第十三話
――総真の家からにっくきあん畜生ことクララ・ミッシェルハートが立ち去ってから、数時間後――
市内某所に存在するとある高級ホテルは、一週間後の世界大会に向けて、予約で満杯の状態であった。
世界各地からのVIPが、会場最寄のこのホテルに泊まりこむ。大手企業の幹部から政治家、軍人、大物芸能人に至るまで。現在の世界の中心とも言える時流者による、世界一を決める大会は、それ程までの価値があるのだ。
そんな超が付く程取り難いホテルの一角に、奇妙な滞在者が居る。地上五十三階のホテルの最上階層、三階分をまるごと貸切った、異常なお客様である。
この状況でこんな真似が出来るなど、当然世界有数の権力者に間違い無い。だが人の気配の無い最上階のド真ん中の部屋――市内を一望出来るスイートルームのベッドに横たわるのは、まだ年若い少女であった。
彼女は巨大で柔らかなベッドにうつ伏せて、腕に顎を乗せ真っ青な空をただ眺める。誰もが見蕩れるはずの景色も、今は意識の外だった。
「はぁ。何であんな態度しか取れないんだろう」
溜息と共に憂鬱を吐き出す。
う~っと唸りながら掴み取った枕に顔を埋めれば、金色の髪がさらりと揺れた。
そのままバタバタと脚を動かす。叩かれるベッドの音色に紛れて、静かにドアの開く音がした。
「まーだ後悔しているの? クララ。だったらその性格、早く何とかすれば良いのに」
「うるさいうるさーい! お姉ちゃんには分からないんだよ、僕の気持ちはー!」
頬を膨らませ、少女――クララ・ミッシェルハートは身を起こし、背後の姉へと振り返る。
自分と同じ綺麗な金の髪を腰まで伸ばした姉――メルト・ミッシェルハートが、唇に手を当て苦笑していた。
ぷー、と頬に溜めた空気を排出しながら、クララはぎゅっと枕を胸元に抱く。
「せっかく五年ぶりに会えたっていうのにさ、総真君は良く知らない女の子と一緒に居るし。っていうか何だよあの美人さんはもー! 何であんな人が朝から家に居るわけさー!」
「その彼も貴女と同じでいい年だし。彼女の一人や二人、家に泊めてても不思議じゃないんじゃない?」
「彼女っ!? そんな馬鹿な、あの総真君に彼女だなんてっ。無い無い無い、絶っっっ対にありえない!」
「そうあって欲しい、ってのは分かるけど。ねぇ?」
またも苦笑し、メルトは妹の癇癪を受け流す。
例の彼を見つけたと、昨夜帰るなり嬉々とした表情で話してきたのが嘘のようだ。
まあ、無理もあるまい。幼い頃から数年に渡って並々ならぬ思いを注いできた男子が、朝から女性と一緒に居たのだ。それも自宅で。
まともな女子なら心が折れかける所である。怯まず会話を続けられただけマシというものだろう。内容はあれだったようであるが。
「本当、素直じゃない子。インタビューとか、公式の場ではきちんと話せるんだから、同じ様に取り繕えば良いのに」
「ええ!? 無理だよ、そんなのっ」
「どうして?」
「だって、その……恥ずかしいじゃないか……」
そっぽを向き、消え入りそうな声で言う妹に、メルトは思わず天を仰ぐ。
この子の基準がいまいち良く分からない。むしろあの尊大と言うか、見えるもの全て馬鹿にする、というような態度の方がよっぽど恥ずかしいと思うのだが。
「本当、不器用な子ねぇ。例の彼にしたってこの五年間、会おうと思えば普通に会えたでしょうに」
「う……でもでも、それじゃあ何て言って彼に会えば良いのさ。今回は偶々見かけて気になる点があった、って言えたけど、何もないんじゃあ会う理由が無い!」
「普通に会いたかった、っで良いんじゃないの。理由なんて」
「良いわけないだろー! そんな、そんな理由でわざわざ訊ねるなんて……まるで僕が彼のことをす、好きみたいじゃないか!」
(それ以外の何ものでも無いと思うのだけれど……)
真っ赤になる妹に呆れ、深く溜息。
本当に、素直じゃない子だと思う。もう何年も前から、妹は例の彼の事になるとこんな調子なのだ。
昨日も常からは考えられない位の満面の笑みで、彼について語られた。もう散々聞いた事のある過去の思い出話だの、今の彼も変わらず格好良かっただの、そんな話を延々とされたのだ。
昔から彼に関しては暴走しがちな子だったが、時を経た事でより酷くなったらしい。会えなかった時間が思いを熟成させたという事なのか。正直面倒な事である。
「というか何で、そんなに例の彼――総真君を気に掛けるの? 私は直接会ったことは無いから知らないけど、よっぽど良い男、とか?」
疑問に思い問い掛ければ、クララは否定するように肩を竦める。
「別に~? 一般的な基準で言えば、容姿も学力も性格も大したことないんじゃない? 運動は得意だったけど、それも天才って訳じゃないし」
「じゃあ何で?」
「……ふんっ。良いじゃないか、そんな理由は。お姉ちゃんには関係ないしっ」
「ありゃりゃ。そう言われると、返す言葉もございません」
お手上げ、とばかりに両手をひらひらと振る姉に鼻息一つ、クララは再度ベッドに寝そべった。
枕を自身の身体で押し潰し、ぎゅうぎゅうと圧力を掛けながら、心の中で呟く。
(言える訳ないじゃないか。僕にまともに接してくれたのが彼だけだったから、なんて)
――幼少時。まだ小学生の頃から、クララは今のような性格だった。
特別親しい人と接する時以外は、人を小馬鹿にしたように尊大な態度を取る。これは元々人見知りだった彼女が他人に負けないようにと仮面を被った結果なのだが、周囲にとってそんな事情は関係ない。
当然、大きな反発を生んだ。そしてそれに負けないようにと、彼女はより強固な仮面を被るようになった。
負の事象がスパイラルし、幾度と繰り返された結果――彼女の仮面はあまりに外し難い、癖のようなものとなってしまったのである。
だが、ある時を境に彼女の人生は一変する事になる。定期検査で時流者の才能があると判明したのだ。
しかもその才能が目玉が飛び出る程に頭抜けた、端的に言って天賦の才だったのだから始末に終えない。
周囲は勝手に彼女を恐れ、或いは持ち上げ、尊大な態度にも文句を言わず、むしろ従順に従うようになっていった。
大人も、クラスメートも、皆そうなのだ。内心反発を抱きながらも、表面状はへらへらと笑って従う。彼女の周囲はそんな人間で溢れる事になった。
苦しかった。寂しかった。世界の全てが漠然と、気持ち悪いものに感じられた。
両親でさえ優秀な自分の娘に媚びるようになり、唯一頼れる姉は寮に入っていて頻繁に会える訳では無い。まだ幼いクララの心は、あまりに気持ち悪い世界に押し潰されそうになっていた。
そんな時だ。彼に出会ったのは。
小学四年生、クラス替えを経ての新学期。相も変わらず担任は自分に媚び諂い、親に言い含められた生徒達は自分に取り入ろうと近寄ってくる。尊大な態度で馬鹿にして返せば、これまた言い含められたのか必死に謝り許しを請う。
つまらない世界だった。それ以上に、気持ち悪く、寂しい世界だった。誰も自分と真っ当に接してくれない。他者との衝突は無く、心をぶつけ合う事も無い。
またこの中で過ごすのかと考え――ふと、声を掛けられた。
『お前時流者なんだって? すっげーな、格好良いじゃん!』
直感的に分かった。いや、感じ取ったと言うべきか。
悪ガキ染みた少年の声、そこに含まれる響きが……媚などでは無い、純粋な憧れや喜びのような、とにかく本当の思いだったのだと。
顔を上げれば、真っ直ぐ己を見詰める二つの瞳と目が合って。そういえばこんな風に誰かと視線を合わせたのは何時以来だろうか、と呆然とする頭で考え、外せない仮面が反射的に言葉を返す。
『ふっ、当然だろう? 僕を誰だと思っているんだい。そういう君はどうなのかな? まさか時流者でもないのにこの僕に話し掛けた、って事はないよねぇ?』
『いや、まだ時流者じゃないけどよ……。でも検査はまだ残ってるし、絶対成ってやるんだ! っていうかお前、何かムカつくぞ。その言い方』
にやりと、唇が吊り上がってしまったのは仕方が無い事だろう。
僕に、この僕に、真っ直ぐ思いを告げてくる人間。正直に反発し、文句を言ってくる人間。姉以外にまだ、そんなものがこの世に居たのか!
歓喜だけが心にあった。無論、探せばそんな人間は他にも居たのだろうが、少女の狭い世界の中では、この少年こそが唯一の例外に映ったのだ。
そこからのやり取りは、幼かった事もあり良く覚えてはいない。ただ互いに名乗りあい、言い合い、喧嘩になった事は覚えている。
喧嘩なのに、楽しかった。喧嘩なのに、嬉しかった。取っ組み合いまでして、当然時流者である自分に彼は歯が立たなかったが、目尻には涙が浮かんでいて。
数年ぶりに『人間』と出会えた。その時のクララの心境は、まさにそんなものだったのだ。
以来、何かにつけてクララは彼にちょっかいを掛けるようになった。素直になれず何時も小馬鹿にした態度を取り、けれど彼は逃げることなく向き合ってくれた。
喧嘩ばかりで、決して友達と呼べるものではなかったが……彼は自分にとっての、ただ一人の救いであったのだ。そんな彼に特別な想いを抱くな、という方が無理があろう。
結局勇気が無く、仮面も外せぬまま小学校卒業と共に別れる事になったが……五年が経った今でもなお、彼との思い出は、彼への想いは、色褪せる事無く確かに胸に根付いている。
だから散歩中に彼を見かけた時には直ぐに『あの彼だ』と分かったし、歓喜したのだ。そう、心の底から歓喜した。
「なのにあれって。酷いにも程があるよ」
今朝の再会を思い出し、クララは涙目でシーツに顔面を押し付ける。
うーうーと小動物のようなくぐもった呻きが漏れた。ベッド際の姉が、苦笑と共に肩を竦める。
「全く、本当にこの子は……。それでクララ。愛しい彼に関することだけど」
「愛しくなんかないやいっ!」
「はいはい。とにかく、その総真君との事に関してだけど……貴女本気? 決闘する、って」
「……そのつもりだけど。何、悪い?」
少し真剣味を増した姉に、憮然とした声でクララは返す。
背後から溜息の音が聞こえた。
「むしろ、何で悪く無いと思っているのやら。もうすぐ世界大会ってこのタイミングで決闘なんて、正気じゃないでしょ。本番に影響が出たらどうするの?」
「問題ないよー。どーせ勝つのはこの僕だもん。決闘も、大会もね」
「分からないでしょ? そんな事。確かに総真君は時流者でもないみたいだし、へんてこな発明品で一応戦う事は出来るみたいだけど、貴女の敵ではないでしょう。でも大会はそうじゃない。皆去年よりも強くなってる。確実に勝てる保障なんてないのよ?」
「大丈夫大丈夫、心配要らないって。お姉ちゃんだって知ってるでしょ? 僕にはあれがある。他の誰も持っていない力――『アクティブ・レイド』が」
「まあ、それはそうだけど……」
「それに、そもそも僕は強いんだよ。他のどんな時流者よりも時粒子を扱える。加えてアクティブ・レイド。負ける理由が見当たらないよね」
先程までの落ち込みようは何処へやら。ベッドの上で胡坐を掻き、不敵に嗤うクララからは果てしない自信が滲み出ている。
そんな彼女にもう一度溜息を吐き。メルトは頭を振ると、現実逃避するように窓の外へと目を向けたのであった。
「あぁ。今日も雲一つ無い、良い天気」




