牢獄の王女
廊下は終わりもないように見えた。
足はがくがく震え、動かすのもやっとだった。
彼の苦しみはこんなものじゃない、そう思いながら、エレナは傷だらけの体を進める。
涙がこぼれて止まらなかったが、ひたすら前を見据え、歩き続けた。
まっすぐ伸びた廊下はどこまでも静まり返っている。
「魔」は一匹も出てこなかった。
生き物の気配が消え、ぼろぼろに崩れた壁や穴の開いた床が、やけに目立つ。ロレンツォに教えられた牢屋への道を思い出しながら、廃墟になったような城を進んだ。
長い螺旋階段を降り、地下牢へ辿り着くと、そこには多くの人が捕まっていた。
ヴァーグでは「人」が「魔」を囚人として閉じ込めていたのだが、ここでは逆なのだ。中に入った人々は、怯えたような目や、諦めたような表情をしていた。
エレナは鍵を探したが、見つかる気配もない。
その時、小人のような影が走って逃げるのが見えた。その手には、探していた物がジャラジャラと揺れている。
エレナは蔓を伸ばし、小さな「魔」を捕まえた。足から逆さにつるされ、「魔」は悲鳴をあげる。
「ふぎゃぁ!」
動けなくなった生き物は、驚いてこちらを見た。
小さなその手から、エレナは鍵を奪い取る。
「なにすんだ! 小娘!」
「静かにして」
エレナは「魔」を見据えた。
「姫様はどこ? 教えてくれれば、これ以上は何もしないわ」
「知らないよ! 金髪のお姫様なんて!」
まぬけな声を出す「魔」を、エレナは睨みつける。
そのまま、腰に下げていた短剣を手に取った。おもむろに鞘から取り出せば、黄金の短剣は一層残酷に光る。
いまだに動けない「魔」は、ぎょっとしてそれを見た。
「何する気だ! お前!」
わめく「魔」の喉元に、ヒュッとそれを突き付ける。途端に小さな生き物は静かになった。
エレナは震えもせず、はっきりとした声で言った。
「この剣は金でできているの。あなたがどんな生き物であれ、一瞬で殺すことができるわ」
怯えた「魔」をしっかりと見据える。
「教えなさい。姫様はどこ?」
「お、奥だ。奥にいるよ。この道をまっすぐ行って、つきあたりを左にいくと、もっと下へ続く階段がある。そこに、金髪のお姫様はいる」
かぼそい声で「魔」は言った。
その言葉を聞いて、エレナは短剣をしまうと、ゆっくりと蔓を降ろした。
「……ありがとう」
見上げる「魔」を見つめ返し、息を吐くように告げる。
「わたしは『人』を牢から出すわ。あなたは彼らが出る前に逃げた方がいい」
エレナの表情を見て、「魔」はしばし立ち竦んだ。
「お前、最初から、おいらを殺すつもり、ない?」
「かもね」
鍵を握りしめて答えれば、「魔」はきいきいと声をあげた。
「この! 騙したな! こいつ!」
「いいから早く行きなさい。『人』の牢屋を開けたら、あなたは捕まっちゃうわよ。わたしは急いでるの」
半ば困って言うと、エレナは牢屋へと歩き出した。それを見た「魔」は、「ケチ!!」と罵声を吐いて、諦めたように走って行った。
エレナは牢を進んで行き、順番にその鍵を開けて行った。捕虜となった「人」の顔からは、一様に血の気が失せている。しかし牢が開いたことによって、人々は皆、少しだけ表情を緩めたのだった。
すべての牢を開き終えると、エレナは一つ息をつく。
その頃には「魔」はすべて逃げていたが、「人」の誰しも、戦の終わりを実感していないようだった。
侍女や兵士達は、黒の王の死を信じてはくれなかった。牢から出た今、この国を捨てるかどうか話し合っている。彼らは一度国を抜け出そうとしたシルヴィアを、もう主人と認められないらしかった。
「どうする?」
「さっさとここを出た方がいい。迷っているうちに『魔』に全滅させられるぞ」
「私も行くわ。故郷の村の方が、まだ安全よ」
騎士達は当然のごとく歩き出す。侍女たちも少し迷っているようだったが、結局地上へ続く階段へ向かった。
エレナは唇を噛んだ。
彼らへの怒りよりも、現状を変えられない自分のもどかしさに苛立った。いつのまにか拳を握りしめていたせいで、手の中の鍵が音を立てる。
「待って下さい」
叫びたくなるのを堪え、できるだけ冷静を装い、エレナは言った。
「あなた方はこの国に仕えているんでしょう? 姫様を助けようとは思わないんですか?」
一人の女が振り返り、どこか面倒くさそうな、疲れた瞳でこちらを見下ろした。
「あなたも知ってるでしょ。王女様はこの国を捨てたの。それは私達を捨てたのと同じよ」
その女の顔には見覚えがあった。リタという王女付きの侍女だ。
エレナは悲しくなる。この侍女がシルヴィアに仕えていた時間は、決して少なくない。
リタは何度もシルヴィアと言葉を交わしている。それなのに、彼女の本質を見ていない。
「姫様は体制を整え、国を立て直すために、一旦ここを出ようとしただけです。その選択は間違っていたかもしれない……でも、すべてこの国を想ってのことです。あなた達を見捨てた訳じゃありません」
リタの目は、諦めたような色をしていた。
「私はあの王女があまり好きじゃなかったけど、自分の主人だとは認めていたわ。わがままな人だけど、本当は少しだけ愛着もあった。でも、これ以上傍にいるのは無理よ。あなたがなんと言おうと、結局あの人は、自分勝手な人間でしかなかったの」
彼女の口調は蔑むものではなく、どこか寂しそうなものだった。
エレナは口を開こうとしたが、その上から低い声が被せられる。
「そういうことだ。お前も長年彼女に仕えているようだが、そろそろ現実を見た方がいい」
近くにいた中年の騎士だった。隣の兵士も続ける。
「そうだよ。君は何かとあの王女のことを気にしていたけど、いつまでも傍にいたら、国と共に死ぬことになるよ」
エレナは眉をひそめた。
「戦いはもう終わったんです。今度こそ姫様が――」
「行こう」
「そろそろ『魔』達が来る頃だぞ」
騎士や侍女たちは、再びぞろぞろと歩き始める。
最後にリタが振り返り、同情に満ちた目でエレナに告げた。
「ごめんなさいね。でももう、私達も傷つきたくないのよ」
エレナは立ち尽くした。彼らは既に、この国もシルヴィアも諦めている。
傷だらけの人々は、再び絶望するのを恐れているようだった。彼らにとって、エレナの掲げる希望は、すべて偽りに聞こえるらしい。
騎士達の青い礼服や、紺色の侍女の背中を眺めながら、エレナはついにかける言葉を失った。
どうやっても、この人たちを止めることは出来ないと分かったのだ。
シルヴィアが恐れていたことが現実になる。
国を愛したはずの王女が、すべての人に見捨てられてしまう。
だからこそ、エレナが行かなければならないのだ。
静かに息をつくと、エレナは奥へと視線を向けて、駈け出した。
わき目もふらず、「魔」に教えられた一番奥へと走って行く。
たった一つの足音が、地下牢に高く響いた。
闇に揺れる灯りが、暗い牢屋を照らしている。
項垂れる人影に、エレナは叫ぶように声をかけた。
「姫様!」
シルヴィアは静かにこちらを見る。
「……エレナ。……なぜ来たの?」
疲れたように目を伏せる。
「もう関わらないでちょうだい。……そう言ったでしょ」
ずきん、と胸が痛む。
それでもエレナは、必死に笑いかけた。
「姫様、『魔』の王はもういません」
まっすぐに、シルヴィアを見つめた。
「わたしが倒しました」
彼女は顔をあげた。
「嘘よ。あなたはまた私をだまそうとして……」
エレナは急いで腰から金の短剣を取り出した。
「これを見て下さい。金であれば、どんな『魔』も倒せるんです。例え相手が、グランディールだとしても」
短剣を差し出した手は、切り傷だらけだ。シルヴィアの目が見開かれた。
「あなた……まさか、本当に?」
エレナはほっとして、やっと心から微笑んだ。
「わたしは姫様を裏切ったことなどありません」
動けないでいるシルヴィアをよそに、鍵を開けた。
「姫様、来てください。もう『魔』達は城から出て行ったんです」
シルヴィアは驚きを隠せないまま、恐る恐る牢から出た。
ふらふらと歩く彼女を、エレナはそっと支える。
彼女はまっすぐこちらを見て、静かに言った。
「エレナ」
「なんでしょう?」
問い返せば、青い瞳が食い入るようにエレナを見た。
「私、今、目が覚めた気がするわ」
二人の髪は灯りに輝き、暗い部屋の中でも温かく光った。
「あなたはいつも、こうして微笑んでいてくれたのに」
シルヴィアの目から涙が流れた。
「あんなひどいことを言って……それでもあなたは、やっぱり来てくれたのね」
金の髪を揺らして、エレナに抱きついた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、エレナ」
泣きながら、彼女は叫ぶように言った。
エレナはシルヴィアを抱きしめた。その温もりに、懐かしさが込み上げる。
「わたしはずっと、姫様の味方です」
優しい気持ちが溢れてくる。それは白くて温かな羽のように、エレナを包み込んだ。
シルヴィアからはもう、あの恐ろしい憎しみは感じられなかった。
そこにいるのはいつもの優しい王女であり、大好きなシルヴィアその人だった。
その時、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。二人は驚いてそちらを見る。
エレナはシルヴィアから身を離すと、急いで彼女の前に立ちふさがった。
足音はどんどん近づいてきて、一人の男が顔を出す。
「二人とも、そこにいるのか?」
少女達の顔が輝いた。
エレナが彼の名を呼ぼうとすると、それより先にシルヴィアが歓喜の声をあげた。
「ロレンツォ!」
彼はこちらへ降りてきて、優しく二人を見下ろす。
「良かった。エレナ、無事でなによりだ。姫君もよくぞご無事で」
目を細め、息を吐くように言った。
「ずいぶん心配したんですよ」
シルヴィアが申し訳なさそうに俯いた。
「探してくれたのね。私……あなたは私のことを捨てたんだと思ってたわ」
ロレンツォは困ったように言った。
「余計な心配をさせてしまったようですね。お傍に行けなくて申し訳ありません」
そうしていつものように微笑みを浮かべた。
「そうだ、あなたにこれを届けようと思いましてね……ここへ持ってきたんです」
彼はそう言って笑い、自分の背中を指さした。
エレナはそこで初めて、彼が何かを背負っているのに気付いた。それは弓と矢筒だったが、普通のものとは違っていた。
しなるような弓の柄が、矢筒に入った矢の一本一本までもが、金に輝いていた。廊下の灯りが揺れるたび、黄金がちらちらと美しく煌めく。
エレナは静かに目を見張った。
「本当に……本物を見つけて来たのね」
シルヴィアも食い入るような目をしている。
「――アシオンの弓矢ね? 本物の場所は兄様しか知らなかったはずよ。……どこにあったの?」
ロレンツォは弓と矢筒を外しながら言った。
「国王陛下の寝室です。もしかしたらと思って行ってみたら、寝台の下に隠してありました。陛下はきっと、寝る前にこの弓矢を眺めて、『魔』との戦いに向けて色々なことを考えていたんでしょう」
そう言いながら、姫に苦笑して見せた。
「勝手に入ったことは許して下さい。緊急事態ですから」
「そうね、あなたなら許すわ」
シルヴィアは微笑んだが、不意に不思議そうな顔になった。
「でも、もうグランディールは死んだはずでしょ。その弓矢は何に使うの?」
ロレンツォはその言葉を聞いて、突然真面目な顔になった。
「まだ戦いは終わっていません」
二人は驚いて彼を見上げた。




