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24.悪魔のささやき①

 厨房の片隅にあるテーブルで朝食をとる。ジェットがその前後にどこからともなくやってきて髪を結ってくれる。

 今日は朝食後に現れて、行儀悪くテーブルの上に座り、ルーナの髪の毛に手を伸ばしてきた。

 そんなジェットを上目遣いにじっと見つめる。


「……なんか言いたそうだな?」


 ふ。とジェットが笑った。

 これは「何かあるなら言え」という意味である。

 そして、これまでの経緯から何も言わないでいるとジェットが不機嫌になるのは目に見えていた。ジェットはこちらを見透かすような言動を取り、実際に言い当てて来るものの、決して心が読めるわけではない。だからなのか、ジェット自身が推察できない感情は気にかかるようだった。


「髪の編み方、気が向いたら教えてくれるって言っていたのに……全然教えてくれないので……いつになったら気が向くのかなって……」

「……。……。……ああ、そういえば言ったな、そんなこと」


 明らかに忘れていた、という様子だった。

 ルーナからはこれまで積極的に教えて欲しいとは言ってないので仕方がない気もする。


「覚えたい?」

「そ、そりゃあ……」

「やってもらえて楽だなーって思わねぇの?」


 どうだろう、と考えてみる。

 小さな頃は母親に髪を梳いて貰ったり結って貰ったりしていた。その時は確かに気分がよくて、嬉しかったのを覚えている。

 が、今はその時とは状況が違い過ぎる。

 よく知らない男性(悪魔)に前髪をずっと触れられているという状況。悪魔はおろか異性に免疫のないルーナにとってはかなり緊張する時間だった。


「お、落ち着かないです」

「なんで? オヒメサマ気分にならねぇ?」

「……こ、こういうことをしてくれたの、お母さんくらいしかいなく、て……お姫様なんて、想像もつかないです……」

「へえ?」


 もじもじしながら答えるとジェットが楽しそうに目を細めた。

 悪いことを考えてそうで嫌だなぁと感じる。ジェットは「言えるもんなら言ってみな」と言いたげな顔をしていて、なんだかちょっとだけむっとしてしまった。

 むっとする、というのがルーナにとっては新鮮であり、自分で自分に驚いていた。

 村ではそんなことすらなかったからだ。


「……い」

「い?」

「いじわる、ですよね、ジェットって……」


 文句を言える立場ではないのは重々承知だった。実際、声が震えた。

 村でそうしていたように鬱々とした感情をどんどん腹の奥に貯める必要はない。ジェットも、あるいはルディもそうは望んでないからだ。特にジェットの場合は何も言わないでいると不機嫌になってしまう。


「言うじゃん。でも、お前だって教えてって言わなかっただろ? ルディみたいに自発的に餌を持ってきてやるほど甘くも優しくもねぇんだよ、俺は。──言いたいことはちゃんと言いな。聞くかどうかは別だけど」


 やっぱり楽しそうに笑うジェット。

 村でこんなことを言おうものなら「そんな風に感じるなんてあさましい」「口答えするな」などと言われるだけだったので、自分の言葉にまっとうな返答があることに驚き、そして何故か感動していた。

 髪を結い終わって離れていくジェットの手を追いかけ、それからジェット自身をまっすぐ見つめた。見つめてしまった。


「なんだよ、その顔」


 ジェットは嫌な顔をするでもなく、ただ不思議そうにしていた。


「ぁ、え、えっと、……なんていうか、ちゃんと『会話』してくれるんだな、って……思い、まして」

「? 前から会話くらいしてるだろ?」

「……は、はい。そうなんですけど、今更、気付いたっていうか……」


 確かに、ジェットにしろルディにしろ、アインもトレーズも、ルーナと普通に会話をしてくれていた。

 本当に、今この瞬間、そのことに気付いたのだ。


「私と会話してくれるひと、全然いなくて……私が何か言っても無視するか呆れるか、うるさそうにされるだけで……ごはんもちゃんと食べなさいって言われて、髪の毛も可愛くしてもらえて……使い魔や自動人形ドールの皆さんを直すとありがとうって言って貰えて……ちゃんと夜も寝れて……人間扱い、されてるなって……」


 周りに人間なんて一人もいないのに、人間ばかりの村の中にいた時よりもずっと息がしやすい。自分が生きているのだと実感する。

 心の一部がずっと麻痺していた。

 何も言われても「自分がこんなだからしょうがない」と思い、村での扱いも「仕方ない」と諦めていた。

 諦めがどんどん降り積もり、どうしようもなくなったところで「生贄になれ」と言われ、自暴自棄になった。生きていても仕方がない、ならば、という考えで屋敷まで来たのだ。

 そして今、以前よりもずっと恵まれた環境にいる。

 不思議だ。

 屋敷のあるじは吸血鬼で、今目の前にいるのは悪魔で、夜一緒にいるのは魔獣で、使い魔と自動人形と過ごしているのに。

 そんなことを考えた後、ハッと我に返った。 


「ご、ごめんなさい! こんな、どうでもいいことを……!」


 どう考えてもジェットには関係のない話だ。

 つまらない身の上話をしてしまったと、ついさっきの自分の言葉を悔やんだ。


「……ルーナ、かなりアレな扱いだったんだな。戦争中とか戦後ならよくある話だっただろうけど、今時珍しいわ。それ」

「う、……」


 惨めで、恥ずかしくて、どうしようもない自分。

 ジェットの視線に耐えきれず、俯いてしまった。膝の上に手を置いてぎゅっと握り締める。

 自分のこれまでを知ったら──ジェットは呆れるだろうか。相手は悪魔だ。「くだらない」「つまらない」などと言って簡単に見捨てるかもしれない。今はただ、気まぐれで面倒を見てくれているだけ。

 言うんじゃなかったと後悔していると、ジェットの手がルーナの髪の毛に触れた。

 胸を隠すくらいの長さの明るい茶色い髪。屋敷に来るまではぼさぼさで汚れていたが、今は綺麗である。

 その髪の毛を一房指先に巻き付けて、くるくると弄ぶジェット。なんだかすごく気恥ずかしかった。


「燃やす? 村」

「……えっ?」

「お前はもうそんな村に帰る必要ねぇし、復讐がてら燃やしとく? って聞いてるんだよ。……望むなら、それくらいやってやるけど」


 復讐──。

 楽しそうに尋ねてくるジェットは、ルーナの髪の毛を一房掬い上げたかと思えば、意味ありげに笑って髪の毛にキスをした。

 その光景がとてつもなく淫靡いんびで、色香があって、ルーナの顔がかーーーっと赤くなっていった。自分でも何に動揺しているのかわからず、慌てて立ち上がってジェットから距離を取る。


「い、い、いい、いいいです!」

「あ、いい? 燃やしとく?」

「ちがう、違います! ぜ、ぜんぜん、そんなこと考えたこともなかった、ので……!」


 復讐のために村を燃やすだなんて本当に考えたことがなかった。

 復讐をしたい気持ちは確かにあったが、そのために村を燃やすなんてルーナにはできなかったからだ。なんだかんだで祖父母に監視されていたので不審な動きはすぐに見つかるし、村の家ひとつひとつに火をつけて回るなんて無謀過ぎる。

 だが、ジェットはできるらしい。

 ルーナと違って罪悪感すらも感じさせない。


「お父さんとお母さんの思い出もあるので……燃やすなんて、そんな……」

「まぁ、勝手に村焼きすると人権派とか保護派がうるせぇしな……」

「じ、じんけんは……?」

「こっちの話。──ルーナ、村に復讐したくなったら言って。叶えてやるから」


 甘美な響きである。

 悪魔のささやきとでも言えばいいのか。そんなことはしたくないと即答できなかった。

 ジェットはそんなルーナの心を見透かしたように目を細め、テーブルから降りてルーナの頭をそっと撫でる。


「俺がここまでしてやる人間、そうそういないから。……特別な?」


 何も言えなくなる。何故、この悪魔はそこまでしようとするのだろうか。

 その答えを求めるようにジェットを見つめるが、ジェットは何も言わずにただ笑うだけだった。

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