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風間に咲く花  作者: 奏多悠香
本編

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23 一歩の先にあるものは

 年の瀬のある日。

 私は芹菜さんのお店の階段に座って目をしばたいた。

 黒い大きな螺旋階段がお店の真ん中にどんとおかれ、帽子を入れる円筒状の箱が周囲に大小さまざま積み上げられ、手すりには洋服やアクセサリーが掛けられていて、普段はこの階段にマネキンが座っているのだという。

 そのマネキンの代わりに、今は私が腰かけている。

 様々な角度から当てられる照明のあまりのまぶしさに目をチカチカさせながら、すっかり凝ってしまった肩にさらに力を入れた。

 すかさず「もう少しリラックスしてくださーい」という声がかかり、リラックスってどうやるんだっけと思いながら苦笑すると、芹菜さんが笑いながら寄ってきて肩を軽く揉んでくれた。

 ああ、どうしてこんなことに。

 やると言ったのは自分なのに、2時間も前からその決断を後悔しっぱなしだった。

 アメリという映画の女優さんがココ・アヴァン・シャネルで主演を務めていた女優さんだとわかった瞬間。

 芹菜さんが言い出したのだ。


 ――うちのお店の階段はシャネルをイメージして作った階段なのよ? そこに茉莉花さんが座ったら、完璧ってことじゃない?

 似てるといったって、これまで誰からも言われたことがない、その程度の「似てる」で。「言われてみればたしかに」という程度のそれの、どの辺りがどう完璧なのかすっごく聞きたかったけど、芹菜さんの根気強い説得に私の心は少しずつ傾いていった。

 たった一度、お店のポスターに使う写真を撮るだけ。

 お店のポスターは店内や近くの駅に張られるほかは、お店のホームページとリーフレットに使うという。

 たった一度。

 とはいえ、ポスターにホームページにリーフレット。

 最初はとんでもないと思った。

 私には荷が重すぎる。

 それに、うちの会社はたしか副業は禁止されていたはず。


「いや、その程度なら平気っしょ」


 私の懸念は常務の一言で吹き飛んだ。

 現に社員の中には単発でモデルのアルバイトをしている人もいるらしく、会社にきちんと報告を上げれば問題ないだろうとのこと。

 それを聞いて芹菜さんは余計に目を輝かせた。

 そしてラルフも、『マリカ、せっかくだからやってみたらいいのに』と言い出す始末。

 祐樹さんが唯一「姉貴、押し付けるなよ」と言ってくれた他はみんなが期待に満ちた目で私を見るので、私の気持ちはぐらぐらと揺れた。

 私が?

 写真?

 いやいや。

 卒業アルバムの写真を撮るのだってあんなに緊張したのに。

 あまりにも堅い表情をしたせいで、ただでさえ凹凸の激しい顔に更に色濃い影が差し、全体に暗くて怖い写真が出来上がってしまったのだ。

 「プリクラだと思えばいいのよ」と芹菜さんは言ったけど、そんなわけはない。

 私の決断を後押ししたのは、意外にも前向きな父の言葉だった。


「やらない後悔よりやる後悔ってね。本当に嫌だったら、その写真を使ってほしくないって言えるだろう? お友達なんだから。それならとにかく、まずは写真を撮ってみたらいい」


 その助言が本当に父自身のものなのか、それとも海の向こうの人のものなのか、私には判断がつかなかった。

 でも、そのとおりだ。

 やってみてダメなら、やめればいい。

 とりあえず、やってみよう。


 ……とは言ったものの。

 これだけ時間をかけて写真を撮ってもらって、いざとなって「使わないでください」とは言いにくいなぁ。

 芹菜さんに揉んでもらった肩をぐるりと回して力を抜きながらぼんやりと思う。


「はい、こっち向いて」


 カメラマンの男性から声がかかり、私はまたレンズを見つめた。


「ちょっと目線外してみてくれますか」

「もうちょっとアイライン足してみよう」

「ちょっとごめん、目に前髪がかかってる」

「頭が右に傾いてるから気持ーち左に傾けるように意識して」


 そんな声にしたがってメイクやら髪型やら姿勢やらを変え、「お疲れ様でした」と声がかかった時には全身がガチガチになっていた。


「チェックしますか?」


 パソコンのモニターに映し出された写真を見せてもらいながら、私は苦笑した。

 ものすごく硬い表情をしていて、全然笑えていない。自分では笑っているつもりだったのに。卒業アルバムを彷彿とさせる出来栄えに、申し訳なさでいっぱいになった。

 これは私が「使わないでください」なんて言うまでもなく、使えないんじゃないかな。


「表情、硬すぎますよね」


 私がそう言うとカメラマンの人も芹菜さんも笑った。


「そうですね」

「そうね」


 やっぱり。

 プロのモデルさんってすごいなぁ。

 自然に笑えるし、色んな表情ができるし。それにポージングだって、きっと大変なのだろう。わたしは座ってるからいいけど、歩いたり立ちっぱなしでの撮影は大変に違いない。


「でも今回はこれでいいのよ」


 芹菜さんが言った。


「え?」

「満面の笑みの写真が欲しかったわけじゃないから。むしろ硬いくらいがちょうどいいの」

「そうなんですか?」

「うん、シャネルだしね。あんまり満面の笑みを浮かべているイメージじゃないから。本当にちょうどいいわ。ミステリアスで」


 ミステリアス。

 私にはひきつった笑みに見えるけど。

 物は言いようだなぁと思いつつ、画面に次々と映し出される写真を見つめた。

 あ、これは。


「休憩してるところも撮ってたんです。こっちは自然。ポスターには硬い表情がいいみたいだけど、写真としては俺はこっちも好きですね」


 そう言ってカメラマンさんが指さした写真の私は、確かに自然な表情をしていた。ぐっと伸びをして、伸びきった後に力を抜いた瞬間の姿。全身の力が抜けてふにゃふにゃで、表情もすごく緩んでいて。


「気に入りました? それならこの写真、焼いてプレゼントしますよ」


 カメラマンの人が優しく言ってくれて、私は思わずうなずいていた。

 やだ、何か自分の写真を欲しがっているみたい。でもこんなにきれいに撮れている写真なんて滅多にないから。

 そう、こういうときは。


「ありがとうございます」


 どういたしまして、と言うカメラマンさんの声を聞きながら硬い表情の写真を見つめた。

 この写真を見たら祐樹さんは何て言うかな。

 褒めてくれるだろうか。

 それとも、似合わないって笑うかな。

 それだったら、こっちの自然な写真を見て欲しいなぁ。

 こっちの方がずっと私らしいから。

 そんなことを考えつつ、結局祐樹さんと写真の話をする機会のないまま、硬い表情の写真が芹菜さんのお店に張り出されたのは年が明けた二月のこと。

 すでに一年の留学期間を終えたラルフは在留期間の更新をして日本の大学に残ることにしたらしく、私のポスターを見てニコニコしながら「マムに教えてあげなくちゃね!」と日本語で言った。すっかり日本語がうまくなって、文化の違いに悩むこともほとんどなくなった。目下のお気に入りは、芹菜さんが点ててくれるお抹茶を飲むこと。

 そしてポスターが張り出されたのと時を同じくして私のもとには試験の合格通知が届いていた。

 とりあえず、一歩。

 合格を知らせる葉書を見ながら私は何度も頷いた。

 いろんなことが動き出していた。

 私の気持ちも人生も、前へ前へと進んでいるはずのある日。

 仕事を終えてビルの外に出ると、冷たい空気にぶるりと背が震えた。マフラーに埋めた顎だけが温かくて、その感覚に一年前のことが思い出された。

 祐樹さんと芹菜さんと出会ってもう1年以上経ったのか。近づいた、と思う反面、近づけば近づくほど知らないことが増えたような気もする。

 マフラーから顔を出して私はフーと息を吐いた。空気中に出た息はすぐに白くなる。


「これってどうして白くなるんだっけ」


 誰にとでもなく小さくつぶやいた私の耳に、答えがそっと流れ込んだ。


「息に含まれる水蒸気が外気に冷やされて水になるからだよ、茉莉花」


 あ、そうだったそうだった。小さい頃から何度聞いても覚えられないんだよね。

 そう思ってから私はハッとして、その声のした方に目をやった。


「久しぶり」


 なぜ。


 なぜ、この人が。


 優しそうな目をしたその人が、私の目の前に立っていた。


「……廉」

「ごめん。こうしないと会えないだろうと思ったから」


 違う、泣くような事じゃない。

 込み上げてくる涙を何とかして体の中にしまいこんでおこうと、私は必死で自分に言い聞かせた。

 これは泣くような場面じゃない。私の涙は、こんなときのためにあるわけじゃない。

 今は涙じゃなくて強さが欲しい。

 私は廉の言葉には答えず、すぐに歩き出した。


「茉莉花」


 焦ったような声とともに廉がついてくる。


「話を聞いてくれないか」


 話? なんの?

 言葉にならなくて、私はひたすら歩き続けた。


「茉莉花、頼む」

「話なんて」

「お願いだ」

「ううん」

「聞くだけでいいから」


 早く電車に乗りたかった。

 一刻も早く駅について、廉を振り切りたかった。

 公園を抜ければ、ぐるりと回るよりも幾分早く駅に着くだろう。

 そんな気持ちから公園に入った。

 ヒールのかかとが柔らかな土に埋まり、歩きにくい。

 ああ、公園なのに。

 小さな子供たちの遊び場を大人の身勝手で荒らしてしまった気がして申し訳なくなった。ヒールに踏んづけられた地面にはたくさんの穴が開いて、ボコボコと不格好な姿をさらしている。

 それがまるで踏み荒らされた自分の心みたいで、胸が詰まった。これ以上、踏み荒らされてなるものか。時間をかけて少しずつ、平らに戻してきたのに。


「茉莉花」


 ぐい、と腕を引かれてバランスを崩し、体制を立て直そうとして体を反転させたらほとんど廉と向き合う形になっていた。


「茉莉花」


 今顔を見られたくはなかった。

 泣くのを必死で我慢している顔なんて。

 次に会った時にはまるで平気な顔をしてやろうと思っていたのに、いつだってこうなってしまう。

 まるで今でも――

 私は首を振った。

 違う、違う。廉のことなんか好きじゃない。

 違う。

 私は。

 前を向いて歩いている。

 一歩、一歩。

 資格試験に受かって、これまで経験したことのないことにも挑戦して。

 前に進んでいるのだ。

 あの場所にとどまってなんかいない。


「茉莉花、聞いて。お願いだから」

「何を?」


 言った瞬間に口元がわなわなと震えた。


「俺の子じゃないんだ」


 足の力ががくんと抜けた。




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