第3話 貴族生活
人の気持ちは体にとても左右されやすい。
疲れているときは暗い気持ちになりやすいし、満たされていればそれだけで元気になりやすいものだ。
逆に、幼児の体に宿った心はやっぱりそれなりになるらしい。
5歳になり、お乳を卒業して、一般的な幼児が喋り出す頃にはこの世界の言葉にもなれ、無事にアップルと聞いてりんごと脳内で日本語に変換して理解するレベルから、アップルと聞いてそのまま理解できるようになれた。
英語の授業では点数を取れても、道を尋ねられればしどろもどろだった昔を考えれば驚きの学習能力だが、やはり言語は使わなければ覚えないし、それしかしゃべらない環境は大きいみたいだ。
「リオンさま、もう起きてますか?」
ノックにはーいと返事を返すと入ってきたのは従女のフェリシアである。
俺にとつけられた世話係の彼女は十代前半の若い少女で、メイド服と言うにはフリルの少ない実用的な衣装を着ている。
おしめを替えてくれた経験もある彼女は俺にとって、ちょっとしたお姉ちゃんみたいなものだ。
「もうおきてるよ、ふぇりしあ」
「それはよかったです。さ、着替えましょうか」
「ひとりでできるよ?」
「リオン様は着方が少々だらしないですからね」
服なんてがっと履いてバサッと袖を通せばいいと思ってしまっているが、彼女としてはシワ1つ、よれ1つ見せない着方が正しいらしく、面倒に感じてしまう。
ついつい首元をゆるめたがる俺にレオノーラからはちょいちょいと注意が入る日々だ。
「はあい」
「結構」
着せられた衣装。目の前の全身を映す姿見には、太陽に透けてキラキラと煌く金色の髪の少年が写っている。
高校生の中身を5歳児にのせただけあって、年分相応の賢そうな顔をしていると思う。
母親似の外見のためか、かっこいいよりは可愛い感じがする。
(なんか子犬系っぽいなあ。外見で得しそう。年上に可愛がられそうな感じ)
「自分に魅入ってると遅れますよ?」
「みいってないよ」
「そうですか。なら、顔を洗って来てください。もう奥様はお待ちですよ」
「はぁい」
筋肉は鍛えないと強くならないように、滑舌もよくならない。
頭で浮かぶ言葉よりずっと拙くなってしまうのはまだしょうがなさそうだ。
部屋を出て廊下を歩くと、トイレと合わせて洗面所が設置されている。
俺は水を出すと両手ですくい、じゃばじゃばと顔を洗う。
前世と違うのはひねる蛇口がないことだろうか。
顔についた水を拭って開いた目の前にあるのは、ぼんやりと水色に光るガラス球だ。
魔道具にカテゴライズされる道具で、水を出すことができる。
そう、魔法の道具である。
仕組み自体はシンプルで、魔力を送るとその分だけ水が出るだけの仕組み。
それ以外には使えないが、魔力さえあればどこでも水が出てくるのである。
どうもこの世界の魔法は想定の何倍も使い勝手がよく、町並み自体はよくある剣と魔法の世界なのに、生活水準は要所要所で現代並みなのだ。
「おはようリオン」
「おはようございます、かーさま」
食卓には既にお母様がいた。俺に気づくと目を輝かせて両手を開いて待っている。
ニコニコされながらそんな風に待たれると、しょうがないな、なんて気持ちになる。
体を預けるようにばふりと胸元に飛び込むと、ぎゅっと抱きしめられた。
お母様はスキンシップが好きらしく、会うたびに抱きしめるし、おやすみのキスをほっぺやおでこにするし、一緒に歩くときは手を繋ごうとする。
余りにも真っ直ぐな愛情表現はじんわりと染みこんでいき、愛されていることを強く感じている。
「満足したわ。リオンちゃんは今日も世界で一番かわいらしいわね」
「はやくとーさまみたいにかっこよくなりたいです」
「リオンちゃんはずっとかわいくてもいいのよ?」
良くはないと思う。
お母様は現代で言えばかなり若いうちに俺を産んでおり、はじめての子供の俺がとてもかわいいらしい。ただ、5歳になったいまでも、お母様は相変わらず若くみえ、愛を注がれるたびにどこか気恥ずかしい部分が今でも残っている。
開放されると逃げるように食卓につく。
焼きたてなのか、湯気のたつ柔らかそうなパンに、豆を煮たスープ。
それに、目玉焼きとベーコンが一切れ。
現代でも朝食としては十分だと思う。
ぐうっと鳴るお腹を抑えていると、お父様が来て、彼もまた、席に座り皆で食事を始める。
どれもおいしく感じられるが、日本と比べると味が全体的に薄味だったり大味のような気がする。
この辺、やはりなんだかんだで流通が現代ほど優れていないからだろう。
(調味料っていうかハーブで頑張ってるって感じだしなぁ)
塩だって貴重だし、仕方がない。
食事が終わると俺は部屋に戻り、侍女のフェリシアに見守られながら、文字や朗読、計算、歴史などの授業を受ける。
といっても、数学的な勉強は前世分で十分らしく、掛け算割り算とすらっと解いてみせると、「素晴らしいですね。算数は十分のようです。では別の授業に力を入れましょう」と言われてしまった。
天才扱いされないかな? と思ったのに、「計算には強いようですが、他の理解度は普通ですからね。数字と相性がいいんでしょう。とはいえ、跡継ぎとして、学ぶべきものはたくさんあります。まずは基本を学びましょう」と諭されてしまった。
まあ、頭がいいから解けるんじゃなくて知ってるから解けるだけだから、こう扱われるのはむしろ好都合かもしれない。知ってることを永遠にやらされるのは嫌だし。
一対一の教育のおかげで、わからないところはわかるまで教えてくれるし、フェリシアは教師としても優秀みたいで、どうしてわからないかを探ったうえで教え直すようにしているみたいで、二度目の説明は一度目とは別の教え方をしてくれている。
頑張れば進める教育はできるとほめられることもあって、なかなか楽しかった。
「できた」
「ふむ。正解です。この辺はもう問題無いですね。リオン様は進みが早いので、教えるための準備が大変です」
「へへっ」
「午後ですが、ミハエル様がこちらにいらっしゃるようですよ」
「みはえるおじさまが?」
「ええ。今回は長期のお休みをとったそうで、2週間ほど滞在されるそうです」
ミハエル叔父様は母であるアンリお母様の弟だ。
元々はここ、アルカード領の領主になる予定ではあったのだが、吸血鬼に襲われ、取り返せなかったこともあり、領主を辞退。お父様が伯爵を継ぐ事になった。
とはいえ、本人は研究者気質らしく、魔法の研究を王都で行う研究者らしく、結構高い地位についているらしい。
冒険者らしく、全身が硬そうなお父様と違い、スリムで知的なミハエル叔父様は実に貴族らしくかっこいい。
細マッチョが理想の俺としてはああなりたいなと密かに憧れている相手でもある。
それに、魔法の研究者なのだ。折を見て魔術を教えてほしいと思っていたのだ。
長期滞在の今回はチャンスと言えるだろう。
とはいえ、障害がないわけではない、それは――
「リオン!! 迎えにきたわ! さあ、遊びに行くわよ」
まるで扉を壊そうとしているみたいな勢いで開かれた先には、満面の笑みを浮かべてこちらを見つめる、勝ち気な7才の金髪幼女がいた。
次でようやく最初のヒロインが登場です。




