第九話
再び下水道に足を踏み入れる。相変わらず臭いし、足元のヌメつきは気持ち悪い。
サクラの目は昨日よりも覚悟を決めたような瞳が見れる。ヒカルはそんな彼女をチラッと見ながら視線を合わせることなく口を開いた。
「そんな身構えることないから」
「……え、でも私回復役です」
「もう頼んないよ。静かにしてるだけでいい」
そう言うと、彼女はどこか悔しそうな表情をする。
「そう……です」
彼女なりに先ほどの行いを反省したのだろう。しかし、ヒカル的にはまた重要な場面で見捨てられる方がたまったものではない。
だったら、最初から彼女は頼りにならないものとして扱う。
仲間が頼りにならないのはゲームの基本だ。自分と同じレベルを求めるというのは無茶な要求だ。
初心者のサクラからしたら、冷たい人間と思うかもしれない。しかし、そうしないと楽しんでいられないのがオンラインゲームというものだ。
慎重に下水道の通路を確認しながら進んでいく。すると、ネズミたちの気配を感じて影に隠れる。
「にしても……『汚染されたドブネズミ』ね」
名前の違和感に、ヒカルは眉根を寄せた。
村の生活汚水だけでそこまで大きくなるほど汚染されるものだろうか。この世界がそういったことが関係ない世界なのだとしたらそれまでなんだけど。
サクラの方をチラリと見ると、口を押さえながら身を震わせていた。涙目になっているのを見ると、かなりギリギリらしい。
まぁ、序盤の村にはキモいやグロい系の魔物がいない。ずっとこの村で過ごしていたのなら、怖がるのも無理はない。
まだ逃げださないだけ評価するべきか。
「取り敢えず叫ばないように気をつけておけよ」
告げると、無言で何回も首を縦に振っていた。
聞こえてくる奴らの鳴き声は、耳の奥に貼り付くような気持ち悪さがある。辺りを探る目は鳥肌が立つように赤く淀んでいる。しかし、こちらに気づいている様子はない。
石を取り出して、通路からネズミたちを退けるような位置に誘導するような場所に投げ込む。石が地面に落ちる音が下水道中に響き渡る。
鳴き声が波のように至るところから木霊する。音のした方に群がり、黒い塊を作り上げていた。
「……ひっ」
サクラの喉の奥から漏れる声。彼女のほうを見ると、涙目になりながらも声を飲み込んでいた。彼女の震えは、ギリギリだということを表している。
ネズミの群がりの横を足音立てないように気をつけて通り抜ける。
にしても改めて見てみると、大量過ぎてヒカルからみても気持ちが悪い。脛までの大きなものも混ざっているから、余計にそう思う。
あれに体のいたるところを噛みつかれて死んだのが仮想空間で良かったと思う。もし現実世界ならとゾッとする。
ここは位置的には屋敷から離れている。依頼内容の物音の正体がネズミたちではない。今でさえいろいろと異常なのに、まだ奥に何かいると思うとダンジョンの空気がより一層重く感じる。
ネズミの塊が散らばりそうになった瞬間、違う場所に石を投げる。塊となってまた集まった。
単純な行動原理の魔物でよかったと安堵する。
村の中で鶏小屋に投げた時には農家の人が怒ってきた。つまりシステムは音を感じ取り、音の原因を探り、音の発生源を特定する思考パターンが組み込まれているということだ。
この方法は魔物の知能指数が上がれば、もっと工夫する必要があっただろう。
下水道の中は単純な迷路になっている。至る所からネズミの足音が聞こえ、汚水が落ちてくる音も耳につく。息止まりに当たると、精神に来る。臭いのきつさも相まって気分も悪くなってくる。
二十分もすると、全くのデバフ効果をもらっていないのに足取りは覚束なくなってくる。
「これは……想像以上に」
きついなと言う声を飲み込んだ。
仮想空間型のゲームの仮想体験がこんなところに影響してくるとは思わなかった。ここから先、他のダンジョンを進める際に、精神的な苦痛がどのように発生するかを考えたほうが良さそうである。
ヒカルでさえきつい空間。当然サクラが持つはずもない。
彼女の体がふらつく。足元が絡まり、地面に倒れようとしている。
体が向かう先は水場だった。まずいと思って咄嗟にサクラのことを抱え込む。
倒れるのを阻止することはできた。しかし、代わりにヒカルが水場に足を踏み入れてしまった。
水音が広がり、滑った感触が体全体に這うように伝わる。
音が鳴ったことで、近場のネズミが大きな声を上げた。それが塊となり、下水道中に響く。
「くっそ」
ネズミたちは一斉にこちらに向かってくる。その量は信じられないほどに登っていた。
さすがにあれと正面からやり合うのは分が悪いと、サクラの手を握って走り出す。




