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終:風をよぶ君

 那覇の港に番傘を被った一人の少年が立っていた。成人したばかりだろうか、青年の色が滲み出ている。精悍な表情を隠そうともせず、脇には黒光りした黒刀、腰には見事な宝飾の施された李国刀が無造作に収められていた。背には大きな木箱を背負っている。


 少年――珞は自身の右側に垂れる一房の黒い髪を見ながら、過去の出来事を思い出していた。


*****


『そなたと翠は結ばれない。それはこの白香神の失態だ』

 白香神はそう言った。珞は、目を見開き、何か言おうとして、口をつぐんだ。


『その昔、私は人間の娘に恋し、結ばれた。しかし、神と人は生きる年数が違う。私は神として、娘が老いて朽ちるときに誓約を結んだ。その娘が生まれ変わった時、もう一度夫婦ミートゥになると。その娘の生まれ変わりが翠だ』


「俺が白香神自身じゃないから、翠と結ばれることはないというわけか?」

『うむ』


 珞はしばらく考え込んだ。良い案が出てくるかと思ったのだ。そして、ある一つの結論に行きついた。


「うん、これしかないな。白香神、俺の憑き神をやめて、俺自身になればいいんだ。混ざり合えば、白香神でもあり、俺でもあれば、翠と結ばれることができるだろう?」


 奇想天外な案に白香神は『あ、あぁ……』とおぼつかない返事をする。


「そうしよう。そうしたら、俺が死んだとき、お前は俺から離れて、神に戻ることができるだろう」

『いいのか? そんなことをしたら、そなたの身に何か起こるかもしれぬぞ』


 やけに心配する彼に対し、珞は腹を抱えて笑った。


「月桃の儀をやっていたら、もう何も怖いものはないさ。あれは正直ちびりそうになったんだからな」

『わかった』


 珞は目を閉じた。それを見届けると、白香神は珞の体に吸い込まれていった。すると、珞の金色だった一房の髪が漆黒のような黒色に、彼が目を開けると、右目が白香神の持つ濃い紅色の瞳に変わっていた。


「『なんだか不思議な感じがする』」

 彼らは一緒に笑った。


*****


「あれからもう三年か」

 珞は十六歳になっていた。子穂は豪勢な成人の儀を行いたかったようだが、彼は誠意をもって断った。そして、簡素な成人の儀を行ったばかりである。


 万上医務官という役職に就き、玉環を拝してからは、どの場所でも医療行為ができている。他の医務官とは違い、場所にとらわれることはなかった。民草医と同じようなものである。彼は『澪子珞』として医務官になったが、『珞』と名乗り、方々旅をしながら医務官としての仕事を行っていた。


 月桃の儀の後、十六歳の誕生日を迎えた子孝は皇太子となった。そして、父との約束通り、珞は一年に一回は必ずグスクに帰るようにしている。


 依然として翠についての情報はなかった。しかし、彼は諦めきれなかった。身長が伸び、体躯も立派になっても尚、翠を探して回っていた。海に出れば、陸からの情報以外にも出会うかもしれないと思いついたのは、医務官になって一年が過ぎたころである。ただし、船を買い、乗り手になるには十六歳になってからしかできない。そのため、彼は金を貯めることに努めたのである。


「ああ~。ようやく俺も十六だ」


 喜びを噛み締めながら、那覇の造船所に向かう。その背に近づく人影があった。チラリと後ろを見た珞は驚いた。


「三太⁉」

 そこには五年ぶりに会う親友、三太の姿があった。軽く癖のある髪をカタカシラに結いあげており、その髪と同じ、黒い着物を着ている。


「よぉ、親友!」

 お互い低くなった声で、再会を楽しむ。

「仕事はどうしたんだよ! クビになったんじゃないだろうな!」

 冗談ぽく珞が言うと、三太は軽く笑った。


「いんや。仕事はやっているさ。でも親友と一緒に船出するのもいいんじゃないかと思ってさ。それよりどうしたその髪は」

「いいだろ。ちょっといろいろあってな。それよりよく俺を見つけたな」

「お前の行動はちまたでは有名なんだよ」


 諜報部隊のことだから、珞と一緒にいることで需要と供給が一致しているのだろう。珞は深く考えないことにした。


「さてさて、どの船にしようかな」

 造船所の中古船はそこまで多くない。その中でも、珞が気に入ったのは西方から来たであろう難破船であった。


「その船は大きいだけのガラクタよ。直したはいいものの、神力セヂがないと動かない、っつう代物だ」


 造船所の頭は吐き捨てるように言った。


「中見てもいいか?」


 珞の言葉に対しても、見ても無駄とでも言うように「勝手にしな」と手をひらひらと振った。珞は三太に言った。


神力セヂについては考えなくてもいいぞ。俺はたんまり持って生まれてきたみたいだしな」


 既に耳公じこうに昇進していた三太は、珞が澪子珞であることを知っていた。そのため、王族や神官、神女・祝女(ノロ)に多い神力セヂを珞が多く持つことも知っている。


 西方の難破船は手入れをされており、中は綺麗に整えられていた。また、大きすぎず小さすぎず、少人数にはちょうど良い船であった。


「よし、これにしよう」

 造船所の頭の反対を笑って受け流し、買うための金銭を払った。


 広い船内を歩き、神力セヂを貯める玉に彼は手を置いた。すると、金色の光が見る見るうちに溜まっていった。それと同時に船が動き出す。


「西の船はすっげえな」


 二人はその不思議な光景に飛び跳ねた。

 彼らは甲板に出た。そよ風が顔を凪いでいく。珞は船首に立った。西の船はびくともしない。彼は叫んだ。


「俺は自由だけど、自由じゃない。自由だけど、役割がある。民に必要な医療を外からこの国を守るという役割だ。役割はあっても俺は自由だ! 世のため、人のため、兄上のために、俺は自由を手に入れたんだ! なぁ、三太! 俺は自由だ」


 彼は振り向いた。灼熱の太陽が彼の背に降り注ぐ。三太は思わず目をつむった。 

 瞬きする間に海の風が船を駆け抜けた。まるで彼の船出を歓迎するかの様に。


 その時、耳馴染のある声が甲板に響いた。


「この船、私も乗ってもいい?」


 三太はその声に振り返った。珞は満面の笑みを浮かべると、溢れんばかりの喜びをその者に向けた。


「もちろん。ずっとずっと探していたんだ」

「私もだよ」


 赤い髪が潮風になびき、その瞳は旭に照らされ、碧色へきいろの煌めきを放っていた。珞は船首から降りると愛しの君を迎えに行く。


 愛しの笑みは互いの距離が近づくごとに深まっていく。互いの顔が笑みと同様に驚きの表情に満ちるのも時間の問題であろう。





 さて、彼にとって、"風をよぶ君"は誰だったのであろうか。それは澪子珞自身しか知らないことである。





【完】

 今まで読んでいただきありがとうございました。高校の頃に書き始め、一度は未完になっていた作品を書き終えることができて非常に嬉しく思います。

 もしよろしければ、作品の評価をしていただければと思います。

 次回作は、珞たちが学んだ食医学の書物を執筆した少女が主人公の物語です。執筆終了後の投稿になりますので、直近の投稿ではありませんが、そちらも楽しんでいただけたらと思います。

 これからもよろしくお願いいたします。

  栗本眞衣

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