間奏曲
休みが明けて、翌週。
狙撃未遂事件のことはニュースにもなり、皆が知っていたが、トーマイヤーは普段と変わりなく登校してきた。
朝の教室で、シューヤとバッハの音楽について話していると、そこへミツギが入ってきた。
その手を見て、トーマイヤーはふと、眉根を曇らせた。
ミツギの左手に、ぐるぐると包帯が巻かれていたのである。
誰とも挨拶ひとつ交わさず席に着くミツギに、トーマイヤーが近づいた。
「ミツギ殿」
「んああ?」
「その手は、どうなされたのだ?」
「ああ……これは……つまり……そ、そうだ。ドアに手を挟んでしまってな。火傷なんかじゃ、ねえよ。大した怪我じゃない」
「そうか。なら、いいのだが……」
再び、自席に戻るトーマイヤー。
(火傷なんて、ぼくは一言も言ってないぞ……?)
その胸中に、疑念が渦巻いた。
*
わずかな不安と緊迫感をはらみつつも、学校の日常はそれ以後、ごく平穏に過ぎていった。
衣替えも済み、もう夏になろうか、という暑い時節に入って、一学期の期末テストが訪れた。
この学校では、テスト結果が成績・順位に関わりなく、全員分が廊下に張り出されることになっていた。
トーマイヤーは全科目で満点近い点を叩きだし、トップの成績だった。
それを、わずか二点差でシューヤが追う形となった。
張り出された順位表を見ていたシューヤの目の奥に、メラメラと燃え上がる火光が仄めいていたことに、気づく者ほとんどいなかった。
リユナは中の下くらいの順位だった。数学や物理といった科目ではそこそこ点が取れていたものの、英語がひどかった。
「うわっちゃー、今回も、ヤバいわ……」
目を覆うリユナのそばに、トーマイヤーが近づいてきた。
「リユナ……」
「あっ、トーマくん!?」
「リユナ、英語が苦手だったのか?」
「う……うん。まあ、その。あ、予鈴が鳴っちゃったよ。教室戻ろう」
「ん、ああ、そうだな……」
*
そして、夏休みも間近に迫り、週末を明日にひかえたある日。
いつものように、室内楽室でモーツァルトの二重奏を練習する二人の姿があった。
「じゃあ第二楽章から」
「うん、分かった」
二人で息を合わせて、そっと弓を弦に当てていく。
静かな湖面にわずかに立つさざ波を思わせる、ヴィオラのゆったりとした八分音符の伴奏の上で、水面をすべる水鳥のようにヴァイオリンが息の長い旋律をたっぷりと歌い始めた。装飾的な細かい動きを見せた後、トリルによっていったんフレーズが落ち着くと、今度はそれまで静かだった湖に風が吹いて水面を揺らすかのように、ヴィオラが一六分音符による軽やかなリズムの伴奏で動き出す。その上を華麗に舞うかのように、ヴァイオリンが軽妙で優美な歌を連綿と歌い継いで行った。
リユナは、弾きながらもうっとりせずにはいられなかった。
(トーマくん……なんて素敵な〝歌〟なのかしら……弾きながら、感動してしまうわ……)
そして今度は、リユナが主旋律の番である。
リユナは深く考えず、トーマイヤーの伴奏に身を任せ、全てを委ねた。
(すごい……なんだか、トーマくんと心がひとつになったみたい……なんて楽しいのかしら)
リユナは、胸が熱くなるような思いがした。涙がにじんできそうだった。
部屋に、そーっと音を立てないようにして、バッハイシバシが入ってきていたことに気づかないまま、第二楽章を最後まで弾き終えた。
演奏を終えた途端、急に拍手が聞こえて、びっくりしてそちらを振り向く。
「ああ、これは驚かしてしまったかな。いやー、実に見事な、感動的な演奏だった。あまりに素晴らしくて、聞き惚れてしまったよ。ユズノハも、ずいぶんと腕を上げたもんだなあ~」
「そんな……先生。あたしは、別に。トーマくんのおかげです」
トーマイヤーは穏やかな笑みを浮かべて、特に何を言うでもない。
「定演本番はまだまだ先だが、この出来だったら一度、オケ部員の前で演奏を披露してもらいたいもんだな。夏休みに入る前に、一回みんなの前で弾いてみてくれないか。リハーサルのつもりで。どうだ?」
「それは、構いませんよ」
返答に迷う様子のリユナにお構いなく、トーマイヤーが承諾してしまった。
「えっ、トーマくん……」
「大丈夫だよ。ぼくがついてる」
「そ、そうね、そうよね……」
バッハイシバシは満足そうに、
「よし、じゃ決まりだな。今日はもう遅いから、この辺にしとくだろ?」
「はい、そうですね」
「んじゃ、俺はホールの方を見てくるから、ここの戸締りはよろしくな」
「はーい」
バッハイシバシが出て行くと、二人で楽器を片付ける。
ヴァイオリンをケースにしまいつつ、トーマイヤーが切り出した。
「そうだ、リユナ」
「ん? なに」
「明日なんだけど、珍しく休みがとれたんだ」
「へえー!」
「いっしょに、海へ行かないか」
「えっ、海!? 行く行くぅ~」
「じゃあ、リユナの家まで迎えにいくよ」
「えっ……家に?」
(う~ん、まだお父さん、トーマくんのこと知らないしな~……)
「う、ウチに来ると、お父さんが卒倒しちゃうかもしれないから、またフェイクタウンの正面で待ち合わせにしましょうよ!」
「そ、そうか? リユナのお父上は、よほどお加減がよろしくないようだな……」
眉根を寄せて、心配そうにした。
「あ、あはははは。大丈夫よ、気にしなくても。お父さんは、ぴんぴんしてるから!」
「?」
ますます訳が分からず、腕組みして考え込むトーマイヤーだった。




