プロローグ:この世界と私たちの今まで 後編
ノイズという現象がある。
古代から存在しており、時には嵐のような姿をもって突然降り注いでくる。
規模の大小はあれど、ノイズに触れたモノ、人、精霊を問わずあらゆるものが触れた端から朽ちて消えていく。
そうして嵐が過ぎ去ったあとには、ただの朽ちた土地だけが残る。
賑やかな音のすべてが一切消え去り、そこには無音のみが広がる。
ハマナスは幼少期、巻き込まれ、そして両親を奪ったノイズを前にして息を呑む。
学校でノイズへの対処法を学び、自身の力と相棒のコナタもいる。
それでもハマナスは自身の奥から起き上がる震えを止められなかった。
怯える様子のハマナスの頬をコナタの翼が優しく撫でる。
「安心しな。目の前にあるノイズは大したもんじゃない。なにより、俺がお前を傷つけさせやしないさ」
フフンと得意げに笑いを漏らすコナタに、ハマナスの恐怖は少しだけ和らいだ。
楽士としてまだ未熟な自分への反省をあとにして、まずは目の前のノイズの発生源――バイオリンと数枚の楽譜に集中する。
おそらくは作曲家のフランツが残したであろうそれは丁寧にメンテナンスされていた跡と、ノイズによる風化がまだら模様になっている姿。
あれがブランディーヌさんの言っていた作っていた曲なのだろうか、とハマナスは一歩近づく。
すると耳障りな音が少しずつ音量を上げてきた。
「まるで、楽譜とバイオリンが近づくなとでも言わんばかりだな」
「なんで近づいてほしくないのか、そこにきっとあの曲の秘密があるはずだよね」
ハマナスは楽譜と楽器それぞれを、自分の力を使って『潜って』探る。
一方でコナタは、部屋の中にめぼしいものがないか探してみることにする。
もちろんいつでもハマナスを助けられるように、無音の力のバリアをハマナスに張っておく。心も体も侵食を防ぐ、特別な力だ。
ハマナスが深く意識を沈めていく。深さを増していくと徐々に闇と冷たさがやってくる。
いくつかあるハマナスの特技の中でも『潜響』と呼んでいる術の1つだ。
そうして意識の深海の奥底を抜けると、次第に過去の幻影を見え始める。
手入れされた楽器、作曲された曲の楽譜、それらがフランツの人となりを示す。そうした残された思いの欠片が、1つの光景をハマナスの目に映し出す。
目の前にはブランディーヌに似た一人の少女と若かりしフランツがいた。
「お父さんは、お母さんとどうやって出会ったの?」
「さぁ、どうだったかな。もう忘れてしまったよ」
「そんな、ひどいわ。お母さんきっと悲しんでいるわね」
「そうはいっても、もう彼女が亡くなってずいぶん経つからなー。あっと……また目玉焼きが焦げてしまった」
「別にいいわ。お父さんの料理も好きよ、私」
彼は病で最愛の奥さんを亡くし、男手1つでブランディーヌ育てていた。
作曲家としては腕がいい反面、家事や育児は苦手だったようだ。
それでも一人娘が不自由なく幸せに暮らせるよう、仕事の合間も町の人の助けを借りながら、料理の練習や掃除の仕方などを教わっていた。
しばらくしてブランディーヌは成長し、隣町から行商に来ていた男性と結婚することになる。
あいさつを交わしたフランツは、平凡だが誠実そうな男性をみて胸をなで下ろした。
「どうか、娘を頼みます」
「きっと幸せにします」
フランツは彼の返事に笑顔と、1つの提案をした。
「せっかくだ。結婚式用に曲を贈るよ」
「やった! どんな曲にするの?」
無邪気に喜ぶブランディーヌに、フランツは笑い声を上げた。
「ちょうど私の故郷の曲を編曲中でね。きっと君たちの結婚式にピッタリの曲になる」
フランツは一人娘の晴れの結婚式のため、贈り物として1つの曲を作り始める。
しかし自身の身が、亡き妻と同じ病に冒されていたとわかったのはそのあとだった。
人よりもノイズの影響を受けすい性質を持ち、体が徐々に侵食されていく不治の病。
体も記憶も侵食していき、荒れていくフランツの姿がみえる。
徐々に不協和音が部屋を、そして家を満たしていく。
ノイズはときに、直接的な被害を及ぼすだけではない。
楽しかった思い出を苦く、苦しいものに変質させたり、記憶を虫食いのように食いつぶしていく。中には音楽の音色までもが歪んで恐ろしいものになってしまう。
望むと望まざるとにかかわらず、その人の大切なものの形を変えてしまう。
フランツさんのこの幻影も、おそらくはそうだろうとハマナスは感じる。
その姿はわずかに覚えている両親のこと、そして自分の過去について思い出す。
フランツの張り詰めた思いが、ひび割れたノイズとなってハマナスにも伝播する。
コナタが間に入り、ノイズの悪影響からハマナスを守る。
「ハマナス、これ以上深入りすると心が持っていかれるぞ!」
「だめ。もう少しで、掴めそうなの!」
コナタの先導で侵食を防ぎながら、思いを探るハマナス。
「誰かを想って紡いだ曲が、悪いものだなんて思いたくない」
自分の体への恨み、病への憎しみ。フランツの言葉はいくつものフレーズとなってハマナスの目の前を過ぎていく。
「忌々しい体め」「どうか行かないでくれ」「私はこれからどうすればいい」「曲の1つすらまともに書けないのか」「病さえなければ、一緒に暮らせるはずだ」「指もろくに動かない」「あぁ、なんて醜い」「独りは嫌だ」
嵐のように荒れ狂う言葉ををかき分け、ハマナスはフランツの真意を探る。
そうして、潜り抜けた先にフランツの過去が垣間見えた。
彼の息はもう、消える寸前のようだ。
譜面台にうつ伏せ、楽譜にすがりついているように見える。
「フランツさん、もう…」
もうこれは起きてしまった過去のことだ。
自分にはどうすることもできない。
わかってはいても、彼へ話しかけてしまう。
フランツが起き上がり、ペンを走らせる。
「あぁ、やっと出来た。これでいい」
曲の最後のフレーズを書き終えたフランツは、満足げに微笑み、うなだれる。
「どうか。どうか、幸せに」
思いの込められた音は孤独に死ぬ苦しみへの呪いではなく、娘の幸せを願う気持ちだった。
「フランツさん、最期のときまで、心から彼女のことを愛して、彼女の幸せを願っていたんだ」
ハマナスの調律により浄化される楽器と楽譜。
ノイズが晴れると、そこには古いバイオリンと娘を思って作った最後のフランツの曲だけが残された。
虫食いで、足りないフレーズがある楽譜だが、ハマナスの目には確かに欠けていたフレーズが見える。
足りない楽譜の部分を、ハマナスが楽譜に書き込み、補完する。
姿を取り戻した楽譜をまとめ、抱きかかえると、ハマナスは深々と一礼をしてその場を去った。
数日後。
よく晴れた日に、挙式は行われた。
隣町の人も訪れ、盛大なお祭りのように賑わいだ。
ブランディーヌと行商人の男性が町の広場で婚姻の誓いを交わす。
楽士隊の音楽により、二人の周りを精霊が舞う。
「ブランディーヌ、愛しているよ」
「ええ、私も」
愛の言葉に、広場の歓声は一段と大きくなる。
二人が周りへお礼を述べていると、ハマナスも二人の前へバイオリンを片手にやってくる。
「ご結婚おめでとうございます」
「ハマナスさん、コナタさん。お二人も、どうもありがとう。今回は、なんとお礼を言って良いのか」
「お礼なら、演奏を聞いてからでいいぜ。ハマナス準備はできてるか?」
ハマナスがバイオリンを構える。
人が苦手なハマナスが、このときはブランディーヌの目をみて口を開いた。
「フランツさんから、あなたへ。この曲を贈ります」
ハマナスの奏でるバイオリンの音色は、静かに、しかし華やかに広場人の耳と心に伝わっていく。
そうして音楽は次第に、周囲の精霊を集め、1つの音楽魔法となっていく。
光の粒が新郎新婦のあたりを照らし、どこからともなく流れてきた花びらと一緒に舞い散る。いくつかの花びらは、ブランディーヌの髪に集まると、小さな花飾りとなった。
光の粒は生まれたときから今までの彼女の軌跡を映し出す。
喜怒哀楽の情景が、代わる代わる流れては消えていく。
その中で、ひときわ大きく光る光景がある。
いつの日かの出来事。
フランツと、また幼いブランディーヌと、母の小さな演奏会。
「私、大きくなったらパパよりすごい作曲家になるわ。お母さんも、絶対聞いてね」
「あら。それは楽しみね。長生きしないと」
「そのときが楽しみだな」
ハマナスの奏でる曲が、フランツの作った曲が、彼女の生きるすべての時間に幸あれと願っている。
『この曲、とってもふわふわあたたかくていいね』
『わたしもこの曲、だいすき』
精霊たちも、曲に込められた温かさを語り合っている。
父からの贈り物に、ブランディーヌは静かに涙する。
「私、父がただ辛く、苦しい中で亡くなったものとばかり…。今、父の音楽を通じて今やっと知ることができました」
ブランディーヌはハマナスたちに涙を目に浮かべ、笑顔を作る。
「ハマナスさん、コナタさん。ありがとう。私、今、とっても幸せよ」
その姿を見たとき、ハマナスもまた両親が自分を愛してくれていたことを思い出す。
「なにか思い出したか?」
「元になった曲を、よくお父さんとお母さんと聞いてたんだ。お母さんの故郷の曲だって」
「幸せそうだったか?」
「うん。なんてことのない普通の、でも大切な、大好きな思い出だったよ」
しばらく、ハマナスは精霊たちの操るムジカを、コナタと一緒に見ながら、お祝いの場を楽しんだ。




