第5話 追手と、竜と、潮風のクレープ
街道を歩き続け、暫く進むうち、エリシアの様子がまた変わりました。
杖を握る指先に、わずかな緊張が走ります。
「……後を付けられています」
魔力で周囲を探りながら、静かに告げました。
「来ました!」
リオネッタが、自然な動作で剣に手を添えます。
次の瞬間。
崖の上から、複数の影が躍り出ました。
二、三十人程。
騎馬と歩兵の混成部隊。
足取りも、魔力の流れも、一直線に――こちらを狙っています。
「容赦ないですね。女性四人にこの人数ですか」
リオネッタが剣を抜き、前に出ます。
「ええ。王城で、完全に気づかれたのでしょう」
エリシアが、低く息を吐きました。
「そこそこ魔力のある者もいます。――これは、厳しいかもしれません」
最前列の、指揮官と思われる人物が、語りかけてきた。
「王の印を渡しなさい。
王城に無いことは分かっている。――持ち出したのは、お前たちだろう」
「……王のしるし?
そのようなものを、持っている覚えはありませんが」
「渡さない、と?……しょうがないですね。お前たち、生け捕れ!」
◇
そのとき。
白い影が、ふわりと空を横切りました。
「……コフク?」
アグラール王家の魔獣、月白梟。
コフクはピイ、と一度だけ鳴き、王女たちの頭上を旋回すると、
街道の先――空を仰ぎます。
次の瞬間。
空が、影に覆われました。
低く、重い羽音。
風を切り裂く音。
紅い鱗を持つ巨大な竜が、街道へと降り立ったのです。
◇
一瞬、時間が止まりました。
追っ手も、わたしたちも、息を呑む。
けれど竜は、咆哮しません。
炎も吐かない。
ただ、翼を半ば広げる。
――王女たちの斜め前で、守る位置。
そして、コフクがその肩に乗りました。
「……敵意はありません」
エリシアが、即座に判断しました。
「こちらの側、ですね」
リオネッタも剣先を下げ、頷きます。
◇
敵がまた、こちらへ向かってきました。
「食い止めます。水の盾!」
エリシアの杖が光り、水の奔流が追っ手の進路からわたしたちを守ります。
リオネッタは正面から踏み込み、剣で圧をかけました。
「ミリエル、後ろを!」
「はい!」
回復と結界が重なり、陣は崩れません。
――けれど、数が多い。
そのとき。
わたくしは、胸の奥に残っていた、
あの感触を思い出しました。
なめらかで、やさしい――
初めて作った、あのプリン。
「……足取りを、軽く」
そっと息を整え、詠唱し、ハープを軽く爪弾きます。
「なめらかな甘さよ、我らを導け――
プリンの俊速!」
温かな魔力が広がり、
姉たちの動きが、するり、と変わりました。
「……速い!」
リオネッタの踏み込みが、一拍早くなる。
「体が、軽いですわ」
エリシアの詠唱も、流れるように繋がりました。
「反撃です。
押し返します――奔流槍」
エリシアの杖先から、高密度の水の槍が放たれ、
騎馬の一列を押し崩しました。
今度は、別の甘さがわたくしの脳裏をよぎりました。
外は香ばしく、中はなめらかな――
焼きチーズケーキ。
「濃き甘さよ、足を奪え――
チーズケーキの沼」
低い音を奏でると、
追手たちの地面が、ぬたり、と沈みます。
騎馬も歩兵も、足を取られ、動けない。
そして。
竜が、静かに息を吸いました。
恐怖に満ちた悲鳴。
――ごう。
放たれたのは、焼き尽くす炎ではなく、
制御された熱。
地面と武器を歪め、恐怖だけを残す炎。
追っ手は、完全に隊列を失いました。
「退却だ!戻って、……立て直す!」
ほどなくして、追っ手は完全に退きました。
◇
街道に、静けさが戻りました。
「あら!もう、三時ですわ。
……竜さんも、一緒にお茶にします?
もしできれば、その炎で少しお手伝いもいただきたいのだけれど」
セレフィナが竜に向かって言うと、
竜は大きく息を吐き、翼を広げて、近くの森の木立の中に消えました。
コフクも後を追います。
すると間もなく、今度は一人の少女がコフクに先導され、こちらに向かって駆けてきました。
「……はじめまして」
息は切らしていますが、落ち着いた、柔らかな声。
「わたしはアグラールの魔獣研究所に所属している、リリです。
竜を呼べます」
四姉妹は、自然と背筋を伸ばします。
「コフクに呼ばれ、竜を連れて一緒に来ました。
私も火の魔法、使えますよ」
その言葉を裏づけるように、
コフクが彼女の肩にとまりました。
――味方ですね!
全員が、確信します。
わたしたちもそれぞれ、リリさんに自己紹介をしました。
◇
「……では、リリさんともご挨拶したところで、改めて」
セレフィナが、いつものように言いました。
「戦いのあとの、おやつですわ」
◇
私はまず、岩の平らなところを見つけ、水魔法で洗い流して清めました。
「リリさん、岩のこの辺りを、火魔法で熱することってできますか?」
「ええ、できます」
その間に、セレフィナはボールとヘラを取り出し、
村で調達した小麦とミルク、卵を混ぜ、
そして、熱せられた石の上に生地を垂らし、広げて薄く焼いて……
「クレープ生地ができました」
港町で調達した、柑橘の皮を煮詰めた、甘酸っぱいソース。
仕上げに、蜂蜜と――海塩を、ひとつまみ。
「この国の海沿いでは、
甘いものにも塩を少し使うのですわ」
セレフィナは、手際よく仕上げていきます。
「最後に……」
彼女は、リリさんを見ました。
「お願いできますか?」
リリさんは小さく頷き、指先に火を灯しました。
――ふわり。
ごく弱い熱が、生地の表面を撫でます。
砂糖が溶け、
ぱちり、と音を立ててキャラメリゼされました。
◇
「……美味しいです」
ミリエルが、嬉しそうに言います。
「香ばしくて、軽いですね」
「戦いの後には、ちょうどいい」
リオネッタも、素直に頷きました。
エリシアは、静かにカップを持ちます。
「素敵なおやつですわ」
リリさんも一口食べて、目を細めました。
「……うわあ、美味しい。初めての味です。
確かに、元気が戻りますね」
黙々と頬張ります。
(この方も、甘い物がお好きですね!)
言葉は多くなくても。
同じおやつを分け合えば、
それだけで、距離は縮まります。
◇
「進路は、亡命の目的地――アグラールへ」
エリシアが、はっきりと告げました。
リリさんが一歩前に出ます。
「私とコフクがご案内します。
国境沿いの、私たちの村から入りましょう。
研究所の出張所もあります」
追っ手は退き、
旅も、あと少し。
午後三時のお茶と、
潮風の甘さを携えて。
王女四姉妹は、新たな仲間に導かれ、
最終目的地――アグラールへと歩き出しました。




