第3章 名前の持つ意味
子供のころ、名前に関して不思議に思っていたことがあった。
ムラサキシキブにセイショウナゴン。フジワラノミチツネノハハにスガワラノタカスエノムスメ。何故個人名で記さないの? 女性蔑視にもほどがあると。
しかし、女性の名は記録に残っていなかったのだから、それは仕方のない事だったのだ。しかもそれは単に女性蔑視のせいだったというよりも、本名を明かすことがタブー視されていたせいだったということを大学で学んだ。
ホウジョウマサコにヒノトミコ。何故嫁ぎ先の名前で呼ばないの? 悪妻だったから? なんて思っていたもそれは間違いだった。
なぜなら、明治以前の女性は結婚後も夫の姓は名乗れなかったのだから。名字は家ではなく血統を示すものだから、嫁いできた者は血筋が違う。嫁はどこまでいっても他人という認識だったらしい。
まあ、明治以降に同じ姓を名乗るようになっても、結局その意識はあまり変わらなかった気もするけど。
そもそも、あの有名な「ホウジョウマサコ」も彼女の死後、そう呼ばれるようになったらしい。別に彼女がミナモト家より実家のホウジョウ姓を名乗りたかったわけじゃなかったのだ。
そこを勘違いさせないように、そのあたりのことはちゃんと教科書に記載すべきだろう。
鎌倉幕府の成立した年が少しばかり違っていたことより、もっと大切なことだろう。
その事実がもっと国民に浸透していたら、夫婦同姓がニッポンの伝統的な慣習だ! そんなアホらしいことをぬけぬけと公言する、厚顔無恥な連中は出て来なかったに違いない。そう私は思った。
小説やゲームの中に出てくる転生者や転移した人達は、自分が元いた世界の常識こそが正しいものだとして、異世界の方を変えようとした者が多い。タイムスリップものもそうだ。
しかし、正義の理念は時代や場所で違う。そこをはき違えてはいけないと思う。
私は、自分のいた世界の常識が正しいとは必ずしも思っていない。それに自分の持っている知識が、異世界でも通用すると思っているわけでもなかった。
それでも、私は元いた世界のその歴史の知識を、できるだけこの異世界で活用することにした。
なぜなら、このままこの世界の人間に理不尽に扱われ、利用される人生を送るなんて死んでもゴメンだからだ。
そう。多少汚くて卑怯な手を使っても、この世界で自由に生きてやる。そして、こんな世界に私を引きずり込んだ奴らに復讐してやるのだ。
食べ終えた食器が運び出された後、私は持っていたメモ紙を扉に挟み、取っ手には鈴を引っ掛けた。誰かが侵入しようとしてきたらそれが分かるようにするためだ。
それから棚の上に乗っていた燭台を小さなテールに移し、それに手をかざして心の中で火を灯せと念じた。
すると、燭台の蝋燭にパッと火がついた。消えろと念じれば今度はすぐに火は消えた。
風よ、吹けと念じれば天井に風が渦を巻いているのが見えた。そして少し経つと窓から吹き抜けて行った。
普通、魔法の基本といったら火、風、水、土といったところかしら?
とりあえず火と風は使えるみたいね。水をためる容器がないから水は出せないし、石の床では土魔法は使えない。だからこれは後で試すしかないわね。
では次に、聖女としての力があるか試してみなくちゃ。
私は聖堂の床に転がっていたときにできた腕の擦り傷に、反対の手をかざした。すると白い光が放たれて、傷の跡はまたたく間に消えた。
今度は靴と靴下を脱いで、山歩きをして靴擦れしていた箇所にも手をかざすと、それも一瞬に綺麗になった。
そのとき、地を這うように進むムカデを見かけたので、私は身震いし、とっさに両腕で自分の身体を抱き締めて思った。「私を守って!」と。
すると透明に近い膜が全身を覆ったのが分かった。体を動かしてもその膜は破れなかった。
「これはよく話の中に出てくる防御シールドってやつね。やった! これで私は無敵だわ」
私は小躍りしたくなった。
これで王族や聖職者の言いなりにならなくて済むわと、私は思わずニンマリしてしまったのだった。
そして異世界に召喚された二日後、私は再び大聖堂へ連れて行かれた。城の謁見の間にでも連れて行かれるのかと思っていたらどうやら違ったようだ。
まさか王族の方がこちらへ足を運んでくるとは想定外だった。
しかも国のお偉いさん方も勢揃いしているようで、かなりの大所帯だった。どうやら多くの人の前で聖女の力を披露させたいようだ。
四十代そこそこと思われる国王夫妻は、豪華絢爛というより威厳を見せるように重厚な服を着て玉座に座っていた。
その隣には金髪碧眼の典型的な美しい容姿をした、二十歳前後の若い男が立っていた。多分王太子だろう。
少し陰険で傲慢そうな顔をしていた。いくら美形でもこんなのと結婚させられたら嫌だな。絶対にこいつはサディストだよと私は思った。
中央集権国家のトップなんて、そのほとんどが、人間の皮被った暴君の悪魔に決まっているからね。
実は、私が寝泊まりした部屋には暇つぶし用なのか、数冊の本が置いてあった。この国の歴史書と、宗教、法律関係の書籍だった。
情報収集は必須だったので、これ幸いとばかりに私はそれらの本を読み漁った。思っていたとおり、文字もやはり読めるようになっていた。
本はどれも分厚かったが、速読を特技にしていた私は、二日でそれらを読み終えることができた。
やはり、この世界は元いた世界のナラからヘイアン初期と大差ない社会であった。ただ大きく違っていたのは本当に魔物が闊歩し、魔法使いや魔女が存在していたことだ。
そして、大聖堂の一番の役割というのが、聖女を異世界から呼び出すことだった、というこということが判明した。
この国はなぜか魔法を使える者を嫌って迫害する一方、聖女を信仰し、聖女によって魔物を退治し、瘴気を祓い、病気を癒してもらおうと考えているらしかった。いくらなんでも一人に頼り過ぎるだろう。
先代の聖女が早死にしてしまったのも、どうやら酷使され過ぎたせいらしいし。
聖女が想定より早く亡くなってしまったので、大聖堂は慌てて聖女召喚の儀式をしたらしいが、約束の年に達していなかったために、何度試しても呼び出すことができなかったようだ。当たり前だよね。
そこで仕方なく、森から魔物が出られないように、他所の国の魔術師にシールド魔法を掛けてもらっていたらしいのだが、その高額の依頼料に頭を悩ませていたらしい。
それまでは無償で聖女にやらせていたのだから、そりゃ困るだろうが、自業自得でしかない
そして今回、ようやく約束の八十年が経ったので、聖女降臨の儀式をしたところ、私が召喚されたというわけだ。
まさか先代の聖女のときと同じ失敗はしないよね? いやするに違いないわ。こいつら。
十年一昔というし、すでにその倍の二十年経っているのだから、昔の過ちなんてすっかり忘れて、また聖女をこき使おうとするわよね。王族としての義務だとか言って。
そう。これまでの歴代の聖女はお飾りの妃になっていたのだ。
王族なら普通早い段階から婚約者がいるだろう。そのために聖女が突然現れたからって、その関係を壊すわけがない。
だから歴代の婚約者達は名目上側妃だけれど、実質は正妃の扱いになっていたのよね。
そして聖女様は、名前だけの妃としてタダ働き、しかも超過酷労働を強いられてきたのよ。ふざけるな!だわ。
無理やり拉致って、妻という名の奴隷にするなんて、戦国時代の武将みたいだと私は思った。
ウエスギケンシンやタケダシンゲンは、いかにも徳のある人間のように後世で語られているけれど、彼らはバイキングと同じだった。
戦ではなく、単に略奪や人身売買目的で、毎年隣国の農村を襲撃していたのだから。
それにしても歴代の聖女様、真面目、人が良すぎるよ。その辺の庶民とは違って力を持っていたのだから、待遇改善を訴えれば良かったのに。それが無理なら逃げ出すとか。
いや、違う。彼女達は逆らう術がなかったのだ。そう私は思った。だって彼女達は私と違い情報を持っていなかったのだから。
でも、私は逃げるよ。絶対に。犯罪者に尽くす義理なんてないもの。




