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第1話 灰色の控えドレス

春祈祭の主舞台に立つ者が着る礼装は、祭そのものと同じくらい厳しく管理される。


 布地の産地、染料の配合、刺繍糸の撚り、家紋の針数。どれか一つでも狂えば、宮廷衣装局の台帳は容赦なく赤で埋まる。三十一歳になった今でも、私はその赤い印が嫌いだった。


「お義姉様には、こちらの灰色がよくお似合いですわ」


 振り返ると、義妹のセレナが笑っていた。二十四歳。金糸みたいな髪を結い上げ、春祈祭のために仕立てられた青銀の礼装を胸の前でそっと広げている。まるで自分がもう祭礼そのものになったみたいな顔だった。


「控えドレスにしては地味すぎませんか」


 私がそう言うと、セレナの隣にいた婚約者ルシアンが肩をすくめた。三十五歳の祭礼管理官で、書類仕事より人の視線を読むことに長けた男だ。


「主役はセレナだ。イリスは補佐役なのだから、目立たない方が全体の調和が取れる」


「私は補佐役ではありません。宮廷衣装台帳官です。礼装全体の管理責任者です」


「そんな言い方をするから、いつまでたっても可愛げがないのよ」


 セレナは笑みを崩さないまま、私の手に灰色のドレスを押しつけた。喪服に使うくすんだ染め。春祈祭の控えに着せる色ではない。


 私は反射的に、彼女の青銀の裾へ目を落とした。


 そこに違和感があった。


 百合紋の外側を囲む針目が、本来より二つ多い。宮廷の正規見本では、外輪は三十六針と決まっているのに、目の前の礼装は三十八針だ。素人にはわからない程度の差だが、私は十二年間ずっとこの数字を見てきた。


「その裾、誰が最終確認をしましたか」


「私に似合っているかどうかを確認したのよ」


「そうではなく、刺繍の見本と照合したかを聞いています」


 私が一歩近づくと、ルシアンが間に入った。


「イリス、今日の君は苛立ちすぎている。見本帳なら朝に確認しただろう」


「ええ。ですが、青銀糸の針数が違う」


 私は机へ向かい、母の代から受け継いできた刺繍見本帳を開こうとした。ところが、該当箇所の頁が抜かれていた。


 指先が止まる。


 百合紋の青銀刺繍だけが載っているはずの頁が、きれいに切り取られていた。


「……誰が触りました」


 部屋の空気がわずかに変わる。セレナはわざとらしく首をかしげ、ルシアンは私の視線を正面から受けなかった。


「また台帳と見本帳ですの?」セレナがくすくす笑う。「お義姉様、もっと鏡をご覧になった方がいいですわ。灰色の方が落ち着いて見えますもの」


 その言葉に、衣装室の女官たちが目を伏せた。


 私は灰色のドレスを机へ置く。


「針数が違い、見本帳の頁が抜かれている。春祈祭の礼装に、見過ごせる不備ではありません」


「不備ではなく、演出だよ」


 ルシアンはやさしく諭すような声を出した。以前なら、その声音に丸め込まれていたかもしれない。けれど今の私には、ただ責任を曖昧にする響きにしか聞こえなかった。


「演出で針数は変えません」


 私が言うと、セレナは青銀の裾をふわりと持ち上げた。


「なら、お義姉様が間違えているのでしょう。だって私は、春祈祭で一番きれいに見えなくてはいけないんですもの」


 その瞬間、私は確信した。


 この礼装はどこかで差し替えられている。


 そして、その差し替えを知っている人間が、この部屋にいる。


 灰色の控えドレスよりもずっと冷たいものが、胸の奥へ落ちていった。


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