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「おい、てめぇ遅ぇんだよ……ったく、早く持ってこい!」


 怒声が薄暗いコンビニ裏の路地に響いた。夏の夕暮れ、まだ陽は残っているが影が伸び始めた時間。県立高校の制服を着た集団の先頭に立つ 田中たなか しょう が急かし、仲間たちがそれに合わせて小さな嘲笑を漏らす。


「はい、弁当持ってきました。これだけです。ごめんなさい」


 ユースフは、コンビニの制服のまま、小走りでその場に近づいてきた。店で片付けられた廃棄食品を入れたレジ袋を、肩をすくめてぎこちなくぶら下げている。なまりのある日本語を隠すように、抑えて話していた。


「おい! てめぇの身体、臭ぇんだからそんなに近寄んなよ! 何食ったらそんな臭いになんだぁ? それで、ガチでこんだけなの?」


 取り巻きの一人がわざと大げさに鼻をつまみながら袋を奪い、嘲るように顔を歪める。中の弁当を指でつつき、別の者が彼の言動を真似て不自然なイントネーションで話す。「弁当もってきました」と誰かが真似をするたび、うす笑いが重なって広がった。


「バイト前にババガヌーシュ食べました。ごめんなさい。弁当はもうありません。これだけです。本当ですよ。信じてください」

「ババガヌー……なんだよそれ? 聞いてねーんだよバーカ。それよりよ、もっと弁当持ってこいよ。腹減ってんだよ俺は。使えねーなぁ」


 群れの一人がさらにユースフに迫っていく。


 必死で答えるユースフの顔が赤くなるのを、将は楽しむかのようにじっくりと見た後、少し間を挟んでから話かけた。


「お前もうバイト終わりだろ? 弁当がないんなら、今からちょっと付き合え」


 将は微動だにせず、ユースフを見据える。まるで「反論は一切許さない」と告げるように、全身から圧力を放つ。その重圧に屈するしかなかったユースフは、黙ってうなずいた後、店内へ戻っていった。




***




「おい、行くぞ~」


 バイトを終えたユースフに声がかかる。ユースフは将の背中を追いながら、距離を置いて歩いていた。先頭を歩く将の足取りは迷いがなく、仲間たちはその後に続く。だがユースフだけは、まるで暗い森の中を歩いているかのように、足取りが重い。


 仕事バイトで流した汗は、嘘のように引いていた。代わりに、手のひらには冷たい汗がじっとりと滲み、指先まで冷え切っていく。恐怖の予感は、夏の暑さを全く感じさせずにいた。




 割れた窓ガラスを覆う蔦の影が、ビルの奥へ奥へと彼らを誘うように揺れている。ユースフは思わず足を止めかけたが、将が振り返る気配がして、目線を低くしたまま歩みを進めた。


 将達とユースフは、廃ビルへ着いた。そこは彼らのたまり場だった。


 持ち込まれた古いソファー、丸椅子、ガタついたローテーブル。吸い殻を押し潰す灰皿代わりのドラム缶。その周囲には、飲み終えた缶コーヒーやペットボトルが転がり、コンクリート剝き出しの床には、黒ずんだシミが散見される。


 壁に沿って伸びる蔦が、割れた窓ガラスを覆い隠すように絡みついていた。外の蒸し暑さが嘘のように、ビルの内部には冷気が満ちている。


 ユースフは、テーブルの前に正座させされ、将とその仲間たちに囲まれた。彼らは煙草の煙を吐き出しながら、何時の物かわからない腐臭のする弁当の残りや、吸い殻入りの缶コーヒーをテーブルの上に並べ、押し付けてくる。


「これでも食えよ。お前ん家のメシよりマシだろ?」

「そうそう、ハラールとか言うんだっけ? 豚肉は入ってないからさ、残すなよ?」

「食えって」

「ほら、ユースフ。お前のために特別なディナーだ」


 嘲笑い、動画を撮る。


 フタを開けると、酸っぱい臭気が一気に広がり、ユースフの鼻を突いた。中身は色が変わり、カビなのか緑がかった米粒と、腐敗した肉の塊。


「この匂いは……腐っている…と思います。できません。病気になってしまいます」


 ユースフは恐怖しながらも、できる限り丁寧に答えた。食べられないものは「できない」と明確に、正直に告げたつもりだった。だが、その誠実さは彼らには格好の餌食だった。


「病気ぃ? お前と同じだろうが、その臭い! 食えよ!」


 立ち上がろうとしたユースフの肩を、将の仲間が押し戻す。


「帰れねぇぞ? 手ぇ付けないなんて、礼儀がなってないなぁ外人は。完食しないと、お仕置きだな!」


 怒鳴り声と嘲笑に包囲され、彼は逃げ場を失った。誰かの手が乱暴に頭を押さえつけ、将が箸を握って口元へそれを押し付ける。ユースフは必死に首を振るが、力任せに口をこじ開けられる。


 腐った肉の塊が喉に押し込まれた瞬間、鼻から酸っぱい匂いが逆流し、目に涙が滲んだ。


「っ……うぇっ……!」


 喉を通った瞬間にえづき、咳と嗚咽が重なり合う。胃が拒絶するように逆流し、ユースフは涙と唾液を垂らしながら、腐った肉片と胃液を床に撒き散らした。


 その様子を見下ろしながら、将と仲間たちは笑い声を上げた。


「てめぇ! 何吐き出してんだ! クッセェーー」

「おぃ! 似合ってんぞ、ユースフ!」

「汚ったねぇな。ほら、もっと食えよ。吐くなよ!」


 ユースフは泣きながら首を振り、震える声でかすかに言った。


「……もう、やめてください……できません。お願いしますから」


 その必死の願いを、聞き入れる者はいない。




***




 やがて夜が深まり、仲間は飽きて帰り始める。しかし、最後に残った将は、ユースフをこのまま帰すのは味気ないと思った。最後に何をさせてやろうか——そう思案を巡らせていると、薄暗い廊下の奥から、わずかに冷気が滲み出しているような、不気味さを感じ取った。


 隣の部屋には、奇妙な噂がある。深夜零時を過ぎると、周囲の空気が得体の知れない気配に侵され、微かに鐘の音が聞こえてくる。そんな不吉な話だ。


 将は、ふと周囲の空気が変わったような気がして、その噂を思い出した。スマホに目を落とすと、時刻はちょうど零時を示しており、胸の奥に嫌な予感が走る。


 だが、今日は確かめるのにはちょうどいい “餌” がいる。


「……ユースフ、隣の部屋に行って中の様子を確認して来い。これで最後だ」


 嫌な予感がユースフの全身を支配した。将の目的が何なのか見当もつかない上、拒否をすれば何をされるかわからない。それでも、これで帰ることが出来るのなら。


 ユースフはうなずき、よたよたと廊下へ消えていった。




 そして、隣室に入ったはずのユースフは戻らなかった。将がしばらく待っても、奇妙な静けさだけが廃ビルを包んでいた。


「遅ぇぞユースフ!! 早くしろ!!」


 応答はない。将は舌打ちをして立ち上がる。


「チッ! 帰ったのか……? あのチキン野郎め」


 スマホのフラッシュライトを片手に、奥の部屋を覗き込む。


 その瞬間、息を呑んだ。


 床に腰を抜かしているユースフがいた。彼の目は見開かれ、ただ一点を凝視している。その先には、空間を裂くような闇が口を開けている。


 そこから吹き出す冷気が、二人の動きを凍り付かせていた。

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