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12.押売り

 数日後。時刻は20時半を過ぎた頃。ウィザードの運転する車はカチカホール前のロータリーに停車した。


「ねぇ、やっぱりさー……」


 後部座席に座るナイトはこの日何度目かも分からない問いかけを繰り返した。


「これ、派手すぎだと思わない?」


 気恥ずかしげにドレスの端をつまみ、吐息を漏らす。彼女を包み込むドレスは目に痛い程の真紅で、薔薇やルビーに例えるよりも炎そのものと言った方がよいだろう。ロビーからの光に照らされた真紅と車内の闇に沈んだ紅とのコントラストが強く、一色のはずのドレスが光と闇の境界線を捉えていた。

 ナイトの言うとおり、そのドレスは決して地味とは呼べないが、派手という言葉も似合わない。サイケデリックな派手さとは違い、華やかな上品さを持ちあわせている為だ。一目で一級品と判るそのドレスを着て気おくれをする彼女の気持ちもスノーには理解できていた。だがしかし、スノーから手向けられる言葉と言えば諦めろの一言だけである。現場に着いた以上、仕事をしてもらわなければならない。


「自分で選んだんだろ。諦めて仕事をしろ」


 スノーの言葉にナイトは不満であった。その真意もスノーには分かっていたが、そう言う他なかったのだ。彼女が騙されてこのドレスを選んだ現場にスノーも居り、スノーもまたナイトと同じように騙されていたからだ。


 今回の押売りを円滑に行う為、ナイトは陽動役をかってでた。その為、聖火を学ぶ会の規約に囚われない目を引く格好をしようという案を採用した。そこで雑費が掛からず、尚且つ目的に合った服を提供できる人物の協力を仰いだ。その人物は巧みにドレスを並べ、ナイトに選ばせたのである。今思えば自由に選ばせたのではなく、彼女がこのドレスを選ぶよう仕向けていたのが良く分かる口上と展示の仕方であった。サイズに間違いはないと試着をさせず、さらにこれが一番無難だと思わせるほど絢爛なドレスばかりを並べたのだ。彼女に選択の余地は無かった。


 ナイトはドレスの裾を手放す。斜めにカットされた裾の大胆さもさることながら、彼女の視線はより大胆なデザインに仕立てられた背の方に向けられていた。背から腰までの広範囲を露出させたオープンバックタイプ。大きなV字にカットされたドレスから白い肌が覗く様は、炎の繭から蝶が羽化するよう。男ならばその繭の隙間に手を潜り込ませたいという情動に駆られる。裸や水着姿の背よりも艶めかしい背に、スノーは直視できずにいた。


「全く……何を案ずるというのだろうか」


 運転席に座る元凶がこの場の誰よりも幸せそうに語る。


「陽動作戦なのだから派手でなくては困るだろう。それにドレスなど元より美しいナイトを引き立てる装飾に過ぎない。ナイトはいつも通り仕事をし、私の元へ帰ってくればいいだけだ。さあ早く屋敷に戻り撮影会をしようではないか」


 本音しかない言葉の数々に二人は呆れるほか無かった。ひょっとするとこの仕事で一番得をしているのは彼なのかもしれない。そう言わしめるだけの幸福を彼は味わっていた。


「ウィザードに服を頼んだ時点で覚悟はしてたつもりなんだけどね……。手早く終わらせますかー……」ようやく諦めのついたナイトが頬を軽く叩く。

「ナイトに衣装協力を要請されたのは私。ドレスを用意したのも私。ならば脱がせるのも私の役目だろう」


 ウィザードの戯言を無視し、ナイトが車のドアを開けた。振り返り、艶やかな唇で弧を描く。


「20分は時間を稼ぐから、その隙にスノーは押売りをよろしく。ウィザードはできるだけここで待機。む無く移動するなら駐車場じゃなくて、出入り口付近にいてね。エンジンは切ってていいけど、私とスノーが戻り次第、急発進するつもりで。それじゃあ先にいってきます」

「了解」

「武運を」


 赤いハイヒールが小気味よい音をたてる。火打石を打ち鳴らした音によく似ており、小さくありながらも確かな火種となった。目には見えない導火線を彼女は歩んだ。

 スノーはナイトの座っていた席に移動し、車のドアを掴みながら彼女の姿を目で追った。颯爽と火護の間へ向かうナイトに釣られてロビーに屯する男達は一人残らず後を追う。人影が無くなってから数分後、スノーは静かに車を降りた。


 ロビーは相変わらず煙草の煙が滞留していたが、人の姿はどこにもない。ふいに嫌な記憶が首をもたげるがハンチング帽をかぶり直し、無理矢理蓋をする。量販店で購入したありふれたデザインの帽子は目元を隠すのに最適であった。

 スノーは迷わず真っ暗な通路を突き進む。ナイトの作成したカチカホールの見取り図は頭の中だ。それだけを信じ、目的地を目指す。捉えどころの無い飄々とした性格のナイトだが、その情報の正確さをスノーは何よりも信用していた。誠意には誠意を。彼女の情報を信じ、作戦通りに行動する事が彼の誠意であり義務であった。

 通路の突き当たり右手、立ち入り禁止の立て看板を通過し、角を二度曲がる。最奥の両開きの扉には理事長室と書かれたプレートが下がっていた。彼女からの情報はここまで。あとは自らの能力が試される領域である。気を引き締めるように黒の手袋を纏った手を開閉した。


 ドアノブに手を置く。胸ポケットに入れていた極めて薄い金属板のような物をドアの隙間へ差し込み、上から下へ滑らせる。鍵の外れる音が耳に響いた。金属板を抜き取り、ペンライトで照らす。曲がったり、変色していないか念入りに確認する。変化は無い。扉を開閉する事で作動するセキュリティが無い証拠であった。

 扉を開け、入室する。ペンライトの細い光を頼りに室内を見渡すと、監視カメラが天井に一台取りつけられているのを見つける。監視カメラの視線を辿り、部屋の奥にある金庫を発見した。躊躇なくカメラの視界、つまりは金庫の前へ移動する。事前の調査でこのカチカホールは警備会社が介入していない事は知っていた。そもそも外部組織を入れる訳にはいかない理由がある。火護の間はどう見ても消防法に反しているだろうし、叩けば叩くだけ埃の出る組織だ。自衛する他ないだろう。発展途上の組織に良くある事だ。警備が甘くても小規模組織なら稼ぎが少ない為狙われにくい。狙われるような大きな組織になれば色々・・と融通が利き、警備を外部に委託できる。後ろ暗い事があるからこその抜け穴であった。

 金庫の前で片膝をついたスノーは、何とは無しにため息をつく。落胆のため息であった。目の前にあるのはM社のダイヤル式耐火金庫。このタイプの金庫の開け方は熟知している。これより一回り大きな金庫を開けた記憶もあった。その他、セキュリティらしいものは見つからない。いっそ途方に暮れてしまう程の警備網であったらやりたくもない仕事にもやりがいが見出せたというのに。

 気を落としながらも慎重にダイヤルを回す。スノーはモチベーションで仕事の質を落としたりはしない。丁寧に押売りを進めていく。


 彼が今行っている押売りとは窃盗とさして変わらぬ行為であった。セキュリティをかい潜り金を盗む。そして侵入経路や解錠方法など自分が行った手順を一枚のカードに纏め、金庫の中に残すのだ。「おたくのセキュリティの穴はここですよ」という情報を押し付け情報料を取る。それが情報の押売りであった。

 ただ、押売りが行われる事はめったにない。ナイトやスノーだけでなく、クセの強い他のメンバーでさえ、押売りは己の美学に反すると考えている為であった。情報屋は情報収集をし販売をするのが目的であり、それをどう活用するのかは依頼主の自由である。押売りは情報屋の目的から逸脱した行為であるというのがメンバーの総意であった。だが突き詰めればプライドという言葉に変化する。情報屋は常にプライドを優先したりはしない。必要ならばプライドを捨て押売りをするだけだ。

 カチカホールのセキュリティの情報を売る相手がいない点、聖火を学ぶ会に打撃を与える為に有効打である点、今回ロスしている費用を効率よく埋められる点、以上がスノーが押売りを行う為の大義名分であった。当然穴だらけの建前であるのは火を見るより明らかだ。しかし建前の裏に、彼の本音は息を潜めていた。


 難なく金庫を開け、中に入っていた札束をディパックに詰める。金庫の中には札束の他に赤い筒状の物が入っていた。スノーはそれが何なのかすぐさま理解する。スノーには必要の無い物であった為、手をつけずに仕事を進めた。情報を記入したカードにサイン代わりの4桁の数字を記入し金庫へ収めると分厚い扉を閉めた。

 立ち上がり時計を確認する。何の問題も無い想定内の時間だ。達成感を得るにはまだ早いと気を緩めずに落ち着きを払ったまま部屋を出た。帰り道も人の影は無く、陽動の方も順調なのだろうと判断する。最後に通過したロビーではあの忌まわしい記憶に苛まれず、むしろ晴々とした気持ちでいられた。

 もう二度とここへ来る事は無いだろう。そう判断したスノーは、頭の中にあるカチカホールの見取り図を削除した。


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