第五十五話 水泳スキル
それからしばらくして、真琴とエルヴァーナが戻ってきた。
しおれているエルヴァーナを見る限り、こってり怒られてしまったようだ。
「ふぅ、お待たせしました!」
「ハルシゲぇ……怖かったよぉ」
春重は、涙目で抱きついてきたエルヴァーナの頭を撫でる。プライドの高い彼女が、まさかここまで弱るとは。真琴のお説教の内容が、少し気になった。
「あんまり真琴を怒らせないようにな」
「うん……」
エルヴァーナは、ぐずりながら頷いた。
「あれ? 桜子さんたちはどうしました?」
「先に泳ぎ始めてるよ。今頃、桜子のスパルタ指導が始まってるんじゃないかな」
「あー……」
「俺たちも泳ごう。少しでも経験値を稼がないとね」
「はいっ!」
春重たちがまず向かったのは、二十五メートルのプールだった。まずは、一度も泳いだことがないエルヴァーナに、泳ぎ方から教えなければならない。
プールを見ると、高校時代の屋外プールを思い出す。少し肌寒い日でも、授業はなくならず、冷たいプールで体が凍え、唇が真っ青になった。あれは、今でも少しトラウマだ。
しかし、ここのプールは温水。ほのかに温かく、唇が青くなる心配はなさそうだった。
「ぎゃぁあ! 目がぁ!」
エルヴァーナが、目を押さえながら悶え苦しむ。勢いよく水に飛び込んだまではよかったが、いくら強大なモンスターとはいえ、塩素が溶けた水は目に悪かったらしい。
「言わんこっちゃない……ゴーグルつけろって言っただろ?」
「つけ方分かんない!」
「はいはい。じっとしててくれ」
春重が、エルヴァーナの頭に、ゴーグルを装着してやる。
エルヴァーナは「おお……!」と嬉しそうに声を漏らし、早速目に当てた。
「装着! きひひ! これで我は無敵じゃ!」
「よし、じゃあまずはクロールから――――」
「ハルシゲ! 我を舐めるな!」
にっと笑ったエルヴァーナは、すごい勢いで水の中を泳いでいく。
犬かきのような適当なフォームなのに、水泳選手並みの速度が出ている。
「エルちゃんすごい!」
「そうじゃろうそうじゃろう! きひひひ!」
――――いや、いくらなんでも速すぎないか?
得意げに泳ぐエルヴァーナに、春重は違和感を抱く。
「エルヴァーナ、ちょっとこっちに来なさい」
「なんじゃ、ハルシゲ。我が気持ちよく泳いでいたっていうのに」
不満そうにしながら、エルヴァーナが戻ってくる。その姿に、春重と真琴はぎょっとした。
「おい、その手足はなんだ!?」
「なんだって、我の本来の姿じゃろう」
エルヴァーナの手足が、白銀の鱗に包まれ、巨大化していた。腕をオールのように、そして足をフィンのように扱って、泳いでいたらしい。ただの犬かきでも、速いわけである。
「こら、今すぐやめなさい……!」
「なんでじゃ! こっちのほうが速いぞ!」
「他の人に見られたら大変だからだよ!」
「えー! ハルシゲのけち!」
「けちで結構!」
エルヴァーナは、舌打ちを挟んで、手足を人間のものに戻す。
「ちぇ! 別にいいし! この体のままでも、完璧に泳いでやるぞ!」
ばーかばーかと文句を言いながら、エルヴァーナは不格好な泳ぎを披露する。
「……先は長そうだな」
「あ、あの、春重さん」
「ん? どうかしたか?」
まったく冷たくない水の中で、何故か真琴は、小刻みに震えていた。
「……まさか、真琴も泳げない?」
「じ、実は……」
真琴は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「それならそうと、早く言ってくれたらよかったのに」
「ごめんなさい。迷惑かけちゃうかと思って」
「そんなの、ひとつも迷惑じゃないよ。俺でよければ教えるからさ」
「はい……! お願いします!」
「じゃあ、まずは手を握ってもらって―――――」
「え!?」
真琴は、顔を引きつらせて、春重から少し距離を取った。
「あ、ごめん。手は嫌だよな……」
「ち、違います! そうじゃなくて! むしろ嬉しいと言いますか、その……!」
真琴は、顔を赤くしながら、腕をばたばたと動かす。
相変わらず変わった子だなぁと、察しの悪い春重は思った。
「お、お願いします……」
しばらく慌てていた真琴は、恐る恐るといった様子で、春重に向かって手を伸ばす。
春重がその手を掴むと、真琴は、嬉しそうに微笑んだ。
「――――ひとまず、全員『水泳』スキルは習得できたか」
みっちり三時間ほど泳いだあと、春重たちは、プールに併設されたフードコートに集まっていた。
「まさか、私がすいすい泳げるようになるなんて、夢にも思いませんでした」
真琴が、興奮冷めやらぬ様子で言った。スキル習得がもっとも遅かったのは、真琴だった。しかし、基本的なフォームを覚え、なんとか二十五メートルを泳ぎ切った途端、劇的に泳げるようになった。
「ところで……『水泳』スキルをレベル2にするには、どれだけの時間が必要なんだろう」
「さあな……。スキルレベルに関しては、戦闘レベルよりも分かっていないことが多い。私の経験でいえば『太刀』スキルがレベル7になったのは、探索者になってから半年ほど経ったときだった」
何故、スキルレベルに関する情報が少ないのか。それは、スキルの種類が膨大なことと、個人の才能による、成長速度の差が大きいためだ。
たとえば、百回の素振りでレベルが上がる者もいれば、二百回でようやく上がるという者もいる。分かっていることは、戦闘中に使用したスキルほど、レベルアップが早いということと、レベルが上がっていくたび、必要な経験値が増えていくということだけ。
「でも、春重さんのスキルレベルって、すごい早さで上がってましたよね?」
「ああ、それは多分『万物支配』のおかげだと思う」
春重は『支配』した対象の経験値を得ることができる。それがスキルの経験値にも適応されている――――と考えるのが、妥当である。
ただ、この場においては、あまりその恩恵を得られていない気がしていた。おそらく、スライム三兄弟がいないからだろうと、春重は予想している。水着の中には面積的に入れなかったため、彼らは今、家で留守番中だ。
「丹波、何度も言ったが、春重のスキルについては他言無用だ。もし発信しようものなら――――」
「わーってるって! 協力者を売るような真似はしねぇよ!」
桜子から鋭い眼光を向けられ、丹波は冷や汗をかきながら、何度も頷く。
パーティを組む都合上、春重の『万物支配』のことは、すでに共有済みだった。モンスターを使役し、操っていること。そして、エルヴァーナも、その使役されているモンスターのうちの一体であること。
人間すら操れるという話は、伏せてある。彼を騙したいというわけではなく、余計な心配をさせないための配慮であった。
「まさか、この可愛らしい嬢ちゃんが、モンスターだなんてな」
「ただのモンスターではない! 竜じゃ! 舐めてると食い殺すぞ!」
「はいはい、ごめんごめん」
「まったく……。ハルシゲ! 腹が減った! 何か食わせろ!」
エルヴァーナは、苛立った様子でテーブルをばしばし叩く。さっきから不機嫌そうだと思っていたら、空腹が原因だったらしい。
「あ! 私何か買ってきますよ!」
「いいのか? 助かるけど……」
「もちろん! 焼きそばでいいですか?」
さっきから、香ばしいソースの香りが漂っていて、春重も空腹を覚えていたところだったのだ。疲れた体に、塩っ辛いソース焼きそば。想像しただけで、涎が止まらない。
「ああ、お願いします。俺の財布で払っておいてくれ」
「ありがとうございます! ちょっと待っててくださいね」
真琴が席を立つ。それに続いて、桜子も立ち上がった。
「ひとりじゃ手が足りないだろう。私も行こう」
「助かります!」
女性陣が、売店へと向かっていく。手伝うタイミングを逃した春重は、後悔のため息をついた。こういった小さな後悔が、これまでの人生で、何度もあった。その原因は、春重が受け身すぎるところにある。
社畜時代、共に働いていた者たちに、積極的に手を伸ばすことができていれば、守れた未来もあるかもしれない。
――――いや、今更すぎるな。
こんなに開放的な空間に来ているというのに、後ろ向きなことばかり考えてしまう。
春重は、ふっと笑って、思考を中断した。過去を苦悩したって仕方ない。後悔は教訓に変えて、これからの自分に活かすだけだ。




