王は怪物のふりをしている
「……陛下」
つかつかと廊下を歩いてゆく国王アレキサンダーの耳に、控えめな声が聞こえた。
「なんだ」
アレキサンダーは振り返ることもせず、不機嫌に答える。
「王妃陛下へのあの対応は、少々不適切だったのではないでしょうか」
「私はあの対応が不適切だったとは思わない。貴重な時間を浪費せぬよう、早めに話を切り上げただけだ」
「陛下!」
声に含まれる非難の色が濃くなった。
うんざりしたアレキサンダーは、少しだけ後ろを振り返ると、そこにいた文官を威圧するように見た。
途端に文官の肩がビクッと跳ねる。
「も、申し訳ありません! 出すぎたことを申し上げました!」
哀れなほど怯えきって震えながら頭を下げた文官を尻目に、アレキサンダーはずんずん歩いてゆく。
しかしその内心で、彼は少々悩んでいた。
(さすがにやりすぎただろうか)
文官の怯えた態度には、さすがの彼も良心が咎めていた。
相手が自分を思って忠言したのであろうことに思い至らないほど馬鹿ではない。
母親の身元も知れぬ、王弟の庶子にすぎない若造と侮られないため、人を威圧するのがやたらと上手くなってしまったのが裏目に出ていた。
難儀なものだ。
そもそもアレキサンダーは、王になりたかったわけではなかった。使用人が産んだ庶子にすぎない立場で権力を望めば身を滅ぼすだけだと思っていたし、本来ならば細々と生きて死ぬはずの人間だった。
しかし、他の王族達が、皆揃って屑ばかりであったのがまずかった。
ただひたすらに愚鈍で、親族達のわがままに振り回されるばかりの王。そこにつけ込み、浪費の限りを尽くす王妃と王弟。彼らのもとでろくな教育も施されず甘やかされて育った結果、気位ばかり高く、弱い者を虐げることだけは上手い無能になってしまった王子達。
屑の中ではましな方であった王が死去した時、アレキサンダーの胸に浮かんだのは、この国の行く末の悲惨さだった。そして彼は、その悲惨な未来を前に手をこまねいていられるような性格ではなかった。
暗君のもとで真っ先に死ぬのは、力の弱い民である。ならば、少なくとも並の平民よりは力のある自分が、彼らを守ってやらねばと思ったのだ。
――――そして。
平穏に生きたかったはずのアレキサンダーは、民を守ろうとして並み居る親族達と争い、やがてそれは血で血を洗う戦いとなり。
とうとう、他の王族達を皆殺しにして王位につくことになってしまったのだ。
まあ、それは良い。何度も死にかけはしたが、それも含めて己の意志で決めたことだ。
問題は、その戦いを経た自分についた噂と二つ名だった。
親族を皆殺しにした残虐な男。内戦の中、幾度も死にかけながらも生き延び、劣勢を覆した男。
あの残虐さと強さは、果たして人のそれなのだろうか。呪いの力でも持っているのではなかろうか。父親は王弟で間違いなくとも、どこの馬の骨とも知れぬ母親はどうだろうか。
そうだ、あれはきっと敵対する者を呪い殺す、怪物の血を引いた王――――――「怪物王」だ、と。
いつしか彼は、影でそう噂されるようになってしまった。
そしてさらに問題なのは、アレキサンダー自身がその噂に頼ってしまっていることだった。
怪物として恐れられていれば、少なくとも侮られることはない。ありもしない呪いの力を恐れて、誰も彼のそばに寄り添ってくれない代わりに、彼に悪意をぶつけようともしない。暗殺者が最近は来なくなってきたのも、この噂のせいだろう。
そんなことを思ってしまうせいで、いちいち噂の通りの「怪物王」らしく振る舞ってしまうのが、一番の問題なのだった。