第1話 《無知》の荷物持ち
「ソクラ。今日限りで、お前には抜けてもらう」
ダンジョンから帰還したばかりの冒険者ギルド。熱気と安堵が渦巻く酒場の片隅で、二年間を共にしてきたリーダーのガルドは、何の気負いもなくそう告げた。
その後ろには、いつも通り腕を組んだ魔術師と、値踏みするようにこちらを見る斥候の男が立っている。
「……どこから抜けるんだ?」
「パーティからだ。他にどこがある」
「いや、ギルドから追放されたら飯が食えなくなると思ってな」
「そっちを決める権利は俺にはねえよ」
それもそうかと一人で納得する。
いつもなら探索後の稼ぎを卓の上にぶちまけ、安い麦酒を呷っている時間だった。だが今日は誰一人として腰を下ろそうとしない。冗談ではないらしい。
理由を尋ねると、ガルドは無言で卓上に手のひらサイズの革袋を放り出した。
「これだ。《収納袋》を手に入れた」
噂に名高い高価な魔道具だ。見た目以上の荷物を飲み込むそれを見て、俺は純粋に感嘆の声を上げた。
「おお、すげえな。これなら俺が背負ってた荷物もほとんど入るんじゃないか?」
「ああ」
「じゃあ、これからずいぶん楽になるな」
「お前の仕事がなくなるって話をしてるんだよ!」
怒鳴られた。そういう話だったのか。
聞けば理屈は単純だった。収納袋の購入にはまとまった金がかかるが、一度買ってしまえばそれで終わり。対して、ただ荷物を背負うだけの俺には、ダンジョンへ潜るたびにきっちり取り分が発生する。
「つまり、俺に払う金がもったいなくなったわけか」
「言い方ってもんがあるだろ」
「違うのか?」
「……違わねえけどよ」
じゃあ合ってるじゃないか。
眉根を寄せるガルドの横から、斥候の男が小馬鹿にしたような笑いを漏らした。
「そもそも、いつまでも荷物運びしかできねえ奴に一人分払ってた方がおかしいんだよ」
「おい」
ガルドが制止するが、男は構わず続ける。
「俺たちはこの二年で強くなった。ガルドは新しい剣技を覚えた。魔術師は術を増やした。俺だって索敵できる範囲が広がった。お前はどうだ?」
「俺?」
二年前と今を比べてみる。
「……前より重い荷物を持てるようになった」
「だから、それがもう要らねえんだよ!」
そうだった。自信を持って答えたのに。
「俺たちはもっと上の階層へ行く。必要なのは荷物持ちじゃなく、四人目の戦闘要員だ」
「なら俺が戦えばいいんじゃないか?」
「お前が?」
斥候が鼻で笑った。
「何で戦うんだよ」
言われて腰を見る。武器はない。そもそも魔法も使えない。
少し考える。
「……殴る?」
「魔物を!?」
「蹴ってもいい」
「そういう問題じゃねえ!」
また怒られた。
十五歳の成人の儀で、俺が授かった固有能力は《無知》。名前を聞いた神官は石板を二度見した挙句、なぜか俺の肩を優しく叩いた。
さらに俺には、生まれつき魔力がない。少ないんじゃない。ない。子供でも使える生活魔法の火種一つ点らない。
剣を習ってみたこともある。だが相手の動きが気になって型を忘れた。弓を引けば、狙いを定めているうちに腕が痺れた。
結局、冒険者として俺に残った仕事が荷物持ちだった。二年間、俺の存在価値はただ「人より頑丈で、重い荷物を運べる」という一点に集約されていた。
そして今日、その仕事もなくなった。
「分かった。世話になったな」
俺は立ち上がった。ガルドたちが拍子抜けしたような顔をする。
「……それだけか?」
「他に何かあるのか?」
「いや……普通、もう少しこう……」
言いづらそうに口ごもる。恨み言の一つでも吐かれると思っていたらしい。でも、必要とされない場所に居座って取り分を減らす理由が俺にはない。
足元の背負い袋を持ち上げる。
「待て。それは置いていけ」
「これも?」
「パーティの備品だ」
そうだった。袋を置く。腰の水筒も外した。
「これは?」
「それもだ」
「ロープ」
「置いてけ」
「保存食」
「それも」
だんだん不安になってきた。足元を見る。
「……靴は?」
「お前のだよ!」
「よかった」
「なんで靴まで取られると思ったんだよ……」
危なかった。裸足で帰るところだった。
装備を返し終えると、本当に何もなくなった。それなのに身体は、拍子抜けするほど軽い。二年間、毎日のように何十キロもの荷物を背負ってダンジョンを歩いていたからだろう。
「じゃあな」
手を上げて出口へ向かう。
「……おい、待てよ」
背後から、苛立ちを含んだ声が追ってきた。
「まだ何か返すものあったか?」
「違う!」
振り返ると、斥候の男が血走った目でこちらを睨んでいた。
「何なんだよ、その顔は」
「顔?」
「昔からそうだ。何も考えてねえ阿呆面しやがって! 二年間散々使われて、最後は金が惜しいから捨てられたんだぞ!?」
追放した側の人間が、なぜここまで怒っているのか。俺にはさっぱり分からない。
「お前がそれ言うのか?」
「うるせえ!」
胸ぐらを掴まれた。
「お前は昔から何にも分かってねえ! だから《無知》なんて馬鹿みたいな能力を授かるんだよ!」
「能力は俺が決めたわけじゃないぞ」
「そういう話してんじゃねえ!」
拳が飛んできた。
――遅い。
そう考えたわけじゃない。見切ったという自覚すらなかった。拳が届くより先に、身体が勝手に傾いていた。鼻先を鋭い風が通り抜ける。
「なっ……」
二発目。半歩ずれる。
三発目。肩を引く。また空振り。
不思議なくらい、よく見える。拳がどこへ来るのか。肩がどう動くのか。腰がどちらへ回るのか。
昔からそうだった。何かが飛んでくると、考えるより先に身体が動く。どうしてなのかは――知らない。
「なんで当たらねえ!」
「俺に聞かれても知らん。危ないからやめろ」
「それがムカつくって言ってんだよ!」
四発目。避ける。
五発目。避ける。
六発目――。
「……面倒くさくなってきた」
「は?」
伸びてきた腕を掴む。そのまま腰を落とした。
軽い。
魔石の詰まった麻袋。野営道具。討伐した魔物の素材。そして時には、怪我をした仲間。二年間、いろんなものを背負って悪路を歩いてきた。
それに比べれば、人間一人くらい――。
「よっ、と」
「ちょっ、待――」
持ち上がった。勢いのまま腰を回す。
「ぐあっ!」
斥候の男が綺麗な弧を描き、酒場のテーブルへ突っ込んだ。木片が弾け、ジョッキの泡が宙を舞う。
喧噪に包まれていたギルドが、一瞬で静まり返った。
「…………」
やってしまった。
「ソクラ貴様!」
ガルドが怒鳴る。
「ほら怒られた」
「お前が投げたからだろ!」
「先に殴ってきたのはそっちだぞ」
「だからって仲間をテーブルに投げる奴があるか!」
「もう仲間じゃないだろ?」
「そこだけ理解が早えんだよ!」
ガルドが飛びかかってくる。避ける。
「話を――」
横から腕。避ける。
「聞け!」
「聞いてる!」
「なら止まれ!」
「殴る気満々の奴の前で止まる馬鹿がいるか!」
周囲から笑い声が上がる。ガルドの顔がさらに赤くなった。まずい。余計に怒った。
前から拳。横から腕。そして背後から――。
「ソクラ!」
「ん?」
名前を呼ばれ、反射的に振り向いた。その一瞬。
死角から飛び込んできたガルドの肩が、まともに腹へめり込んだ。
「ぐっ――!」
息が詰まる。足が地面を離れた。そのままギルドの両開き扉を派手に突き破る。
「うおおおおおっ!?」
青空。石畳。通行人。馬車。全部がぐるぐる回る。
そして――ガシャァァァン!
「いってぇ……」
「ぎゃあああっ! 俺の商品がぁぁぁ!」
知らないおっさんの絶叫が響いた。どうやら向かいの武器露店へ突っ込んだらしい。周囲には叩き落とされた剣や槍、錆びついた盾が無残に散らばっている。
「す、すまん!」
「すまんで済むか! 弁償しろ!」
「いくら?」
「銀貨八枚!」
「無理だ!」
「即答すんな!」
今日パーティを追放されたばかりだ。というか、たった今から無職である。
「とりあえず片づける!」
「触るな! 余計壊す!」
「もう散らばってるぞ」
「誰のせいだ!」
怒られてばかりだな、今日は。
起き上がろうとして石畳へ手をつく。その手が、何かを掴んだ。
「……なんだ、これ」
黒ずんだ古びた柄。そこから伸びる、ひび割れた革紐。
鞭だった。何の変哲もない、骨董市にでも転がっていそうな古い鞭。金具には緑青が浮き、手入れなど久しくされていないことが見て取れる。
露店のおっさんが俺の手元を見た瞬間、顔色を変えた。
「おい、兄ちゃん……それに触るな。そいつは――」
言葉の続きは届かなかった。
唐突に、世界から音が消えた。
「……え?」
おっさんの口は動いている。通行人も歩いている。馬車も目の前を通っている。なのに、何も聞こえない。
代わりに頭の奥で――ザザ……ッ。ひどいノイズが走った。
『――適合……確認』
誰だ?
『武装――接続』
右手に握った鞭が、どくん、と脈打った。
『固有能力――《無知》』
『適合――完了』
「……は?」
気味が悪くなって手を開く。鞭は落ちなかった。
「ん?」
もう一度。落ちない。左手で柄を掴み、引っ張る。取れない。
「……おい」
さらに力を込める。
「離れろ!」
びくともしない。
ザザザザッ――!
再びノイズが響く。
『武装名称――《鞭》』
『所有者――ソクラ』
『起動条件、一部達成』
そこで声が途切れた。
一気に音が戻ってくる。
「――おい! 聞いてんのか、兄ちゃん!」
「うわっ!」
「急にぼーっとしやがって!」
俺は右手を見る。古びた鞭。どう見ても、ただの鞭だ。なのに離れない。嫌な予感しかしない。
「おっさん」
「なんだ!」
「これ、いくら?」
「は?」
「買ったことにしたら返品できる?」
「できるわけねえだろ!」
駄目らしい。
十五歳で《無知》なんて固有能力を授かり。
十七歳で、二年間いたパーティから「取り分が惜しい」と追放され。
その直後に拾ったのが、外すことすらできない謎の鞭。
俺は右手に張りついたそれを見下ろした。
「…………」
深いため息が漏れる。
「今日、厄日か?」
このときの俺は、まだ知らなかった。
この一本の鞭が――
俺の人生だけでなく、世界までひっくり返すことになるなんて。




