エピソード3「デュアル・ゴア」(9)
アトスとイーゴンは塗料の臭いのする広場を越え、見晴らしの良い高台にでた。
イーゴンは遠くを眺めていたが、少しして口を開く。
「私は、セヴァン・バレーという渓谷で生まれ育った。……君は何処から、此処に来た?」
「……ヒオウという、相当な田舎からだ。俺はそこで、鍛錬を積んでいた」
アトスが返事をすると、
「そうか。しらない地名だな」
とそっけなくイーゴンも返答する。
「俺もそちらの地名をしらないさ。どんなところだったんだい?」
アトスは、イーゴンに僅かに親近感を感じていた。
「私の故郷は、人間と言う種族がまず来れないような高山の山間にあった。私のような竜人の里があり、それなりの暮らしをしていた」
「農耕文化とかはあったのか?」
「我々は基本何でも食べるのでな。その気になれば樹液でも腹を満たす事は出来る。一部の風変わりな連中だけが実のなる木の栽培はしていたが」
イーゴンは言い終えて、顔を上げる。
一方のアトスは、目を伏せて自身の過去を思い起こしていた……。
名前を捨てる前の自分、そして大切だった過去。奪われた日々、甘かった自分の動き。
ーー結局自分は、環境に甘えていたのだ。だから全てを失わざるを得なかった。
人間以下の物に引っ掻き回された挙句、大きな深手を負わされた事実。それは消しきれない。
だから今は、雌伏の時なのだ。全ては、奴に引導を渡す為の。その為ならば、如何なる痛みも我慢をしてみせる。悲願を叶える為ならば……右手だろうが、左手だろうが神にでも悪魔にでもくれてやる。
ミラカナ=イール=フォークライ。
奴は俺自身が過去を越える為に役に立つかは知らない。
しかし……奴と共に居れば、研鑽出来る環境にはある。
だとすれば、今はーー待つだけだ。
時がくるのをな。
「アトス」
唐突にイーゴンが、口を開く。
「何か?」
目を伏せたままのアトスは、返事をする。
「君は怒りを抱えているな。苛烈さが見える」
指先を天に掲げつつ、イーゴンが言った。
「……それは、どうしてかね?」
「竜の勘だ。そういう訳で一つだけは、言わせて貰う。その怒りは……やがて身を滅ぼすぞ?」
ただ事務的に淡々と、忠告するかのようにイーゴンが続ける。
「……忠告は有り難いな。だが……怒るべき時に怒れないという人間も時にはいるのさ。その結果多大な痛みを負い、尚且つ死んでいろと告げられる者もいる。……かつて味方だと思っていた者は敵で、それを咎めたところで多大に騙す人間の方がマシ、と告げられたりな」
だがアトスはそれを軽く受け流す。
「……ほう」
「だから俺は、怒りを残す。怒る事で自分の魂を告げる。そして一歩も退くつもりなど無い。俺は……自分で未来を切り開くのだ」
「……酔っては、いないようだな」
「俺は酔いなどしないさ。酔う振りはするがな。傷付ければ付けるほど……俺の魂は力を増す。それが俺の天性さ」
アトスはニヤリと笑い、右腕をイーゴンに見せる。
「……どうした」
「俺は此処に来る前に大怪我をしたが……どうやら治療の際に腕に機械を入れられたようでな。こうも肉体が変化する事で、色々思う事も増えた」
「……ほう」
「この戦いの行く末を見届けたら、俺も多少は考える事がある。だからそれまではイーゴン、君は死んでくれるなよ。君は昔の知り合いに似ているから」
アトスはそう言うと、右腕をおろした。
「そうか。……お互いに無事にこの戦を生き延びられるといいな。君の抑制している痛みも、解放出来る日がくればいいものを」
イーゴンもふっと笑うと、
「アトス。灰蝶、というものを知っているか」
と尋ねてくる。
「何だ……それは?」
「私の故郷のセヴァン・バレーの生き物でな。灰で出来た蝶だ。比喩ではなく触れると崩れるほどの柔らかい身体を持ち、羽化をして数週間、少しずつ崩壊しながら飛ぶ」
「そんな生物の一生に……意味など、あるのか?」
「そんなものは当事者しかしらない。いや……当事者にも分からないだろう。だが、とても綺麗なものなのだ」
「……そうか」
「私は君を励ましたりするようなつもりはない。だが、迷いは自分で晴らすものだとは、言ってあげる事は出来る」
「……ありがとう。出来れば君とは、学生時代に会って置くべきだと思ったな。目と鼻の先に住んでいればとても良い学友に慣れただろうに」
「どうだろうな、君もそうだが、私も中々気難しいところがある」
イーゴンは告げると、さらに話を続けた。




