海辺の罠
「うっわー。そうそう、これよ、これこれ!」
人でいっぱいの砂浜。
ごく普通の海水浴場だった。
まさに、水を得た魚、とは今のリユナを指すのにふさわしい言葉だった。
「トーマくん! はやくはやく!」
「リユナ、はやいよ!」
リユナは寄せてくる波に突進していった。他の大勢の海水浴客に交じって、リユナは心の底からのびのびと楽しそうだった。
「ちょっと深い方まで泳いでみよっか!」
「あ……リユナ。ぼくは、泳ぎはそれほど得意じゃないんだ」
「なーんだ。トーマくん、意外とだらしないのね。じゃあいいわ。ここで遊びましょ!」
そして、トーマイヤーに思いっきり水を浴びせかけた。
「やったな!」
そして水を掛け合って、じゃれ合う二人。
その周囲に、小学生くらいの男の子が数人、集まってきた。
「お、バカップルがいる」
「あ、ホントだ。バカップルだ」
「バカップル~、バカップル~」
その声が耳に入り、リユナはちょっと口元をひきつらせた。
トーマイヤーが、気にした様子も微塵もなく、無邪気にリユナに聞いてきた。
「リユナ、バカップルとは、どういう意味の言葉だ?」
「え……そ、それは、つまりぃ……う~んと、そう、すご~く、仲がいい、ってことよ!」
「そうか! なるほど!」
(うぅ~、トーマくんが世間知らずで、助かったわ……)
なんだか、一気にどっ、と疲れを感じたリユナであった。
「はぁ~、トーマくん、ちょっと休みましょうよ。ずっと遊びっぱなしだもん」
「そうだね!」
なぜか、機嫌がいいトーマイヤー。
二人とも砂浜に上がり、レジャーシートに置いておいた上着を羽織って、ビーチサンダルを履いた。そして海に向かって二人並んで腰を下ろした。
「はあー、疲れた」
リユナが座ったまま背伸びをした。
「すごくたくさんの人が来てるんだね」
「そりゃ、そうよ~。やっぱり、これじゃなくっちゃ、海に来た気がしないわ」
「そうか……」
トーマイヤーは、遠くを見て何か考える風だった。そして、おもむろに口を開いた。
「リユナと一緒にいて、なんとなく、下々のことが少しは分かった気がする。いや、そうか、下々、という言い方も、あまり良くないのかもしれないな……みんな、と言うべきか」
「トーマくん……」
「みんな、すごく楽しそうにしている。ぼくがいくらプライベートビーチを持っていても、そこに一人でいたのでは、ちっとも楽しくない。リユナがいてくれれば、そりゃあ楽しいけど、でもリユナは、こうして大勢の人たちと一緒がいいのであろう?」
「う、うん……」
「王族などというものは、結局、孤独で寂しいものなのだな、ということが、分かった気がする……それを教えてくれたのは、リユナ、そなただ。心から、礼を言うぞ」
「え、そんな」
「ありがとう」
急に真面目な顔つきになり、トーマイヤーが言うので、リユナはなんだか照れくさくなった。
「あ、えっと、そうだ! トーマくん、アイス食べたくない?」
「アイス?」
「うん、あたし、買ってくるね! ここで待っててよっ」
「あ、リユナ」
リユナは立ち上がって、向こうへ駈け出してしまった。確かに、アイス売りの屋台が砂浜に出ている。その後ろ姿を見送って、トーマイヤーはまた海へ視線を戻した。遠くを見つめて、何か物思いにふける様子だった。
アイス屋に向かって走ってきたリユナは、そうだ、お金、と思い出して、ロッカールームの方へと方向を変えた。この海に到着したときに、暗証番号登録式のロッカーに、自分の携帯電話を預けてあったのだった。
ロッカールームに入り、暗証番号を登録したロッカーの前まで行く。ぴっぴっと自分で登録した暗証番号を入力すると、ロッカーがピン、と開いた。
中から携帯電話をつかみ出そうとした、そのとき。
突然、後ろから手が伸びてリユナの口元にハンカチのような布が押し当てられた。
あっ、と思う間もなく、リユナは意識を失って、倒れそうになった。それを後ろから支える、たくましい腕。ハンカチには、クロロホルムか何かの薬品が染み込ませてあったらしい。
そしてそのまま、リユナを肩の上に軽々と担ぎ上げた。リユナの取り出そうとした携帯電話を手に取って、その人物はニヤリ、と笑った。
どれくらい、海を眺めていただろうか。
トーマイヤーはふと、物思いから我に返った。
「遅いな」
後ろを振り返り、遠くに見えるアイス屋の方へ視線を泳がす。
リユナらしき姿は、どこにも見当たらない。
「どこまで行ったんだろう……」
少し、不安が胸をよぎった。何かあったのでなければよいが。
リユナを探しに行こうか、と思い、腰を浮かしかけた、そのときだった。
「まあああああああ! トーマイヤー様ではありませんか!」
「え?」
目の前に現れたのは、サユカだった。
派手な花柄のビキニ姿である。しかも、ひもビキニだった。よく発達してまるくふくらんだ大きな二つの胸が、ビキニからこぼれそうになっている。
「さ……サユカ殿?」
「こんなところでお会いできるなんて、夢にも思いませんでしたわ! ああ、やはり神様は、わたくしのことをちゃんと見ていてくださいましたのねっ。こうして、愛しい方とお引き合わせくださるのですから……」
「はあ……」
トーマイヤーは、なにを言っているのか、よく分からない、という顔で目をぱちくりさせている。
「トーマイヤー様は、お一人でいらっしゃいますの? まあ! 奇遇ですこと。わたくしもですのよ。ここでお会いしたのも、きっと何かのご縁ですわ。よろしかったら、わたくしと一緒にひと泳ぎいたしませんこと?」
サユカが、あからさまな色目を使いつつ、しゃがんでトーマイヤーに寄ってきた。
「いや、その、ぼくは」
リユナが心配で、行こうとするトーマイヤー。だが、腕をつかまれて引き留められた。
「まあ、どちらへいらっしゃるの。そうだ、トーマイヤー様ぁ……」
サユカはトーマイヤーの腕を放すと、急に挑発的な笑みを浮かべて、自分の背中に片手をまわした。そして、もう片方の手で胸を押さえながら、背中の結び目をしゅるり、とほどいてみせた。両腕でビキニが落ちないよう胸を押さえながら、甘ったるい声でトーマイヤーに迫った。
「背中にオイル塗ってくださいませんこと~?」
本人的には、フェロモンをふんぷんと大量放出して誘惑しているつもりのようだった。
だが、トーマイヤーは。
「すまぬ。自分で塗ってくれ!」
そんなサユカの半裸姿など一顧だにせず、アイス屋の方へ猛然と駈け出してしまった。
「あ、トーマイヤー様! どちらへ行かれるのです? ああ、お待ちになって~」
背中をほどいてしまって、追いかけて行くにも行かれず、そのまま取り残されるサユカ。
その周りに、小学生の男の子が数人、集まってきた。
「あー、このおねえちゃん、ノーブラだー」
「マジ? あーホントだー」
「ノーブラ! ノーブラ!」
遠慮会釈も、情け容赦もなかった。
サユカは顔を真っ赤にして、ぎりり、と歯がみした。
そして、やや離れたところからその様子を見ていた、取り巻きの二人を大声で呼ばわった。
「ちょっとー! あんたたち! 見てないで、早く助けなさいよーっ!」
「へーいへい……」
取り巻きの二人は、のろのろとサユカに近づいていった。
「リユナ……いったいどこへ?」
トーマイヤーはアイス屋の前まで来て、店員さんに聞いてみることにした。
「あの、白い水着をきた女の子が、アイスを買いに来ませんでしたか?」
「白い水着ねえ……うーん」
「胸のところに、花の飾りがついた水着です」
「ああ、言われてみれば、そんな子がさっき、真っ白い頭をした男に担がれて行ったのを見た気がする。その男、熱中症で倒れたから、早く運ばなきゃ、とか何とか言ってたな」
「なんだって……」
トーマイヤーの顔が、蒼白になった。
「どっちへ行った!?」
「えーと、駐車場の方かな?」
「ありがとう!」
トーマイヤーは、駐車場へと猛ダッシュした。
海水浴場に隣接した駐車場は、かなり広い。リユナがどこへ連れていかれたかなど、そう簡単に分かるはずもなかった。
「リユナ……どこだ?」
駐車場をあちこち探し回るが、それらしい姿はどこにもない。探しあぐねて、自分の王子専用車のところに戻ってくると。
そこに、リユナの携帯電話が落ちているのに気が付いた。
慌てて拾い上げ、画面を見てみる。
メールが一件、着信していた。すぐに確認する。
王子よ。女は預かった。女の命が惜しくば、一人でミナトチョウ5丁目8番地13の倉庫に来い。いいか、助けを呼んだり王宮に連絡したりしたら、女の命は保証しねえ。必ず一人で来い。早くしねえと、こいつがどうなってもしらねえぜ。
添付された画像には、ぐったりしているリユナの姿が写されていた。
トーマイヤーの顔から、みるみる血の気が失せていく。
大急ぎで車に飛び乗り、エンジンを始動した。すぐに四脚歩行モードへ移行し、停めてある他の車を一気に飛び越え、車道に出て行った。
何も知らない海水浴客が、それを見てびっくりしているのを尻目に見ながら。
「リユナ、すぐ行く。待ってろ……」
車道を、可能な限りの最高速度で、すっ飛ばして行った。




