204-後始末②
花街と宵街を脅かした寄生虫の発端から、城の中や大公、王の現状とこれからと、そして城下町の被害まで全て語り終えたアルペンローゼは、地霊に科刑所の下にある地下牢へ案内された。
カトブレパスは淡々と尋問を受けて堂々と答えていた。やっと一段落して蒲牢に失った腕をどうするか尋ねようとし、口を開く前にラクタヴィージャに捕まった。
「カトブレパスとか言ったわね。まあ座って。私とも話をしましょう」
ラクタヴィージャにとって、初めての自分以外の医者である。話したいことは山程ある。そのために狴犴に頼んで科刑所で待機させてもらったのだ。病院には分身体を置いて来たので、饕餮と窮奇の対応は問題無い。
「僕は早く本題に入りたいんだが」
カトブレパスは立ったままで、爪先すら動かない。
「本題って?」
「そこの白い獣に、失った腕の治療をするか確認を。貴重な治療費を貰ってしまったからな。そして苧環に、記憶を有し、更に容姿も変わらず生まれ変わったことを問いたい」
「大丈夫、その話もしてあげるから。後者は長い話になるけど」
「時間はある」
「まずはね……失った腕を生やすって何?」
蒲牢は宵街に戻った時にラクタヴィージャに尋ねていた。ラクタヴィージャも腕を生やすことができるかと。答えはノーである。例えば臓肥桃は体に埋め込むと傷付いた臓器を修復してくれるが、丸ごと失った状態から内臓を作り出すことはできない。ある程度残っていないと修復ができないのだ。それと同じで、体が欠損した場合、その部位が残っていれば繋げることは可能だが、失った物を一から作り出すことはできない。それが宵街の現在の医療だ。
なのに花街は失った腕を生やせると、奇跡のようなことを言う。それなら話を聞かない手は無い。ラクタヴィージャの方から花街へ伺おうと考えていた所だ。
「僕は講義に来たわけではないんだが」
「たくさん迷惑を掛けたんでしょ? だったらこれからは役に立たないと。罪滅ぼしって奴よ」
「獣に罪滅ぼしとは……罪が滅ぼせないから罪人は死刑になるんだ」
カトブレパスは観念するしかなかった。宵街の獣達に囲まれ、睨まれた状態では本題に入れない。尋問の続きだ。
「君は腕の生やし方を聞きたいようだが、一言に纏めるのは無理だ」
「じゃあ簡潔に素人でもわかりやすく」
「君は素人なのか」
「未知のことに対しては素人よ」
カトブレパスは吟味するように沈黙する。素人への説明が一番面倒臭い。だが観念したので口を開く。
「再生を促進する薬を投与し、細胞を活性させて腕を作る。完治に掛かる日数が短いほど強烈な痛みを伴う」
「薬の成分を聞かないとよくわからないわね」
「簡潔にと言ったのは君だ。僕は答えた。次は君だ」
「じゃあ薬の成分は次に訊くわ。順番に質問しましょう。……いい?」
ラクタヴィージャは遠慮がちに狴犴を窺う。狴犴は無言で小さく頷く。医者が知識を得ようと言うのだから止める義理は無い。
「僕が聞きたいのは先にも言ったが、苧環と言う変転人が種から生まれたにも拘らず記憶を保持し、容姿も変化が無かったことについて、だ」
「それは狴犴の方が詳しいわ」
一瞥を向けられ、狴犴は一度、目を閉じた。情報を共有することで白花苧環の不可解な状態が幾らか解明されるかもしれないが、このカトブレパスという男は寄生虫騒動の中心人物だ。アイトワラスに従わされていただけらしいが、何を考えているかわからない。
「信用できるなら答えるが、苧環が危険に晒されるようなら教えることは何も無い」
「信用……難しい言葉だな。思考する生物である以上、変わらぬ信用など無いだろう」
「なら教えられない」
「ではこちらは花街の機密を教えてやろう」
「却って信用を無くすことを言ってきたわね……」
狴犴は二の句が継げなくなっている。ラクタヴィージャを始め、宵街の面々は呆れ顔だ。
「花街はまだ新体制が作れていないからな。この混乱の中なら何を言っても有耶無耶になる。ただ、変転人の耳にだけは入らないようにしてほしい」
「……変転人と言うのは、花街のか? ここには宵街の変転人がいるが」
「花街のだ」
「それなら約束しよう」
「花街の城にいる変転人に限るが、彼らには皆、人の姿を与える時に特殊な栄養剤を与えている。通常の変転人より能力を増強させるためだ」
「…………」
一同は怪訝に、或いは眉根を寄せる。花街からの帰還者に、それを聞いたと既に報告を受けている。狴犴は取り敢えず知らない振りをして話を聞くことにした。
「上質な株を探して変転人にするという話は聞いたが」
「ああ。上質な株を更に強化するために栄養剤を打つ。バランスに偏りがあるのが難点だが、これで能力はかなり向上する。フェルニゲシュを封じるためにゲンチアナを使用するにはそこまで高める必要があった。ゲンチアナ一人が特殊だと目立ってしまうため、アルペンローゼとエーデルワイスにも打っている。栄養剤も改良を加えているが、現在のアルペンローゼのような治癒能力が発現したのは初めてだ」
「……その栄養剤には、変転人の負担になる成分は含まれていないのか?」
「有色では実験してないが、無色はこれまで具合の悪い異常は出ていない」
漠然とした言い方だ。最初の『簡潔に』を実行し続けているようだ。
「体調が悪いと聞いたことはない」
不審な目に囲まれ、カトブレパスも言葉を追加した。
「この栄養剤で変転人は、知らず内に投与されたことに恐怖するか、特別なのだと調子に乗るか。どちらにせよ相手をするのが面倒だ。だから話さないでもらえると助かる」
「そうだな。自身の能力が薬の所為などと、途惑うことが目に見えている」
「それで、そこの苧環だが」
狴犴は話を終えようとするが、カトブレパスは掘り返す。狴犴は尚も渋っている。
「その前に確認させてほしい。苧環が特殊だと誰から聞いた?」
「そこにいる白い獣だ。ペラペラと喋ってくれた」
蒲牢は一斉に視線を向けられ、きょとんとする。身に覚えの無いことだった。
「俺……?」
「麻酔で朦朧としている時だ」
「……全然覚えてない」
「だろうな」
「変な薬は投与してないよな?」
「変な、とは?」
「さっき言ってた変転人の栄養剤みたいな……」
「ああ……君は龍属だろ。龍をそれ以上強くしてどうする。治療に必要な薬しか使用していない」
「良かった。体を改造されたかと思った」
「呑気な獣だな」
蒲牢は安堵してソファの背に凭れた。他にも聞くことがあるだろうと狴犴に目配せされ、贔屓が代わりに尋ねる。
「その麻酔は特殊な麻酔なのか? ペラペラと……あまり他言すべきでないことを喋り出すものなのか?」
「獣に効く麻酔だから変転人や、況して人間が使用する麻酔より強力ではあるが、人間が使用する弱い麻酔であってもペラペラ喋ることはある。全員がとは言わないが」
「蒲牢は苧環のこと以外に何か言っていたか?」
「僕が気になったのは苧環のことだけだ」
「他にも何か言っていたのか……」
「それは他言するつもりはない。医者として口を噤む」
初めて彼に信用が生まれた。同時に敵に回せなくなった。何処の所属であろうと医者には頭が上がらない。
「――そうだ、白い獣。ズラトロクが感謝の意を伝えてくれと言っていた」
「感謝? 俺は何をしたんだ?」
「脱落した角を譲ってくれただろ。その角を用いて急ぎ角生え薬を作った。彼の角は順調に成長している」
「ああ、あれか。本当に役に立つとは思わなかった」
花街の中での彼らの遣り取りは、宵街で待っていた面々には知る由も無い。蒲牢に角が生えていたことは鴟吻の千里眼から情報を得ていたが、宵街に戻った蒲牢の頭には角が無かった。
「蒲牢、角を譲った、とは?」
宵街で待っていた面々には初耳であるそれを狴犴が問い質す。角のことは報告書に書かれていなかった。
「抜けた角が欲しいって言うからあげた。それを治療費代わりにするって」
「二本共か?」
「そう」
「そういう大事なことは早く言え」
「え? 抜けた角なんか、前も処分に困ったし……」
「少し必要だった」
「えっ。……カトブレパス、まだ角はあるか?」
「あるが、貰った物は一欠片さえ返さない」
龍属の角なのか蒲牢が特別かは定かではないが、配布した輪切りの彼の角が災厄を退けたという話が幾つも科刑所に上がってきている。白花苧環もまた、彼の角に救われた。偶然だとしても肖りたい程の効力だった。次に蒲牢の角が抜けた時も少し分けてもらい、白花苧環に再び持たせようと狴犴は思案していた。その目論見が破れた。
「ならば苧環の重要情報を教えることはできない」
「…………」
態度を崩さない狴犴に、カトブレパスも眉を寄せる。余程龍の角が欲しかったらしい。
間に立たされている白花苧環は、何故自分に訊かないのかと不思議だ。カトブレパスは信用できないかもしれないが、傷付いた宵街の獣を治療してくれたのは事実だ。弱点となるわけでもない一介の変転人の情報などくれてやっても良い。
「苧環、ここに変転人は必要無い。下がっていろ」
こういう場合の『下がっていろ』は後ろへではない。科刑所を出て下層へ下りて教育に戻れという意味だ。白花苧環は部屋の中に居るもう一人の変転人に目を向ける。黒種草は興味が無さそうな顔をしていたが、出て行けるなら自分は帰りたいという顔になる。
「鴟吻も黒種草と出ているといい」
「私も?」
黒種草は嬉しそうな空気を一瞬漏らしたが、変転人ではない鴟吻が何故追い出されるのかと怪訝な顔をした。
「いいんじゃないか? 外の空気を吸ってきても。ほら、貰った品も持って行くといい」
贔屓にまで言われると出て行かないわけにはいかない。鴟吻は唯一の兄である贔屓を慕っている。
「……では、大事な話があれば、後で聞かせてくださいね」
幼い容姿の彼女はソファから降りても背丈は然程変わらない。目線の高さを変えず、贔屓と狴犴は彼女と黒種草を見送った。獣が率先して退室するのだから、白花苧環も出ないわけにはいかない。三人はアルペンローゼが作ったカヌレの箱を持たされて追い出された。
三人が部屋を出、扉を閉めて数秒後、出ろと言われた理由を理解した。
「!」
分厚い扉を隔てているというのに、威圧感が漏れ出てきた。変転人が室内にいると獣同士の睨み合いができない。鴟吻もと言われたのは、黒種草一人では外に出ないからだ。鴟吻に買物を頼まれたならともかく、贔屓や狴犴に出ろと言われても彼は素直に言うことを聞かない。
「苧環、暫く掛かりそうだから、下層で休むといいわ。退院したばかりでまだ本調子じゃないでしょう?」
「体は問題ないです。……が、獣の交渉に入る余地が無いことは理解してます。今更行っても授業に付いていけるかわかりませんが、下層に行ってきます」
「忙しいのね……」
早々に去ってしまう白花苧環の背を見送り、鴟吻は黒種草を見上げる。
「帰るなら帰る」
「そうじゃなくて。千里眼を使って中の様子を見ようと思うんだけど、何処で目を閉じようかと思ったの」
「見なくても後から話を聞けばいいのに」
いつものことだが、鴟吻は兄の一挙手一投足一言一句たりとも逃したくないようだ。
地霊はアルペンローゼを地下牢の仄暗い入口まで案内し、そこからは拷問官の睚眦が引き継いだ。あまり嬉しくはない再会だ。拷問以来である。
「来い」
睚眦はそれだけ言い、縦穴の端に螺旋状に沿う細い通路を下った。アルペンローゼはあまり周囲を見回さないように続く。中央の大きな穴は底が見えず、落ちたら命は無さそうだ。地下にも伸びる蔦や根に足を掛けないよう注意する。
罪人は即死刑になる花街では罪人を収容する檻は必要無く、宵街のような深い地下牢は初めて見る。土を固めただけの壁に空の檻が並び、時折中に気配を感じる。暗い横道の奥にも気配が動く檻がある。
出入口から然程距離の無い檻に、スコルは壁を背に座っていた。檻の中は狭いが、奥にいると外からは手が届かない。
睚眦は鉄格子を一度叩き、スコルはぼんやりと視線を上げる。虚ろな双眸は何も期待していない。
「……アル?」
アルペンローゼは睚眦を一瞥し、彼女は頷いて無言で下がる。
「スコル様」
「迎えに……なのか? 一人で来たのか?」
会話をする気力はあるようでアルペンローゼは安心した。
「カトブレパス先生と来ました。宵街には既に謝罪を」
「カトブレパスと!? じゃ、じゃあ、ハティをっ……」
突然精気の宿った目で、スコルは地面を這って鉄格子に手を掛けた。カトブレパスは医者としては最も信頼できる。何でも治す名医だ。
「? ハティ様を……生き返らせると言いたいのでしょうか?」
「そ、そうだ! カトブレパスならできるだろ!? 何でも治せるんだから……」
「医者は生物の治療はできますが、失った命はもう生物とは言えません。ハティ様のことは残念ですが、もう生き返ることはないです」
「……!」
はっきりと告げられた絶望に、蝋燭の灯火を吹き消したようにスコルの目から精気が褪せる。力無く地面に手を落とし、黒い地面に俯く。死んだ者は蘇らない。ハティはもう化生するしかない。スコルは、自分が生きている意味をもう見出せなかった。
「スコル様とハティ様は宵街を襲ったそうですが、何故そんなことを?」
「…………」
「アイト様から宵街への入り方を教わったんですよね? アイト様はフェル様の首輪を綻ばせて破壊することが目的で、城にいる大公が邪魔だったようです。アイト様一人で全員の相手はさすがにできませんから。一時的にでも城から大公を出すために虫を作って画策したようです。スコル様とハティ様にも城から出てもらうために、宵街に行くことを提案しました」
「アイトが……僕達はアイトに言われて……」
「フェル様は一時、首輪が機能せず、城下町が一つ瓦礫となりました。現在はアナの犠牲により首輪は正常に、その前後の記憶は失っています。記憶が抜け、まだ意識は朦朧とするようで眠っていることが多いですが、暫くは自室で謹慎です」
「アナが……。アルは知ったんだな……」
「はい。僕だけでなく、ワイスもです」
「アルの、そのブローチ……」
「これは仮の物です。スコル様とハティ様がこのようなことになり、裁く人数が足りないので。僕とワイスが代わりにブローチを預かり、死刑を言い渡しました」
「……僕達も死刑なのか?」
ハティはもう死んでいるが、スコルは二人の判決を問う。二人はいつでも一緒だ。
「アイト様には何と言われましたか? 宵街の住人を殺せと?」
「宵街の奴はよく花街に来るから……宵街にも挨拶をって……少し悪戯でもしてやればいいって」
「……アイト様はそういう所がありますね。でも責任は持ってくれませんよ」
「わかってる……。ハティが燥いで、楽しそうだったから、僕も乗った。楽しかったよ。……獣が出て来るまでは」
「そうですか。それなら……スコル様は死刑となります。先程裁く人数が足りないと言ったのは、スコル様の判決の件です」
「そうか……へへ……やった。やっと、ハティの所に行ける……」
スコルは力無く笑う。目は虚ろなままで、笑みは映っていない。
「ここで死刑を受けるか、花街に戻って死刑を受けるか、選択することができますが、どうしますか?」
「ハティはここで死んだ。だったら僕もここで死ぬ」
「承知しました。言い残すことはありますか?」
「無いよ。ハティは何も言えなかったから。僕もそれと同じで。できれば同じ死に方がいいな」
「同じ死に方……?」
機械のように淡々とレイピアを抜こうとしていたアルペンローゼはぴたりと止まる。背後で待機していた睚眦を振り返ると、彼女は面倒臭そうに顔を顰めた。
「螭だな。針の雨を降らせるような攻撃だ。連れて来るか?」
「……いえ。針の雨なら、僕のレイピアでもできそうです」
「わかった。じゃあ檻を開けるから、さっさと殺してくれ。そいつの陰気な声はもう耳に胼胝だ」
「承知しました」
アルペンローゼは感情を消し、掌から両刃のレイピアを生成する。
檻が開き、睚眦はスコルを外へ引き摺り出した。
もう一言も声を聞かず、アルペンローゼはレイピアを翳して集中する。両刃の極めて細い刃が翻り、針の雨のように闇に降り注いだ。
城で過ごした過去を思い出さず、今と言う一点だけを見詰める。獣の死刑など、エーデルワイスがきっと羨むだろう。だが彼女は罪人に話を聞く冷静さを持たない。アルペンローゼに託されたのは、会話ができるからだ。話ができる方が感情の乗った言葉を聞く分、辛くなる。
死骸の処理は宵街に任せ、半分ずつの白いブローチだけを回収してアルペンローゼは科刑所を後にした。カトブレパスは狴犴の部屋でまだ尋問されていたので、地霊に伝えて宵街を歩くことにした。暗い石段に並ぶ酸漿提灯は花街に浮かぶ丸いランタンに似ているが、赤い色は血を彷彿とさせ、死刑の後だと少し居心地が悪い。
ベラドンナは何処へ行ったのかと辺りを見渡し、擦れ違う変転人の視線を感じる。
「見掛けない人だね……」
「苧環さんくらい格好良くて美人ね。覚えておかないと」
石段沿いに店を開いている変転人がひそひそと話している。宵街は狭いため、そこに棲む者達の顔は知れ渡っている。
「すみません、尋ねたいことがあるんですが」
「えっ!? な、何でしょうか……?」
ケーキや焼菓子を並べながらひそひそと話していた二人は心臓が跳ね上がった。
「鼻の長い動物のお面を被った獣と、灰色と黒の変転人を見掛けませんでしたか?」
「鼻の……ああ! さっき前を通った……石段を下りて行きましたよ」
「ありがとうございます」
アルペンローゼは丁寧に頭を下げて去ろうとしたが、呼び止められた。
「あ、あのっ、ケーキとか……どうですか? 何だかお疲れのようなので……」
淡々と仕事を熟していたつもりだったアルペンローゼは、疲労が目に見えるほど出ているらしいことを指摘されるまで気付かなかった。確かに花街では後片付けに追われて毎日忙しなく、睡眠時間を削って大量のカヌレも焼いた。科刑所で獣に囲まれ、死刑も執行した。それでも毅然としていると思っていた。そこまで疲れている自覚が無かった。
「苧環さんが……んっ、ちょっとした流行りのメドヴィクとか、どうですか?」
「メド……ああ、宵街でも作るんですね」
「試食しますか?」
有色の変転人の少女は素早くケーキを切り、ぽかりと空いた四角い石の穴から皿を差し出す。小さく切った薄茶色のケーキに木のフォークが添えられている。
メドヴィクと言う蜂蜜のケーキはアルペンローゼも作ったことがある。一口で食べられる大きさのケーキを口に入れ、じっくりと味わった。ふわりとした食感と蜂蜜の風味が広がり、花畑が脳裏に浮かぶ。
「美味しいです」
「ありがとうございます。買いますか?」
「単純に蜂蜜と言っても、採取する花によって味は異なるものです。宵街の蜜の味が知れて良かったです」
「……え?」
「っ……すみません。慣れた味ではなかったので、つい」
「あ、貴方はもしかして……」
アルペンローゼははっとする。宵街の外から――花街から来たと露顕すれば宵街にとって具合が悪いのではないかと。宵街に棲む変転人にとっては、花街は奇襲を仕掛けて危害を加えた存在でしかない。花街から来たと知られれば恐怖を与えてしまうかもしれない。
「蜂蜜ソムリエ……!?」
「いえ……違います」
どうやら杞憂だったようだ。
「少し製菓を嗜む程度で」
「でも詳しいんですよね!? 絶対美味しい御菓子を作る人だって確信がありますよ! 覇権を握れます!」
「それは恐縮ですが……あまり待たせてもいけないので、もう行きますね」
「あ、は、はい……」
気の利いた言葉は返せなかったが、すんなりと解放されてアルペンローゼは安堵した。宵街で店を出す予定は無い。
もっと話したかった……などと背後から聞こえてくるが、聞こえない振りをして石段を下る。
(宵街は食料品の店が多い……きっと花街より食に興味があり、拘りがあるんだな)
何度か探し人を尋ね、大きな施設へ向かったと情報を得た。最近建ったばかりの施設で、中身はまだ伽藍堂だそうだ。花街には小さな建物は多いが、大きな建物は城以外には無い。興味が唆られた。
茂みを踏んで、開いたままの扉から伽藍堂を覗く。見覚えのある動物面がクレープを食べていた。共に灰色の女と黒い青年もいる。ベラドンナは打ち解けているようだ。
「あ、アルさん」
真っ先に気付いた獏が手を振る。アルペンローゼは頭を下げ、変転人が集まる場所へ歩を進めた。見覚えのある顔が散見される。
「用が済んだので、後は先生を待つだけです。当分解放してもらえないでしょうが」
「お疲れ様。じゃあもう肩の力を抜いて、思い切り羽を伸ばせるね」
「そうですね。あまり落ち着きませんが……」
突き刺さるような視線を辿り、アルペンローゼは恭しく頭を下げる。
宵街で会う機会があれば言おうと思っていたことがある。そしてその彼が目の前にいる。アルペンローゼは黒葉菫の前へ行き、もう一度、胸に手を当てて頭を下げた。
「申し訳ありません。記憶が無いとは言え、貴方に怪我を負わせてしまいました。傷はまだ痛みますか?」
宵街圏に旅行に来ていた彼に黒葉菫は襲われた。アルペンローゼは寄生虫の恐怖を運んでしまった。黒葉菫を襲った記憶は無いままだが、襲ったことは明白だ。
「……傷はもう治った。お互い被害者なんだ、責めたりしない。お前も……その……大変だったな」
死んでいたら恨むかもしれないが、怪我は完治した。丁寧な謝罪があると思っていなかった黒葉菫はむず痒い気持ちになる。
「ありがとうございます。今後このようなことが無いよう、自衛を徹底します」
その謝罪に聞き耳を立て、最初に花街に抗議に来た変転人達が彼を見ていた。
「一人、姿が見えませんが……フェル様の御友人の浅葱斑、そして黒の貴方」
視線を向けられた浅葱斑と洋種山牛蒡は警戒した。最初に花街へ鵺と共に遠征した中には白鱗鶴茸もいたが、彼は新人ではなく十歳も満たしていないので新人教育には参加しておらず、ここにはいない。
「ここで再会すると知っていたら、お詫びの品を科刑所に全て置いて来なかったんですが」
「お詫びの……品!?」
険しい顔で洋種山牛蒡は問う。浅葱斑も険しい顔で、同じくその言葉が気になったと頷いた。
「カヌレを焼いてきたんです。宜しければ後で受け取ってください。口に合えばいいんですが……複数の味付けをしたので、甘い物が嫌いでなければどれかは口に合うかと」
「か、カヌレ……!」
「ああ、安心してください。酒は入ってないので」
「!」
洋種山牛蒡と浅葱斑はまだ眉間に皺を寄せているが、物欲しそうな顔をしている。それを他の十歳以上の変転人は呆れたような複雑な表情で見ている。
「えっと……酔わされたって聞いてたんだけど?」
皆の言いたいことを代表し、金瘡小草が尋ねた。花街で彼に酒を盛られ、暫く動けない程に酔ったと情報が回っていた。
「この人の作る御菓子、凄く美味しいのよ! 酔うのはふわふわするしぐるぐるだし気持ち悪いけど、死にはしないわ!」
「ボクも酔うのは嫌だけど、美味しい!」
すっかり胃袋を掴まれている。そうして宵街を支配するのだと言われたら認めてしまいそうだ。だがそれほど美味しいなら、まだ食べたことのない面々も、新人達も気になってきた。
「それは……アタシ達の分もあるってこと……?」
「お前はさっき大口でクレープを食べてただろ」
「譬えアタシの分が無くても蝮のを食べるわ」
「おい」
「たくさん作ってきたので、一人当たりの数を減らせば相当行き渡らせられるかと」
まだ表情の乏しい花韮は拳を突き上げて喜びを表した。蝮草は動かない。
「浅葱斑には必ず食べてもらいたいですね」
「えっ、何でもう一回ボクに言ったんだ……?」
一人だけ酒入りのカヌレを食べさせられるのではないかと警戒し、浅葱斑は共に見回りの休憩をしていた黒色蟹の背に隠れた。
「貴方はフェル様の御友人なので。僕が花街に戻る時に一緒に来てもらいたいんです。フェル様に会って、少しでも話して穏やかになってもらいたいんです」
「な、何か含みがあるな……」
「元の性格が穏やかになれば、首輪も必要ありませんから」
「…………」
十歳以上の無色の変転人には、花街で何があったか聞かされている。フェルニゲシュの首輪が綻んだ所為で城下町の一つが壊滅、そしてゲンチアナがその命で再び首輪を掛けたと。フェルニゲシュの本性は荒々しい獣だ。首輪が無ければ何をするか、何人が犠牲になるかわからない。
「城の新たな計画です。フェル様を品行方正、薬などを用いて、虐殺などせず穏やかな性格となるよう操作します」
「何か凄いこと言い出したな……怖いけど薬に頼るよりボクが行く方が健全そうだし、誰か一緒に行ってくれるなら……」
助けを求めるように、ちらりと十歳以上の変転人を見る。浅葱斑としては最年長の黒色蟹が最も頼もしいが、気心が知れているのは黒葉菫だ。獏も獣なので望ましいが、罪人は連れ回せない。
「狴犴がどう言うかだな。普段の仕事とは違う。花街が絡むとなると狴犴の指示がないと」
尤もな黒色蟹の言葉に、一同も肯く。変転人同士の交渉はできないと知り、アルペンローゼは残念そうに話を打ち切った。
だが交渉は決裂したわけではない。変転人同士で交渉できるなら手っ取り早かったが、後で狴犴に伺いを立てれば良い。
アルペンローゼは頭を切り替え、ベラドンナに目を遣る。彼は往路では暗い顔をしていたが、クレープの御陰か今は顔色が良い。
「ベル、気分はどうだ? 宵街で暮らすか?」
「……厳しい」
「厳しい?」
「宵街の環境に慣れる気がしない」
「ああ……」
「宵街は暗いし狭い……路地の奥から何か出て来そうだ。食べ物も……城の賄いが一番美味い」
「…………」
それを作ったのはアルペンローゼである。城の清掃などを手伝ってもらった変転人達に彼が賄いを提供した。調理師のハトも騒動で疲弊しており、彼が大部分を賄っている。賄いを誰が作ったのかは話していない。ベラドンナは目の前に作った本人がいるとは思っていない。
「でも、花街はもう怖くないのか?」
「怖い……が、人の数も花街の方が多い。少なくとも宵街の方が路地の奥から何か出て来る」
言い切っているが、実際に路地からは何も出て来ていない。獏はクレープの残りを飲み込んで苦笑した。慣れない者には宵街は薄気味悪い場所だ。
「それなら先生の気が済んだら一緒に帰ろう。花街としても復興のために人手が欲しい」
宵街に棲んでいる変転人は、路地の奥から何か出て来ると言われて言い返したい気持ちはあったが、暗くて狭いのは否定できない。
「獏さん、数々の気遣いと協力に感謝します。落ち着いたら、また花街にいらしてください。今度は歓迎します」
「狴犴がいいって言ったらねぇ」
罪人は不自由だ。今も牢から出ていることは棚に上げておく。
漸く宵街と花街に平穏が訪れた。まだ後始末が残っているが、元凶は抑えている。
花街は失うものが多かったが、今後はもう人の姿を与えたゲンチアナを犠牲にしない。カトブレパスが新たな方法を提案してくれたからだ。それは数々のゲンチアナの犠牲があったからこそ提案できたことだ。犠牲は無駄ではない。
ゲンチアナは生贄として必要は無くなったが、時期を見てまた変転人を作るつもりだ。龍属のフェルニゲシュの秘書となれるのはゲンチアナしかいない。フェルニゲシュには引き続き花街から出ることに制約を設けるが、ゲンチアナの同伴で短時間なら出ることを許すと規則を改定する。窮屈に閉じ込めてしまったことで却って首輪に負荷が掛かってしまったとカトブレパスが調査報告を出したからだ。カトブレパスは出入りを禁止されていた城に再び入ることを許され、ほくそ笑んでいた。この騒動に勝ち負けが存在するなら、勝者は間違い無くカトブレパスだろう。
獏と灰色海月が施設を後にしようとした時、小箱を持つ花貌の白い少年と鉢合わせた。
「あ」
動物面と花貌が双方驚き、先に獏が道を譲る。
「罪人が何故ここに?」
「僕と言うか、ベルさんに宵街を案内してたんだよ」
「また何か食べてますね……」
クレープはもう腹の中だが、包んでいた紙は手に持ったままだ。灰色海月の手にもその紙が、そしてベラドンナの紙にはまだクレープが少し残っている。
「その箱、アルさんのカヌレでしょ。皆ー、マキさんがカヌレを持って来てくれたよ。アルさんお手製の」
「あ、ちょ、」
先程話題に上がった詫びの品だ。変転人達は全員振り向き、期待の眼差しを向けている。代表して洋種山牛蒡が白花苧環を招き、彼は罪人を咎める隙が無くなった。
その隙に獏は微笑みながら灰色海月を連れ、するりと施設を出てしまう。
もう頻繁に宵街へ来ることもないだろう。獏は再び自分の牢へ、小さくて透明な常夜の街へと戻った。
第二幕、最終話です。
ここまで読んでくださってありがとうございました!少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
第二幕は終わりですが、第三幕も書いていきます!第一幕と第二幕で名前しか出てない人や、あんまり出番のなかった人など書きたいと思います。
お時間ありましたら第三幕も是非どうぞ。




