14.夜道
「おまたせ」
車内にはすでにスノーが戻ってきており、ナイトがドアを閉めるのと同時に車が動き出す。ナイトの記憶の中にある時計と車内の時計は予定通りの時刻を示していた。
「また熱中症になっていないだろうな」
迷惑そうに言うものの、スノーは経口補水液の入ったペットボトルをナイトに手渡した。ナイトは礼を述べ、喉を潤す。
「うわ、これ美味しくないね。なんか逆に喉が渇く感じがする」
4分の1ほど飲んだところで、ホルダーにペットボトルを置く。それからハイヒールを脱ぎ捨てると背もたれに身体を預けた。
その様子をミラー越しに確認したウィザードは安堵の息を漏らす。彼女の体調も心配ではあったが、それよりも聖火を学ぶ会の男達に酷い目にあわされはしないかと気が気でなかったのだ。彼女が陽動役を買って出た以上止める権利は無かったが、予定時刻を過ぎてもナイトが戻らなかった場合はスノーと共に突撃するつもりであった。
過度の心配を嫌がるナイトに配慮して、いつも通りの口調で話しかける。
「教祖の手品はどうだった」
「結局見てない。一応ステージ下にプロジェクターみたいな物があったのは発見したけどね。立体映像でも見せてたんじゃないかなー」
「理事長室の金庫の中に小型の発煙筒を発見している。手元で煙の量を調節できる仕組みになっていた。おそらく煙に映像を映して奇跡を演出していたんだろう。今となっては無意味な情報だがな」
「さすがスノー、賢いね。私は手っとり早くやっちゃおーって思って、教祖様を炙ってきたよ。すぐに泣き喚いちゃって興ざめしたなー。本当に奇跡だったらあれくらい平気のハズなのにさ。私のやりたい事だけやって後は他の人に丸投げしてきちゃった」
「私はナイトが無事であればそれでいい。一刻も早く撮影会に興じようではないか。疲れたのであればすぐに脱がせる事も可能だ。ベッドの用意もできている」
「あー……うん。ちょっと火傷はしたかもしれないけれど、おおむね元気」
車内の空気が瞬間的に凍りつく。すぐさま身体を起こしたスノーがナイトに詰め寄った。
「どこを火傷した? 見せろ」
有無を言わせぬ気迫にナイトが視線を逸らす様に背を向けた。両手を窓ガラスに付け、慎重に言葉を選ぶ。
「そのー……背中の方だと思うんだけどー。やっぱり背中って自分じゃ良く見えない所謂灯台もと暗し的なーっていいますかー……」
「ウィル、車内灯を点けるぞ」
「あぁ」
カチッと小気味のいい音をかき消す様にスノーが盛大に怒鳴りつけた。
「――っの、大馬鹿野郎!!」
「えぇ? そんなにひどい?」
「ウィル! 急げ!」
「了解」
ウィザードが車内灯に手を伸ばして消すと、アクセルを思いきり踏み込んだ。ふっと暗くなる車内にナイトが軽い口調と共に振り返る。
「あ、もういいの?」
事態を飲み込めていない張本人は至って呑気であった。スノーは怒りを押し殺した声で言葉を返す。
「お前は背もたれを使うな」
「血、出てる? シート汚しちゃう?」
「そういう問題じゃないんだよ。いいか、絶対に背に触るな。命令だ」
それだけ吐き捨てると、スノーは自身の背を叩きつけるように座りなおした。昂ぶる感情を落ち着かせようと窓のむこうの景色に目を向ける。
ウィザードはミラーで後部座席を確認しながら問診を始めた。
「火傷をしたのはいつだ。原因も分かる範囲で答えてほしい」
「10分くらい前かな。背中に直接松明をあてられたよ」
「っの……」
平然と答えるナイトにスノーが舌打ちをする。双方の置かれた状況と気持ちが理解できるウィザードは努めて冷静に医者としての職務を続けた。
「私の家に着いたら早々に傷口を冷やそう。背中となると全身が凍えてしまう危険もある。異常があればすぐに申告をするように」
「はーい」
「こいつに自己申告できる訳が無いだろ」
感情を押し殺すような声でスノーが吐き捨てる。ウィザードのように冷静を装う事すら困難であった。殺しきれない感情が言わずにいた言葉の数々となって堰を切ったように溢れだす。
「この案件に限った範囲で言ってやろう。肌寒い外で浴衣姿のまま平然としていられる。サウナと変わらないホールで暑いとも言わない。三人で朝食を摂った時にお前は冷めた紅茶に息を吹きかけていた。お前は痛覚だけでなく、冷温感も麻痺しているんだ。こうして指摘するのも何度目だかお前なら分かるはずだ。記憶力が取り柄ならもっと有効活用しろ!」
スノーの荒い息が整うまで、ナイトは何も言えずにいた。彼の怒りはもっともだと思う反面、何も理解できなかったのだ。無力感に嘆く事さえ出来ない。
彼女は懸命に演じていた。淹れたてのコーヒーは太陽の様に熱い。気温が低い時に浴衣を着るのは涼しいから肌着を着こむ。感じてもいない感覚を言葉にし、どうにか日常を演じ続けていた。たった今スノーに指摘された事は自分の落ち度だと認められた。だがしかし、根本的に理解していないナイトには疑問が生じる。それはそこまで徹底しなければならないだろうか。そこまで不都合なのだろうかと。
考えて、考えた。分からないという結論に至る。けれど今、隣に座る彼を落ち着かせる為には考えて行動しなければならなかった。
「うん……。ごめんね、スノー」
「俺に謝罪したところで、お前の傷は癒えない」
「そうだね」
ナイトはスノーの膝に顔を埋めた。ジーンズの固い感触が頬から伝わる。触覚そのものは生きていた。ただそれが何に結び付くのかが分からない。せいぜい分かるのはそれが好きか嫌いかどうか。たとえ耐えがたい嫌悪感を伴ったとしてもそれを受け入れるべきか撥ねつけるべきか判断できずにいる。基準が存在しない以上反応できないのだ。彼に頬を抓まれても肩を掴まれてもどうすべきか分からない。松明を押しあてられた時でさえ、最初は掌で押されているのかと勘違いを起こしたくらいだ。彼の怒りや想いを理解するには情報が不足しすぎていた。
「何の真似だ。鬱陶しい」
ナイトの頭上から降ってくる言葉にあたたかみは無い。それでもナイトは怯まず寛いだ。
「背もたれ使うなって言ったのスノーじゃん。膝くらい貸してよ」
スノーの拳をナイトが両手で包む。スノー自身、気付かないうちに握りしめられた拳が丁寧に解かれていく。広げられた掌には無意識の中で芽生えた感情が押し殺されていた。
「たしかに私は痛いとか熱いとか分かんないけどさ、理解しようという気持ちは少なからずあるんだよ?」
掌に刻まれた爪の痕を彼女はなぞり、それからスノーを見上げた。スノーは冷え切った瞳でナイトを見下ろす。街灯に照らされた車内で、二人の視線が交わった。
「こんなに握りしめてたらスノーは痛いでしょ?」
「理解するつもりがあるなら、まずは自分自身を大切にしろ」
「それができてたら、スノーはこれまで苦労してないよ」
「全くもってその通りだ」
ふっとナイトが微笑む。わざとらしく猫の様な甘い声を出し、スノーの指に指を絡める。
「ねぇスノー。背中が焼けるように痛いよ」
「焼けたんだっての」
「スノーにもウィザードにも心配かけてさ、私ってば本当に不甲斐ないや。胸が痛くて堪らないくらいだね」
「反省し、次に生かせ。仕事のミスは仕事で取り返せばいい。傷が治るまで絶対安静だがな」
「私は自分の痛みが分からないけれど、人の痛みが分かったら私は人に優しくできるかな」
無理だろう。その一言をスノーは飲みこんだ。
心にもない事ばかりの言葉遊びを終わらせる為、スノーは断言した。
「優しいお前なんてお前じゃないだろ」
「それもそうだね」
沈黙が訪れるより先にナイトが問う。
「ところで押売りはうまくいったの?」
「問題無い。滞りなく終了した」
「そっか。私の目的も果たせたし、利益もあるならひとまずよしとしましょうか。スノーもやりたい事できた?」
「まあな」
ふとスノーは視線を感じ、顔を上げた。バックミラー越しにウィザードと目が合う。
「どうしたウィル」
「あぁ、すまない。大したことではないのだが、スーの顔が一瞬だけナイトに見えてしまってな」
「そいつは面白い冗談だ。人間が火で炙られたらどうなるかも分からないアホにみえるののか」
「アホじゃないもん」
「気を悪くさせるつもりは無いのだ。どうか許してほしい。なにぶん、これからナイトを脱がすのだと思うと舞い上がってしまって仕方が無い。医療行為という大義名分は素晴らしいものだな」
ナイトは笑いながらウィザードへ言葉を投げかける。
「かかりつけ医の特権だねー。お医者様、できるだけ綺麗に治してくださいませ」
「御意。場合によっては皮膚移植も検討しよう。私の皮膚が拒絶反応なく移植できればいいのだが……」
「まだ健康な皮膚残ってるから私自身のを移植してよ。医療技術の向上の為にやってみたいんだろうけどさ」
「私の技術向上はもとより、ナイトと私の身体の一部が癒着できる機会をみすみす逃したくないのだ」
「私の傷を綺麗に治すのが最優先だよね」
「もちろん本人の皮膚を移植した方が拒絶反応も無く経過もいい。ナイトの全皮膚が失われる時までこの技術は磨くだけに留めておこう」
冗談と本気が入り混じる会話が続く中、スノーは一人沈黙を貫く。窓の向こうの夜を眺めながら、ウィザードの言葉を反芻していた。
「ナイトに似ている、か。……あながち間違えでもないだろうな」
小さな呟きは夜の闇へと融けていった。




