第二十九章~今川義元 対 前田利家~
五郎は荒れ道を器用に馬で駆ける利家の背中に必死にしがみ付いていた。
先程までとは違って、地形の凹凸が激しいせいだろう、少しでも力が抜けたら馬から弾き飛ばされそうな気がするのだ。
(言わなきゃよかった……!)
正直な話、五郎も敵の大将が大高方面へ逃げていると思ったのは半分勘のようなものである。
もう半分は……利家には言えなかったが、『自分がこんな状況になったら、山を下って大高に走った方が生き残れそう』と思っただけの事である。
「言えない……」
「えっ!どうした?五郎」
「いえいえ、何でもないです。はい」
「くそっ、それにしても全くそれらしい気配も形跡も見つからねぇ」
利家が悪態をつくもの仕方が無い、かれこれ数十分、ひたすら走っているのだ。
このまま無駄足になるだけで済めばいいが、もしこのまま義元を逃がせば敵を勢いづかせてしまう可能性がある。
「五郎、何か見つけたか!?」
「それが全く……」
「やっぱり、こっちに逃げる可能性なんて無かっ……ん?」
「利家殿?どうしました?」
「あれ見ろ!あれ!」
「え……?どれです?」
利家が指差した方向に視線を向ける、少し開けた場所だが特に変わった様子は無い。
五郎は目を凝らして見るが、利家が何を見つけたのか結局分からなかった。
「利家殿、何を見つけたんです?」
「見るのは地面だ、見えねぇのか?」
「え、え~と。遠すぎて俺にはちょっと」
「ったく!雨が降った地面にしっかり蹄の跡がついてるだろ!」
利家がその場所に馬ごと飛び出すと、地面に残る蹄を確認する。
雨で軟くなった土にくっきりと残った蹄の後はここを通過して間もない事を示している。
もし比較的緩やかな道程を使って逃げているならば、まだ追いつけるはずだ。
「五郎!同じ道を辿っても追いつける可能性は低い!ちょっと荒っぽく行くぜ!」
「げっ!さっきまで十分荒れ道だったじゃないですか!」
「あんなの、全然易しいもんだろ」
「利家殿、お願いです。少しだけでも安全な道をおおおおおおお!?」
五郎の嘆願は突然駆け出した馬の速度が速過ぎて最後まで言えなかった。
そして五郎は利家がどうやって義元に追いつくのか肩口から前方を覗く。
「ちょ、ちょっと!利家殿待って!待って下さいよ!」
「待ってる暇はないぜ!しっかり掴まってろよ!」
「い、いやあああ!落ちますよおおおおおおおお!」
まるでジェットコースターの様に決して緩やかではない坂道を駆け下りる、馬に跨った姿勢から駆け下りる坂は体感速度がジェットコースターとまるで違う。
五郎は動悸が激しくなり、もしバランスを崩して転がり落ちたら死ぬかもしれないと想像して冷や汗が吹き出る。
「騒ぐなって!大丈夫だ、この馬は信長様に貰った名馬だぜ、この位の坂道平気で駆け下りれる!」
「うぅ……利家殿、このままじゃ俺の意識が落ちそうです」
「それだけ言えるならまだ平気だろ、振り落とされるなよ!」
どんどん坂を駆け下りていく利家、五郎は早く追いついてくれと願いながら、どうでもいい事を今になって思い出した。
(これがまさか、逆落とし……)
そうだ、忘れていた。信長はこの桶狭間で逆落としを使って義元を追い詰めたのだ。
だが待って欲しい、逆落としからの奇襲で義元を討ち取ったはずなのに、何故自分と利家の二人で逆落としする羽目になったのか。
「納得いかねぇえええ!」
思わず叫び声を上げた、別に体験したくもなかった荒行である。
もしかしたら寿命が数年縮んだかもしれない、更に言えばストレスで白髪が増えたかもしれなかった。
(変な所だけピンポイントに体験させてくれなくていいよ!)
存在するか、しないかも分からない神様に心の中で悪態をつくと。
五郎が望むのは一つだけであった。
「早く……追いついてくれぇ」
義元を見つけて、友軍に知らせる。
それだけ出来れば自分の役目は十分果たせるはずだ。
馬に揺られて吐き気と腰痛に襲われながら五郎は願うしかなかった。
「見えた!狙い通りだぜ!」
「ほ、本当ですか!?」
「見てみろ、どうやら豪雨の影響で思うように走れなかったらしいな」
利家が指差した方を見ると、総大将らしき甲冑の男と数人の騎馬が何か話しているように見える。
「今ならやれるな!」
「その前に友軍に知らせた方がっ!」
「その間に増援が来ちまう、このまま首を取る!」
「そこいらの兵じゃないんですよ、危ないですって」
「大丈夫だ、死ぬつもりはないぜ!」
五郎の制止に止まる気配のない利家に血の気が引く。
こうなったら利家は意地でも首を取りに行くだろう、五郎は覚悟を決めると同時に、二人が乗る馬が敵の前に飛び出す。
「何者!」
「義元様、お下がりください!」
突然の乱入者に刀を構える、利家は敵を見据えると名乗りを上げた。
「織田家、赤母衣衆前田利家!今川義元の首、貰いに来たぜ!」
名乗りと共に覇気と殺気を纏うと、利家は槍を振り回して構える。
その威圧感に気圧された義元の親衛隊は一瞬怯んだが、すぐに間合いを取ると利家の出方を見る。
五郎はこのままだと邪魔になると感じ、馬から飛び降りると近くにあった木を背に周囲を見渡す。
(誰も来てないよな!?来ないでくれ頼む!)
出来れば打ち合いにならないよう祈りながら、利家を見守る。
震える手で小太刀の柄に手を置き、いつでも抜けるように準備だけはしておく。
じりじりと散開する親衛隊、静かに馬上で待つ利家、お互いどのタイミングで踏み込むか探りながら数分。
先に動いたのは親衛隊だった。
「ぬおおお!」
「おらぁ!」
上段から振り下ろされる斬撃を槍で薙ぐ、その隙に横から迫ってきた男に槍の柄を打ち込むと、返す勢いで刀を弾かれ体勢を崩した男を突く。
「ぐっ……」
「つ、強い……」
槍に貫かれた男が血を吐いて倒れるのを確認する。
それから、胸部に強打を受けて呼吸困難になった男の首を槍先で飛ばす、その返り血を浴びた利家は軽く顔を拭うと、距離をとる親衛隊を睨みつける。
一瞬で二人を葬った利家に五郎は改めて畏怖する。
(敵じゃなくて……良かった)
もし敵として出会っていたら、自分が気づく前に首を刎ねられていたかもしれない。
つい想像した五郎は顔を振ると、敵に視線を向ける。
呆気無くやられた味方に動揺しているのだろう、やや下がり気味に間合いを取って腰が引けているように見える。
「よくも!」
己を鼓舞しながら利家に向うが、渾身の斬撃をがっしりと槍で受け止められ、刀を弾き飛ばされると後は一瞬だった。
「前田利家、流石槍の又左と呼ばれる槍捌きよ」
数を減らされ、気圧される親衛隊に業を煮やしたのだろうか。
義元は自ら刀を構えると、利家と睨み合う。
五郎のイメージでは今川義元が戦うイメージが全く無かったが、こうして対峙する二人は横槍を入れれないほどの緊張感が伝わってくる。
(利家殿に真っ向から対峙して、あんなに冷静さを保てるなんて)
五郎はその姿からは想像していなかった義元の放つ雰囲気に呑まれそうになる。
「まだお主達二人しか追いついておらんようだ、ここで終わるわけにはいかんのでな、死んでもらうぞ!」
「望む所だ!やれるもんならやってみろぃ!」
「ぬん!」
「はぁ!」
軽い応酬が終わると、二人は打ち合いを始める。
距離があるとはいえ、義元は巧みに槍を流し、間合いを測る。
対する利家も懐に潜らせないよう槍を操る。
「中々やるではないか!」
「おっさんも、意外とまともにやれるんだな!そら!」
「むっ、させぬ!」
お互い必殺の間合いに踏み込まぬよう、相手を牽制しながら何度も打ち合う。
一瞬でも隙を見せれば致命傷は避けられないだろう、粘り強く相手の攻撃をかわしながら出方を見る。
「くっ……!」
「ぬぅ……!」
義元と利家の一騎打ちに、五郎も親衛隊も固唾を呑んで見守るしか出来ない。
一歩でも二人の間合いに踏み込めば、例え味方でも斬られる可能性があるからだ。
(でも、このままじゃ利家殿でも……)
五郎は利家が平然としているが、疲れが出てるのではないかと冷や汗を掻く。
この合戦が始まってから常に先陣を駆けていたのだ、しかも自分を乗せて。
流石の利家も体力が持つのだろうか?五郎は不安になる。
対して義元は多少息を切らしているが、まだその動きに衰えは見えない。
「ふん!」
「ちっ!」
義元の切り上げを槍の柄で受けると、利家は後ろに下がる。
「危ない!」
五郎が叫んだ瞬間、義元は利家が駆る馬の鼻面に柄を叩きいれた。
「何!てめぇ!」
暴れる愛馬を制御出来ず振り落とされると、利家はすばやく身を起こそうとするが……。
「貰ったぞ!」
「しまっ……!」
利家を見下ろす距離まで接近していた義元は、上段から勢いをつけて刀を振り下ろした。




