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あとがき。

 本作をここまでお読みくださり、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

 作者の「亘理花」です。──本当はもっと別の活動名があるのですが、それについてはページ下部の『作者マイページ』からご確認いただければと。

 他にも色々と書いていますので、そちらもぜひともお読みになってみてください!

 ……などと書きたい気持ちは山々なのですが、今しばらく、作者の与太話にお付き合いいただければと思います。




 さて。作者の中の人は以前より、自作品のどう考えても気づかれないような場所に小ネタを仕込むことに定評のある(どんな定評だ……)人物なのですが、本作に関しても例外ではありませんので、以下、それらについて簡単に紹介をしてみようと思います。

 そんなの要らん! という方、画面をぐいーっと下の方へスクロールをお願いしますね。


 まずは、本作登場の名前について。

 お気づきになった方はいらっしゃるでしょうか。本作のキャラクターたちの苗字はすべて、東北地方の太平洋沿岸地域に実在する『~~大橋』という名称の橋梁に由来しています。一例を挙げるとすれば、亘理大橋は宮城県亘理町の阿武隈川河口に架かる橋梁。閖上大橋は宮城県名取市の名取川河口に架かる橋梁です。ちなみに鮫川大橋が福島県、亘理・閖上・小泉大橋が宮城県、小本・久慈大橋が岩手県内の橋梁になります。福島県が少ないのは同県内に「大橋」の架かるような河川の河口が少ないからで、他にも湾や入り江がほとんど見られないなど、福島県の沿岸部は宮城や岩手のそれとはやや違う環境・津波被害状況を有していたりするのです。

 下の名前については、東日本大震災のチャリティーソング『花は咲く』に参加している歌手の方々を参考にさせていただきました。なお、参考にした歌手さんの出身県は、苗字に利用した橋梁の所在する県と一致するようになっています。例外はヒロイン閖上華の両親で、この二人は上記の曲の製作に携わっている方の名前を少しいじらせていただいています。

 作中に登場する、鹿折地区に打ち上げられた大型巻き網漁船『第十八共道丸』のモデルは、同様の被害を受けて二〇一三年十月二十四日に解体された『第十八共徳丸』となっています。津波の持つ力の大きさをよく物語るシンボリックな存在として、気仙沼市でも震災遺構としての保存が検討されたことがありました。そして『きょうとう』という名前については、仙台を拠点に活動するアイドルユニットの活躍を描いた某アニメ作品に登場する船舶の名称から取らせていただいています。二〇一四年公開の同作には気仙沼市や石巻市出身の登場人物もおり、震災復興の描写が現在でも高い評価を受けています。

 閖上華の母校として登場する波路上地区の高校『気仙沼望洋高等学校』は、実在する『宮城県気仙沼向洋高等学校』がモデルとなっています。同校は津波の直撃を受けて校舎が全半壊する甚大な被害を負ったにもかかわらず、当時学校にいた生徒・教職員が全員無事に生還するという奇跡を成し遂げました。その詳細な経緯と要因分析は公式HPに掲載されていまして、本作執筆の段階でも非常に参考になりました。

 「望洋」というフレーズの由来は、前述の鹿折地区を見下ろす高台に立地する某観光ホテルです。津波被害を免れた同ホテルは現在、通常のホテルとしての業務の他に復興支援の宿としての機能を有しているとのこと。良好な景観を求めて高台に建設された市内の複数の観光ホテルは、震災時には多くの津波避難民を受け入れる避難所としての役割をも果たしました。

 閖上華の両親が経営する民宿『曼殊沙華』は、現実には存在しません。モデルとなった場所には現在、曹洞宗の寺院が立地しています。明治二十九年の三陸大津波の際には避難所・日本赤十字社の救護所となったこの寺院は、震災当時には地域の指定避難場所にも設定されていて、前年のチリ地震津波の影響もなかったことから周辺住民の方々からも避難先として認識されていたそうです。前述の気仙沼向洋高校でさえ、一時は生徒をこの寺院へと避難させようとしました。しかし実際には、落慶したばかりの本堂や庫裡を津波が直撃、本堂の天井近くまでが水没する被害に……。現在ではお寺としての機能を取り戻しており、境内には新たに地蔵が建立されました。見上げるような高さのある地蔵は、当時の津波浸水の高さを示しているとのことです。

 『華の浜』のモデルとなっている場所には、実際には津波に破壊された墓石が累々と並んでいます。震災前は明戸霊苑の共同墓地だった場所ですが、納骨されていた遺骨も津波で流出してしまいました。その収骨には、上記の寺院が尽力したとのこと。新たに完成した納骨堂の横には、一九七五年に建設されて震災の津波をも耐え抜いた『海の殉難者慰霊塔』があり、毎年九月になると慰霊祭が行われているそうです。作中にも『海の殉 慰霊塔』として登場していたこの慰霊塔は、かつて明治の三陸大津波で住民の七割以上が命を落とした悲劇の地区・明戸集落の跡地に屹立し、今日も太平洋の彼方から打ち寄せる波を睨んでいます。

 その他、作中では津波被害が怪獣の襲来に喩えられるシーンがありますが、こちらは本作連載開始の同年に公開された東宝製作の某怪獣映画を念頭に置いています。東日本大震災時の混迷する日本を暗喩しているといわれる同作、作者も劇場に二度足を運んで観てきました。怪獣が蹂躙していった街の廃墟のシーンにとりわけ強い既視感を覚えたのを、今でも思い出します。


 キジカクシ目の多年草・彼岸花(ヒガンバナ)は、本作のテーマの一つ「花」を代表して登場する植物であり、そして閖上華の最も好む花として設定されていました。

 この彼岸花、九月になると放射状の真っ赤な花弁をつけることで知られており、現在では日本全国に分布している花ですが、元は中国から人の手で持ち込まれたものです。かつ、人為的な持ち込みであったとの説があります。球根植物である彼岸花には毒があり、それを畦や土手に植えることで害獣から田畑を守ることが目的だったと推定されているのです。そうした経緯のためか、彼岸花は人の住む場所にしか生息することがありません。さらに上述の害獣除けの効果のため、土葬の際には遺体の周囲に彼岸花が植えられたことが多く、そのことから『彼岸花を摘むと死人が出る』という言い伝えまで存在します。

 彼岸花という花の名称は、秋のお彼岸の時期に咲くこと、強い毒を持つために誤って摂取してしまうと死に至る(=彼岸に渡る)危険性があることなどが由来とされています。また、花と葉が同時につかないことから「葉見ず花見ず」との呼び名もあり、同様の意味で夏水仙に対して韓国では「相思華」という名を与えていることから、日本ではこの名前が彼岸花の別称としても認識されているとか。さらに『曼殊沙華』をはじめとして、数多くの別称が存在します。

 学名はLycoris radiataと言い、この前半部分の「Lycoris」は、ギリシャ神話に登場する海の精の女神ネーレーイドの一人・Lycōrias(リュコーリアス)が由来なのだそうです。

 花言葉は『悲しい思い出』『また会う日を楽しみに』。有毒性のある危険な植物であることが、このような花言葉を作り出してしまったのでしょうか。

 ちなみに東日本大震災当日・三月十一日もまた、春の彼岸にほど近い日でした。この日の誕生花を調べてみると、彼岸桜エドヒガンが該当します。


 人の手によって日本に渡り、人の営みに寄り添って育ってきた花。

 毒性のために何かとあの世と絡められがちで、「彼岸花を摘むと死人が出る」とまで言われてしまう花。

 共に思い合う花。海を見守る精の名を与えられた花。『また会う日を楽しみに』と、私たちにそっと囁いてくれる花。

 それが、彼岸花なのです。

 津波で命を落とし彼岸の人となってしまった、閖上華のイメージにこれほど適した花はないだろうと、作者は今でも考えています。




 本作「それでもここに、花が咲くから」は、作者自身の体験を交えた半ノンフィクション小説です。

 事実なのは三割から四割ほどでしょうか。もちろん登場人物はすべて架空なのですが、作者は実際に二〇一三年の晩夏、宮城県気仙沼市でボランティア活動に従事した経験があります。同年の冬には、損壊した向洋高校の校舎の見学もさせていただきました。解体撤去前の第十八共徳丸についても、間近で見る機会を得ることができました。『気仙沼復旧再生協会(KRRA)』は実在しない団体ですが、モデルとなっている団体にはボランティアに赴く度、大変お世話になりました。

 そして何より、主人公・亘理花の震災直後の経験は、作者自身の経験でもあります。彼女の感じてきた疑問は、作者自身がずっと思ってきたことでもあります。


 以前、エッセイの中で「復興」という言葉に感じる違和感を書いたことがあります(このエッセイについては、下部にリンクを貼っておく予定です)。

 『早く復興しますように』『復興を加速させるべきだ』『復興は未だ、進んでいません』。被災地の内外で飛び交う言説の中には、このような言葉を今でも多く見かけます。しかし、そもそも復興とは何でしょうか。街がキレイになることが復興かもしれませんし、賑やかになることが復興かもしれません。その定義は人によってまちまちであって、つまり「復興」に決まった形や目標地点などないのです。しかもそれは本来、復興する側が決めるべきこと。外部の人間が騒ぎ立てるのは筋違いでしかないでしょう。

 私たちのような非被災者が「復興」の必要性を声高に叫ぶことは、被災した方々に「復興しろ」という要求を押し付け、急かしていることに他ならないのではないか。作者はそう思わずにはいられないのです。

 それに「被災者」とは何でしょう。その本質的な意味から考え直せば、東北三県の沿岸域に住んでいる人だけが被災者でないことは明らかです。茨城県や千葉県にも津波は襲来していますが、その被害者は「被災者」ではないのでしょうか。震災に伴って発生した福島第一原子力発電事故の影響で、同じ福島県内でも放射線の汚染を受けていないことが明白な猪苗代・会津地域の作物も風評被害に遭いましたが、そうした彼の地の農家は「被災者」ではないのでしょうか。作者の知り合いにも震災で親類を亡くした人がいましたが、関東在住の彼は「被災者」ではないのでしょうか。

 復興財源や人手にはどうしても限りがありますから、どこかで割り切ったり区切りをつけねばならない事情があるのは事実です。ですが、そうした区切りではなく普遍的な意味での「被災者」の定義など存在しませんし、そんなものには本当は何の意味もありません。

 メディアやインターネットに氾濫する「震災関連用語」の意味について、私たちは今一度、考え直す必要があると思います。なぜならその営みは、あなた自身が東日本大震災という災害をどのように捉えているのかという根源を窺い知ることのできる、貴重な機会の一つだからです。


 二〇一一年三月一一日、作者は当時住んでいた東京都内の自宅で、震度五弱の地震を罹災しました。東京の片隅ですら五弱だったことを考えると、如何にあの震災のエネルギーが凄まじいものだったかが分かります。

 部活中で学校に残っていた友人は、電車が不通になった上、余震による被害の拡大も懸念されたため、明かりのない真っ暗な校舎内で一夜を過ごしたそうです。揺れですぐ近くに看板が落下し、危うく命を取り留めた友人もいました。兄弟の通う学校の体育館では、天井に吹き付けられていた発泡ウレタンが揺れで大量に落下し、館内にいた生徒たちに降りかかったと聞きました。

 東京で暮らしているだけでも、そんな背筋の冷える話がいくつも転がっています。

 それに対して作者が何をしていたかというと、ただ、怖がるばかりでした。拡大してゆく一方の被害を前に、それらを仰々しく見せ続けるメディアやインターネットを前にして、何もできないままに怯えるばかりでした。

 作者は元来、怖がりな性分の人間です。こういう時に怖がってしまうのも仕方ないのかもしれません。

 でも、と思いました。どうせ怖がるのなら、真実を知って正しく怖がろう。他人を介して伝わるものではなくて、この目で見たものを怖がろう、と。それでなければ恐怖の正体を知ることも、恐怖を克服することも叶わないから。

 作者の「震災との向き合い」は、こうして恐怖という感情から始まりました。

 向き合うきっかけは何でもいいのです。ここまでこのあとがきを読んでくださったあなたにも、もしまだ経験がないのならば是非、大きな被害を受けた地域へ足を踏み入れてほしい。被災地域にはテレビの演出したがるような感動話も、掲示板に「終了のお知らせ」などと書き込まれてしまうような無残な光景も、あるかもしれないし、ないかもしれないのです。

 作者もその途上です。現在、作者は故郷を離れて東北地方の大学に進学しています。ここを拠点にして、これからも気仙沼に限らない様々な「被災の現実」を見て回るつもりです。去る九月上旬、ロケーションハンティングを兼ねて気仙沼市にも向かいました。生活に余裕が出てくるまではボランティアなどは厳しいかもしれませんが、その分、この目と耳で今の姿を感じて、記憶しようと思っています。

 これが作者の、自分なりの、震災との向き合い方です。




 『被災した人々が笑う理由』に対して、本作では一つの解を用意してみました。

 無論、これが唯一の正解でないことは自分でも弁えております。

 あれはあくまでも、津波で命を落とした一人の少女が見出した解でしかありません。受け取り手が亘理花でなかったなら、その解釈もまた違うものになっていたことでしょう。

 本作をお読みになって、その点について違和感や反論をお持ちになった方もいらっしゃるだろうと思います。もしよろしければ、その感じたことを感想に書いていただけませんか。作者である前に一人の「震災を考える者」として、そうした意見も知り、考え、咀嚼していきたいのです。

 ですが同時に作者として、本作で描いた「震災との向き合い方」を方向修正する気のないことだけはご理解いただければと思います。自分なりに考えて、責任を持ってこの作品を送り出したつもりです。




 それでは、改めて。

 本作をお読みいただき、ありがとうございました。


 一連の災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた全ての方々の幸いを願って、このあとがきの締めとさせていただきます。







 2016/9/30

 亘理花 (蒼旗悠)






本作執筆にあたり、事前に敢行した気仙沼ロケでは様々な方々にお世話になりました。

(こちらをご覧になっている可能性は非常に低いとは思いますが)この場を借りて、御礼申し上げます。



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本作の構想は、上記の解説文中にもあったチャリティーソング「花は咲く」を念頭に置いて執筆しています。イメージソングとしても最適かと思われますので、もしお手元にあれば流しながらお読みになってみてください。

ちなみに同曲は「死者と生者が語り合う」日本音楽史上極めて珍しい曲の一つと言われていますが、作者は今回この曲を「すべて死者のセリフ」として解釈してみました。恐らく決して難しいことではないと思いますし、個人的にはその方がしっくりくるかなとも感じます。

「花は咲く」CDジャケットの花の写真は、ガーベラと呼ばれるキク科の多年草とのこと。贈答に用いられることが多く、花言葉は『我慢強さ』なのだそうです。春と秋に二度、花が咲くことも特徴の一つに挙げられるでしょう。もし彼岸花を採用することがなければ、本作のテーマフラワーはガーベラになっていたかもしれません。


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本作の各話タイトルは、先頭から並べると以下のようになります。

この場所で 最後の夜に 笑えない私が 扉の向こうで 歪んだ思い出と 彼女に引かれて 踏み込んだ世界は 静かな祈りと 口惜しさと嘆きと 絶望と 一面の花に囲まれて そっと泣きながら 微笑んでいた だから私は前を向いて この場所で、祈り続ける。

各話の内容に沿っているのはもちろんですが、このように連結してみると一つの文章になるようにしてみました。そして出来上がったこの文章は、主人公・亘理花の目線から見たこの物語そのものであり、同時に彼女の決意までの過程を示したものでもあります。

各話タイトルには毎度毎度かなり悩ませられるんですが、今回は我ながら上手いものに決められたかなと思っています(笑)

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