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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
十六章 少女、千年を遡る(後編)
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37.アリス


 アリスが過去から戻ってきてから、フェンサリル宮殿での滞在は本当に穏やかに過ぎた。

 トールも合流してエトヴァス、オーディン、バルドルと話しながら近くに魔物を狩りに行ったり、近くの森に果物を探しに行ったり、夕飯にはだいたい昼間の成果が饗された。アリス以外は大人なので、夜は話しながら酒を飲むこともあった。

 とくに近くに都市がないせいか、フェンサリル宮殿は夜の庭からの星空が綺麗だった。海も望めるので、海に浮かぶ月を眺めるのもいい。アリスは柔らかな夜風になびくおさげをおさえながら、酒を飲んでいる大人たちから離れた。

 中庭の白詰草畑を見ると、今でも優しいフリカの声が聞こえるような気がする。


『花冠、上手に作るのね』


 美しい笑顔が、今も瞼の裏に焼き付いている。


『私も行こう』


 ヤマモモを取りに行くときにかけられたラウフェイのどこか平坦な声も、覚えている。

 ふたりは、幼い頃から母親との関係が希薄で、挙げ句の果てに母親に捨てられたアリスに、人間と魔族の母親の模範を与えた。

 フリカは人間らしく、感情豊かに娘のアリスを捉えた。優しくて、柔らかで、アリスの将来を心配し、たくさんの小言も口にした。でもめいっぱいの愛情とともにアリスを包んだ。命を賭けて、子供の未来を守ろうとした。まさに人間の母親そのものだった。

 ラウフェイは魔族らしく、子孫を残す合理性からアリスを捉えた。アリスの豊かな才能や生まれ持った優秀さを評価し、自分の息子の伴侶としてふさわしいと考えた。そしてだからこそ、アリスを守るためにアリスの能力を補強し、時には将軍からも守った。

 どちらも外の圧力から子供であるアリスを懸命に守ろうとした。それが、アリスの母親だった。


「どうした?」


 エトヴァスの低い声が尋ねてくる。アリスが皆から離れたことにすぐに気づいたのだ。

 うしろを振り返れば、オーディンとトールはもう眠ってしまったらしい。バルドルはまだ飲んでいるようだが、どこか眠たそうだ。


「お酒飲むとみんな眠たくなるんだね」

「あれは世の中では酔い潰れていると言うんだ」


 エトヴァスに訂正されるが、酔い潰れるとはなんだろう。たしかに以前も酒の席で大人たちはテンションを上げて話していたかと思うと、眠ってしまう者もいた。ただ個人差が大きいのだろう。エトヴァスもかなり飲んでいたはずなのに、精悍な顔も無表情もまったく変わっていない。

 アリスはじっとエトヴァスを見上げる。

 過去のアリスと同じ年頃のエトヴァスは身長が百六十センチ前後とアリスより身長が二十センチも高くて、でも百九十センチを超える今よりは三十センチも小さかったことになる。魔力量はアリスの方が大きかった。でも、魔術の技術はやはり緻密なところや戦略の立て方がうまくエトヴァスの方が上だった。

 今のエトヴァスはあまりに大きくて、強くて、将軍で、アリスとは比べものにはならない。近いようで遠い、アリスがいつまでたっても届かない、勝てっこない存在のように思える。千年間で積み重ねてきた、時間の重みだ。アリスがたった百年足らずの人生では、恐らくたどり着かない境地だろう

 でも、最初から届かない存在だったわけではない。


「ちょっと来い」


 アリスがぼんやりエトヴァスを見上げていると、エトヴァスがアリスの手を取り、木陰に引き込む。


「え、ふっ」


 木を背に、唇を重ねられた。

 体から力が抜けて、つかまろうとしてもエトヴァスの体は大きくて、つかまりにくい。でも、すぐにエトヴァスの腕がアリスを支えた。


「はっ、あ、」

「大きい俺は不満か?」


 一瞬なにを問われているのかわからなかった。


「千年前に、ここで言っていただろう」


 アリスはそれでふと思い出す。


『でも今のビューレイストは未来のエトヴァスとは違って体は小さいけど、体温は同じだし、わたしの大きさがぴったりな気がする』

『大きさ?』

『だって手足が長くて、わたしを抱きしめてもあまっている気がするんだもの。今のほうが隙間がないかも』


 母のフリカに隠れてここで逢瀬を楽しんでいたときに、アリス自身が口にした言葉だ。エトヴァスにとっては最近取り戻したとはいえ、千年前の記憶だが、ちゃんと覚えているらしい。


「・・・だって、でも・・・」


 アリスは金色の虹彩の入ったいつもどおりの翡翠の瞳を見上げ、今さらに感じた不安がこみ上げてくる。

 いつものように強さで揺るぎなくアリスを守ってくれるエトヴァスはいなくて、アリスは過去のビューレイストに身をそわせ、温もりで不安をとかすしかできなかった。もちろん、エトヴァスの母ラウフェイや父のオーディンは守ってくれた。

 でも、エトヴァスに対する信頼とはまったく違う。


「・・・エトヴァスに、会いたかった」


 それ以外、言葉が出てこなかった。

 アリスは大きなエトヴァスに手を伸ばす。五十センチも身長が違っていて、首に手を伸ばして引き寄せるにしても背伸びをせねばならない。大きくて厚い肩はびくともしない。でも、それはアリスが一番安心できる、信頼できる強さだ。

 アリスにこたえるように、エトヴァスがアリスを強く抱きしめてくれる。ビューレイストの時のように体は沿わない。抱きすくめられるように大きな体がアリスを包み込む。その力強さと体の大きさに酷く安堵する。

 戻ってきたのだと強く実感する。


「それは俺の台詞だ」


 エトヴァスが短く言う。

 会いたかった、記憶をなくしていたとはいえエトヴァスはアリスのいない千年を生きてきた。それでも、記憶がなくともアリスを喰らい、あまりに美味しいからと長期飼育をはじめたのは、アリスの血肉の味を記憶ではなくほかの感覚で覚えていたのかも知れない。

 アリスはエトヴァスの大きな背中に手をまわして、身をかがめているエトヴァスに口づける。


「でも、結局過去でも今でも、していることは全然変わらないね」


 こうして口づけて、抱きしめて身を寄せて、ふたりでいる。それは過去でも今でもあまり変わらない。きっとアリスがエトヴァスといられれば、様々な条件が変わったとしても、別に気にならないだろう。

 だが、エトヴァスはそうではないらしい。


「俺はごめんだな」


 はっきりと言われ、僅かに身を離され、顔をのぞき込まれる。


「どうして?」

「俺はおまえとの関係を誰かに邪魔されるのはごめんだ」

「誰か?」

「フリカといい、ラウフェイといい、母親という生き物は本当に人の行動に口を出して疎ましいものだと思った」


 アリスは彼の細い眉がよるのを見て、首を傾げた。


「うとま、しい?」

「俺がおまえに手を貸すと、なにかと文句を言う」

「あ」


 それでアリスも思い当たった。

 母であるフリカは、朝起きたり身支度をしたりと言った生活面でエトヴァスに頼り切りのアリスに難色を示していた。だからアリスに自分でやるように口うるさく言ったし、同時にエトヴァスにも手を貸さないように求めていた。

 エトヴァスはそれが存外疎ましかったのだろう。


「でもラウフェイお母様はそうでもなかったでしょう?」

「そんなことあるか。安全保障を盾に危ないからとおまえを俺から引き離そうとしたのはあの女だぞ」


 千年前のエトヴァスはまだ子供で、将軍たちから狙われる可能性のある莫大な魔力を持つアリスを、単独で守ることはできなかった。そしてそれをかわりに肩代わりしたのは、エトヴァスの母であるラウフェイだ。

 ただ魔族の母親とはさして子供に興味がない。ラウフェイはアリスがエトヴァスと離れると寝食がまともにできなくなるほど精神的にやられると主張したからエトヴァスを自分の城に一時的に住まわせたが、それがなければアリスだけを手元に置いただろう。

 そして確かにアリスは常に、エトヴァスでは安全保障には不十分だと言われ続けていた。アリスはエトヴァスから離れたくないから結局一緒にいたが、エトヴァスは相当嫌だったのだろう。


「わたし、あまり気にしたことがなかったかも」


 アリスはフリカが口うるさいことで自分で身支度をしなくてはいけなくなっても気にしてはいなかったし、ラウフェイはアリスの意見を尊重してくれたから、困っていなかった。だが、エトヴァスは違ったのだろう。


「おまえがふたりを慕っていたし、安全保障にも必要だったから目をつぶっていただけだ」


 アリスはエトヴァスを見上げる。不機嫌そうな寄せられた眉にアリスは笑ってしまった。そういえば過去の彼はしょっちゅう眉を寄せていた気がするが、いろいろ嫌だったのだろう。それでもアリスがフリカとラウフェイが好きだし、自分でアリスを守れないからと我慢してくれていたのだ。


「・・・わたしはお母様たちが恋しいよ。とてもさみしい」


 エトヴァスは母が疎ましかったかも知れないが、アリスは母が恋しい。

 今でも夢のような時間だったと思う。自分を愛してくれる、守ってくれる母親など、四歳で実母から捨てられたアリスからしたら夢物語だった。だからアリスはふたりの母が恋しいし、さみしい。


「でも、わたしは幸せものだね。わたしを大切にしてくれるお母様がふたりもいて、ふたりともわたしが魔族のエトヴァスと一緒に生きていけるように、頑張ってくれた」


 アリスはエトヴァスに抱きつく。アリスの身長は小さくてエトヴァスの腰にしか届かないけれど、でも関係がない。エトヴァスがそっと身をかがめ、寂しさを慰めるようにアリスを抱きしめてくれた。

 フリカは魔王ファールバウティを命を賭けて呪い、バルドルやアリスなどフリカの血に連なる者に彼が触れられないようにした。そうしてアリスを守った。

 ラウフェイはその魔力の一部とともに自分の記憶をアリスに遺してくれた。彼女が生きた、数千年に及ぶ記憶だ。そのなかには多くの魔族やエルフの情報、彼女が数千年蓄積した魔術も含まれている。アリスにそれがすぐに使いこなせるわけではないだろうが、これから戦っていく上の助けになるのは間違いない。


「わたしも、お母様たちみたいにエトヴァスとの子供を守れるように、がんばるね」


 すべては、次へとつなげていくためだ。自分の血族を、次の世代につなげていくため。

 アリスもいつか、エトヴァスと子供を持つんだろう。そしたらふたりみたいに、子供を抱きしめ、守ろうと思う。

 アリスは実母には抱きしめられたこともなく、四歳には捨てられた。母はいつも冷たく、どうでもいい他人だった。でも、母とはきっとそういうものじゃない。子供を抱きしめ、守る、とてもとても強い生きものだ。

 アリスもいつかそうなりたい。でも、


「・・・でも、まだわたしは無理かも」


 アリスはエトヴァスのあばらあたりに顔を埋めながら、エトヴァスのためならなんでもできそうだが、エトヴァスとの子供と言われてもピンとこないし、他人に命を賭けられる気にもならない。そこまで大事だと、思えるのだろうか。

 アリスが素直な気持ちを吐露すると、エトヴァスの大きな手がアリスの頭を撫でた。


「安心しろ。子供は俺も守る。おまえがひとりでそうするのではない」


 フリカは夫であるオーディンとすれ違い続けたからこそ、子供を守るためにひとりで戦わねばならなかった。

 エトヴァスの母であるラウフェイの場合は、魔族の父親は子育てをしない。エトヴァスの父親で魔王だったファールバウティは、過去のエトヴァスを殺すことに何の躊躇いもなさそうだった。だから常にひとりだった。

 だが、アリスは違う。エトヴァスがいつも隣にいる。父親であるエトヴァスもまた子供を抱きしめ、守ってくれるだろう。


「うん」


 アリスには足りないところがたくさんある。でもエトヴァスが埋めてくれる。これまでもそうだったが、これからもそれは変わらない。

 それに、その日はきっとまだ遠い。


「アリス、」


 エトヴァスがアリスの唇に自分のそれを重ねる。アリスはそれを目を細めて受け入れた。だが、ふと響いた高い声に目を丸くする。


「ちょっ、オーディンっ、そんなところで吐くなんてっ」


 バルドルの声だ。どうやら気分が悪くなったオーディンが吐いたらしい。

 アリスは油ものを食べ過ぎたり、体調を崩すとごくごくたまに吐くこともあるが、魔族の体は頑強だ。魔族は風邪をひくこともないし、気持ち悪いなど聞いたことがない。いったいオーディンはどうしたのだろうとアリスが首を傾げていると、エトヴァスがため息をついた。


「酒の飲み過ぎだな。ただ、・・・まずいな」

「まずいの?」

「バルドルは神経が細くて、他人が吐くのを見ると気分が悪くなる」


 アリスはエトヴァスに言われ、思い返してみれば確かにそうだった。

 エトヴァスとアリス、そしてバルドルは時々一緒に食事をしに行く。バルドルは酒が好きだし、エトヴァスも大人だ。だいたい酒も飲めるレストランや飲み屋に行くのが常だが、たまには体調を崩し、吐く人もいた。

 そういうときエトヴァスは一応周囲の人に伝えたり、時間や必要性があれば片付けを手伝ったりとそれなりの対応をするのだが、バルドルは遠巻きだったかも知れない。よく考えて見ればバルドルは優しい人なので、介抱しないのはおかしな話だった。

 吐く人や吐くという行為を見るのが苦手なのだ。


「うわっ、死ねよ!オーディン!!」


 トールも起きて気づいたのか、叫んでいる。トールは平気そうなので彼が片付ければ良いと思うが、トールはそういうところに気づく性格ではない。バルドルの様子にも気づかないだろう。

 

「行くか」


 エトヴァスはふたりの時間を邪魔されて不満そうだ。ただアリスが気になるのはわかっているから、無視しない。

 アリスはそんなエトヴァスの手を握り、笑った。


「うん」


 今、アリスたちが持つ家族は、賑やかだった。






 



「きちんと片付けろ」

「こんなこと、部下とか使用人にやらせりゃ良いだろ!?」

「部下や使用人に完全な自分の失態をぬぐわせるなど論外だ」

「マジで死ねよ。吐くほど飲むとか、酔いすぎだろ。許されんのは寝るまでだぜ」

「うっせぇな。フリカの記憶思い出したから、いろいろ飲みたかったんだよ!」

「はぁ?こんな姿見たら百年の恋も冷めるわ!」

「うっせぇよ!千年だろ!?」

「あぁ!?どっちも一緒だろ!?幻滅するわ!!」

「どちらもうるさい。ひとまず片付けろ」


「大丈夫?バルドルお兄様」

「・・・まともに見ちゃった。ごめん。僕、あぁいうのは駄目なんだよ」

「うん。わたしも自分が吐いても、見るだけで気持ち悪いからわかるよ。ちょっと離れよう」

「・・・僕、やっぱり父親は駄目かも」

「わたしもちょっとひいた」

「・・・」

「お兄様、・・・お父様みたいにお酒飲むと吐いちゃう人とお酒飲むのやめた方が良いよ」

「うん。飲むならエトヴァスとにするよ」


 そして子供たちから全力で嫌がられ、禁酒すれば良い。

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