第一章 生存逃走-The Gears of Greed- 後編
霧に包まれている為日光が遮られているせいで時間感覚が狂ってしまった。今が昼なのか夜なのかも分からないが、時計を確認すると午前6時だった。
普段ならここで心地よい朝日を浴びているはずだが、日光は濁った白い霧にその進行を阻まれている。まるで海の中から見た日光が差し込む海面だった。
綺麗と言えば綺麗だが、あの揺蕩う感覚も無ければこの身を包む母なる海も無い。
見た目だけのハリボテでは満足もできない。ただし、疾走する僕達に寄せられる風は少しひんやりしていて気持ちよかった。
街の住人達も続々と起き上がっているようで中には既に仕事を始めている人もいる。朝ご飯もまだだったので開店してすぐにカフェへと入店し、朝食を頼んだ。相変わらず少年はがっつく様に食べている。私も相変わらず、それを横目にマイペースに食を楽しんでいた。
食休みついでに窓の外から人々の姿を眺めてみる。丁度この店は見晴らしが良くありありとこの街の人達の行動が見て取れた。品のあるコートにシルクハットを被った男性や朝早くから新聞配達をしている少年、工場に出向くであろう女性など様々な人間が居た。
「みんな朝から早いな」
「朝から深夜までずっと働き詰めだよ。そうでもしなきゃお金が足りないからね」
「なんというか…自由な時間とか無いのか?」
「この街の住民で自由な時間を持ってる奴は仕事がないオレみたいな奴か、工場を経営してる大人だけだよ」
経済格差というものか。この街が病んでいる原因はきっとこれなんだろう。資本主義は人々にとって革新的なものだったろうけどその人々の多くが貧困となって不幸に喘いているのはなんとも歯痒い現実だ。
結局のところ弱い者は強い者に虐げられる。自然界のように肉を喰らう訳でもない。ただ浪費し、使い潰し、骨の髄までその身を捧げさせる。変わらないんだ。あの都市と、そこに住まう邪悪で、醜悪で、有りもしない責任を負おうとする人間達が作り上げた虚無的な社会と。
………………一体、何の話をしているんだ?
頭が痛い。ズキズキなんて物じゃない。鈍い音がする。鈍器で殴られていると言う方が近いだろう肉々しい痛みが迸る。少年の前ゆえ、顔はなるべく崩さないようにしてはいるものの、肉体は苦悶の表情を抑えきれない。
「どうしたんだ?旅人さん」
「いや…なんでも…無い…」
「でも、顔色悪いよ」
----貴方、いつも顔色が悪いわね----
----どうせ顔色を青くするなら、もっと海みたいに綺麗な色になりなさいよ----
「知らない…誰だ…君は…」
少年は私に声をかけ続けているが、遠くぼやけて聞こえやしない。
----仕方ないだ■う…私は病■なんだ----
----無理し■ければそうは■らないでしょ----
----■弱な癖に■一倍活■的なの■尊敬するけど■配だわ----
----そりゃあ、僕の夢はア■ラ■■ィ■を出ることだ■らね----
----ええ、叶■といい■ね…その夢----
幻聴が解れる。逆巻く波濤にこの身は震え、頭の中は津波に攫われた建造物の様だ。今の俺の顔色は正しく、天候が荒れている時の黒く恐ろしい海と同じ色だろう。
切れぎれに息を吸う。押し寄せた波が過ぎると身体は安静を取り戻す。肩は上がり過度な運動をした後にも似た疲れが押し寄せてきた。そして、少年の声も届くようになった。
「俺は…大丈夫だよ。心配かけて悪いな」
「本当に大丈夫?」
「安全運転で、バイクを走らせられるよ」
「それは、頼もしいね」
少年に気を遣わせてしまった。とてもじゃないが頼もしいだなんて思えないだろう。
しかしそれよりも、この記憶は何だ?誰の…俺の記憶なのか?記憶の波が押し寄せてきた時は強迫観念にも似た心への重圧があった。これを一刻も早く解明したいがどうすることもできないのは火を見るよりも明らかだった。
「行こうか、ライト君」
「もう大丈夫なの?」
「さっきも言っただろう、大丈夫だ」
会計を済ませ店を後にする。目下の目的はバーグリーヴス家に盗品を返し、そこの娘であるジェニーとライト君を再会させることだ。それを完遂してから、湧き出た疑問について色々考えよう。
「そういえば旅人さん」
「なんだ?」
「どうしてここにやって来たの?」
「ああ、それはだな」
「家の外に出たくなったからだ。外の世界を見てみたかったんだ。」
俺の家は海岸沿いにある小さな民家だ。波に攫われて何処かから流れてきた俺を拾ってくれた優しいおじさんと同居していた。
「ここを選んだのは偶然と言えば偶然だ、俺が乗ってるバイクは俺と一緒に流れてきた遺物でな。そこに挟まってたんだ、地図が。」
「その地図にここが載ってたんだ」
「ああ、だから来た」
まるでそれが運命で、本能で、逃れられない熱望だと感じながら。
「案内は頼んだぞライト君」
「お安い御用だよ旅人さん」
「はは、俺よりも頼もしいんじゃないか?」
相も変わらず不思議なエンジン音を奏でバイクは発進する。
少年は期待に胸を躍らせ、旅人は煮え切らない気持ちを抱えて。
しかし彼らは気付くだろうか。
歯車が一個でも外れれば、動かなくなることを。狂ってしまうことを。
____________
特に何の障害もなくハーグリーブス邸に到着した。目の前には城とも見紛う巨大な石造りの邸宅があった。高く聳え、横に広がり、正面から見た時の迫力は目を見張るものだ。荘厳さと少しばかりの陰鬱を放つ邸宅に俺たちは圧倒される。
「こんな所に頻繁に盗みを働きに行ったのか?ある意味で尊敬するよ」
「もう慣れっこだよ。相変わらずここは雰囲気が暗いね」
こっちに来て、と少年が案内する。邸宅を半周すると少し上の方に開いている窓があることに気付いた。
「あそこの窓、いつも開いてるんだ」
「入ってくださいと言っている様なものだな」
「だからお言葉に甘えて入るのさ」
少年はどこからか鈎爪の付いたロープを取り出す。そしてそれを窓の方に放り投げ爪を引っ掛ける。
「…原始的だね?」
「偉大な先人の発明に感謝だね」
「何を学んだんだ、君は」
引っ掛けたロープを伝い上へと登る。その部屋は窓が開いているにも関わらず埃塗れで足跡が付いてしまう程だった。向こう何年もこの少年以外の誰も立ち入ってないだろうことが窺える。
「屋根裏部屋だよ。汚いでしょ?」
「ああ、汚いな。掃除は行き届いていないのか?」
「ここには誰も来たがらないよ。言うなれば懲罰部屋だから」
「この部屋に入ったことがあるみたいな物言いだな」
少年は懐かしむ様な、怒る様な顔をして答える。
「ジェニーに連れられてね、ここで書斎から持ってきた本を読んだり教えて貰ったりしたんだ」
「あの時はまだ埃だらけじゃなかったな」
「君の知恵はそこから来たのか」
「おかげで、知ってるが故の苦しみを知ってしまったさ」
邸宅の陰鬱な空気に当てられたのか、それとも思い出に苦しめられているのか。
さっきまでの少年と変わり憂鬱を漂わせている。
「その苦しみを軽くするために会いに行くんだろ」
「…優しいね、旅人さんは」
「子供が気なんか遣うな。行くぞ、盗んだ場所は何処だ」
いつまでも囚われていては前へは進めない。考えるだけなら簡単にできる。だけど、それよりも動く方が難しい代わりに得られるものは多いだろう。
「やっぱり優しいよ、旅人さん。見ず知らずのオレにここまでするんだから」
心の中でそう思いながら少年は思い出と向き合う覚悟を決めた。
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旅人と盗人の奇妙なタッグは邸宅の中を忍び足で進む。
「こっちだよ、この先に盗んだ物が置いてあった部屋がある」
小声での意思疎通は二人の間に微妙な緊張感と高揚感を走らせる。廊下の角から顔を覗かせると、召使いらしき人が部屋の掃除を行なっていた。
「どうする?」
「どうしよう」
「君に判断は任せるが…」
「う〜ん…」
悩んでいる二人組を余所に召使いはいそいそと掃除を終わらせる。
「まずいこっちに来るぞ」
「後ろに逃げよう」
逃げようとした矢先、後ろを振り向くと少女が一人。肩まで降ろした薄い金髪に青色の瞳、青いブローチが付いた上品な緑色のワンピースを着ている。一瞬にして目を奪われる可憐な姿に旅人は恐れ慄く。見つかってしまった、と。しかしライト少年は違う。恐れよりも何よりも、予想外の再会に動揺を隠せずにいられなかったのだ。
「ジェニー…?」
「ふふ、お久しぶりね。ライト」
少年の目に涙が浮かんでいる。声は震えていて顔はくしゃくしゃになっていて今にも少女に抱き着きに行きそうだった。
「ジェニー…!会いたかった!ずっと…!」
「私もよライト。さぁ、こっちに来て。せっかくの再会を邪魔されたくないもの」
少年の手を引いて何処かに連れ去っていく。二人だけの時間を作ってあげたいが生憎俺も招かれざる客だ。申し訳ないと思いつつ静かに後ろをついていく。
少女の後を付いていくとそこは用途がよく分からない地下の空部屋だった。
ここも埃が多く掃除がされていなそうだった。しかしあの屋根裏部屋とは違い動物を飼っていたらしい大小様々なケージが置いてあった。
「ここならゆっくり話せるわ。ふふ、何から話しましょうか」
「ジェニー…!ジェニー…!!会えて嬉しいよジェニー!!」
「私も、会えて嬉しいわライト」
少年は感極まって涙声で少女の名前を呼び続けている。そんな少年を少女は抱き締めて優しく慰める。
「そうだ、今日は何をしに私の家に来たのかしら?また何か盗んでいったの?」
微笑ましい子供たちの空間がそこにはあった。少しの違和感を滲ませて。
-私はその眼に覚えがある。憐憫と、愛玩の眼だ-
少年はしばし話し込んだ後こちらに視線を向ける。
「そういえばまだ紹介してなかったね。この人はオレを助けてくれた旅人の…」
「シンだ。名前は覚えてもらわなくても構わない」
「まぁ、ライトの命の恩人の名前を忘れたりはしませんわ」
「初めまして旅人のシンさん、私はジェニー。この邸宅の一人娘よ」
礼儀正しい、かつフラットな挨拶だった。少年の話も併せると、この子は大人も顔負けの教養と礼儀がある子なのだろう。
「お話は伺いましたわ、大変だったでしょう?うちの護衛たちから逃げるのは」
「そこまで苦労はしなかったけど…それで思い出したんだが、ライト君は一体どんな物をここから盗んでいったんだ?」
「言ってなかったの?ライト」
「言う機会が無くてね…」
やはり御大層な物を盗んだのか少女はご立腹だ。それに気付いたからか少年はすぐに実物を見せてくれた。
それは奇妙で神秘的な雰囲気を漂わせており、台座の岩から小さい角柱が三本延びた鉱石のオブジェだった。澄み渡る海を想起させる青緑色の鉱石であった。少女の話によるとこの鉱石は今まで発見された鉱石とも一致せず、また他の場所で採掘できた話も無いというので世間を騒がせているそうだ。そしてこの鉱石にはそれ相応の価値が付けられているとも。
「そんな物を盗んだのか君…」
「へへっ」「褒めてはないぞ」
「ふふ、すっかり仲良しさんね。羨ましいわ」
「君たちには及ぶべくも無いよ」
なんやかんやこの調子で喋り続けていると、何やら邸宅が騒がしくなった。
「あら、お父様がお帰りになられたみたい」
「それじゃあ、そろそろ…帰る時間だね」
名残惜しそうに、もう会えないと確信する様に、告げる。
少年からしてみればここには来る予定では無かったし、用事も終えてしまった。賢い彼のことだ。今回の盗みでもう邸宅には入れないと考えたのだろう。俺の助けが無ければあのままどうなっていたかなんて、考えたくもないだろう。
だから、その一言に少年の小さな決意は揺らいでしまった。決別を遠ざけてしまいたくなるから。
「最後に見て欲しいものがあるの。お願い、付いてきて」




