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悪夢 ヴェンパーの場合

「退屈の極みである」

 物理法則を無視しきって天井に張り付く椅子へ座った女性は優雅にティーカップから紫の液体で喉を潤す。憂い顔の逆さ顔からは眼鏡が落ちそうで落ちない。

 床に足をつけてローブをまとった他の魔術師達は分厚いノートと紙の束を抱え込むようにして身を縮めながらペンを動かす。天井にいる彼女の気を引きませんように、視線が合いませんように、話しかけられませんように。呪文のように口の中で誰かが小さく早口で唱え続けているが、誰がそんなにも病んでいるのかと誰も確かめたりはしなかった。

 それでもここからは逃げられない。何故ならこの離れの研究棟は彼女を研究するためのもので、彼らが彼女から特異な魔術思考を読み解く職務を与えられているからだ。


 コヨリ・ヴェンパー。世の理から外れた彼女は個性で済まない新しい魔術を創造し続けている。若くして権威と呼ばれ、もはや近代において追随を許さぬ功績を持つ程だ。その魔術が他の魔術士にも使えるようになれば世の中は一転するだろう。

 ただしその想像主の性質はいたって偏屈。独特の感覚で魔術を行使するコヨリは通常の魔術がどう行われているか理解しなかった。偏屈が気まぐれに独自魔術の構築方法を説明しても、まず彼女の概念が根本から違うのだから分からない。説明した本人は喋り終えたことに満足して質問を受け付けないため聞き取りは難攻、ついには「煩わしい」とその超魔術で半径30km圏内を幻術で覆って客払いをする始末である。射程内に入ってしまった町や人間動物もろもろが巻き込まれて大混乱に陥るテロにも等しい状況は1週間にも及んだ。

 仕事依頼の内容が気に食わないと強烈な100の珍呪で私的制裁。あまりのフリーダムさに目を余らせた魔術協会から警告を受ければ怒涛の演説と恐怖の魔術披露。誰にも手がつけられない彼女についたあだ名は『悪夢のヴェンパー』。西の魔術本部付近では驚愕と恐怖と困惑の象徴として扱われている。


 そんなコヨリが人知れず「退屈とは死である」「ON料理フルコースが食べたい」と呟き始めて数十分が経った。そろそろ限界だろう。スルーし続けてうっかり身の危険が及んでは気配を消している意味も無い。

「休憩をしてきてはどうだい?我らはまだ君から聞き取った内容部分の読解が終わっていないので是非遠慮なく行ってきてくれたまえよ。ゆっくり、本当にゆっくりしてきてくれ。たまには魔術を使わず」

 コヨリは片眉を上げる。

「奇異なことを言う。魔術師に魔術を使わずおれとは。魔術を使うために魔術師となり退屈を消し去るために何かを構築する意欲がわくのは我ながら魔術師に適した思考をしているのである。だが最近まんねり気味なのは否めん。何をやっても安易に事が運んで手応えというものを感じなくなってしまった。故に退屈なのである」

「魔術以外で退屈を殺して欲しいのだよ!君が魔術を使うとか弱き世は混乱の極みに陥るのだから!?」

 周りの魔術師はコヨリを説得する研究主任を『勇気あるなぁ』と思っていた。そして話を振られないよう気配を一層薄めるために魔術を練る。彼らは協会から与えられた研究以外に人の存在を検知し辛くする魔術を本来の研究より熱心に同時進行中だ。

「使わない……魔術を使わない?ふむ、魔術の構築で退屈をしのげぬならば魔術を封じて別の何かを極めてみるのも確かに一理」

「ああ、何も思いつかないでおくれ」

「では人生を彩る花を見出すために、しばし失礼しようか」

 頭を抱える魔術師を気に留めずにコヨリは天井を歩いて窓から出ていく。


 塔の壁を歩きながらコヨリは塔の外周を散策する。その塔は何か強い力で歪んだのか壁が大きく波打っていた。歩きながら塔を飾る仁王像に手を触れながら。

「実につまらそうな顔をしているではないか。こちらまで気が滅入る悪しきデザインよ。笑う門には福来たるという諺を知るが良かろう」

 コヨリが触れて歩き去る背後から快活な笑い声が発生する。別の方角を守る梵天、吉祥天、阿修羅とコヨリは次々に護法善神に笑い声を上げさせていく。窓から身を乗り出して覗く協会魔術師達の唖然とした顔などまったく気にかけずコヨリは「いや、荼枳尼天はもっと上品な女性らしい方が良かろう」などと魔術を掛け直しに戻る。

 塔の像をあらかた改造すると、一番高い位置で引き笑いをする帝釈天の横で優雅に腰掛けてパフェを口にした。

「これでこそ良い考えが浮かぶというものよ」

 塔の外周から全体を見上げた使用人は一月後にこの光景を悪霊の集う摩天楼であったと語った。何も無ければその日の内に語られていたのだろうが。




「森が火事だ!塔が火に囲まれているぞ」

「煙か臭気で気づきそうなものを、何故こんな風になるまで誰も感知出来なかったのだ!?」

 熱源から逃れるために最上階まで登ってくる魔術師達が窓から身を乗り出して目に両手を双眼鏡を使うかの様にして当てる。炎に目を凝らせば原因は探り当てられた。

火狐カコだ!!大量の火狐が森の中を走り回っとるぞ!一体なんだあの群れ!!」

「マジだ!どうして火狐が!?あんなもの火山ぐらいにしか住んでないだろう!!」

 1人が手を振り上げて森に氷を投げる。自然の物ではない魔術で出来た氷は炎の中で溶けながら2匹の獣を貫き殺し、獣と共に蒸発して炎に飲まれる。危険を感じとった火狐が塔から離れていく。だが炎はそのまま森を焼いて塔の中を蒸し焼きにすべく踊り続けている。

 若い魔術師がヒステリックに声を上げる。

「このままでは全員燻製になります!塔から届く範囲であのような大群を仕留めることなど不可能です。いや、そうだ、こんな時こそヴェンパー殿の出番なのでは?!」

 魔術協会長が髭をなびかせて発言元に震えながら指を突きつける。

「馬鹿者が!自ら進んで悪夢を招くつもりか。出来るならば、出来るならばこの事態を己が力で常識的に解決するのだ!我らとて国一番の最先端魔術を読み解く者よ。力を合わせ災害を乗り越えるのだ。困っている時こそ悪夢に手を出させてはならぬのじゃああ!!」

 だが広い炎の森によって陸の孤島と化している塔から、火をつけて回る火狐を人の魔術でどうにか出来るだろうか?無から有を作ることは出来ない。大量の水は何処から用意するか?火事をなんとかしながら獣を捕縛する方法は?


 混乱で話し合いの形を成さない魔術師が何かを思いつく前に事態は急変した。

「ふー。火の中を散策というのも案外つまらぬものだな。喉が渇いたのである」

 窓からフワリと入ってきた存在に全員が注目する。煤を払いながらコヨリは窓枠に腰掛けると、外を眺める。

「ヴェンパー殿、今まで何処に、いや、何を呑気に構えているのですか!外見てください。火事ですよ?大火事です!!」

「では消してくれば良いだろう。ついでに町でシュークリームの土産でも買ってくるのが男というものだな」

「こんな広範囲の火事に加えて火狐の大群までいるのですよ。どちらか一方だけでも厄介なのに簡単に言わないで頂きたい!」

「ほほう、難しく言うとどうなるのだ?」

 イライラした若者がその場をグルグルと一周して、はっ、と顔を上げた。

「解決方法を思いつきました!海から大量の水を持ち上げて森に振らせるのです。難しいでしょうがこれだけ優秀な魔術師が集まっているのです、全員でかかればなんとかなるのでは!?」

「塩害で森が死に絶えるではないか」

 熱気を大きく吸い込んで彼はブチ切れた。

「ではヴェンパー殿ならばどう解決出来ると言うのですか!」

「これ、バーバル!」

 恐れ知らずの若い魔術師の口を閉じさせようと何人もが手で抑え込む。だがそれはもう遅かったのだ。いや、バーバルが藪を突かぬどもコヨリが大人しくしていることなど無かっただろう。


「火狐だ火事だと分けて考えるから煩わしいのだ。炎の存在全てを氷と反転させてしまうが良かろう」

 コヨリが両手を窓の外に突き出す。慌てて魔術協会長がその体にすがりついて止めようとした。

「ま、待て、ヴェンパー。存在を反転とはいかような事態なのだ。嫌な予感しか」

 皆まで言わずとも火の粉が氷の粒に変わり空中にダイヤモンドダストが舞う光景が答えだった。塔を中心に輪を描いて赤い炎が氷へと変貌して広がっていく。熱が全てを凍らせる冷気に、踊り狂った炎の海はその形を保ったまま鋭い氷柱の剣山に取り囲まれてしまった。

 窓から身を乗り出した魔術師が唖然とするままに手から本を落とした。それは氷に触れた途端パリパリと氷像となってしまう。貴重な魔術書だったのに。

「こ、こ、これでは塩害どころではありませんぞ!この温暖地域が凍、凍ってしまっては」

「ふむ、まだ生きておる生物などは氷が溶けるまでと条件づけて封印しておいた。先程散歩中に仕事は済ませてあったのである。少々骨を折った。まず日頃から魔術干渉をしていた木から」

 満足げなコヨリが解説を始めそうになる。だが森など二の次である多くの魔術士が一番聞きたい問いを急かす。

「そ、それで我らはどうやって外に脱出するので?」

「浮遊すれば良かろう」

「に、人間は普通飛べませぬ。外までヴェンパー殿の力で移動させていたたかねば」

「物の代わりに人を浮かせるだけのことであろう。せっかくなので習得してはどうか」

 落ちれば即死の場で試そうとは思わない。


 最終的には「致し方あるまい」とコヨリが一気に人間を吊り下げる。何百人という魔術師が一斉にだ。慣れない感覚と今から起こるであろう恐怖体験で一斉に血の気を引かせた。

 森を飛べば勢いよく吹き上げた炎そのままの形状を保った氷が横を通り過ぎる。

「ヴェ、ヴェンパー殿!当たる!当た」

「ぎゃー!!」

「ひいいい、ローブが氷った、尻が!?」

 阿鼻叫喚の悲鳴と、全力の魔術で氷を避ける魔術師達を振り返りコヨリは眉をしかめる。

「持ちにくいではないか。まったく、面倒な。そうだ、なんなら森と共に封印すれば」

「助けてください!それだけは!それだけは!!」


 そうしてようやく森の外、無傷の場に降り立った魔術師達は皆一様に地面に崩折れた。ある者は涙を流し、ある者は白目で草の上に寝転がっている。

「ふー、重労働であった。ティラミスが食べたいのである」

 震えで四つん這いになっている初老の魔術師が塔の方角を振り返る。

「して、してヴェンパーよ、この氷はいつ溶けるのだね」

「この氷が溶ける頃であろうな。春ではないか?」

「そ、それではしばらく研究も書物も取りもどせんということか?」

「とはいえ、氷が溶けて火狐が燃えさかれば再び火の海になるが」

 魔術師が震える声で手を震わせる。

「馬鹿な、氷の中で火狐が生きていられるはずがない、ですよね?」

 ヴェンパーが呆れた顔で首を振る。

「生きとし生けるもの者は氷の中に封印して保護したと言ったではないか。火狐も獣なれば封印術に守られているに決まっておろう。火を出さぬ内に取り除きたくば、凍っている内に始末するが良かろう。なーに、たかが1万匹である」

 ゾッと魔術師全員の血が引く。


 貴重な書物、研究書類、実験材料、貴重な魔具、生活空間、私物に財布、給料の出処、全てが氷山の中だ。魔術師達は森の前に立ち尽くした。悪夢と呼ばずになんと呼べるのか。これを春までに解決しなくては森の業火が再び燃え上がり魔術の貴重な遺産は灰となる。ついでに1万匹の火狐が好き勝手に駆け始める。

「火狐の駆除を、ヴェンパー殿に頼むというのは」

「止せ!!塔ごと吹き飛ばされたら俺は首を爆発させて死ぬ!」

「通帳、私、研究室のロッカーに通帳入れてた」

「宝具があるんだ。あれだけは、あれだけはなんとか回収しないと」

 氷が解ける季節がくれば全てお終いだ。そして、タイムリミット以外にも爆弾がある。コヨリだ。彼女がふと思い立って魔法を解いたり、追い詰められた誰かがコヨリに氷や火狐をなんとかしろと口にしてしまったら?


 自分達でなんとかしなければ色んなものが失われる!


 魔術協会はかつて無い程に心を一つにしていた。そしてこの悪夢の介入を阻止するべく力を合わせたのだ。

「ヴェンパー殿、そういえば退屈を殺したいと言っておられたな」

 笑顔を張り付けてかの魔術師はコヨリににじり寄った。

「挫折、目標、努力、感動、そういった青春を知らぬ身のなんと不幸な身か。そう、君はなまじ魔術が出来るからそういった楽しみが無いのだ。退屈に必要なのは有意義な時間をかけた趣味なのだよ」

「ふむ、このような時にその話を出す意図とはいかなものだ?」

「いやいや急な考えではないのだ!しばらく協会の仕事は休業せざるをえないから、良い機会だし休暇をかねて一季節程旅に出て何か新しいことでも初めてみてはどうかと思い至ったわけだ!君の場合は魔術を使うとなんでもやれてしまうので魔術を使わない何かそう達成感のあるものを選ぶのだよ。うっかり魔術を使ってしまわないようなね!!」

「なるほど、思えば何をしても達成感を感じなくなったのはなんどき頃であったか。ふむ、ならば我輩に出来ぬもの、魔術と真逆が良いだろう。真逆とは何か?未知を有へ、空を質へ、論より導きだされる構築、その真逆とは」

 着衣を見下ろす。なんとも個性がない魔術師らしいローブ姿だ。眼鏡が手元に落ちる。

「そうだ剣が良い。そこから導かれる偏見によりとある集団の一部とみなされる特徴を得てみるか。形から入るのも悪くない。剣士とはいかような姿をするのが標準か調べてみるか。よしよし少し楽しくなってきた。確かにこの退屈を殺せるかもしれぬ」

 急な無茶振りかとも思ったが、その気になってくれたコヨリに希望を見出して魔術士は泣きながら頷く。

「そうだろう、そうだろう、剣の修練となればまず旅に出て経験を積むのが形式だ。どうせ国の果てにいるのだから逆果てまで行くのを勧めよう!そして魔術を使えばその修練は台無しとなるから物理縛りにしなくてはな!!」

「眼鏡はそれっぽくないな。よく見えぬがそれもハンデとして良かろう。ではボスは何と設定すべきか?」

 一人、また一人が真の意図を組んでコヨリをその気にさせるべく言葉を紡ぐ。しかし、だが、という言葉が出ないよう全力で盛り上げるよう努めたのだった。




 見送りをする日には全員が涙を流して手を大きく振って旅立ちを祝福する。これで魔術の進歩がいくばくか遅れたり新しい魔術論の解読に支障が生じたりするのかもしれない。だがそんなことはどうでも良かった。


 ああ、これで事態が悪化するのは防がれた。


 西の疲れきった魔術師達は一時的にでも悪夢から逃れられた僥倖を神に感謝した。そして残された氷の悪夢を見上げ魔力を燃え上がらせる。この地に悪夢のヴェンパーと春が足を踏み入れる前にやりとげるという使命感を持って。

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