第二十二章~丹羽家、存続の危機~
五郎が悪夢に蝕まれている頃、織田軍内にも騒動が起きる。
それが[丹羽家の存続]についてであった。
「ふんっ!」
「信長様、落ち着いて下さい」
「一益、お前はどう思う?」
「は……、私個人の感情を抜きにすれば。彼等の意見も仕方ないと思います」
「……」
信長は一益の意見に顔をしかめると、暴れたくなる衝動を我慢する。
長秀が死んだ事で丹羽家には娘である揚羽しか後を継ぐ者がいない。
養子でも貰っていれば良かったのだが、生憎長秀は養子の申し出を断り続けてきた。
この世では養子が家督を継ぐのもおかしな事ではない、実際信長もそれとなく長秀に言ってみたのだが、長秀はやんわりと断ってきたのだ。
「あいつは頑固だったからな」
信長が頭を扇子でトントンと叩きながら呟くと、それまで二人の話を黙って聞いてた勝家が口を開く。
「信長様、どうされるおつもりですか」
勝家の問いに信長は渋面を作ると答える。
「どうするも何も、揚羽しか居らんのだ。正直俺は、男だ女だとあんまり気にしておらん、帰蝶を見てみろ、正直あいつには勝てる気がせんぞ?」
信長が眉を顰めて嫌そうに言うので、勝家は思わず苦笑する。
一益も少し身体を震わせている所を見ると、ツボにはまったらしい。
少しだけ場の空気が軽くなると、勝家はこほんと咳を一つして再度口を開いた。
「兎も角、信長様。娘が……、女が当主となる例は稀な事も事実。家臣の一部が不満を持つのも当然だと思います」
「ならば、このまま丹羽家が凋落するのを待てと?家臣のいう事も尤もだが、当主不在が続けば没落は免れんぞ」
「……」
「――揚羽の様子は?」
「大分疲労が溜まってきているようです」
「うぅむ……、まだ若いあの娘にだ、あの長秀の後を継がせて良いものか。もし、倒れるような事があっては長秀に顔向けできん」
信長は顔を曇らせる、幾ら揚羽が長秀の居ない丹羽家を纏めていたとしてもだ。
当主としての存在は重要になる、この先皆を率いていくには家督を継がねば、いずれ内部から崩壊するだろう。
揚羽に特筆する武勇や智謀があればいいが、長秀に似たのだろう、何でもそつなくこなせる器用さは持ち合わせている……のだが。
この問題をどう処理するべきか悩む信長に声が掛かる。
ドカドカと入ってきたのは森可成であった。
「おう、殿!酒を持ってきたぞ!一益、勝家、何かつまめるものが無いか頼む」
「「……」」
「ん?どうした、辛気臭い顔しおって」
「可成――今は酒を飲んでる暇などないぞ?色々と問題があるのだ」
呆気に取られている二人につまみを頼む、それから信長の前に酒を置くと可成はかっかっかっと笑った。
流石の信長も呆れて文句を言ったのだが、可成は二人につまみを催促する。
「ちゃんとお前達の分もある、いいから何か頼むぞ!」
やれやれと勝家が嘆息すると、一益は『自分が持ってきます』と一言残して部屋を出て行った。
「勝家、久しぶりに登城したのに辛気臭い顔しおって」
「それは失礼しました、ですがこの顔は元からですので。可成殿も相変わらずですね」
「相変わらず元気だ、俺はな」
勝家が嫌味を少々混ぜて言うが、可成は軽く返してくる。
むっとする勝家が睨むのだが、暢気に耳をかく可成は全く気にしていない。
「そこまでにしろ、いっつも顔を合わせたら喧嘩しおって」
信長が待ったを入れると、勝家はもう一度嘆息する。
「俺は喧嘩してるつもりはないんだがな」
「わかった、わかった!その話はもういい」
信長は可成の話を止めると、面倒臭そうな奴が来たなと表情に浮かべて言う。
「可成、今の状況がわかっているんだろう?」
「勿論だ、鬼秀が死んだのだろう?聞いている」
可成は何故か長秀を[鬼秀]と呼ぶ、その理由を聞いた事があるのだが。
可成は一言だけ、『戦場に居る長秀はまさに鬼よ』と言っただけだった。
「鬼秀だろうと儂だろうと、死ぬときは一瞬よ。それより早く今川と一戦交えて弔うしかないだろう」
「わかっている、しかし家臣の統率が乱れては、あの義元相手に勝つのは困難だろう」
「なぁに、儂が居れば勝てる、その為に来たのだ」
「……」
いつもの覇気が無い信長の様子を目で確認すると、可成は酒を呷ってぷはぁと口を拭うと、勝家に酒を飲めと押し付ける。
「殿がそんな御様子じゃ、鬼秀があの世から呆れてるぞ」
可成はやれやれと首を振る、それから顔を引き締めて信長を見ると。
「そんなに丹羽家を存続させたいなら、養子でも婿でも取ればいいだろう。それが無理なら、家臣を納得させて家督を継がせればいい。」
「むぅ」
「丹羽長秀の娘だぞ?その強さを見せればいいだろう」
「揚羽を戦わせろと言うのか、可成」
「俺がその娘が丹羽を継ぐ資格があるか見定める、それでどうだ?」
可成がにやりと笑って信長に言うと、勝家が目を見開く。
信長も眉をしかめて可成を見るのだが、淡々と可成は続ける。
「家臣の前で儂と娘が立ち会う、どうだ簡単だろう?」
可成の言葉に勝家は慌てて口を挟む。
「ま、待ってください!可成殿は何を言っているのですか!?」
「勝家、儂と立ち会って娘が勝てば家臣は認めるしかなかろう?」
「何も本気で立ち会うわけではない、心配するな」
「しかし……!」
「落ち着け、勝家」
食い下がる勝家だったが、直後に信長が放った一言に大人しく腰を下ろす。
「可成、何を考えている?」
「考え、考えか……。殿、強さとはただ武芸に秀でればよいと言わぬ、そうでなければ鬼秀はこの織田家の重臣に成れなかった、違わぬか?」
「お前がそんな事を言うと、説得力がないぞ」
「くくく、そう言われたら否定出来ぬ!だが、このままではその娘も丹羽家も落ちていくのみ。ならば見定めるしかないだろう」
「――わかった、日を改めて家臣を集めるとしよう」
信長が決断すると、勝家は頭を抱える。揚羽の性格を考えると、間違いなくこの立会いに臨むだろう。
可成の事だ、立会いで加減を間違える事はないと思うが……。
「それでは酒を飲もう、一益!いつまでそこに居るつもりだ?早く入って来い」
「はっ」
可成が声を掛けると、話を中断させないよう襖の奥で静かに待っていた一益が酒のつまみを持って入ってくる。
「殿、勝家、今日は一晩中飲むぞ!一益、遠慮せずお前も来い」
可成は先程のピリッとした雰囲気を崩すと、酒を飲んでは騒ぎ始めた。
翌朝、可成が酒を呷ってる横に三人の敗北者が倒れていたのを家人は見た。
「明日……、明日私が頑張らないと……」
丹羽家の存続の為、当主を継ぐ資格があるか見定める立会いを告げられたのは数日前。
揚羽は絶対に認めて貰わなければと決意し、鍛錬を続けてきた。
ここで逃げては父に見せる顔がない、その思いを糧に自身を奮い立たせてきた。
揚羽は明日に備え、お守り代わりに長秀の形見を置いて眠りに就く。
「ここは……?」
気づけば揚羽は屋敷の縁側に座っていた。
確かに自室で眠りに就いたはずなのに、辺りを見渡してみる。
人気が全くない屋敷は、間違いなく我が家だろう。
夜なのだろうか、ぼんやりした暗闇に目を細めていた揚羽は空を見上げる。
「綺麗」
吸い込まれそうな夜の闇に顔を出した月が、庭先をひっそりと照らす。
「今宵はいい月が顔を覗かせます、ね?揚羽」
その声にハッと振り向くと、そこには父が立っていた。
「父上!」
思わず立ち上がろうとした揚羽を長秀は優しく止める、そして自身も縁側に腰を下ろした。
「父上、本当に父上なのですか?」
「勿論です、正真正銘、丹羽長秀。揚羽、貴方の父ですよ」
いつもと変わらぬ長秀が答えると、揚羽は涙が出そうになる。
その揚羽の頭を優しく撫でると、長秀は夜空を見上げる。
「揚羽が無理をしていないか、心配になって化けて出ました。ふふふ、親馬鹿と怒られてしまいますね」
「父上……、どうして死んでしまったのです?私を残して――」
「参りましたね、泣かないで下さい。揚羽に泣かれると貴方の母に小突かれてしまいます」
困ったように言う長秀、揚羽は涙が零れそうになるのを必死に我慢するのだが。ぽとり、ぽとりと流れてしまう。
長秀は揚羽が泣き止むまで何も言わず、頭を優しく撫で続けた。
「もう、大丈夫ですか?」
それから暫くの間、涙を流していた揚羽だったが、長秀の問いに『はい』と答えると顔を上げる。
「辛い思いをさせましたね、揚羽」
「いえ、父上の娘として今まで生きてきました。覚悟は……していたつもりです」
長秀は申し訳なさそうな顔をして揚羽に頷く。
それから暫く黙っていた二人、何も言わずとも一緒に肩を並べて月を見ていれば、そこに言葉は要らなかった。
月を眺めて数分経った頃だろうか、長秀は揚羽に尋ねる。
「揚羽、無理しないで下さい。私は丹羽の名を残したいのではありません、貴女が幸せに暮らせればこれ以上望むことはない。それが私が父として望む最後のお願いです」
長秀の言葉に揚羽は目を潤ませる、しかしハッキリと答えた。
「いえ、父上。私は父上と過ごした丹羽の名を失いたくありません、家の者達も皆、同じ気持ちなのです」
揚羽の強い意志に長秀は顔を掻く、それから長い溜息を吐くと。
「貴女はやっぱり私に似て頑固者ですね、育て方を間違ったのでしょうか?」
「父上の娘ですから、どんな事があっても変わる事などありません」
「ははは、困ったものですね。――揚羽、覚悟を決めたのですね」
長秀の問いにこくりと頷く、その揚羽の様子を見て複雑な表情を浮かべる長秀だったが、最後にはにこりと笑った。
「私は、最後まで自分の好きなように生きたつもりです。その私の娘が決めた事なら、その行く末を見守らせてもらいます」
「見ていて下さい、父上。父上の残した証は絶対に守ります」
「はぁ、逞しく育って嬉しいのやら、悲しいのやら」
長秀と揚羽は笑い合うと、ゆっくり静かな時間を過ごす。
揚羽はこれが夢の中で自分が生み出した幻想でもいいと思っていた。
もし父が生きていたとしたら、同じ事を言って自分に勇気をくれたに違いないだろうと。
それからどれ程時間が経ったのだろう、時間を忘れて話を続けていた親子だったが。
ふと長秀が揚羽に言う。
「揚羽、五郎殿を恨まないで下さいね」
もしかしたら、揚羽が自分の死の原因が五郎を守る為だと知ったら、五郎を恨んでしまうんじゃないだろうかと心配していた。
しかし揚羽は滅多に見せない微笑を浮かべると答える。
「恨み……ですか、確かに恨もうと思った気持ちはあります。でも父上が命を懸けて守った五郎殿を恨んで何になるのでしょうか、もし恨んでしまえば父上の名を汚す事になるでしょう」
五郎が悪くないとはいえ、自分の父を奪った原因だ、恨むなというのも難しい。
正直、揚羽は始めは五郎を恨もうと思った、だがその思いをとどまらせたのは勝家の一言だった。
「勝家殿が教えてくれました。五郎殿を守る事が、信長様から授かった大事な使命なのだと。そしてその使命を全うする為に命を懸けたと」
長秀は揚羽の話を聞いて頷くと。
「勿論、主君である信長様から頂いた命令なのも事実です。ですがそれだけではありません」
「父上?」
「ふふふ、最初は信長様の命令も兼ねて、五郎殿がどの様な人物か見ていました。私も信長様の命令とはいえ、怪しい者を野放しには出来ないと思っていましたから」
長秀は信長の命令だからといってただ丹羽家で預かっていたわけではない。
勿論、世話を頼まれていたのも理由だが、自分が見張る事で勝家や他の者達の負担を減らす事も理由の一つであった。
「でも、信長様との話している時から見ていましたが。何故でしょうね、不思議な雰囲気を持っている人でした。どこか人を安心させる、――知っていますか?五郎殿が小姓人達の手伝いをしている時は、皆笑って仕事をしているのですよ」
その様子を思い出したようにくすりと笑うと、長秀は続ける。
「それにとても面白い人です、揚羽に怒られながらも途中で音を上げても、一度も逃げ出した事もない」
「それは……確かに」
「ふふ、後は意外とちゃっかりしている所も。忙しそうに走り回っていたはずが、皆に隠れて昼寝をしてたり……ね?」
「……そうですか、五郎殿は隠れてそんな事を」
『忙しそうに頑張っていると思ったら、サボっていたんですね』と揚羽が呟くと、まぁまぁと長秀が宥める。
「しかし、五郎殿が仕事を残した事はない。そうでしょう?」
「そう、ですね。確かに五郎殿が仕事を残した事は記憶にありません」
「そんな五郎殿を見て、話していると不思議と穏やかな気持ちなっていたのです」
揚羽は五郎がきてからの父を思い出す、そういえば父が家で笑う事が増えた気がする。
それに家人達も最初は胡散臭げな目を向けていたが、いつの間にやら一緒になって騒ぐようになったのだ。
「認めたくはありませんが、少し父上に似てるかもしれませんね」
「ははは、なるほど。五郎殿と気が合うのも、どこか似ているからかもしれませんね」
「父上も五郎殿も、のんびりしすぎなんです」
揚羽はそこまで言うと、表情を曇らせて俯く。
「父上、――下山で何があったのです?」
「……」
「五郎殿はあの日戻ってきてから、別人のように変わってしまいました」
「そうですか……」
「毎日何かに怯え、助けを求めているんです」
長秀は揚羽の問いに考え込む。
「――五郎殿は、きっと親しい人達の死と罪悪感に苛まれているのでしょう」
「親しい人の死、ですか」
「はい、信じられない話でしょうが、ちゃんと聞いてくださいね。五郎殿はこの世ではない国から来たらしいのです」
「この世ではない?なら何処から……」
「それは私にもわかりません、わかるのは五郎殿が生まれ育った場所は戦などない、平和な世であったという事です」
「戦が無い、ですか」
「五郎殿は今まで人の死に直面した事がないのでしょう、しかも亡くなった方達は異国の地で困窮していた所を助けた方達だと聞いています。その恩人が斬殺され、自分まで命の危険に晒されたのです」
『五郎殿にとってどれ程の恐怖と衝撃だったのでしょうね』そう呟くと長秀は大きく息を吐く。
揚羽は話しつかれた長秀が息を整えるのを待つと。
「五郎殿がこの世ではない何処からか来たとしても、私には信じられません。ですが、父上が信じた人なら……五郎殿が悪い人でない事だけは信じます」
「えぇ、五郎殿がどこから来たのだろうと関係ありません。同じ人間なのです、五郎殿がどんな人物か貴女自信が知る事が大切です」
「でも父上、今のままでは五郎殿は……」
揚羽が言葉を濁す、それを見た長秀は『わかっています』と頷くと。
「明日、貴女の……いえ、私の娘の覚悟を見守っています」
「父上!」
「はい」
「もう……会えないのでしょうか?」
「大丈夫です、私はいつも貴女を見守っています」
「は…い……」
揚羽はもう会えないだろうと、涙を堪える。
長秀はそんな揚羽を困ったように見ると、すーっと暗闇に紛れて消えた。
『揚羽、無理はしないでくださいね』
確かにその言葉は揚羽に届いた。
「父上、ありがとう」
眠っている揚羽の目から涙が零れる、しかしその寝顔は穏やかなものだった。
もしかしたら、長秀の形見に残る想いが、揚羽を助ける為に持ち主を呼んだのかもしれない。




