煌めく薔薇の花
手を重ねた瞬間、ふわりと身体が軽くなるのが自分でもわかった。まるで音楽へ身を預けたような心地で、繋がれた手から伝わる温もりが、胸の奥に残っていた不安をゆっくりと溶かしていく。
レオンハルトと幾度となく重ねた舞踏の稽古。それから、カーター婦人の提案で始まった、あの不思議な対談。
気付けばその時間は、思っていたよりもずっと自然に二人の距離を縮めてくれていたらしい。
周囲では招待客たちが二人を囲むように大きな輪を作り、その中心で優雅なワルツを踊る。今だけは誰のことも気にしなくていい。
優雅に流れる弦楽器の旋律が耳を満たし、不思議と先ほどまで気になっていた囁き声も聞こえなくなっていた。
もっとも、皇太子殿下を目の前にして、なお噂話へ花を咲かせられるような豪胆な者がいるのなら、一度くらいお目にかかってみたいものだが。
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回転を重ねるたび、フロスティーブルーのドレスが柔らかな波を描き、幾重にも重ねられたチュールが花弁のようにふわりと揺れる。その幻想的な光景は、普段女性へ目を向けることのない俺ですら思わず目を奪われるほど美しく、自然と視線は彼女だけを追っていた。
最初に宮殿へ迎えた頃とはまるで違う。
流れる噂ばかりを鵜呑みにし、母の一件を重ねて見てしまったせいで、彼女へ向けた言葉も、態度も、酷く冷たいものだった。
今さら悔やんだところで遅いことは分かっている。それでも時折、あの頃の俺が彼女へ植え付けた恐怖は、未だ完全には拭えていないのではないかと思うことがあった。
熱を出した夜もそうだ。
メルディアには「決してお近付きになりませんよう」と強く釘を刺されていたにもかかわらず、気付けば夜更けの廊下を一人歩き、彼女の部屋を訪ねていた。
眠る姿を一目見て、無事であることを確かめたかった。
ただ、それだけのはずだった。
だが、それだけでは済まない何かが、確かに胸の奥で芽吹き始めている。
母の一件以来、誰かを信じることなど出来ないと思っていた。誰かへ心を預ける日など、二度と訪れないものだと。
それなのに彼女だけは違った。
皇太子という立場でも、この国でも、権力でもなく、一人の人間として俺と向き合ってくれる。
笑えば嬉しくなり、不安そうに眉を下げれば、その原因ごと取り除いてやりたいと思う。
彼女が喜ぶのであれば、この国にあるものなら何一つ惜しくはない
――そんな自分でも理解できない感情が芽生えていることに、誰より戸惑っているのは俺自身だった。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、リリエのドレスが少しずつ表情を変え始めていることへ気付く。
回転を重ねるたび、折り畳まれていたチュールがふわり、ふわりと空気を含み、まるで眠っていた花弁が目覚めるように一枚、また一枚と解き放たれていく。
(……これは)
カーターの仕掛けか。
そう思った次の瞬間だった。
最後のターンとともにドレスが大きく舞い上がると、幾重にも重なっていたチュールは一斉に広がり、夜空へ咲き誇る一輪の青薔薇のような姿へと変わっていく。
淡い銀糸はシャンデリアの光を受けて星屑のように煌めき、その幻想的な美しさに、会場中から感嘆の声が湧き上がった。
俺もまた思わず息を呑み、目の前で花開いた青薔薇からしばらく目を離すことが出来なかった。
やがて自然と口元が緩み、小さく笑みが零れる。
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一際大きな歓声が耳へ届き、リリエは思わず顔を上げた。
何事かと目の前を見ると、レオンハルトがどこか嬉しそうに、心から楽しそうに微笑んでいる。
その柔らかな表情に、胸がどくりと高鳴った。
(歓声は、殿下のお顔をご覧になってだったのかしら)
そんなはずはないと思いながらも、そう思ってしまうほど穏やかな笑みだった。
やがて一曲が終わると、二人は向かい合って深く礼を交わす。少し息は上がっていたものの、不思議と先ほどまでの緊張はどこかへ消えてしまっていた。
その直後、大広間いっぱいへ惜しみない拍手が響き渡り、まるで祝福するように二人を包み込む。
レオンハルトは静かに歩み寄ると、リリエの裾へそっと手を添え、乱れたチュールを整えるように優しく指先を滑らせた。
どうしたものか、と何気なく自らも視線を落とした、その時だった。
(…まぁ!)
先程まで着ていたドレスとは、明らかにデザインが違う。
折り畳まれていたはずのチュールは、美しい花弁となって広がり、その裾には一輪の青薔薇が咲き誇っていた。
シャンデリアの光を受けた銀糸は夜露を纏ったようにきらきらと輝き、まるで最初からこの姿であったかのように、ドレスは完成していた。
『それから――』
ふと、カーター婦人が悪戯っぽく微笑んだあの日の姿が脳裏をよぎる。
『美しい薔薇は、夜会のワルツで花開くのですわ』




