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王の鈴  作者: とおこ
断章 春
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5

夕食後、カテリーナに呼ばれたジークヴァルトは、気に入った娘はいましたかと尋ねられた。

テーブルには紅茶と口直しのドライフルーツ、そして絵姿が積み上げられている。

カテリーナは順にそれらを取り上げては貴族年鑑と見比べている。この国の貴族女性はすべて掌握していると言われる彼女だが、さすがに子爵家、男爵家までは知識がおぼつかないらしい。

ジークヴァルトは応えないまま、彼女が手にしている絵姿をちらりと見る。一番長い時間手にしている絵姿の女性が、本命なのだろうか。

このような令嬢と会っただろうかと頭を巡らせ、あぁと思い出す。

名前は確か。

「ネロリ=ノエ伯爵令嬢」

そうだ、ノエ伯爵令嬢だ。

ジークヴァルトの視線に気づいたカテリーナが絵姿を渡してくる。

付き添いの母親はやや前のめりだったが、他の母親達とさして変わらない反応だったようにも思う。令嬢自身は穏やかな気性に見えた。確か、趣味は刺繍と言っていたはずだ。ジークヴァルトとは1つ年下で、年の頃もちょうどいい。

「この娘はどうでしょう」

改めて尋ねられ、この令嬢が母の本命なのだと確信する。

ジークヴァルトはしばらく黙り込んだ。

気に入った娘というのは特にいなかった。それどころか、女性陣の勢いに飲まれ、逃げ出したい気にすらなっていた。

が、誰かを選ばなければならないこともよく分かっていた。

しかも1人ではない。今日決めるのはあくまで婚約者候補である、試す、ような場を設けなければならない。

選ぶのは2人または3人。

この国には三大公爵家と呼ばれる、王家を先祖とし未だ続く公爵家がある。

ユーリエ、レノ、そしてリッカ。これらの公爵家とのバランスを取り、協力を得、または距離をとり国政を司るのが王家の役割である。

王位を継ぐ予定のないジークヴァルトの婚約者選びは幾分目溢しもあるが、万が一ということもある。リッカの姫を母に持つ彼はバランスの観点からユーリエ、またはレノに連なる家柄の令嬢が充てがわれるのが順当であり、リッカはレノを望んでいる。

リッカとユーリエは国の要職を競い合うことが多いのに対し、レノは中立的な立場で比較的学問の方面からこの国に貢献している家柄である。つまりはリッカにとってレノの方が手を組みやすいということだ。

対して、ユーリエは1人でも王家近くに令嬢を送り込みたいと思っているだろう。ここ数代ユーリエ出身の王妃は立っておらず、それがリッカとの勢いの差となっていると思っていてもおかしくはない。

となれば、候補者はユーリエとレノから1人ずつは確定となる。

ジークヴァルトが受け取った絵姿のノエ伯爵令嬢はレノに近く、伯爵は司法省の長官をしている。誠実な行政官でもある伯爵の能力は、カテリーナの父であるギュンター=リッカ公爵も高く買っている。

カテリーナが王子妃に望むのは、由緒正しい家柄と、権力欲が多くないということだった。自身がリッカの出身であるからこそ、より慎重にならなければならない。ジークヴァルトが王位を継がせる気がないのであれば、それを示さなければならない。

高位貴族の令嬢は過ぎた相手となり、リッカは王の椅子を奪うつもりかとの警戒を与えることになる。

ノエ伯爵令嬢に続いて手渡した絵姿は、リシウス伯爵令嬢。こちらはユーリエに近い伯爵令嬢で、学問の家柄である。

この2人であれば、妙な疑心暗鬼は生まず、貴族達も妥当と判断するだろう。

どちらかを選んでくれればいいと思いながらも、カテリーナはもう1人候補を立てることを諦めてはいなかった。

リッカの血縁の王子にリッカが候補を出すのは憚られる。もう1人を選ぶとすれば、ジークヴァルトが気に入った令嬢にしようと思っていた。

彼女は、あまり自身の意思を表に出さない息子を不憫に思っていた。

そんな風に育てたのは周囲の大人達だ。

亡き前の王妃の殿下達を立てるのです、王位を望むような態度は決して見せてはなりません。目立つようなことはしてはなりません、あくまでは自身は臣下になるのだと思い、敬いなさい。

そう、心の芯から刷り込ませるように育ててきた。

王太子である第一王子ヨアヒムは宗教都市レグナの公女を迎えているものの、少し身体が弱く、未だ子はいない。

高貴な令嬢を妃として迎え、王太子として確固たる地位を持っているようで、子がいない状況は彼らの地位を不安定にしている。

その王位をリッカが簒奪しようとしている、などと邪推されるわけにはいかない。カテリーナが王妃となったのも王子を生んだのもは偶然でしかなく、リッカが本来狙っているのはヨアヒムと王太子妃の間の子、その妃と次代の王の座だった。

リッカの子でありながら王位から遠ざけ、静かに穏やかに、末の王子として目立たぬようにと息子に強いた。

随分と窮屈な思いをさせているだろう。

だから、カテリーナは尋ねた。

今日のパーティーに参加していた令嬢であれば多少の軋轢を生んだとしても、なんとかかわせるだろう。カテリーナにだってそのくらいの力はある。

せめて連れそう相手は出来る限り希望に沿わせてやりたいと思っていた。

そんな母心の問いにも、ジークヴァルトの反応は薄かった。2枚の絵姿を見比べ考え込んでいる。が、不意に、何か気がかりがあるような表情を浮かべるのに気づき、自然な態度を装いつつ、発せられる言葉を待つ。

ジークヴァルトは迷っていた。

気に入った娘というのはよく分からなかった。が、もう一度会いたいと思う娘はいた。

もちろん絵姿の2人のどちらでもない。

であれば、母の希望には反しているのだろう。

言ってもいいのかと迷いながら、ここで言わなければ再びあれほど近くで会えることはないのだろうと思うと、胸がざわめく。

穏やかな時間だった。

これは妹を見ているような心地に過ぎないのかもしれない。

柔らかな光を纏った少女だった。

出来ればもう一度会ってみたい、話してみたい。そんな想いだけで望んでもいいのだろうか。

「マティアス侯爵令嬢…」

「え?」

「マティアス侯爵令嬢は、どうでしょうか」

躊躇いがちに、けれど1人の令嬢の名を発したジークヴァルトにカテリーナは目を丸くした。

願いながらも、おそらくジークヴァルトは誰の名前も出さないだろうと予想していたカテリーナにとって、驚くべき状況だった。

しかもそれが。

「貴方、シェイラと会ったのですか」

「彼女をご存知なのですが」

「もちろんよ。でも確か、フェルディナンドが早々に連れ出してしまったと思っていましたが」

「四阿で」

「まぁ、そんなところにいたの」

フェルディナンドにも困ったものね、と笑う。

王子妃にするつもりもないし、そもそも婚約なんてまだ早いと言って連れていってしまったのよとテレーゼは呆れたように苦笑していた。

フェルディナンドのことだから、絶対に会わないように宰相府まで連れて行っているのか思っていたが、意外と抜けたところもあったらしい。いや、徹夜続きの宰相閣下にも少しは油断があったということだろうか。

ともあれ、ジークヴァルトはシェイラに会った。

ジークヴァルトとは少し年が離れているが、フェルディナンドとテレーゼの愛娘で。王子妃どころか王妃になっても不思議ではないよい令嬢だ。

マティアスは侯爵家、つまり高位貴族の一員であり、フェルディナンドは宰相として政治の中心にいる。

さらには前宰相のギュンター=リッカが自ら指名した後継であり、2人はとても仲がいい。フェルディナンド自身はいずれの公爵家にも身を寄せていないと言い張るだろうが、周囲が見ればリッカに近いと言われてもおかしくない状況だろう。

対して、マティアスが王妃を輩出したことがなく、公僕となることこそを尊ぶ家柄で、優秀な文官、武官を多く輩出している。また、母のテレーゼがレノ公爵令嬢であったことから、レノも推してくるかもしれないという期待もある。

マティアスの娘という選択肢はプラスと働くか、マイナスにしかならないかと短い時間で計算をする。

そうしながらジークヴァルトを見る。なかなか返事を出さない母に、あまりいい選択ではないだろうことを悟っているだろうに、それでも撤回する様子は見せない。

「分かりました、彼女も候補としましょう」

少し間を置いてカテリーナは応じた。

ジークヴァルトが唯一名を挙げた令嬢だ。

本命のノエ侯爵令嬢と比べれば無難な選択肢とは言えなかったが、リッカにもレノにも近い家柄は悪くないようにも思えてくる。

カテリーナ自身、シェイラを好ましく思っていることも後押しする。

こうして3人の令嬢が王子妃候補として決まった。

ユーリエに近い家柄として最初、リシウス伯爵令嬢の名を挙げていたが、決定の際にはサエラ=ロッペン侯爵令嬢に代わっていた。リシウスよりロッペンは家格が上、さらには権力欲も上だったが、カテリーナにとってそれはさして重要ではなかった。

シェイラを目立たせないためにもう1人侯爵令嬢の名を出したに過ぎない。リッカが自身の子にユーリエに連なる娘など充てがうはずもない、というのはユーリエも分かっているだろう。

本命のノエ伯爵令嬢に2人の侯爵令嬢が名ばかりを貸したという外観に対し実際、ユーリエ公爵は意を唱えなかった。



『殿下』



少しよろしいでしょうかとシェイラは言った。

眉を寄せた少女の双眸がジークヴァルトの左腕を見ているのに気づき、どうしたのだろうと首を傾げる。

やめなさいとフェルディナンドが咎めようとする。

が、シェイラは首を振り、持っていたポーチからハンカチを取り出す。

4つにたたまれたハンカチの上に右のてのひらを置き、短い詠唱を乗せた。

先ほど見たのと同じ光だとジークヴァルトは思った。

白い光だ。

よく見ると白の中に黄色と青がほんの少し混ざったようにも思える。

先ほどフェルディナンドを癒した光はふわと少女の周囲を漂い、そして、吸い込まれる。

こちらをお使いください、少し痛みがひくと思います。

ハンカチを手渡されにこと笑顔を向けられる。

王子殿下の手に直接触れることは恐れ多いと思いつつも、左手、今朝の剣の稽古で捻り、未だじくじくと痛む左お手首を見過ごすことも出来なかった。ちなみにジークヴァルトの利き手は右なのだが、両腕を使えるようにと最近は左で剣を稽古をするようにしている。

左手首の前に差し出されたハンカチだったが、受け取っていいのだろうかと迷った視線はノエルの方を向く。うなずいたノエルは、シェイラの「包帯」はよく効くのですよと我がことのように得意げに告げ、手渡してくる。

言われた通り患部にあてると、一瞬痛みが走ったものの、何か柔らかなものが痛みを癒してくれる。

こうやって頭痛も治したのだろうかとフェルディナンドを見ると、不機嫌そうな顔がふいと向こうを向いてしまう。

水での治癒より少し穏やかで負担も少ない。なるべく自身の治癒力で回復した方がいいことはシェイラも分かっているようで、ほんの少し痛みを取り除けるだけなのですと告げられる。

ありがとう、シェイラ嬢。

礼を言うと、シェイラははにかんだような笑みを浮かべてくれた。

かわいいなぁと思った。

多分、6つも年下の少女に恋をした、ということではないだろう。

弟のように思うノエルの妹を、自身にとっても妹のように感じたのかもしれない。

それでもまた、会いたいと思った。

光を纏った少女の穏やかさとあたたかさを、心地よいと思ったのだ。

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