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13.陽動

 颯然さつぜんと風を切りながら歩むナイトには背後からついてくる男達など見えていなかった。堂々と通路を進み火護の間へと進むその姿は車内で頬を赤らめていた人物とは思えない。規則正しい歩幅。ピンと伸びた背筋。肩から爪の先まで程良く力が込められており、髪をかきあげる何気ない仕草ですら美しい。強い意志の宿った瞳は通路の先というよりも、もっと抽象的な先を見据えている。彼女の一挙手一投足、その全てが世界のことわりそのものと言わんばかりに洗練されていた。


 火護の間へと続く重い扉さえ、薄いカーテンを開けるような軽やかさで彼女を迎える。最近の記憶に近しい熱気が全身を包み込んだ。

 客席に座す信者と照明代わりの松明。聖火を学ぶ会の教えに沿って言うならば、信者も、松明の炎もすべての根源である聖火から生まれたものだ。その聖火へと捧げられる儀式の主役である二人もまた聖火から生まれた平等な存在なのだろうか。

 松明を手にした穂村と、肌を露わにさせた七森。まるで数日前へ帰ってきたかのような同じ光景が眼下に広がっている。醜い鬼が罪なき罪に罰を与える様は地獄よりも理不尽だ。

 一般的な価値観を持つ人間には耐えきれない異常な空間。彼女はここが自分の庭と言わんばかりに躊躇なく歩を進めた。自然な動作でありながらも気品を纏っている。制止する者は無く、彼女に気付いた誰もがただただ見惚れ、ステージに向かう背を見送った。


 穂村はナイトの存在に気付くのが最も遅かった。儀式の最中に入退室する者は珍しくなく、特に男性は目当ての時間まで外にいる事が多いと知っていたからだ。女を騙す作業を邪魔しなければ男は金を払うだけでいい。それが聖火を学ぶ会の暗黙のルールであった。浄火の儀式中に最前列ににじり寄る輩も珍しくは無い。穂村は楽しく七森を愛でる事に集中していればいいだけであった。

 だからこそ、ナイトの存在を一番驚いただろう。

 穂村の視界の端に、聖火とは違う紅が揺らめいた。ふわりと風のように衣がたなびき、それでいて確かな存在感を打ち鳴らすハイヒールの音が後に続く。メインステージと聖火を結ぶ補助通路の上に一人の少女が飛び乗ったのだ。赤いドレスの裾が波のように燃え広がる動きで白い太ももを覆う。くびれた腰回りに、形のよい乳房。細くしなやかな腕の先にある指ががたおやかに髪を梳いた。客席から歩いて来た様子を見ていなかった穂村には、まるで聖火から少女が生まれてきたかのように思えた。瑞々しい白に近い肌。紅のドレスと唇。闇のような髪と瞳。彼女はたった三色しか持っていない。だが常に瞬き続ける聖火に彩られ、数多の星に囲まれた様に煌いて見えた。


「な、なんだね、君は……」


 穂村の記憶にない顔であった。信者の顔を覚えるのは仕事の内だがそれを差し引いても、こんなにも魅力的な人物を忘れるはずがないと断言できた。

 戸惑う穂村の声に遅れて七森の掠れた声が耳に届く。


「内藤さん……?」


 七森が以前、入会届を持ってきた時に聞いた名だ。七森が連れて来たという新しい信者だと理解した。だが信者にしては服装が奇抜すぎる。そもそも何故ステージに? 疑問ばかりが生まれ、何から問えばいいのか分からない。そうこうしているうちに内藤と呼ばれた少女が口を開く。


「穂村光一よ」


 熱さを感じさせぬ涼やかな音色。決して大声ではないが誰の耳にもはっきりと聞き取れる凛とした声であった。


なんじの呼び声に応え、私はかんなぎに宿ったぞ。さあ、あがたてまつれ」


 二人の間に火花が散った。神の力を宿した男の前に、神そのものを宿した少女が現れたのだ。瞬く間に会場がざわつく。幹部までもが何か囁き合いを始めた。

 穂村はじっと内藤を見つめる。驚きも焦りもない。つとめて落ちつた低い声で言葉を紡ぐ。


「皆の衆、心せよ。この者に邪が宿っておる。清き心と体を持ち、火を理解した者だけがようやく火に触れることができるのだ。その身に火を、まして神を宿しはできぬ。肉体という器に火を閉じ込めたというならばいづれ火は消えてしまうだろう。この者の言動は神への冒涜に他ならん! 捕えよ!」


 ステージ袖に待機していた幹部が二人、弾かれたような勢いで駆けつける。内藤の腕をそれぞれ掴み、膝をつかせると、身動きが取れないように抑えつけた。


「穂村様、どうか御慈悲を!」


 七森が悲痛な声で叫ぶ。その願いに応えてか、穂村が力強く頷き高らかに宣言した。


「これより浄火を行う。この者に宿りし邪は神を名乗るほどに傲慢で強大だ。邪が暴れ、苦痛を訴えようとも私は決して怯まぬ。全てはこの者を救う為。皆の衆、祈るのだ。全ての者に神は救いの手を差し伸べる。我らは等しく神の子である。さあ祈るのだ!」


 人々は口々に祈りを叫ぶ。


「神よ!」

「救いよ!」

「浄火を!」


 穂村は悠然と内藤を見下ろした。男が二人掛かりで抑えつけているのだ。華奢な体では決して振りほどけはしないだろう。力無く項垂れている様は穂村の加虐心を大いに煽った。緩む頬を抑える為に顔の筋肉を強張らせているがなかなかに難しい。どうにか気を紛らわせようと状況を整理する。

 彼女の言動には穂村も驚いていた。自分がもし本当の聖職者であったならば、地面に平伏し崇め奉る事も辞さなかっただろう。だがここが嘘の世界であると誰よりも知っている自分から見れば、彼女が嘘に躍らされていると一目で分かる。大方、教祖たる自分の言葉を盲信するあまり、あらぬ妄想に取りつかれたのだろう。信者に加わるほどの愚かさなのだから納得もいく。

 そんな愚者に自分は何をすべきなのか。答えは一つしかない。

 徹底的になぶる。肉体的に、精神的に、そして性的に。全ての浄火が済む頃には二人目の七森が出来上がっているだろう。そう考えるだけでぞくぞくとした快感が駆け昇ってくる。松明を握る手が興奮で震えた。体中が熱を帯びている。ホール内が暑いせいだけではないだろう。


「偽りの神よ、少女を解放致しなさい」


 少女の頭を鷲掴む。力を込めこうべを垂らさせると、傷一つない美しい背がより露わになる。

 まずは奴隷の焼印代わりにと、そのなだらかな背に松明を直接押しあてた。肉の焦げる匂いが立ちこめる。と、同時に鼓膜を破りそうな程の絶叫が響きわたる、はずだった。


 穂村が松明を押し当ててから離すまでの間、彼女は微動だにしなかった。時間が止まったかのように会場は静まり返る。聖火の燃える音だけが取り残された。

 松明を押し当てた部分は黒く焦げ、背全体が真っ赤に腫れ上がっている。穂村が手加減をしていない証拠であった。


「なっ……」


 穂村が数歩後ずさる。穂村にとって好都合の贄は、重度の火傷を負ってなお泣き声一つあげなかった。長い髪が顔を覆い隠し、彼女の表情は誰にも窺えない。

 永遠に感じるほどの一瞬が過ぎ、ナイトが顔を上げた。


「これで――理解したか?」


 二つの瞳が穂村を見つめた。炎で照らされようとも底の見えない闇がそこにある。

 ナイトを除く誰もが一様に目と口を開けていた。彼女を取り押さえる男達も呆気にとられており拘束力を失っている。彼女は上着を脱ぐようにするりと腕を抜け、立ち上がった。

 ナイトは客席側を眺め、それから穂村へと視線を流す。それだけで穂村の顔はみるみる青ざめた。震える足でステージの後方へとさらに後ずさる。

 ナイトが一歩踏み出す。穂村を追いかけるというよりも焼けた背を客席側へ見せつける為であった。聖なる炎をその身に受けてなお毅然きぜんとした様は、穂村と同じく心身ともに清らかな人物だという証拠である。彼女の放った言葉が全て証明されたのだ。


「かみ、さま……?」


 今にも消え入りそうな声で七森が問う。ナイトは慈しむように微笑み返す。数日前、駅前で合流した時に見せた笑顔と全く同じであった。

 七森は静かに涙を流し、平伏する。


「馬鹿な……そんな、そんなはずは……!」


 穂村が身を震わせながら松明を構える。彼にはすでに崩壊の足音が聞こえていた。自らの作り上げた楽園が壊す、殺戮者の足音を。近づいてくるハイヒールの音は無情にも穂村の目の前で止まった。長い長い導火線がようやく辿りついた。燻ぶった火種が突如として燃えあがる。

 ナイトは穂村から受け取る様に松明を奪い、容赦なく穂村の心臓目がけて押しあてた。


「あ゛づいいいっ――――!!」


 醜い絶叫がほとばしる。痛みと熱さから逃れようと床をのたうち回り叫び続けていた。極めて正常な人間の反応である。

 ナイトには穂村よりも皮膚や服の繊維が貼りついた松明の方が興味深かったようだ。しげしげと観察しながらついでのように穂村へ問いかける。


「同じ炎。何故苦痛を感じるのか分かるだろうか」


 穂村に答える余裕は無い。ナイトの声が聞こえているかさえ定かでは無かった。教祖の尊厳をかなぐり捨て、自らが邪と取り決めた水に救いを求めていた。

 ナイトが長い柄をバトンのように回し、炎を穂村の眼前に突きつける。穂村はまばたきする事さえ許されず、炎とナイトから目を逸らせないでいた。涙とも汗ともつかぬ体液を噴き出しながら、言葉にならない声を喉から絞り出す。


「ひっ……やぃお……う゛……」

「物欲、色欲、金銭欲、権力欲、独占欲。その身に宿りし邪の名はなんぞ?」


 痛みに悶えればいいのか。ナイトの恐怖すればいいのか。火から逃れればいいのか。今生かされている事実に感謝すべきなのか。助けを求めなければ、いや、問いに答えれば、問い? 水がないと死ぬのに。違うんだ。嘘がばれる。だめだ。死ぬ。怖い。ありがとう。火。痛い。しなきゃ……。

 穂村は限界を超えていた。混乱し、どうしてよいのか分からず思考も呂律も回らない。

 ナイトは冷ややかな目で穂村を見限った。きびすを返し、七森へと歩み寄る。這いつくばったまま、七森は目を見開いていた。穂村の醜態にショックを隠そうともせず茫然としている。彼女の偽りの楽園も崩壊の只中ただなかにあった。


「七森彩愛」

「はっはい!」


 ナイトの声に対しては反応が早い。素早く身を起こし、両手を膝の上に乗せる。彼女の意思とは無関係に、穂村よりもナイトを優先させた。すでに彼女の世界の中で最も尊い存在として、ナイトは君臨していたのだ。


「これを」


 ナイトから手渡されたのは松明であった。七森は訳のわからぬまま、ナイトと松明を交互に見つめる。

 ナイトは淡々とした口調で告げた。


「穂村光一に宿りし邪を浄火せよ」


 言葉の意味を、意図を、そしてこれからすべき行動を七森が理解する。


「で、すが……穂村様に、そんな……」


 狼狽ろうばいし、戦慄わななく七森の手を、ナイトの手が包み込む。そのまま七森を立ち上がらせ、穏やかな声でナイトは語りかけた。


「人は平等な存在。そして誰もが過ちを犯す。指導者とてそれは同じ。ここに集いし者は互いの過ちを指摘し、認め、償い、光の源となる為にいるのではないか。穂村光一は邪に犯され、のたうつ程に苦しんでいる。皆の力で浄火すべきだろう」

「仰るとおりです……」


 七森の瞳から迷いが消える。ナイトはそれを確認すると、客席側に向き、強い口調で言い放つ。


「よもやこの中に、松明も握れぬ邪などおらんだろうな!」


 緊張が駆け抜ける。それまで呆けていた人々が目配せをし、互いの行動をうかがった。

 そんな中、七森が何かを呟きながら、穂村の元へ歩む。ぶつぶつと、ぶつぶつと、呪詛のように繰り返す言葉はどこまでも七森彩愛の言葉であった。


「穂村様を、お救いしなければ……。穂村様、穂村様」


 両手で松明を握りしめ、ふらふらと近づいてくる七森に穂村は慌てて叫ぶ。


「ひっ、待っ、七森やめろ! 来るな! 水を! 早く水!」

「穂村様から出ていけ! この悪魔が!!」


 二つの叫び声が重なる。聖火が激しく燃えあがった。叫びと熱風を追い風とし、ナイトが声高に演説を繰り返す。


「火を掲げよ! 掲げぬ事のできぬ邪を探せ! 穂村光一を救うべく立ち上がるのだ!」


 女達は迷うことなく立ちあがった。火護の間の至る所に設置された松明を手にし、ステージに集う。それにつられ、男達も立ちあがった。穂村の浄火に参加しなければ自らが邪と見なされ、浄火されると悟ったのだ。


「穂村様! 今、お救い致します!」


 七森が髪を振り乱しながら松明を振るう。そこへ他の信者が加わる。

 もはや誰にも止める事はできない。

 立ち込める焦げた匂いにナイトは鼻をこすり、振り返る事無く歩き出す。誰もかれもが松明を奪い合いながら浄火を続けた。ナイトが立ち去ろうとも気付かない。穂村の中に巣食う邪が燃え尽きるまで儀式は続くだろう。


 鼓膜が破れてしまいそうな程の大音量も、分厚い扉を閉めてしまえばたちどころに聞こえなくなる。ナイトは静寂に包まれた通路を一人歩く。どこまでも無機質な光と、窓の向こうで横たわる夜の静けさはとてもよく似た冷たさであった。

 ナイトは静かに目を閉じる。頭の中にはカチカホールの見取り図が広げられていた。正確無比な情報のおかげで、彼女は文字通り目をつむっても歩いていられる。彼女の瞳に映る景色は眼を開けていようと開けていまいと寸分違わない。ハイヒールの音に下駄の音が重なった。

 ナイトはもう二度とここを訪れる事は無いと悟っている。だからこそこの記憶を、情報を最大限利用しようと考えたのだ。情報の死。情報は使用者がいなければ無意味だ。彼女は情報を忘れたりはしないだろう。しかしこの情報は無意味な存在に成り下がる。彼女だけができる死にゆく情報への手向けであった。

 あと七歩で通路からロビーへ。たむろする男達の顔も、服装も灰皿に積もった煙草の本数も、全て記憶している。

 今後一切利用価値の無い情報を一つ一つ丁寧に抱きしめながら、玄関の自動ドアをくぐった。そうして頭の中に全ての情報を詰め込むと、ゆっくりと目を開く。見慣れた車に乗り込み、ドアを閉めた。その瞬間、聖火を学ぶ会の情報が0と1の粒子になって砕け散る。ナイトは儚さを愛で、その美しさを記憶した。


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