優香の企み
あの日の遠い目の意味は……
朝、女将さんにオニギリ持参で生憎の雨の中を出発した。
質素に、それが優香の希望だ。
身も心も清めてあの地蔵菩薩様に会うために……
宿の近くに小学校があり、突き当たりを右に折れ次の角を曲がり更に行くと変形交差点に着いた。
其処を右に行き道なりに進むと比較的大きな道と出会した。
其処が巴橋に続く道だった。
右に曲がって暫く行くと、赤い橋が見えてきた。
橋を渡り、札所二十五番の案内板を頼りに歩く。
秩父ミューズパーク入口の信号を右に折れる。
其処からは果てしない山越えだった。
降りきった先の丁字路を左に曲って道なりに一時間も行くと山道に入る。
その先に般若の掲げてある山門があった。
お舟の観音様と大日如来様に挨拶とお礼を済ませてから、いよいよ本堂下から裏の洞窟に入る。
その後で、地蔵菩薩様と向き合った。
宿に戻り布団に潜る。
でも優香は一緒に入って来なかった。
そっと優香を見ると、手でお腹を擦っていた。
ピンときた。
隼人の霊を呼んでいるのだと思ったのだ。
怖々と優香に触れる。
その柔らかな肌を傷付けないように……
それでも僕は優香に溺れた。
気が付くと僕は夜叉になって、欲望の全てで優香を抱いていた。
優香はそんな僕をしっかりと支えてくれていた。
僕達はやっと愛し合うことが出来たのだった。
この行為がきっと隼人を受け入れるための準備段階なのだ。
僕は今やっと、札所三十二番の地蔵菩薩様に会うことを優香が望んだのかを理解したのだった。
あの地蔵菩薩は他のとは少し違っていた。
お地蔵様に抱かれた子は皆何も纏っていない。
それは同じだけど、助けてほしくてまとわりつく子と必死に合掌する子だったのだ。
だから優香は泣いていたのだ。
優香の優しさに改めて気付いた時、僕は幸せ者だと思った。
「隼人がやって来てくれたら嬉しいね。でも、どうしたらいいのかな? 僕達の子供と親父の名前が一緒とは……」
「子供を授かった場合には三ヶ月間、供養の時に付けた名前で呼んであげればいいんだって。でも、実際に産まれてきてくれた子供にその名を付けなくても良いそうなの」
「そうなんだ。だったら安心だ。でも僕はやっぱり隼人がいいな」
「お父様と同じ名前でも?」
「苗字が違うから大丈夫だと思うよ。だって僕の名前から優香が名付けくれたのだから……」
そう言いながら僕は優香のお腹を擦った。
その手を優香がきつく握った。
「ねえ、隼聞いて。私、仕事をしたいの」
優香は突然言い出した。
「保育士の? だったら優香の思いの通りにしてみたら? だって優香の夢は原島先生のようになることなんだろう?」
「隼、何も知らないの?」
優香はそう言いながら目を伏せた。
「私が原島先生に憧れたのは、隼が大好きだったからよ。だって隼は何時も原島先生と一緒にいたでしょう? だから、羨ましかったの。だからブランコで隼に苦痛を与えてしまった自分が許せなかったの」
「優香……」
僕は優香の優しさに泣いていた。
「私は隼人君が私の子宮の中にやって来てくれることを願っている。出来れば男女の双子で……。あの地蔵菩薩様に取りすがっていた子供達をどうしても救いたくなったの」
それは僕も感じていた。
だから……
堪え切れずに、思わず嗚咽を漏らしていた。
もうそれは単なる泣き声では済まなくなった。
「声を上げて泣いてもいいのよ。結夏さんのことを思い出したのでしょう? 私のことを思ってくれていることは解るけどね」
「まるで泣けって言ってるみたいだな」
照れ隠しにそう言う僕の髪へ、優香は優しく手を伸ばした。
「違うよ優香……結夏のことを思い出した訳ではないんだ。優香があまりにも優し過ぎるからだよ。優香のお母さんが僕を遠ざけたのは、この前あのアパートで話した代理母騒動のせいでブランコのせいじゃないんだ。だからもう自分を責めないで……」
「ありがとう隼」
その言葉は泣き声のように聞こえた。
「でも隼。私が仕事をやるからには、セーブしなければいけないことがあるの」
「何? 僕が出来ることだったら応援するよ」
僕は保育園で子供達と遊んでいた優香を思い出してあれこれ考えていた。
「ねえ隼。怒らないで聞いてね。私双子が欲しいの。それも男女で。もし出来たとしたら、帝王切開にしたいの」
「帝王切開!?」
優香の突拍子のない発言に思わず仰け反った。
「お腹を切って出してもらうの。そうすれば卵菅を縛ってもらえるでしょう? 隼と安全日なんか気にしないで思いっきり愛し合いたいからなの」
それがあの日優香が遠い目をしていた真相だった。
優香は本気で将来を見据えていたのだ。
子供が授かる度に産休を取らなくてはいけない。
権利だと言ってしまえば済む話しではないのだ。
「そうだよね。妊娠する度に産休や育児休暇を取っていたら、後ろめたくもなるからな」
「少子化を食い止めるには私達が産まなくてはならないって解っているけど、職場に迷惑掛けたくないんだ」
「だから双子か……」
「ううん、本当は三つ子が欲しい」
「み、三つ子!?」
僕は相当驚いてしまったのだろう。
自分でも声がひっくり返したことが解った。
「優香……。優香の気持ちは解るけど、流石にそれは無理だろう」
「隼、解ってくれるの?」
「あのお地蔵様の傍に三人いたから……、だろ?」
「うん。もし普通の出産だったら、セーブしなくちゃでしょ。だから一度に沢山欲しくなったの」
「やっぱりそっちか?」
「そっちかって、どっち?」
「うーん、優香の意地悪」
僕はわざと拗ねた真似をした。
「それを僕に言わせる気なんだね?」
「違うわ。そりゃ、確かにセーブは……」
優香は急に押し黙った。
見ると優香は、真っ赤になって俯いていた。
「隼の言う通り、お地蔵様の傍に三人いたでしょ。一人は抱かれて……初めく解らなかったの。だから下の二人を助けてようとしたの」
優香は咄嗟に発言を変えて逃げていた。
僕はこれ以上優香をからかってはいけないと判断し、結夏の言葉に追々した。
「そうか。だから双子だって言ったのか?」
「でも今、急に思ったの。出来れば三つ子がいいなって」
「でももし三つ子だったら、優香は育児に追われて、仕事出来なくなるんじゃないのかな? もしそうなれば僕も出来る限り応援するけど……」
自分でも不条理なことを言っていると解ってる。
優香の思い通りにしてやりたいのは山々だけどね。
「結夏さんと隼人君。後一人は……? ねえ隼、誰か他に救ってあげたい人居ない?」
「居ないよ」
即答した。
優香は隼人の他にも僕に水子が居てほしいのだろうか?
「優香、僕にもう一人水子が居ても平気なの?」
「それはイヤだ」
「だったら三つ子だなんて言わないの。隼人ばかりではなく、結夏も救ってやりたいと思う気持ちだけで充分だから……」
ふいに観音寺の近くにあった水子地蔵院が脳裏によみがえった。
幾千万の水子の像と寄り添うあの赤い風車。
それは悲しそうに回っていた。
その時、まだ優香に誤っていない事実を思い出した。
「実は優香に謝らなければならないことがある。僕はバイクで……」
「やっぱり一人で来たのね。だろうと思ってた」
「えっ!? 気付いていたの?」
「栗尾バス停の先でね。『此方でしょ』って言ったら、『そっちは違うよ。優香も同じ間違いするんだな』って言ったでしょう。これは前に来ているなって、ピンときたの」
全く優香には敵わない。
僕は仕方なく、バイクのエンストやパンクの話しをする羽目になった。
優香は大笑いをしながら聞いていた。
「優香は何でもお見通しなんだな」
「そうよ、隼のことなら何でも解る。だって大好きなんだもん」
「じゃあ僕の悩みも?」
「勿論よ。就職のことでしょう?」
「僕はこれから地方公務員の試験を受ける。本当は悩んでいるけど、今しか出来ないことだからね。後悔したくないし……」
「そうね。それだけは遣っておいた方が良いわね」
「中学でソフトテニスの指導員になるためには地方公務員試験を通っておかなければいけないんだ。でもテニスだったら彼処でも……」
「あの時どう思った? ほら、夏休みのソフトテニスのインストラクターしたでしょう」
「ああ、あの時は事務で正解だったかなって思った。だってあの娘達からかうんだもん」
「答えはもう出ているじゃない」
「えっ!?」
「それともピチピチギャルに又囲まれたい?」
「うえー、それだけはイヤだ」
「だったら、お父様のサポートしたら。勿論後々のために地方公務員の試験も受けておくのよ」
「そうだよね。やっぱり優香は魔法使いだな。僕の内面を見て鋭い指摘をくれる」
「何言ってるの。私はただ引き留めたいだけなのかも知れない。本当はね、隼が又芸能界に復帰するのじゃないかってドキドキしてる」
「そんなことは有り得ない。だって、たとえ前張りをしていても優香以外の女性と触れ合うのはイヤだよ」
「それは私もイヤだ。全く隼ったら厭らしい。ベッドシーンばかり思い浮かべていたんでしょ。私、そんなこと考えてもいなかったのに」
優香は突然泣き出した。
「悪かった」
固く握り合う手を更にきつく握る。
「これで、浮気封じ出来た」
優香が舌を出した。
「だってー、優香がお預けなんて言うからだよ」
「私のせいにしないの」
「ごめん。もうしません」
僕は照れ隠しに笑って誤魔化した。
「あはははは。ねぇ隼、そっちに行っていい?」
(結夏!?)
突然の優香の発言にドキンとした時、思わず『結夏!!』って叫びたくなった。
もしかしたら、あの夢の中の結夏の言葉を優香に話したのかとさえ思ってしまった。
だから必死に考えた。
でもそんな覚えはなかった。
だから耐えたんだ。
又結夏を思い出したなんてことを言って、もうこれ以上優香を苦しめたくなかったからだ。
(ごめん結夏。キミのことこの一時だけ忘れさせてくれ)
僕は結夏に謝った。
優香に対しても、許しをこわなければいけないと考えていた。
(ん!? さっき優香、何て言った!? 確か此方に来るって言わなかったか?)
僕はその途端に開き直った。
(そうだ。浮気封じのためにももう一度君を堪能させてくれ)
勿論、浮気する気なんて更々ないけどね。
何もなかったような振りをする。
僕は下心を隠して優香の体を引き寄せた。
「あん、隼ズルい……」
優香はくすぐったそうな声を上げながら、僕に身を任せた。
僕はそれを良いことに、そっと肌を重ねた。
甘い甘い、初夜じゃない一夜の続き。
その初夜がなかった分だけ燃え上がる。
止まらなくなるほど抑揚していた。
「今、結夏さんのこと考えていたでしょう?」
どうやら優香にカマを掛けられたらしい。
「オバサンが言っていたの。結夏さんね、隼がプロポーズした日に初めて付き合っているって電話で話したらしいの。その時、お腹に赤ちゃんがお腹の中にいることも打ち明けたんだって。結夏さんきっと嬉しくて、家に帰るまで待ちきれなかったなかな?」
「だから、僕が父親だと知っていたのか?」
「そうみたいね。その時結夏さん、『隼には言わないで』って言ってたみたい。『隼に迷惑を掛けたくない』そうも言っていたみたい」
「だから僕は何も知らずに……。でも僕は卑怯だな。二年近く何も行動を起こさなかった。ただ、結夏を待っていただけなんて、最低の奴だな」
「そんなことないわ。実はオバサンに預かった手紙があるの」
そう言いながら優香は結夏の手紙を差し出した。
それは『大好きな隼へ。』で始まる、学生時代からの馴染みのある文字で綴られていた。
「ごめんね。隠していた訳ではないんだけど……オバサンから、本当の夫婦になった時に渡してあげてって頼まれていたの」
優香は肩を竦めるように言った。
持章で完結予定です。




