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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第八章 流れ星が照らすもの
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牢獄の王女



 廊下は終わりもないように見えた。

 足はがくがく震え、動かすのもやっとだった。

 彼の苦しみはこんなものじゃない、そう思いながら、エレナは傷だらけの体を進める。

 涙がこぼれて止まらなかったが、ひたすら前を見据え、歩き続けた。



 まっすぐ伸びた廊下はどこまでも静まり返っている。

 「(ノヴル)」は一匹も出てこなかった。

 生き物の気配が消え、ぼろぼろに崩れた壁や穴の開いた床が、やけに目立つ。ロレンツォに教えられた牢屋への道を思い出しながら、廃墟になったような城を進んだ。

 長い螺旋階段を降り、地下牢へ辿り着くと、そこには多くの人が捕まっていた。

 ヴァーグでは「(ミッド)」が「(ノヴル)」を囚人として閉じ込めていたのだが、ここでは逆なのだ。中に入った人々は、怯えたような目や、諦めたような表情をしていた。

 エレナは鍵を探したが、見つかる気配もない。


 その時、小人のような影が走って逃げるのが見えた。その手には、探していた物がジャラジャラと揺れている。

 エレナは蔓を伸ばし、小さな「(ノヴル)」を捕まえた。足から逆さにつるされ、「(ノヴル)」は悲鳴をあげる。

「ふぎゃぁ!」

 動けなくなった生き物は、驚いてこちらを見た。

 小さなその手から、エレナは鍵を奪い取る。

「なにすんだ! 小娘!」


「静かにして」

 エレナは「(ノヴル)」を見据えた。

「姫様はどこ? 教えてくれれば、これ以上は何もしないわ」

「知らないよ! 金髪のお姫様なんて!」

 まぬけな声を出す「(ノヴル)」を、エレナは睨みつける。

 そのまま、腰に下げていた短剣を手に取った。おもむろに鞘から取り出せば、黄金の短剣は一層残酷に光る。

 いまだに動けない「(ノヴル)」は、ぎょっとしてそれを見た。

「何する気だ! お前!」

 わめく「(ノヴル)」の喉元に、ヒュッとそれを突き付ける。途端に小さな生き物は静かになった。

 エレナは震えもせず、はっきりとした声で言った。

「この剣は金でできているの。あなたがどんな生き物であれ、一瞬で殺すことができるわ」

 怯えた「(ノヴル)」をしっかりと見据える。

「教えなさい。姫様はどこ?」


「お、奥だ。奥にいるよ。この道をまっすぐ行って、つきあたりを左にいくと、もっと下へ続く階段がある。そこに、金髪のお姫様はいる」

 かぼそい声で「(ノヴル)」は言った。

 その言葉を聞いて、エレナは短剣をしまうと、ゆっくりと蔓を降ろした。

「……ありがとう」

 見上げる「(ノヴル)」を見つめ返し、息を吐くように告げる。

「わたしは『(ミッド)』を牢から出すわ。あなたは彼らが出る前に逃げた方がいい」

 エレナの表情を見て、「(ノヴル)」はしばし立ち竦んだ。

「お前、最初から、おいらを殺すつもり、ない?」

「かもね」

 鍵を握りしめて答えれば、「(ノヴル)」はきいきいと声をあげた。

「この! 騙したな! こいつ!」

「いいから早く行きなさい。『(ミッド)』の牢屋を開けたら、あなたは捕まっちゃうわよ。わたしは急いでるの」

 半ば困って言うと、エレナは牢屋へと歩き出した。それを見た「(ノヴル)」は、「ケチ!!」と罵声を吐いて、諦めたように走って行った。

 

 

 エレナは牢を進んで行き、順番にその鍵を開けて行った。捕虜となった「(ミッド)」の顔からは、一様に血の気が失せている。しかし牢が開いたことによって、人々は皆、少しだけ表情を緩めたのだった。

 すべての牢を開き終えると、エレナは一つ息をつく。

 その頃には「(ノヴル)」はすべて逃げていたが、「(ミッド)」の誰しも、戦の終わりを実感していないようだった。


 侍女や兵士達は、黒の王の死を信じてはくれなかった。牢から出た今、この国を捨てるかどうか話し合っている。彼らは一度国を抜け出そうとしたシルヴィアを、もう主人と認められないらしかった。

「どうする?」

「さっさとここを出た方がいい。迷っているうちに『(ノヴル)』に全滅させられるぞ」

「私も行くわ。故郷の村の方が、まだ安全よ」

 騎士達は当然のごとく歩き出す。侍女たちも少し迷っているようだったが、結局地上へ続く階段へ向かった。

 エレナは唇を噛んだ。

 彼らへの怒りよりも、現状を変えられない自分のもどかしさに苛立った。いつのまにか拳を握りしめていたせいで、手の中の鍵が音を立てる。

「待って下さい」

 叫びたくなるのを堪え、できるだけ冷静を装い、エレナは言った。

「あなた方はこの国に仕えているんでしょう? 姫様を助けようとは思わないんですか?」

 一人の女が振り返り、どこか面倒くさそうな、疲れた瞳でこちらを見下ろした。

「あなたも知ってるでしょ。王女様はこの国を捨てたの。それは私達を捨てたのと同じよ」

 その女の顔には見覚えがあった。リタという王女付きの侍女だ。

 エレナは悲しくなる。この侍女がシルヴィアに仕えていた時間は、決して少なくない。

 リタは何度もシルヴィアと言葉を交わしている。それなのに、彼女の本質を見ていない。


「姫様は体制を整え、国を立て直すために、一旦ここを出ようとしただけです。その選択は間違っていたかもしれない……でも、すべてこの国を想ってのことです。あなた達を見捨てた訳じゃありません」

 リタの目は、諦めたような色をしていた。

「私はあの王女があまり好きじゃなかったけど、自分の主人だとは認めていたわ。わがままな人だけど、本当は少しだけ愛着もあった。でも、これ以上傍にいるのは無理よ。あなたがなんと言おうと、結局あの人は、自分勝手な人間でしかなかったの」

 彼女の口調は(さげす)むものではなく、どこか寂しそうなものだった。

 エレナは口を開こうとしたが、その上から低い声が被せられる。

「そういうことだ。お前も長年彼女に仕えているようだが、そろそろ現実を見た方がいい」

 近くにいた中年の騎士だった。隣の兵士も続ける。

「そうだよ。君は何かとあの王女のことを気にしていたけど、いつまでも傍にいたら、国と共に死ぬことになるよ」

 エレナは眉をひそめた。

「戦いはもう終わったんです。今度こそ姫様が――」

「行こう」

「そろそろ『(ノヴル)』達が来る頃だぞ」

 騎士や侍女たちは、再びぞろぞろと歩き始める。

 最後にリタが振り返り、同情に満ちた目でエレナに告げた。

「ごめんなさいね。でももう、私達も傷つきたくないのよ」


 エレナは立ち尽くした。彼らは既に、この国もシルヴィアも諦めている。

 傷だらけの人々は、再び絶望するのを恐れているようだった。彼らにとって、エレナの掲げる希望は、すべて偽りに聞こえるらしい。


 騎士達の青い礼服や、紺色の侍女の背中を眺めながら、エレナはついにかける言葉を失った。

 どうやっても、この人たちを止めることは出来ないと分かったのだ。


 シルヴィアが恐れていたことが現実になる。

 国を愛したはずの王女が、すべての人に見捨てられてしまう。

 だからこそ、エレナが行かなければならないのだ。


 静かに息をつくと、エレナは奥へと視線を向けて、駈け出した。

 わき目もふらず、「(ノヴル)」に教えられた一番奥へと走って行く。

 たった一つの足音が、地下牢に高く響いた。






 闇に揺れる灯りが、暗い牢屋を照らしている。

 項垂(うなだ)れる人影に、エレナは叫ぶように声をかけた。

「姫様!」

 シルヴィアは静かにこちらを見る。

「……エレナ。……なぜ来たの?」

 疲れたように目を伏せる。

「もう関わらないでちょうだい。……そう言ったでしょ」

 ずきん、と胸が痛む。

 それでもエレナは、必死に笑いかけた。

「姫様、『(ノヴル)』の王はもういません」

 まっすぐに、シルヴィアを見つめた。

「わたしが倒しました」

 彼女は顔をあげた。

「嘘よ。あなたはまた私をだまそうとして……」

 エレナは急いで腰から金の短剣を取り出した。

「これを見て下さい。金であれば、どんな『(ノヴル)』も倒せるんです。例え相手が、グランディールだとしても」

 短剣を差し出した手は、切り傷だらけだ。シルヴィアの目が見開かれた。

「あなた……まさか、本当に?」

 エレナはほっとして、やっと心から微笑んだ。

「わたしは姫様を裏切ったことなどありません」

 動けないでいるシルヴィアをよそに、鍵を開けた。

「姫様、来てください。もう『(ノヴル)』達は城から出て行ったんです」

 シルヴィアは驚きを隠せないまま、恐る恐る牢から出た。

 ふらふらと歩く彼女を、エレナはそっと支える。

 彼女はまっすぐこちらを見て、静かに言った。

「エレナ」

「なんでしょう?」

 問い返せば、青い瞳が食い入るようにエレナを見た。

「私、今、目が覚めた気がするわ」

 二人の髪は灯りに輝き、暗い部屋の中でも温かく光った。

「あなたはいつも、こうして微笑んでいてくれたのに」

 シルヴィアの目から涙が流れた。

「あんなひどいことを言って……それでもあなたは、やっぱり来てくれたのね」

 金の髪を揺らして、エレナに抱きついた。

「ごめんなさい。ごめんなさい、エレナ」

 泣きながら、彼女は叫ぶように言った。

 エレナはシルヴィアを抱きしめた。その温もりに、懐かしさが込み上げる。

「わたしはずっと、姫様の味方です」

 優しい気持ちが溢れてくる。それは白くて温かな羽のように、エレナを包み込んだ。

 シルヴィアからはもう、あの恐ろしい憎しみは感じられなかった。

 そこにいるのはいつもの優しい王女であり、大好きなシルヴィアその人だった。



 その時、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。二人は驚いてそちらを見る。

 エレナはシルヴィアから身を離すと、急いで彼女の前に立ちふさがった。

 足音はどんどん近づいてきて、一人の男が顔を出す。

「二人とも、そこにいるのか?」

 少女達の顔が輝いた。


 エレナが彼の名を呼ぼうとすると、それより先にシルヴィアが歓喜の声をあげた。

「ロレンツォ!」

 彼はこちらへ降りてきて、優しく二人を見下ろす。

「良かった。エレナ、無事でなによりだ。姫君もよくぞご無事で」

 目を細め、息を吐くように言った。

「ずいぶん心配したんですよ」


 シルヴィアが申し訳なさそうに俯いた。

「探してくれたのね。私……あなたは私のことを捨てたんだと思ってたわ」

 ロレンツォは困ったように言った。

「余計な心配をさせてしまったようですね。お傍に行けなくて申し訳ありません」

 そうしていつものように微笑みを浮かべた。

「そうだ、あなたにこれを届けようと思いましてね……ここへ持ってきたんです」

 彼はそう言って笑い、自分の背中を指さした。

 エレナはそこで初めて、彼が何かを背負っているのに気付いた。それは弓と矢筒だったが、普通のものとは違っていた。

 しなるような弓の()が、矢筒に入った矢の一本一本までもが、金に輝いていた。廊下の灯りが揺れるたび、黄金がちらちらと美しく煌めく。


 エレナは静かに目を見張った。

「本当に……本物を見つけて来たのね」

 シルヴィアも食い入るような目をしている。

「――アシオンの弓矢ね? 本物の場所は兄様しか知らなかったはずよ。……どこにあったの?」

 ロレンツォは弓と矢筒を外しながら言った。

「国王陛下の寝室です。もしかしたらと思って行ってみたら、寝台の下に隠してありました。陛下はきっと、寝る前にこの弓矢を眺めて、『(ノヴル)』との戦いに向けて色々なことを考えていたんでしょう」

 そう言いながら、姫に苦笑して見せた。

「勝手に入ったことは許して下さい。緊急事態ですから」

「そうね、あなたなら許すわ」

 シルヴィアは微笑んだが、不意に不思議そうな顔になった。

「でも、もうグランディールは死んだはずでしょ。その弓矢は何に使うの?」

 ロレンツォはその言葉を聞いて、突然真面目な顔になった。

「まだ戦いは終わっていません」

 二人は驚いて彼を見上げた。



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