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61.公爵家の異変


最近のカイルは、

夜になると別荘に現れては、

わたしに魔力を渡し、

朝の薄明かりの中、

公爵邸へと帰っていく。


すれ違うような日々が、

当たり前になりつつあった。


だからこそ――

彼が息を切らして、

神殿まで駆け込んできた時、

言いようのない不安におそわれた。


「フェリ、

親父の容態が良くない……」


言葉を選ぶ余裕もない声だった。


「聖女様に一目会いたいと、

言ってる。

フェリは、許せないかもしれないけど……

来てくれないか」


石床に反響するその声は、

いつもより低く、震えていた。


「わかったわ。馬車で待ってて」


そう答えながら、

またかと、心が軋む。


「サシャ、

知ってて黙ってた?」


神殿の奥、

柱の影に立つサシャに向き直る。


「義父に何があったの?」


神殿と公爵家――

切っても切れない関係だ。


サシャは一瞬視線を伏せ、

それから淡々と答えた。


「スタイルズ公爵様は、

毒を盛られ、

伏せっておられます。

反聖女派によるものです。」


サシャは声にすら、

色がなかった。


人形に戻ったように。


「聖女様には、

知らせないようにと、

アスラン様のご判断でした」


わたしの知らない場所で。

わたしを守るという名目で。


「聖女が……特定の貴族に、

癒しの魔法を使う……

良くないことだと、

わかっているわ」


声が、

自分でも驚くほど冷静だった。


「でも、兄たちの……

わたしを育ててくれた父親よ」


「今、神殿側も公爵家を

失うわけにはいきません」

サシャは静かに言った。

「周囲の声は、

わたしがなんとかいたします」


「サシャ、お願いね」


サシャの白い衣の胸元に

顔を埋めるように抱きしめると、

冷たい身体の速い鼓動で、

サシャが激しく動揺しているのがわかった。


サシャの女神のペンダントが

軽くシャラリと鳴った。


「大丈夫よ……」

色のない頬に触れ、踵を返した。

足早に回廊を抜け、

カイルの待つ馬車へ向かう。


わたしは、まだ、

奇跡の熱狂が残る神殿を後にした。



馬車が走り出してから、

気づいた。


さきほど、

神殿で大規模な癒しを施したばかりだ。


聖女の印は光り出してはいない。

けれど、魔力は空っぽだった。


「カイル、魔力を分けて」


「今、ここで?」

揺れる車内、向かい合ったカイルの顔がこわばる。


「まさか……癒しの魔法を使う気か?」


「そうよ。だから、早く」


「親父は、それを望んでフェリに会いたがってるわけじゃない」


「知ってるわよ!」

声が強くなる。

「自分が育てあげた、

聖女に会いたいだけなのは……

でも、

娘への愛情はくれなくても、

わたしにも父親なのよ」


「フェリ……」


「大神官に、実の父に会って、

よくわかったの。

あの人はわたしを造っただけ」

吐き出すように続ける。

「親子としての愛情が無くても、

わたしの父親は、公爵だけなの」


「フェリ……ありがとう……」

カイルの腕が、

わたしを引き寄せた。


馬車は激しく揺れ、

カイルの顔は青ざめていた。


死にゆく父へと急ぐ道中で、

わたしたちは服を乱さないよう、

魔力を繋いだ。


ふたりが、

交わす吐息だけが、

馬車の中を支配していた。



公爵家に着くと、

屋敷は異様なほど静まり返っていた。


使用人たちは、

動揺を押し隠すように、

聖女に深く頭を下げる。


それを振り切るように、

わたしは自分が育った

屋敷の廊下を進んだ。


自分の手で、

寝室の扉を開ける。


公爵の寝室は、

濃い薬の匂いと、

死の気配で満ちていた。


病んで、

ベッドに沈み、

小さくなった、

公爵のそばに、

憔悴した顔のアスランがいた。


静かに、

エメラルドグリーンの瞳を、

わたしに向ける。


いつも笑みを浮かべている母が、

泣き腫らした顔をあげる。


「聖女様!

来てくださったのですね」


「人払いを」

わたしは、

聖女と呼ばれたことに、

少しの胸の痛みを感じながら、

実の母を制する。


「お医者様も、みんなよ!」


部屋から人の気配が消える。


アスランは、

何も言わず、

椅子から立ち上がった。


開いた襟元、捲られた袖。

少し痩せた頬。

けれど、瞳だけは変わらない。

輝くエメラルドグリーン――

あの日見た海の色。


じっと、わたしを見ている。


愛しさに千切れそうな心を

隠して、

痩せた背を押す。


「アスラン……兄様もよ……

出て」


ベッド脇の椅子に腰を下ろすと、

公爵の痩せ細った手が、

震えながら伸ばされる。


「聖女さま……

どうか、

忠実な僕【しもべ】を……

女神の庭に、お連れください」


耳を近づけなければ、

聞き取れないほどの声。


わたしは、

その手を両手で包み、

はっきりと言った。


「お父様、残念ながら――

その希望には、

お応えできませんわ」


手が、

眩く発光する。


銀色の光が波のように広がり、

部屋の輪郭が溶ける。


今にも消えそうな命を、

繋ぎ止めるため、

わたしは、

体に残っていた癒しの魔法を、

すべて注ぎ込んだ。


どす黒く萎んでいた顔色が、

徐々に血を取り戻す。


手にも、

胸にも、

生気が戻っていく。



――成功した。



はっと息を吐き、

肩で呼吸をしながら扉を開ける。


廊下には、

屋敷中の人々が膝を折り、

祈っていた。


「入っていいわ。

でも、静かにね」


その瞬間、力が抜けた。


崩れ落ちそうになるわたしを、

アスランが、

迷いなく抱き上げた。


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