行けない理由
枠を探すのに、工房の全員が使われた。
マレーネが規約を洗い、ヨナスが過去の申請例を数え、トビーとミアとラルフが写しを取り、ニナが読んだ。俺は読めないので、順に読み上げてもらった。
三日やって、出てこなかった。
条文集というのは分厚い割に、書いてあることが少ない。同じ内容が言い換えで三度出てくることもあれば、肝心なところが別の令に飛ばされていることもある。ニナは三日目には目が赤くなっていて、俺が止めてもやめなかった。
ヨナスが数えたところでは、討伐に関わる申請の型は十一種あって、そのどれにも当てはまらなかった。
「型に当てはまらないものは、どうなるんだ」
「型を作るところから始まります。前例のない型を作るには、上の合議が要ります」
「何日だ」
「早くて半年です」
三十日しかない。
研究の枠は使えない。研究者がいない。討伐延期の枠は使えるが、延期には現地の再調査が要って、再調査には申請が要って、その申請にはまた対象が要る。
「同じところに戻りますね」
ヨナスが紙を置いた。
「戻るな」
「ハウザーさん。ひとつよろしいですか」
「言え」
「あの個体を見て、危険でないと判断できる人間がいれば、それが最短です」
「いるか、そんなやつ」
「います」
この子は、まっすぐこちらを見た。
「あなたです」
工房が静かになった。
「俺は灰級だ」
「はい」
「二十階から下は、申請が通らない」
「はい」
「年齢の規定もある。四十を超えると、そもそも深層の同行申請が下りない」
「はい」
ヨナスは眼鏡を押し上げた。
「ですが、行けるなら最短です。それだけは、事実です」
俺は当て金を置いた。
置いて、しばらく手の甲を見ていた。
この手は、房で二十年、他人の道具を触ってきた。触った道具を持って、他人が潜って、他人が帰ってきた。それでよかった。整備士の仕事は、現場の外にある。俺はそれを疑ったことがない。
疑ったことがないというのは、疑う必要がなかったからだ。
「レイ」
「はい」
「三十階まで、何日かかる」
工房の全員が、いっせいにこちらを見た。
「……先生」
「訊いてるだけだ」
「片道で五日です。休憩所を使って、無理をしなければ」
「灰級のおっさんを連れてなら」
「七日、いえ、八日は見ます」
レイはそこで、少し声を落とした。
「ただ、それは行けるかどうかの話じゃないです」
「分かってる」
「先生が倒れたら、わたしは先生を担いで上がります。担げますけど」
「分かってる」
「先生は、それが嫌いですよね」
この子は昔から、そういうところが鋭い。
俺が嫌いなのは、担がれることではない。担ぐ側が、担いでいるあいだ何もできなくなることだ。深いところで人ひとり背負うというのは、その人間の手が両方とも塞がるということで、塞がった手のせいで死ぬやつを、俺は房で何人も見送っている。
俺は答えなかった。
その晩、ボリスの屋台で飯を食っていたら、向かいから言われた。
「行くのか」
「行けない」
「訊いたのはそこじゃねえよ」
「あんた、前も同じことを言ったな」
「同じことを訊いてるからな」
俺は椀を置いた。
「行きたい」
ボリスは炭を返した。
「じゃあ、あとは行き方の問題だ」
「行き方がないんだよ」
「無いのか」
「無い」
答える代わりに、その晩は遅くまで棚の前にいた。明日以降に取りに来ることになっている道具が並んでいる。名札はニナの字で、下に俺の読みにくい字が添えてある。
俺が八日いなくなれば、この棚は誰かが回す。回せる人間は、いまここにいる。
それを確かめてから、灯りを消した。
その翌朝、マレーネが工房に駆け込んできた。
この人が走っているのを、俺は初めて見た。眼鏡がずれていて、それを直す余裕もないらしかった。




