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社畜監査官だった俺、貧乏第八王子に転生したので王宮の無駄手順を全部“昼寝できる仕組み”に変えます  作者: 花守りつ


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2/2

余剰薪ではなく、夜の寝床です

温かいスープを飲んだあと、人間は眠くなる。


 これは前世で三十六時間勤務を経験した俺が、最後に得た数少ない真理のひとつだ。


 北の冷遇塔の食堂には、まだまともな椅子が三脚しかない。欠けた机に椀を並べ、ミナとルイとロイが両手で湯気を包むようにしていた。


「殿下。おかわり、あります」


 ミナがそう言いながら立ち上がり、椀を持ったまま、こくりと首を落とした。


 椀が傾く。


 俺は反射で受け止めた。前世の監査室で、眠りながら判を押しかけた課長の手元から決裁書を抜いたときと同じ動きだった。


「……ミナ。昨日は何時間寝た」


「え、と。寝ました」


「質問を変える。目を閉じていた時間は?」


 ミナは黙った。


 ルイとロイが、湯気の向こうで同時に視線を落とす。二人の指先は赤く、爪の際が白い。腹が満ちれば眠くなるはずの年頃なのに、背筋だけが妙に張っていた。


「殿下、北塔は夜が冷えます」


 ルイが小さく言った。


「薪は?」


「朝用なら、一束」


「寝台布は?」


「……客用大広間に、戻しました。儀礼の前飾りに使うそうです」


 俺は椀を机に置いた。


 昼寝の敵は、仕事だけではない。


 寒さも、空腹も、眠れない夜も、翌日の昼に全部やってくる。夜に眠れなかった従者は昼に倒れる。昼に倒れる従者がいれば、俺の昼寝は消える。


 つまりこれは、福利厚生の問題ではない。


 昼寝防衛線の問題である。


「台帳を持ってきてくれ。薪札と、寝台布の移動簿。あと、儀礼倉庫の受領控え」


「殿下、もうお休みにならなくてよいのですか」


「休むために見る」


 俺はそう答えた。


 ミナは半分眠った顔のまま走ろうとして、扉の手前でふらついた。ロイが慌てて支える。その光景だけで、王宮のきらきらした儀礼暖炉が少し嫌いになった。


 運ばれてきた帳面は、見た目だけは美しかった。


 革表紙に金の紐。欄外には王宮儀礼局の朱印。前世の役所でいうなら、監査される側が最初に見せたがる「整っている書類」だ。


 整っている書類ほど、生活が消えている。


「夜間薪、北塔分」


 俺は指で欄を追った。


 ――未使用分。一括処理済み。戴冠塔予熱へ移管。


「寝台布、北塔客用」


 ――余剰布。大広間前飾りへ転用済み。


「未使用、余剰、処理済み」


 便利な言葉だ。


 前世でも、どこかの棚に眠っている備品はすぐ「余剰」と呼ばれた。けれどその余剰が、夜勤明けの仮眠毛布だったり、災害時の水だったり、現場が明日使う予備だったりする。


 使っていないのではない。


 まだ、その時刻が来ていないだけだ。


「ミナ」


「はい」


「この薪は、いつ使う予定だった」


「夜半です。北塔の石床は、三刻を過ぎると息が白くなります」


「この布は?」


「ルイとロイが交代でかぶります。私は階段下で……いえ、客用です」


 訂正が遅い。


 俺は帳面の余白に、鉛筆で線を引いた。


「余剰薪ではない。夜間就寝分だ。余剰布ではない。寝台布だ。処理済みではない。使用予定時刻未到来」


「その書き方で、通るのですか」


「通らなければ、通る欄を作る」


 俺は椅子から降りた。七歳の体は軽いが、王子という札だけは重い。命令で全部ひっくり返せるほど強くはない。けれど、書類の目的語を戻すくらいならできる。


 儀礼倉庫は、北塔から渡り廊下を二つ越えた先にあった。


 中は暖かかった。


 儀礼暖炉の予熱のため、薪が山のように積まれている。赤い飾り布を掛けた棚には、北塔の寝台布が畳まれていた。ふかふかしている。つまり子供三人が寒さで眠れない夜の横で、誰も座らない大広間の壁が暖かく眠っているわけだ。


「第八王子殿下。こちらは処理済みです」


 倉庫番の男は、俺を見るなり帳面を閉じた。


「処理とは、何がどこへ到着した状態を言う?」


「は?」


「薪が戴冠塔へ移ったら完了か。火がついたら完了か。王族が暖まったら完了か。それとも、本来の使用者が朝まで凍えず眠ったら完了か」


 男の眉が動いた。


 俺はミナに目を向ける。


「名前と、昨日の夜の状態を言えるか」


 ミナは驚いた顔をした。けれど、両手を前で握り直す。


「北塔従者、ミナです。昨夜は二刻で火が落ちました。ルイとロイは階段下で交代して、私は厨房前で起きていました。客用寝台布は、ありませんでした」


 ルイとロイも、ぎこちなく名乗った。


 俺は三人の名前を帳面の脇に書く。


 名無しの余剰ではない。


 ミナが眠る夜、ルイが咳をしない朝、ロイが皿を落とさず運ぶ昼。その席に割り当てられた薪と布だ。


「王宮儀礼局の書式には、生活影響欄がない」


 俺は倉庫番に帳面を向けた。


「だから、北塔側で補助欄をつける。『夜間就寝予約分』。三束。『寝台布返還』。三枚。『使用完了確認』は、明朝に本人名で行う」


「しかし、戴冠塔の予熱が」


「王冠は布をかぶらない。塔は眠らない。子供は眠る」


 倉庫番が黙った。


 いい沈黙だ。怒鳴られるより、書類が現実に追いついていないと気づいた沈黙のほうが、現場は動く。


「儀礼を止めるとは言っていない。飾り布は代替布でよい。予熱薪は朝の余剰から回せ。ただし、夜間就寝分を先に確定する」


「殿下、それは誰の許可で」


「北塔の生活管理責任者として、俺が仮保留する」


 七歳の王子の声は高い。


 でも、鉛筆で引いた線は曲がらなかった。


 その夜、北塔の食堂脇に小さな板が掛かった。


 ――夜間就寝札。


 一、薪三束は、三刻前に北塔暖炉へ入れる。

 一、寝台布三枚は、本人名で受け取る。

 一、翌朝、眠れたかを確認してから使用完了とする。

 一、王子の昼寝を妨害しない。


 最後の一行は俺が書いた。誰も消さなかったので、正式な運用である。


 火が入ると、石床の冷たさが少しだけ和らいだ。ミナは寝台布を抱えたまま、何度も礼を言おうとして、途中で言葉を忘れたように目を閉じた。


 ルイとロイは、同じ布を取り合わなかった。自分の名前の札が付いている布を、それぞれ自分の寝台に運んだ。


 名前があると、人は争わなくてすむ。


「殿下」


 ミナが、布に頬を埋めたまま言った。


「これは、余ったものではないのですね」


「ああ」


「夜の、私たちの分」


「そうだ。明日の朝まで予約済みだ」


 ミナは安心したように笑い、そのまま眠った。


 俺も食堂の椅子に座り、ようやく目を閉じる。


 温かいスープ。温かい寝床。悪くない。北塔は前世の監査室よりずっと改善の余地がある。改善の余地がある場所は、手順さえ作れば眠れる場所になる。


 これで明日は昼寝できる。


 そう思った瞬間、階下からぱきん、と嫌な音がした。


 ロイが顔だけ出す。


「殿下。洗濯場の桶が、凍って割れました」


 ミナが眠ったばかりの手を見る。


 赤く荒れた指先に、細い裂け目があった。


 俺は夜間就寝札の隣に、空いた板をもう一枚掛けた。


 昼寝時間が、また少し遠くなる。


 だが、洗濯水を式典噴水と同じ言葉で処理した者がいるなら、その言葉も明日、生活へ戻してやる。

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