表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/45

1.裏口から帰れ―婚約解消

序章


「フェリシア様は、八人の夫を持つことになります」


青年神官がわたしの手を少し強く握った。

指先まで整った白い完璧な手。

けぶるような水色の瞳がわたしを見つめる。


ひとりの婚約者に捨てられたわたしに、複数の夫?


「無理無理、わたしには無理ですっ!」


どうして、どうして、わたしが聖女なんかに!?


そうだ、

結婚さえしていたら、こんなことにはならなかった!


あの婚約解消さえなければ……


——二ヶ月前




1.義父の思惑


「フェリシアお前との婚約を解消する!真実の愛を見つけたからな!」


(――は?こいつ、なに言ってるのよ?!)


しかも、公爵令嬢のわたしに用意された馬車は裏口にあった。


「公爵家に正式な婚約解消の書類が届くだろう」


「わたしに、ここから帰れというのですか?」


「ふん、高価な人形のふりをしても、下賤な者にはお似合いだ」


吐き捨てるようなその言葉にわたしは怯む。



八年間、婚約者だったこの国の第三王子マーカスは、

振り向きもせず、足早に去って行った。


(下賤……まさか、わたしが私生児だと知られたの?)



「フェリシア様、ここは風が冷たいです。どうぞ馬車にお乗りください」

近衛騎士グレン・ハートの、丁寧に差し出された手。

大きな体躯の男が控えめに目を伏せた。


騎士に憐れまれている……

その事実が、わたしの矜持を傷つけた。



手を振り払おうとしたその時――

ふと影の中に、わたしの護衛ギグの気配を感じる。


――惨めに、裏口の馬車になんか乗らない!


「馬」


「……は?」


「馬を貸して。わたしが乗る馬よ」


「わ、私のでよろしければ……しかし――」


グレンは自分の愛馬を連れてきた。

芦毛の馬だった。


「いい馬ね。

ありがとうグレン。借りるわ」


わたしはドレスをたくし上げて馬に飛び乗り、そのまま駆け出した。


普段、真面目なだけの彼が驚く姿に、少しだけ胸がすく。



わたしは、乗馬が得意だ。


けれど、それを知っている人間は少ない。


『おしとやかで大人しい公爵令嬢』

――皆、それがわたしだと思っている。



手綱を握る指先に力を込め、馬の脇腹を軽く蹴る。


景色が一気に流れ出した。

視界が揺れる。


涙を拭う暇なんかない。


早く、帰って、確認しなきゃ、

こんなこと……起こるはずない……!


頬を叩く冷たい風に、

春の気配なんて微塵もなかった。


――


公爵家の使用人たちは、決して詮索しないよう徹底して教育されている。


(だから、安心して戻れると思っていたのに)


薄暗い厩舎の奥。

背の高い男が馬の首筋を静かに撫でていた。


(そうだ。こいつも乗馬が好きだった。)


わたしが声をかけるより早く、カイルが駆け寄ってきた。


そのままわたしの馬の手綱を、強く掴む。


「フェリ、お前……なんて、格好してるんだよ!」


公爵家の次男、義理の兄のカイル。


黒髪、痩身で黒い服を身につけていても、

明るく軽い雰囲気が漂う。


最悪だ。

泣いた後の顔を見られた相手が、カイル兄様だなんて。


カイルの緑の瞳は、中央にわずかに赤を帯びている。

揺らめくようなその色が、容赦なくわたしをチェックしていた。


「……服は、乱れてない。

誰かに触れられたりしてないな?」


少しだけホッとしたような声。


(まさか、心配してたの?

いや、そんなわけ……)


「だけど、その顔! ひどすぎるな。

いつも気取ってるフェリが……これは傑作だ。笑える!」


やっぱり、最低!


当然のように、わたしの腰へ手を回し、馬から下ろそうとする。


――その態度にも腹が立った。


「おっと!」


カイルはわざとらしく体勢を崩し、そのまま後ろへ倒れ込んだ。


――この動き。子どもの頃、何度もやられた。

抱き上げたまま倒れて、カイルは気を失ったふりをする。


驚いたわたしが泣くのを見て、面白がる。


昔と同じ。

仰向けに倒れたカイルの胸の上に、わたしはそのまま落ちていた。


「フェリ、身体が氷みたいだ……なにがあった?」


声に軽さがわずかに消え、わたしの肩をまるでいたわるように撫でる。


「……婚約を解消するって、言われたわ」


唇が震えた。そう、昔と同じ。

やっぱりわたしは泣いてしまう。


カイルの動きが一瞬止まる。


「嘘だろ……バカ王子の冗談じゃなく?」


「本当よ、王宮から正式な文書が送られてくるって……」


ずっと、言われ続けてきた言葉がよぎる。


――お前に王族なんか無理だ。やめとけ。


本当にその通りになった。


「まさかこんな土壇場で、フェリの結婚が、なくなったのか?」


「八年間も婚約していて、結婚直前にこのザマよ……

『バカ王子』に捨てられる、役立たずな妹で悪かったわね!」


溜め込んでいたものが一気に溢れ出す。


「あは……!」

カイルが楽しそうに笑いだした。


「最高すぎるだろ!

もう終わりだと思ったのに、ここにきてひっくり返すなんて……

お前はすごいよ。あははははは!」


わたしを抱き寄せて笑い続ける。


こいつは本当に……!


我慢の限界だった。


わたしは腕を振り上げ、カイルの胸に拳を打ちつけた。


「いた……っ」


痛いのは、わたしの手の方だった。


――


わたしがいない間にもう、婚約解消の書類は届いていたようだ。


(早すぎる……どう考えても、あらかじめ準備していたよね)


素早く身支度を整えられ、重い足取りで、

義父――スタイルズ公爵の執務室へ向かう。


その背後で、わずかに影が揺れた。


――ギグだ。


姿は見えないけれど、わたしが辛いときほど、彼の存在を近く感じる。

ゆっくり息を吸って、重厚な扉の向こうへ足を踏みだした。


――


義父は、王家の紋章がくっきりと押された書類を手にしていた。


それを見た瞬間、目の前が暗くなる。


(王家と公爵家の繋がりが、切れるんだ……大変なことをしてしまった)


「来たか、フェリシア」

父は厚い書類を無造作に机へ置く。声色は驚くほど平坦だった。


「わたくしが至らないせいで、公爵家にご迷惑を……」


深々と頭を下げると、父は静かに言葉を挟んだ。



「迷惑などではないよ、フェリシア。」


思わず、顔を上げる。


父の表情は、穏やかだった。怒りも、失望もない。



「元々こちらから、婚約解消を申し出るつもりだったからね。

破談になるならこちらには、好都合だ。」



思考が止まる。


「……え?」



「そもそも、

才気煥発な第四王子ならお前の伴侶に考えないでもなかったが、

凡庸なマーカス殿下ではな……」


(えっ?どういうこと?!)


「あちらから言い出してくれたおかげでな、

補償として、金貨のコレクションと……

豪奢で広い別荘がお前のものだ。悪くない取引だろう?」


わたしの費やした八年間が取引?


「では、わたしは、なんのために婚約したんですか?」


「公爵家の娘のお前を『純潔』に保つためだよ。

王子の婚約者に言い寄る者はいないだろ?」


「純潔を守るため……それだけ?」


心は悲鳴を上げているのに、かすれたか細い声しか出ない。


(そんなことのために、わたしは無駄な婚約を続けていたの?!)


「当然だろう。女神の教えにより、

『穢れのないこと』は何より大切だよ、フェリシア」


公爵は女神の印を結び、満足そうに頷いた。


(わたしは、最初から期待されていなかったの?

なんのために、八年間も王族教育を頑張ってきたの?)


――


あまりのショックに呆然と執務室を出ると、廊下に声が響いた。


「フェリシア!」


わたしの名を呼ぶ声に、心が跳ね上がる。

冷たく澄んで、けれどどこか甘やかな声。


「アスラン兄様……」


振り返ると廊下の奥に、背の高いあの人が立っていた。


人物紹介

*フェリシア ヒロイン 公爵家の養女 白銀の長い髪 紫の瞳


*カイル 公爵家次男 黒髪 赤の散った緑の目 子豚好き

*グレン・ハート 近衛騎士 亜麻色の髪ペールブルーの目 フェリに馬をかっばらわれた

*ギグ 影に潜む秘密の護衛 手足細長い 闇魔法を使う 杏のクッキーが好き


*マーカス 第三王子 フェリの元婚約者 マザコン


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ