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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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エレナの選択



 緊張が解けたように、よろよろとクリスが座り込む。

 様子を見ていたエレナは我に返り、慌てて彼の元へ寄った。

「クリス」

 彼の肩に触れ、まっすぐにその瞳を見つめた。

「今のって……陛下は」

「何も聞かないで。――――ああ、エレナ」

 彼は遮ると、こちらを見つめ、ほっとしたように息を吐いた。少女の頬に手を伸ばし、ぎこちなく微笑んで見せる。

「……エレナ、よくやった」


 その笑顔を見ただけで、なぜか泣きたくなった。

 エレナは唇を噛んで、少年に腕を伸ばす。

 二人は強く抱きしめ合った。


 少年は鳶色の瞳でエレナを見る。

「ラズールが怒らなくて良かった。てっきり復讐に走るかと思ったよ」

 エレナは息をついた。

「あの子の生きがいを、わたしが殺した」

「いいや、ラズールはあいつを愛していたけど、生きがいにはできなかったんだ。グランディールはとっくに狂っていて、ラズールの愛を必要としていなかった。それを彼女自身が、やっと理解したんだよ」



 その時、恐ろしい音がして、大きな窓から幾つもの影が入って来た。

 黒い生き物たちが翼を動かし、牙を剥き、窓から続けて飛び込んでくる。

 クリスが立ち上がり、瞳を鋭く細めた。

 「(ノヴル)」達は醜い声で騒ぎ立てながら、みるみるうちにクリスとエレナを取り巻いて行く。そのうちの一匹が、甲高い声で叫んだ。

「黒の王が殺された! 俺は見ていたぞ!」

 不気味な声に、エレナは身を竦めた。

「そうだ! ラズールはそのまま逃げたみたいだが、俺たちは違う!」

「黒の王の復讐を!」

 ぎゃあぎゃあとけたたましく騒ぎ立てる魔物達。クリスが彼らを鋭く睨んだ。

「黒の王はご乱心だった。だから俺達が止めてさしあげた。それだけだ」

 名もなき魔物達は真っ赤な目をして騒いだ。

「狂ってるのはお前の方じゃないのか?」

「目を覚ませ! クリス!」

 クリスは歯を食いしばり、怒りに満ちた目で魔物達を見渡した。

「あの場にいたのがお前達でも、同じことをするだろう。王は狂っていた。気に入らない魔物は、部下だろうがお構いなしに殺そうとしていたんだ」

 叫びたいのを抑えるように、まっすぐに黒い群れを見つめた。

「ラズールは逃げ出したんじゃない。狂った王がどんなに危険か理解したんだ。お前達、それも分からないのか」

 天井が割れるような鳴き声で、魔物達が抗議の声をあげる。

 

 彼らは黒の王に仕えていたと言っても、実際に顔をあわせたのは命令を聞く時ぐらいのものだ。その根底にあるのは「(ミッド)」への憎悪と、それ(ゆえ)の黒の王への忠誠心。

 グランディールがどんなに狂っていたか、はっきりと理解している者はほとんどいない。誰もがただ、自分の主が殺されたという事実だけを見つめていたのだ。

 真実を知ろうとしない彼らは今、お門違いな復讐を始めようとしていた。


 魔物達はそろって唸り声をあげ、その手に銀の光を宿した。

 魔法もろとも飛び出して、エレナめがけて襲い掛かる。

 まるで、部屋の隅に潜んでいた闇がそのまま伸びて、自分を呑みこもうとしているように見えた。


 エレナは呼吸を荒げ、必死に(つる)を繰り出した。しかし相手の数は多く、意味などあってないようなものだ。

 闇の塊は逃げるどころか、勢いを増して近づいてくる。

 恐怖が全身を縛りつけ、動くこともできなくなった。

 視界が銀と黒に染められる。


 一瞬、目の前を別の流れ星が横切った。

 他のものとは違う、強い輝きが目を刺す。

 それは銀色に光りながら、迫りくるいくつもの黒い影を、すべてなぎ倒した。

「ぐあっ」

「ぎゃうっ」

 「(ノヴル)」達は悲鳴をあげて壁や床に叩きつけられる。

 中には凄まじい魔力に耐え切れず、そのまま消えてしまうものもいた。


 少年が、エレナの前に立ちはだかっていた。彼の出した魔力は、桁違いのものだった。

 鳶色の瞳は黒い生き物たちを睨みつけ、血の流れる足で体を支えていた。


「クリス、こっちへ来い!」

 一匹の「(ノヴル)」がいらいらしたように叫んだ。

「その小娘が王を殺したんだろう! なぜ(かば)う!」

「エレナは俺を守るために黒の王を殺したんだ。だから今度は、俺がエレナを守る」

「ふざけるな!!」

 魔物達が不気味な声で騒ぎ立てる。

「裏切るなら、お前も一緒に八つ裂きにしてやる!」

 それは、少年が「(ノヴル)」をも敵に回した瞬間だった。

 彼は何も言わず、悲しそうな瞳で黒い生き物達を見据えた。


「クリス」

 黙ったままの少年を、エレナは呼んだ。

 彼は答えない。

「クリス!!」

 彼の背に駆け寄って、右手を握りしめた。手伝いたかったが、エレナの魔力はひ弱なものだ。クリスもそれは知っているだろう。彼は、一人でけりをつけるつもりなのだ。

「馬鹿なことしないで。あなたはけがしているし、相手はこの数よ! あなたが死んでしまったら……」

「大丈夫、俺の取り柄は魔力だけなんだ」

 少年は静かに振り返り、静かな瞳でエレナを見た。

「手伝いはいらないよ。俺に、お前を守らせて」



 それは、不思議な光景だった。

 永遠の闇に喰われるような、眩しい光に裂かれるような、恐ろしく美しい世界。


 迫りくる魔物達。その中に時折ちらつく魔法の光。

 それをすべて、横切る銀が切り裂いた。


 黒。漆黒。塗りつぶされた闇。

 そこに飛び交う星々。きらりきらりと瞬き、光っている。

 轟音と共に、すべてを貫く流れ星。眩しい白銀が視界を突き刺す。

 遠く近く、風を切る音がする。


 闇に呑みこまれそうな少年は、ひたすら気丈に立っていた。

 流れ星が光る度、傷だらけの背中が見える。その足元には、赤い赤い血だまり。


 抱きしめたい。やめさせたい。

 でも、彼は生きるつもりなのだ。

 今はただ、それだけがすべてだ。

 だからどうか。



 闇に少しずつ光が差し込むように、黒い生き物の連なりは、いつしかまばらになっていた。

 あちこちから聞こえる悲鳴は泣き叫ぶようで、胸が押しつぶされそうになる。

 それでも少年は立っていた。

 最後の力を振り絞って、全身から血を流しながら、鳶色の瞳で黒い生き物たちを捕えて離さなかった。

 エレナはその後ろ姿を見つめることしかできなかった。

 苦しくてたまらなくて、ただ、どうか死なないでと願った。



 そうして、少年は黒い生き物の最後の一匹に光を当てた。

 名もなき「(ノヴル)」は断末魔の叫び声をあげて掻き消える。

 後には何も残らなかった。



 突然、静寂が訪れる。

 恐ろしい騒ぎのあとで、部屋は信じられないくらい静かだった。

 月の光が大きな窓から差し込み、広い部屋を美しく照らしている。

 エレナはクリスに駆け寄り、血のついた顔を見つめた。最初に何を言うべきかは、ちゃんと知っていた。

「クリス」

「何?」

「あ、ありがとう」

 笑おうとしたが、うまくできなかった。彼の全身が、あまりにも傷だらけだったから。

 それでもクリスは、少しだけ目を細めた。

「一度、お前に礼を言われたかったんだ。……笑ってくれると、もっといいんだけど」

 そう言った途端ぐらりと揺れ、突然膝をついた。

「クリス!」

 驚いて駆け寄り、触れれば手に血がついた。

 少年はエレナにつかまり、立とうとする。

「だめ!! 立たないで! 血が……出て……!!」

 泣きそうなエレナに、彼は安心させるように微笑んだ。

「大丈夫だよ」

 そう言って、ゆっくりと立ち上がる。

「俺が城に来た時のこと、覚えてる? ひどい傷だったけど、たったの五日で治ってしまったんだ。俺の魔力は普通じゃないんだよ。こんなことで死んだりしない」

 エレナはどうしようもない思いで顔をあげた。

「この傷だって、すぐに治ってしまうさ。俺が怖いか?」

「いいえ」

 泣きそうな瞳で彼を見た。

「良かった。あなたが生きてくれるなら、なんでもいい」

 少年の瞳がエレナを捕える。

 窓から差し込む光を背に受け、黒髪が照らされていた。

 傷だらけだと言うのに、月光の中の少年は、異常なまでに美しかった。


「俺は、お前が好きだ」

 彼はぎこちなく笑った。

「どれくらい好きだか、お前には分からないだろう」


 エレナは黙ってその言葉を聞いていたが、やっとのことで微笑み返した。

「きっと分かるわ。わたしだって、今までもこれからも、あなたへの想いは変わらないもの」

 鳶色の瞳は光を湛えていた。

「エレナ」

 まっすぐに、こちらを見つめる。

「俺はお前がいるから、こうして生きていられるんだ。本当だよ」

 少年は音もなく窓へと歩いて行くと、静かに窓枠へ飛び乗った。

 夜の闇を見つめる彼は、それよりも、もっと遠くを見ているようだった。

 満月は美しく輝き、彼の体を幻のように浮かび上がらせている。

「俺はここにはいられない」

 彼はゆっくりこちらを振り返ると、エレナに手を差し伸べた。

「一緒に行こう、エレナ」


 エレナはハッとしてクリスを見た。

 彼には居場所などないのだ。

 「(ミッド)」にも「(ノヴル)」にも疎まれた少年は、朝が来れば殺されてしまう。クリスが生きるためには、遠くへ行かなければならないのだ。

 彼の見つめた先は、きっと世界の果て。

 皆に後ろ指を指され、世界から逃げながら、平穏の地を探して生きるのだろう。

 それはとても残酷で、悲しい未来だった。

 それなのに、クリスの瞳には希望が溢れていた。


 彼は自分の居場所を知っているのだ。

 エレナが傍にいれば、少年は生きられる。

 例え地の果てへ追われても、確かに幸せでいられるのだ。

「さあ、一緒に来て」

 彼はエレナを一心に見つめた。

「俺はお前となら、どこまでだって行ける」



「だめよ」

 エレナは首を振った。その拍子に、涙がこぼれた。

「姫様を置いていけないわ」

 少年の顔が歪んだ。

「だって、……だって、あいつには、なんでもあるだろ?」

 つっかえながら、エレナを食い入るように見た。

「なんでだよ。俺にはお前しかいないんだ。どうして」

「姫様は、なんでもあるように見えて、なんにも持っていないの」

 エレナは喉を震わせた。

「あの方は皆に嫌われてるの。今回のことで、誰もがあの人を見捨ててしまった。わたしが行ってしまったら、一人ぼっちになってしまう」

「だけど……そんなのって変だ! 俺だって…………一人ぼっちなのに!」

「クリス」

 エレナは泣きたいのを堪え、必死に言葉を続けた。

「お願い、分かって。姫様はとても優しくて……あなたと違ってとても(もろ)いの。わたしが傍にいなければ、あの方はいつかきっと、消えてなくなってしまうわ」

 少年は静かにエレナを見た。

「ああ、そう」

 彼はゆっくりと微笑んだ。その笑みはひどく歪んでいて、エレナは思わずぞっとする。

「お前はあいつを選ぶんだ」

 自嘲するような声に、心臓が掴まれたような気がした。

「違うわ!」

 彼の瞳から、感情は読み取れない。ただ、壊れそうな笑みが張り付いている。

「最初からお前は、俺を選ぶ気などなかったんだ」

 エレナは唇を噛んで、揺れる瞳で少年を見つめた。

「どうしてそんなことを言うの? ひどいよ……!」

「なんとでも言え。俺はこの国では邪魔みたいだからな。お前の目の前からは、きちんと消えてやるよ」

 打って変ったその言葉に、何が起こったのかも分からなかった。ただどうしようもなく、彼の手を掴みたい衝動に駆られた。けれど、そんなことはできない。捕らわれた姫は、今も牢屋で泣いているかもしれないのに。


 その様子を見て、少年は残酷に笑った。感情を隠した目で、楽しそうにこちらを見る。

「これで終わりだ。今度こそさよならが言える」

 エレナは喉を詰まらせながら、叫んだ。

「行かないで!」

 月の光が、少年の黒い髪に零れ落ち、輝いた。

 何よりも懐かしい、鳶色の瞳。



 声が、震えた。

「あなたが好きなの」

 大きな窓に立つ少年は、あふれる月光を浴びて、ひどく輝いていた。

 彼は悲しげな顔で微笑んだ。

「さよなら、エレナ」




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