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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第2章

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第11話

 ヴァレクが隣の部屋に戻ったのは、男が死んでから一時間後のことだった。ヴァレクの手配ということもあり男の回収への衛兵の対応は早かったが、多少汚れた部屋の掃除もある。それらすべてが終わるのを待っていたら想定より遅くなってしまった。

 とはいえ、霊薬はすぐに出来るわけではない。それも分かっているから、ヴァレクは焦ることなく隣の部屋の扉を開けた。

「もう日が昇るが、霊薬はどんな感じに……」

 一番にヴァレクが見たのは、座禅を組んだルーシンだった。ルーシンの前には大きな桶が置かれている。そして桶の中に龍の鱗とへその緒が入れられており、ルーシンの正面にはクラリスが緊張気味に立っていた。それも中腰で、震える手に聖水の入った瓶を持ち、桶に向けて傾けている。

 いったい何の儀式をしているのか。

 好奇心がくすぐられたヴァレクは、興味深そうにその光景を観察しながら、レオンハルトが寝ていない、少し離れたところにあるもう一つのベッドに腰掛けた。

 クラリスとルーシンは動かない。

 座禅を組み、目を閉じていたルーシンだったが、何度か深呼吸をしたあと、突然カッと目を開けた。

「祈りの、反転魔法」

 手を合わせ、正転魔法とは逆に手のひらをずらす。

 ルーシンの額には玉の汗が浮かぶ。表情も険しい。正面に中腰で立つクラリスも呼吸すら気をつけながら、ルーシンをとてつもない形相で伺っている。

「この媒介をもって、祝福と調和せよ」

 ルーシンは小さく呟き、桶を凝視していた。

 そしてやけに深く息を吸い込む。

「今ッ!」

「はい!」

 ルーシンの張り上げた声を合図に、構えていたクラリスは瓶から聖水を少しばかり流し込んだ。

 水はへその緒の上に落ちる。するとそれがどろりと溶けて、龍の鱗を巻き込んでいく。

 通常は固く溶かすことなど不可能な龍の鱗が、一瞬で柔らかな物質に変わる。スライムのような粘度だった。

 やや輝きながら変化したそれを、ヴァレクはやはり興味深そうに見ていた。

「ルーちゃん、完了です!」

「よしッ!」

 震えながら手を合わせていたルーシンだったが、今度はクラリスの合図で、ずらしていた手を綺麗に合掌させた。

 二人は息切れをしながら、桶を覗き込む。

 ドロドロとした、綺麗な色をしたそれ。これが成功なのか失敗なのか成果は分からないが、とりあえず霊薬らしきものが出来たことに、二人は真剣な面持ちでハイタッチを交わす。

「……お前ら、スポーツでもやってたのか」

「え! ヴァレク様いつの間に!?」

「いつから居たんですか殿下!」

「……普通に入ってきたが?」

 声もかけたのだが、どうやら気付かれていなかったようだ。納得はできないものの、二人がやけに達成感を抱いているものだから、ヴァレクはもう何も言わなかった。

「それで、できたのか」

「はい! ルーちゃんの超集中のおかげです!」

「あの体勢が一番集中できるのよね……さあクラリス、これをレオンハルトに飲ませましょう!」

「そうですね! これを早速、レオンハルトに……」

 グラスを持ってきたクラリスが、桶の中から霊薬をすくい上げる。水よりも粘度のあるそれは、グラスの中でぷるぷると揺れていた。

 クラリスが訝しげに揺らすグラスを、ルーシンとヴァレクが覗き込む。

「…………これ、寝てる人に飲ませたら喉詰まるんじゃない?」

「そもそも嚥下できねぇだろ。喉を通過するのか?」

「想定外ですねぇ……調合を変えると霊薬でなくなる可能性もありますし……」

 どうするかと悩んだクラリスは、自身が持っていた小袋を思い出す。入っているのはお手製のエナジードリンクだ。

「まずは液体を通過させて喉の通りを良くするのはどうでしょうか。この私特性の『レッドブル』の吸収率は通常の数倍、つまり! その後に含まれた液体も吸収されるスピードが上がるかもしれません。そして! その吸収力があれば、霊薬を飲み込まずとも経口吸収してくれる可能性も……!」

「あんたってほんと馬鹿よね」

「馬鹿と天才を行き来してるな」

「とりあえずレオンハルトの上体を起こしましょう。ここはヴァレク様にお任せします」

 二人の意見など聞かず、クラリスはレオンハルトが霊薬を飲みやすいようにと、スプーンを取りに離れた。

 ヴァレクとルーシンが目を合わせ、静かに互いの意思を確認する。

 この作戦で良いのか? 本当にうまくいくのか? しかしほかに手立てはあるのか。何か都合の良い魔法はないか。力技か。強引にいくか。結局結論は出ず、ヴァレクは仕方なくレオンハルトの上体を起こす。背後に周り、倒れないようにとしっかりと支えた。

「ではまず、このレッドブルを飲ませます」

 ヴァレクが背後からレオンハルトの顎を持ち上げ、液体が喉を通過しやすい角度で固定する。ルーシンは固唾を飲んで見守っていた。

 クラリスも緊張気味に、小瓶をレオンハルトの口に向けて傾ける。

 レッドブルが減っていく。レオンハルトの喉が揺れ、全員が無事飲まれていることを確認した。

「ではすぐにこのスライムを!」

 小さく切った霊薬を、クラリスは素早くレオンハルトの口に入れた。少しずつ少しずつ、クラリスは細かくした霊薬を飲ませていく。

 いくらが経った頃だろうか。ようやくグラスに入れた霊薬を飲ませ終えた頃にはもう、すっかり日が昇っていた。

「……ヴァレク様、確認を」

 静かな部屋に、珍しく固い声のクラリスの言葉がやけに響く。

 背後からレオンハルトを支えていたヴァレクは、厳しい表情でひとつ頷くと、背後からレオンハルトの心臓に手を当てた。

「……どうですか?」

 ヴァレクの手が光る。そしてその手は、レオンハルトの腹に降りた。

「……少し前より体が動いてる。成功したみたいだ」

「っ……良かったぁー……」

「レオンハルト!」

「ぐわ! 抱きつくな! 俺も後ろに居んだぞ!」

 ルーシンが安堵からその場にへたり込む隣、涙を浮かべたクラリスが、まだ目覚めないレオンハルトに感激のままに抱きついた。

 しかしヴァレクがすぐにクラリスを押し返す。

「まだ寝かせてやれ。そのうち目ぇ覚ますだろ」

「そうですね! そうですよね! 良かったです!」

 押し返されたクラリスは、それでもご機嫌に笑っていた。

 ヴァレクは再度、レオンハルトをベッドに横たわらせる。

「お前らも一回寝ろ。夜通し作業して疲れただろ」

「そうですね。クラリス、一旦部屋に行くわよ」

「嫌ですまだレオンハルトと居ます!」

「いいから寝ろ!」

 レオンハルトに飛びつこうとするクラリスを止めたのは、首根っこを引っ掴んだルーシンだった。

「責任もって寝かしつけますので」

「まかせた」

「……なんだか二人、やけに息が合っていますねぇ」

 クラリスのそんな呟きも気にすることなく、ルーシンはクラリスを引きずるようにして部屋を出た。

 自身らの部屋に着いて早速、ルーシンはクラリスをベッドに投げる。

「大人しく寝なさいよ?」

「眠たくありませんよ?」

「眠たいから寝るんじゃないのよ、回復するために寝るの!」

 起きあがろうとするクラリスを、ルーシンが必死で押さえつけた。

「あんたが寝るまで私、ここで監視してるから」

「まあ! では寝なければずっとルーちゃんとお話しできるんですね」

「私の睡眠のために早く寝ろってことよ!」

 ベッドサイドの椅子に腰掛けて苦言を漏らしていたルーシンだったが、すぐにクラリスにこんなことを言っても無駄なんだったと思い出した。

 クラリスはマイペースだ。そして社畜精神がある。どうせ何を言っても、ルーシンには到底理解ができない理論を振りかざすのだろう。

「……レオンハルトの魔力は封じられていたと思うのですが、どうしてあの霊薬は効いたのでしょうか。あの霊薬で封じられていた魔力が解放されたとかですか? それとも、魔封じを破壊したとか?」

「……寝る気ないの?」

「寝ます寝ます。見てください、目を閉じています」

 クラリスは確かに、目を閉じて話している。

 まるで子どものような言い分に、ルーシンも思わずため息を吐いた。

「霊薬に、間封じを破壊する力なんかないわよ。あれには反転の祈りを込めたから、それがレオンハルトの中にあった反転の魔力の活性に繋がっただけ。魔封じ自体は残ってる」

「え! じゃあまたレオンハルトはあの状態になるかもしれないんですか!?」

「寝なさいってば!」

 目を開いて起きあがろうとするクラリスの頭を、ルーシンが強く押さえつけた。

「魔封じは残ってるけど、生命力……魔力が活性化して魔封じの魔力に勝れば、魔封じは意味をなさなくなる。破壊はされなくても、消滅はできるってイメージね」

「なるほど……それなら良かった」

 クラリスが体から力を抜いたのを見て、ルーシンも安堵したように椅子に座り直す。

 クラリスはそれから何も言わなかった。ルーシンを休ませようとしてくれたのだろうか。微笑んだまま目を閉じて、やがて静かな寝息を立て始める。

 そこでようやくルーシンは立ち上がり、部屋に一つだけある木製のデスクに腰掛けた。

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