふよで柔らかく温かい。博士は天才か? 天才だ(断言)。


「うわーん、助けてアルえもーん。貧乳毒舌少女が、僕を射殺すような視線で見詰めてくるんだ~」

「ご安心ください総真様。冷夏さんの視線は、ようなではなく本気で射殺そうとしている視線です」

「知りたくなかったそんな事実ー! 俺の好感度は何時になったら上がるんだぁ!?」

「一生上がりませんよ。万が一、億が一に上がっても、直ぐに下がりますし」

「何でそんなに辛辣……?」

「本気で言ってますか? 自分の胸に手を当てて、今までの行動を振り返ってみたらどうです?」


 言われた通り、総真は素直に胸に手を当て思い出す。

 出会って間も無く、いきなり飛びかかった自分。少々過激なドッキリを仕掛けた自分。(ばれてはないが)こっそり盗撮した自分。アルトリーナと比べ、冷夏に対し結構ぞんざいな扱いをしてきた自分。

 はて。何処に好感度の上がる要素があろうか。


「唯一助けたあの時も、実はただの兄妹喧嘩でしたー、だからなぁ。あれ? もしかして好感度の上がる要素、皆無?」

「やっと自覚したんですか……? 本気でアホですね」

「アホじゃないやい! 俺はただ馬鹿なだけだ!」

「その二つの違いとは、一体」


 怪訝な顔の冷夏に対し、総真は内心愕然としていた。

 何せ彼の頭の中では、冷夏の態度は全て好意の裏返しと言うか、素直じゃない――所謂ツンデレなだけだと思っていたのだ。

 だから一緒に暮らす中で、実は結構ドキドキしていた。此処から恋が始まってしまうんじゃないか? と。

 が、現実は非情である。実際には好意などなく、彼女のそれは本気の侮蔑であったのだ。

 あまりのショックに、総真は四肢を床に着けて項垂れる。目からは青少年らしい夢見る純粋さが涙となって零れ落ちていた。

 最も。彼のそんな考えが、本当に合っているのかは……冷夏本人と神のみぞ知る、という所なのだろうが。


「ええい、何時まで落ち込んでいるのだ総真っ。時間が無いと言ったろう、早く特訓を始めるぞっ!」

「お、おう……。分かったぜ、博士」


 急かす西加の小さな手に頭をポンポンと叩かれて、何とか総真は立ち上がる。

 両頬を一叩き。気合を入れ直し、改めて西加と向き直った。


「で。具体的には、何をするんだ?」

「決まっているだろう。戦うのだ、ひたすらに。たった二日で出来る特訓など、それしかあるまい」

「えー、もうちょっと無いのか? こう、対クララ戦の秘策とか」

「無いっ! というか今まで散々、あの女と戦う事を想定して作戦を考えたり、訓練を積んだりしてきたのだろうが。今更付け焼刃で授けられる秘策など、あるはずなかろう」

「まあ、それもそう、か。でもよ、戦うたって誰と戦うんだ? 何時もみたいにバーチャルなシミュレーション?」

「いや。これまでは確かに私の作ったスーパーでハイパーでミラクルでロマンチックなVRシステムを使って訓練してきたが、今やその必要も無い。何せトーレン・ライドが完成し、こうして時流者も此処に居るのだからなっ」

「……それってもしかして、私に特訓相手を務めろ、って言ってます?」

「そうだぞ冷夏っ! お主もそれなりにはやれるのだろう? ぜひ、総真の特訓相手になってやってくれ!」

「断ります。なんで私が」


 当然の即決だった。

 何せ冷夏には特訓に付き合う理由が無い。今回の決闘は彼女には何の関係も無い事であるし、幾ら特訓とは言っても実力向上の為の模擬戦となれば、少なからず痛い思いもするだろう。

 家に住まわせてもらい、世話になっているとはいえそんな事は御免であった。加えて言えば、そもそも彼女にたいした戦闘力は無い。零とは言わないが、少なくともクララ・ミッシェルハートに向けた特訓に相応しい人物では無いだろう。

 その事を自覚している冷夏からすれば、博士の提案は考えるまでも無い事なのだ。

 逡巡すらなく返した彼女に、西加はそうか、と納得の色を見せる。


「では、仕方が無いな。冷夏は特訓相手から外すとしよう」

「良いんですか? 断った私が言うのもなんですが、他に当ては無いでしょう?」

「いーや、そんな事はないぞ。そもそも冷夏、お主は最初から特訓相手の候補には入っていなかったのだ。此処に来るよう言わなかったのがその何よりの証拠だろう?」

「そういえば……。では、一体誰と特訓するつもりなんですか?」

「ふふふ。それはな……この男だっ!」


 ばっ、と大仰な手振りで西加が背後へ振り返る。

 途端開いたこの部屋の出入り口から、カランカランと下駄を鳴らして、男が一人入って来た。

 見覚えのある人影に、総真と冷夏が揃って驚愕を露にする。


「てめっ……狂三郎!?」「兄さんっ?」

「やあ、愛しい冷夏。二日ぶり。後そっちの屑、お前は僕の名を呼ぶな。名前が穢れる」


 妹譲り? の辛辣な挨拶と共に姿を現したのは、着流しを身に付けた書生風の青年――冷夏の兄、名残狂三郎である。

 彼は悠々と歩みを進めると西加の隣に並び、何故か自慢げな顔をした。根拠も理由も無い自信のオーラに、総真のイラッとゲージが一段階上昇する。


「何だその顔は。何で出てきただけでお前はドヤってる訳?」

「ふふん。クララ・ミッシェルハートといえば、誰もが知るこの世界一の有名人だ。そんな人物に挑もうとする愚かな君を見て、自分の賢明さを再確認していたところさ」

「自慢げじゃなくて見下してるだけだったのか……。道理で見ているだけでイラつく訳だ」

「ああ、もっとイラつきたまえ。君が不快な思いをするだけ、僕は嬉しい」

「最低の人間だな。そして冷夏、同意するように頷くんじゃないっ」

「えー」

「えーじゃない。可愛く首を傾げたって駄目!」


 ちぇっ、と小さく悪態を吐く彼女に呆れながら、総真は対戦相手に視線を戻す。

 確かに、数少ない知り合いの時流者の中では、彼は格好の特訓相手と言えるだろう。実力はそれなりにあるし、何より殴っても良心が痛まない。むしろ嬉しい。

 だが同時に不安もあった。果たして彼が、蛇蝎の如く嫌う己の特訓に本当に付き合ってくれるのか? と。


「なあ博士。大丈夫なのか? だってそいつはよ……」

「お主を嫌っている、か? 安心しろ総真。だからこそ、大丈夫なのだ」

「だからこそ?」


 何言ってんだこの幼女、と首を傾げれば、無い胸を張って西加が語る。


「そうだ。考えてみろ、お前はこれから特訓と称してひたすらに戦い続けるのだ。当然、対戦相手はボコボコに殴られる事になるだろう。が、逆に言えば?」

「……俺もボコボコに殴られる。いや、俺をボコボコに殴る事が出来る?」

「そうだっ。そう告げた途端、狂三郎は二つ返事で了承してくれたのだ。嫌っているからこそ、どこまでも本気で戦ってくれるのだ、あ奴は」

「成る程納得。良い気持ちはしないけどな」


 要するに、総真が先程感じた事を狂三郎も感じているという事だ。

 殴っても良心が痛まない。むしろ嬉しい。っていうか殴りたい。

 あまりに暴力的な思考だが――はっきり言って、望む所でもある。


「良いね。本気でやりあうからこそ特訓になるんだ。全力でぶっ飛ばして、ぶっ飛ばして、ぶっ飛ばしまくって、泣いて許しを請うくらい顔面を変形させてやるぜ」

「ははは、虚しい夢だ。現実は、自分こそが泣いて許しを請うはめになるというのにな」

「おーう、言ってくれんじゃねぇか。俺に一度負けてるくせによ」

「あの時と一緒にしてもらっては困るな。今の私は体調万全。しかも冷夏に纏わり付く蛆虫を排除する為ならば、限界を超えた力を発揮出来る。負ける要素など一つも無い」

「じゃあ試してみるか。結果は変わらんだろうけどなぁ!」

「ああ、変わらんだろうさ。君が死ぬ未来はなっ!」


 ――クロック・ロック!――トーレン・ライド!――


 開始の合図も待たず、二人同時に叫んでぶつかり合う。

 室内を幾筋もの影が走り、衝撃がそこかしこで巻き起こった。特訓という名の喧嘩を始めた彼等を余所に、女性陣は揃って顔を見合わせる。


「とりあえず、部屋から出るか。巻き込まれては敵わんからなっ」

「そうですね。馬鹿は馬鹿同士で勝手にやらせておきましょう」

「では博士。私はお茶とお菓子の用意をしてきます。勿論、冷夏さんの分も」


 プシュ、と音が鳴り開いたドアから、三人揃って部屋を出て行く。

 その間も、そしてそれからもずっと、部屋の中には衝撃が収まらなかった。


「死ねぇぇぇえええ、この寄生虫がぁ!」

「お前が死ねぇっ、この変態シスコン野郎がぁ!」


 決戦まで、後二日。

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