14.
「私に……、何か用があったんですか? でも、特に面識は……」
「……うん。全然、覚えてなかったよね。少しは、期待してたんだけど」
先輩が、ハンカチを握った手を目の前まで持ち上げた。街灯の光をあてると、青い花の模様が見てとれた。……とても、見覚えがある。
「実は、群青高校の去年の文化祭の時に会ってるんだ。俺、葉琉と校内をまわっててね。廊下にあったオブジェが規定の高さより低かったらしくて、俺たち二人とも頭をぶつけちゃったんだ。そのとき、俺にハンカチを貸してくれたのが、たまたま見回りで近くにいた君だった。他の人たちは、真っ先に葉琉を心配したのに」
「…………」
そう、だっただろうか。
昨年の文化祭は問題がやたら発生し、私も役員の仕事に不慣れだったため、嵐のように過ぎ去ったことしか覚えていない。
だからたぶん、次々起こるトラブルをさばくのに必死で、ただ、手前にいた人を気に懸けただけではないだろうか。それが亜樹先輩ではなく、葉琉先輩だったらきっと、葉琉先輩にハンカチを差し出していた。
そう言うと、亜樹先輩はほほえんだ。
「そうなのかもね。でも、君は最初に目が合った俺を迷わず心配してくれた。結構さ、俺とあいつを見比べてから、葉琉を選ぶ人が多いんだ。だから、嬉しかったんだよね。ハンカチも借りたままだったし、どうしてもお礼が言いたくて。……でも、葉琉はあのとき、君のことは見てなかったみたいで、知らないって言われてさ。この間、たまたま会った一城にダメ元で聞いてみたんだ。そうしたら、すぐに君の名前を教えてくれた。でも、ちゃんと会ってお礼を言いたいって言ったら、三澄さんはそういうの嫌がるよって」
花柄のハンカチを手に取った。
無くしたと思ったときは残念だったが、そういういきさつで人の手に渡っていたのなら、戻ってこなくても惜しくはない。
会長の言う通りだ。確かに私なら、そのまま持っていても構わない、と、会うのを拒否するだろう。そんなところまで見透かされているのが面白くなくて、心の中で舌打ちする。
しかも、さっきの言葉も嘘だったのだ。いや、嘘というよりは、全てを語っていなかったということか。
「それで、わざわざこんな猿芝居を……」
「……ごめん」
純真そうな顔が申し訳なさそうにゆがむ。騙す気満々だった会長はむかつくが、先輩はそこまで謝る必要はないのではないだろうか。
「あのときは、心配してくれてありがとう。本当は、何かお礼もしたかったんだけど、三澄さん、何がいいのかわからなくて」
「……ああ……」
ここ数日間の先輩の言動を思い出す。あの不審な行動の理由はそれだったのか。
「私は、生徒会の仕事をしただけです。それだけで何かいただくわけにはいきません」
にべもない返答に、先輩は苦笑を浮かべる。
「むしろ、我々生徒会の事情に巻き込んでしまって、申し訳ありません」
考えてみれば、亜樹先輩はただ、ハンカチを返すためだけに、他校の巡回業務に付き合わされ、バスケ部の説得を強要され、あげくに万引き騒ぎに付き合わされたわけだ。お人好しすぎて今後が心配になる。
しかし、先輩は、決まりが悪そうな面持ちで頬を掻くと、意を決したように口を開いた。
「この際だから全部言っちゃうけど、三澄さん、俺のこと誤解してると思うんだ。部活のこともだけど、別に俺、バスケに挫折したから空手部に入部したんじゃないよ。もともと空手に興味があって、最初から空手部に入ったんだ」
「そう……なんですか?」
負け惜しみかと思ったが、先輩の顔にごまかすような表情は見られない。
「うん。それに、葉琉が空手部に入らないよう、画策もした。同じ部に入ると比較されるし、後から始めておいてあっという間に抜いていくのがまたむかつくからさ。一応俺が数分だけ兄だからか、あいつ、昔から俺のマネばっかりしたがるんだ。だから、先にバスケに興味を持つように誘導してから、こっそり空手部に入部した。バスケも割と好きだったし、あいつも絶対に興味持つだろうって思ってたから」
(――この人って……)
街灯を背に私を見下ろすその顔には、濃い影が落ちていて、目だけがやけに光って見えた。
会ってから数日。短い間だが、それなりに観察してきたつもりだった。だが、突然、別人のように見えた。
目の前に立つ亜樹先輩の姿を、上から下まで見つめ直す。
人気者の双子の弟にコンプレックスを持っていて、受け身で卑屈な、ただ流されているだけの、そんな人ではなかったのか。
そうだ。
私は先輩のことも、ちゃんと見ていなかったのだ。
「それが本当なら……。先輩は、意外としたたかなんですね……」
先輩が、目を細めて唇の端を上げる。
「……軽蔑、する?」
「まさか」
軽蔑なんてするはずがない。自分に都合のいいように周囲を動かそうとすることなんて、誰でもやっていることだ。
亜樹先輩は、ハンカチをぬらし直して、手渡してくれた。私がそれを頬に当てる間に、またばつの悪そうな顔に戻ってしまう。
やっぱり、いい人なのだろう。騙していたことになのか、私のケガになのかわからないが、引け目を感じているというのなら、せっかくだし利用させてもらおう。
今回のことは散々だったが、私だって、転んでもただで起きるつもりはない。
「そんなに罪悪感を抱いておいでなら……謝罪は結構ですから、弱みを一つ教えて下さい」
「え?」
先輩はきょとんとしている。私はもう一度言った。
「今度、何かあったときに脅しに使わせていただきますので、そのためのネタを下さい」
「は……はあ!?」
先輩は目を白黒させた。まあ、当然の反応だろう。
「な……、何言ってるかわかってるの、三澄さん!?」
「当然です。判っているからこそ、正々堂々とお聞きしているんです。こそこそ弱点を探るのは失礼ですし、なんだか卑怯じゃないですか」
「お、脅すこと自体が卑怯だからね!?」
「そうですね。だからせめて、卑怯さを減らしておこうと思いまして。いきすぎない卑怯さと正直さを併せ持っているのが、私達でしょう?」
私はにっこりと笑って言った。
私達はやっぱり似ている。卑屈で、ゆがんでいて、それでも自分なりに前に進んでいこうと、もがいているところが。
先輩は虚を突かれたような顔をして、それから、口元に手を当てて視線をさまよわせた。心底悩んでいるようで、青白い光の下で見るその横顔は険しい。
辛抱強く返事を待っていると、ようやく、心を決めた瞳がこちらを向いて――ほどけた。
その顔を見たとき、ふいに、会長の言葉が頭をよぎった。
――鈴城先輩は、心を許した相手にはめっぽう弱い人なんだ。
あれは、どちらの先輩のことだったのだろうか。
葉琉先輩か、亜樹先輩か。
それとも……。
「君が、俺の弱点を知る必要があるのかは疑問だけど……」
少しだけ首をかしげ、観念したかのようにほほえんだ。
「俺の弱点は、君だよ。君のことが、好きなんだ」




