第六十三話 ★真人:戦の評定
◇【三輪之真人】視点◇
名張の村が、三野の兵を追い返した。
最初に報告を聞いた時、
私は、にわかに信じられなかった。
――――――――――
三野の名張侵攻から数日が経ち。
名張の村は、少しずつ息を取り戻していた。
打ち破られた村の門は、仮木に塞がれ。
使われた土器や、布が、
村の広場の端にまとめられている。
薬草の匂いは、まだ薄っすらと、
村のなかに漂っていた。
名張の死者は弔われていた。
三野の亡骸も、粗末に扱われていない。
捕らえた三野の兵たちは見張りの下に置かれ、
水と、粥を十分に与えられている。
名張の夜を越えた者たちの目には、
敵味方を問わず、確実に生気が戻っていた。
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私、三輪之真人は、
八十の兵を率いて名張へ入った。
三輪の全体からすれば、ごく一部の兵になる。
だが、三輪の本拠の警備。
北の多臣、平群臣、物部臣――
南の葛城臣、西の大伴臣――
それらの敵対する国境いに備えながら、
迅速に、八十の兵を揃えてみせた。
それは、名張のことを軽んじてないという、
周辺の環濠に対する、示しとなろう。
今回、名張を助けることは、
三輪にとっても重要な意味があった。
だが。
そんな我らが到着したのは、
すでに、三野の兵が退いた後だった。
「さすがに、これは予想しなかったぞ」
「ですな……」
三輪を率いる私、その横を歩く補佐役のオシ。
他、二十の兵は名張に残ることにした。
名張で何が起きたのか。
なぜ、三野の百の兵が退いたのか。
三輪君へ、報告を、
正しく持ち帰る必要がありそうだ。
――――――――――
その夜、ひとつの竪穴住居に、
名張の主だった者たちが集められていた。
阿倍臣に連なる古き筋を引き、
いまは村の長を務める、名張臣白髪。
古くから名張の地を守る土着首長の筋、
那婆理之稲置武。
名張の男衆を現場で動かす古参、岩矛。
名張の女衆をまとめる、朝目。
三輪より遣わされ、
監視の目と祭祀の役目を帯びた、三輪連由良。
陰から村を動かしている童、イミナ。
名張の象徴となっている火の巫女、イミコ。
「さて、イミナよ、
お前の言う、評定とやらを始めようか」
村の長、シラガが声をあげた。
名張という村を支える者たちが、
この夜、ひとつの囲炉裏を囲んで顔を合わせていた。
――――――――――
「まず、名張は、
三野に勝ったわけではありません」
イミナ殿の、そんなはじまりの一言で、
場の空気が一気に揺れる。
「なにを言う、我らは勝っただろうが。
あいつらを退けたのだ」
タケが、大きな声をあげた。
最前線で戦った者として当然のことだろう。
「ええ、みなさんの活躍のおかげで、
三野の侵攻を防ぎました」
イミナ殿が静かに、
この場に並んだ顔をみわたした。
「ですが、この戦で、
まだ名張は何も得ていません」
私は、思わず息を呑んだ――
三野を退け、総指揮の三野之荒鹿を討ち取り、
さらには捕虜まで取っている。
名張は勝った。
それは、誰の目にも明白だった。
さらにそれ以上を求めるというのか。
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「防いだだけ、というには、
あまりにも大きなことを成したがの」
シラガが声をあげた。
「その通りですが、三野は力を残しており、
その脅威は未だに健在です」
「それはたしかに……」
シラガは、大きなため息をついた。
「だからこそ、この結果から何を得るか、
それが大事になってきます」
勝利を誇らない。
だが、得れるものを見ている。
これから残すべきものを考えている。
私は、改めて名張の童を見た。
三輪を担う臣たちの中に、
ここまで、先を見据えれる者がいるだろうか。
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「三野の武器と、盾は、修繕して使えるな」
イワホコが嬉しそうな声をあげた。
名張に比べ、三野の武具は優れている。
現場の者としては嬉しいのだろう。
「捕虜もありがたい」
タケも、口元を緩ませた。
捕虜は働き手にも、交渉の種にもなる。
「その、捕虜についてですが……」
そこで、イミナ殿は、
ちいさく横に首を振った。
「三野へ帰りたい者は、
そのまま、返したいと思います」
「なん、だと……」
タケの表情が曇る。
その声には明らかな怒気がこもっていた。
「理由を、聞かせてもらおうか……」
狩猟者が手にした獲物を、
自然に戻せと言ってるようなものだ。
受け入れるはずがない。
「捕虜を三野に返すことで、
面白いことが起こるかもしれません……」
イミナ殿の口元が、わずかに歪む。
それは、童の浮かべるような笑みではない。
「三野を継ぐ本筋にいた、アラカが討たれ、
さらに、三野は何も得られずに退きました」
「帰り待つ三野臣にすれば、
これらは受け入れがたい報告となるでしょう」
「父が、子を失ったのだからな……、
そうかもしれんな……」
シラガが目を閉じて、小さく頷く。
この場の誰よりも、
三野と長く対峙してきた名張村の長。
なにか、思うところがあるのかもしれない。
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「おそらく、この後、三野は内部で割れるでしょう」
いきなり、イミナ殿が、
とんでもないことを言い出した。
「いや、さすがに、それは……」
私は、おもわず声を上げてしまった。
さすがに、そんな簡単には、
三野という繋がりは崩れるものではない。
「三野の捕虜は火の巫女を目にしました、
手厚く手当てされ、十分な糧を与えられました」
イミナ殿は、さらに話を続ける。
「その者たちは、三野へ戻ると、
手厳しい批判の声の矢面に立たされるでしょう」
そんなことを、しれっと言い放った。
「それが、捕虜を返すことの意味です」
イミナ殿の言葉に、
私の背筋には、冷たいものが走った。
捕虜を返す。
それは慈悲ではない。
いや、慈悲でも、あるのだろう。
だが、それだけではない。
三野が、その程度で割れるはずがない。
それなら、三野が割れるように手を打とう。
イミナ殿が言わんとしていることは。
つまりは、そういうことだ。
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「恐ろしいことを考える童よのぅ」
シラガは、顎をなでる。
「意味があるのだな、
ならば、我は目をつぶろう……」
タケは、目を閉じて小さく頷いてみせる。
先程までの怒気は姿を消していた。
「あくまで可能性の話ですが、
その価値は、十分にあると思いますよ」
可能性――
そんな耳慣れない言葉、
その意味を、考えるまでもなく。
イミナ殿の浮かべる笑顔が、
ただ、ただ、恐ろしいものに見えた。
人の怒りに、父の嘆き。
捕虜の恩から、その噂に、迷い。
そして、人の抱く恐れ――
そうした実体のないものまで、
その瞳の奥に、彼は映しているのだろうか。




