9.ギグの正体
まだまだ、泣いてます……
わたしは、さっき目覚めたあの部屋へ戻った。
外で心配そうに声をかけるサシャを、
そっと締め出し、ドアの鍵を固く閉める。
その場に崩れ落ちて、しばらく、ただ泣いた。
窓の外では、いつの間にか雨が降り出していた。
部屋は薄暗く、昼なのか夜なのかもわからない。
ひとしきり泣いて、ようやく呼吸を整える。
そして――誰もいない暗闇に向かって、
静かに呼びかけた。
「ギグ……いるんでしょう?」
わたしの影に潜む、秘密の護衛。
いつも、どこかの影から、わたしを見ていた人。
「全部……見てたわよね?
聞こえているんでしょう?」
独り言みたいに言ってから、続ける。
「わたし……やっと、わかったわ。
あなたの……本当の雇い主……」
水差しの水を、コップに注ぐ。
こぽ、こぽ、と澄んだ音だけが、
静まり返った部屋に響く。
まるで、この世にわたし一人しかいないみたいに。
「あなた……わたしの身も、貞操も、
ずっと守ってきたわね」
唇が震えた。
「おかげで……婚約者のマーカスとですら、
口づけひとつ、したことなかった……」
コップには手をつけず、
窓の枠に腰を下ろし、雨の向こうの景色を眺める。
こんな天気なのに、
神殿の外門の辺りには、黒い人の波が揺れていた。
「ギグ……あなた……」
少し息を吸う。
「神殿の、回し者だったのね」
もう、受け止めたつもりだったのに。
そう口にした途端、また涙があふれ出した。
「……わたし……ずっと……
見守ってくれてるって……」
声が、掠れる。
泣きたいわけじゃないのに、止まらなかった。
「わたしの声を聞いて……
わたし自身を……見てくれてるって……」
わたしの嗚咽に、暗闇が、わずかに、揺らいだ。
「でも……違った……」
唇を噛みしめる。
「聖女になるから、わたしを……聖女を、
ただ……守ってたのね……」
「フェリシア、さま」
囁くような声が、確かに聞こえた。
――でも。
「こんな、裏切り!」
胸が張り裂ける。
「ひどい……ひどい……!」
誰の裏切りよりも、いちばん、辛かった。
わかってた。
わかってたのに。
彼にとって、これは『仕事』だって。
それでも、心のどこかで、
『ギグだけは、いつもわたしを見てくれてる』
そんな馬鹿げた希望を――
子供の頃芽生えた希望を、ずっと、
捨てきれずにいた。
わたしは十歳の頃のように泣いた。
涙が止まらない。
「どうして……どうして……どうしてなのっ……!」
浮かび上がった黒い影の胸に、
わたしは飛び込んだ。
叩いた。
ドアを叩くみたいに、何度も。
黒い影は、なにも語らず、なにも動かない。
ギグの心は、やっぱり、開かなかった。
否定しなかった。
それが、答えだった。
――ギグは、神殿のために。
――聖女のために、働いていた。
何年も。
何年も、何年も。
わたしのためなんかじゃ、なかった。
ギグの中に、
わたしなんて、いなかった。
――『聖女』しか。
その時。
ドン、ドン!と、
廊下へ続く扉が叩かれる。
「聖女さまっ!どうか、開けてください!」
サシャ神官の声。
声よりも早く、
ギグの姿は、影に溶けるように消えた。
気がつくと――
わたしの右手の、あの『聖痕』が、
不穏な熱を持って、淡く、光り出していた。
「え?……なに?」
次の瞬間、焼けるような激しい痛みに襲われた。
フェリシアがギグの存在に気がついたのは10歳の時ですが、
実はもっと、もっと前からいました。




