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仄暗い水

「ごちそうさまでした」


 料理を食べ終え満足げに口元を拭うリスタ。出された食事はどれも豪勢で、普段粗末な食べ物しか口にできない彼女の胃は終始驚きっぱなしだった。それこそびっくりし過ぎて腹を壊さないか心配になるほどだ。

 リスタが食事を終えるのを見計らい、席を外していたオーナーが歩み寄ってきた。


「ご満足いただけましたか?」

「はい! こんなにおいしい料理は生まれて初めてです!」

「それはよかったです」

「ぜひシェフにもお礼を言いたいんですが、会うことはできますか?」


 この彼女のお願いに、オーナーは初めて困った顔をした。それからアゴに手を添え思案するそぶりを見せ、申し訳なさそうに首を振る。


「申し訳ございません。シェフは大変気難しい人物でして、人とは極力会わないようにしているんです」

「そうなんですか」

「お礼はわたくしの方からお伝えしておきますので、なにとぞご容赦ください」

「……分かりました。お願いします」


 直接言いたかったが会えないのでは仕方ない。リスタは多少残念そうにしたものの、すぐに朗らかな笑みを浮かべて明るく振る舞った。


「リスタ様、この後はいかがなさいますか?」

「そうですね……ここってお風呂ありますか?」

「もちろんです。客室にはシャワールームがございますし、うちは大浴場も完備しております」

「大浴場! 行ってみたいです! どこにありますか?」


 大きなお風呂があると聞くやリスタが興奮気味に胸の前で拳をつくる。もちろん彼女にとって大浴場など初めての経験だ。期待感は青天井に膨れ上がる。

そんな少女をオーナーは「まあまあ落ち着てください」と手でなだめた。


「すぐに女性のスタッフに案内役を頼みますので少しお待ちください」

「一人では行けないんですか?」

「この館は大変広く入り組んでおり、案内図もありませんからお一人での外出はおやめになった方がよろしいかと思います」


 オーナー直々にそう言われては従うしかあるまい。不便というよりは付き添う従業員に迷惑をかけてしまうような気がして、リスタは申し訳なくなった。


 レストランで食後の紅茶をいただきながら数分待つと、ほどなくしてオーナーと入れ替わりにメイド姿の女性がやってきた。


「お待たせいたしました、お客様」


 金髪ツインテールの妙齢の女性で、これまた淑やかな美人だ。しかもリスタと違い胸が大きい。やはりこの宿は美形しか雇っていない説が濃厚になってきた、などとリスタが内心確信しているうちにも、メイドは「ご案内いたします」と告げて歩いて行く。

 それを慌ててリスタは追いかけた。



 大浴場も他の施設に負けず劣らずリスタの想像を遥かに追い越すスケールだった。白い石造りの浴場は泳げるほど広く、壁に設けられた小さな滝からとめどなくお湯が溢れ出る。

 リスタは湯船に浸かりながら落ち着きなく周囲を見回し、滝の音以外何も聞こえない静まり返った空気を肌で感じていた。


「なんだか貸し切りみたい」


 まるでセレブにでもなった気分になり、湯船の縁にもたれて優雅に足を伸ばす。

 しかし生来の貧乏暮らしの弊害か、あるいは熱い風呂に慣れていないのか、彼女の雅なひと時はそう長くも持たなかった。


「……熱い」


 火照った顔でお湯から這い出て、リスタは最後に体を軽く流してから出ようとシャワーを目指すが……。


「ん?」


 彼女は途中で、浴槽の床が妙に浸水していることに気づく。排水がうまく機能していないのか、歩くたびに水がはねる。

 何でだろうとリスタが首を回すと、その原因はすぐに見つかった。


 浴場の端に数カ所ある排水口。そのすべてに髪の毛が詰まっていたのだ。薄緑色の以上に長い女の髪。

 まるで頭髪すべてが抜け落ちたのかと疑いたくなるほどの毛量に気持ち悪さを通り越して心配になってくる。ここに入った時はまったく気づかなかったが、何がどうしてこんなことになっているのか。この館は大きい割に清掃は隅々まで行き届いているため、掃除のし忘れということはないだろう。


 おそらくリスタが使う前にほかの客が使用したのであろうが……にしても多すぎだ。お湯のせいだろうが、心なしか意思を持って蠢いているようにも見える。

 そんな不気味な毛髪を前にリスタはうろたえることしかできない。


「どうしよう、誰かに伝えた方がいいのかな……?」


 とりあえず従業員に知らせるべきと判断し、出入り口へと向かう。瞬間、背を向けた彼女の後ろを何かが横切った。その気配にリスタがバッと振り返ると、一瞬浴場の鏡に影が映ったような気がした。


「……誰かいますか?」


 問いかけて周囲を探るが、この広い大浴場に人が隠れられそうな場所はない。そもそもここには来た時から彼女以外誰もいないし、あとから入ってきた客もいない。

 これだけのことならば、彼女はきっと鏡の影を見間違いだと納得することもできたはずだ。そうすることができなかったのは、なんとなく確認した排水口の髪の毛が消えていたからだった。


 幻覚でも見ていたかのように跡形もなくなくなった髪の毛に、リスタは驚きとともに背筋に冷たいものを感じる。温まった体が急激に凍っていくような感覚に薄気味悪さを覚え、彼女は逃げるように浴場を後にした。

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